風に吹かれて

My Life & My Favorite things

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映画「ザ・コンサルタント」

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数多くの伏線が張られており、そのすべてがユニークで面白い。
そしてその伏線のひとつひとつが丁寧に解き明かされていくたびに、カタルシスが味わえる。
また主人公の人物設定もユニークで、斬新だ。
自閉症ゆえに備わった天才的能力を生かし、会計士という表の顔と、スナイパーという裏の顔をもつ謎の男。
映画「レインマン」でダスティン・ホフマンが見せた、あの驚きの能力と共通するものだ。
そこに映画的な誇張はあるものの、アイデアはこれまでにはなかったもの。
しかも主人公がどうやって現在の姿に至ったのかを、過去に遡って詳しく解き明かしていくなど、説明は抜かりがない。
映画「ベスト・キッド」を思わせるようなエピソードもあって、思わずニヤリとさせられる。
そして映画そのものが、複雑なジグゾーパズルになっており、ラストで最後のワンピースが収まると、それで全ての謎が解けるという形態になっている。
見事な仕掛けである。
こうした緻密な脚本を書いたのが、ビル・ドゥビュークというシナリオライター。
以前観た「ジャッジ 裁かれる判事」を書いた、ライターだ。
この映画を含めまだ3本の作品しか書いていないというから驚きだ。
これからどんな作品を生み出すか、大いに楽しみだ。
そして監督はこちらも最近注目している「ウォーリアー」の監督、ギャヴィン・オコナー。
父親と兄弟というシチュエーションが「ウォーリアー」と共通するものがあるのはそのためだろう。
さらに主人公を演じたベン・アフレックが、このユニークな主人公を思い入れたっぷりに演じている。
その陰影ある姿はなかなか魅力的で、新しいヒーローの誕生を感じさせられた。
盟友・マット・デイモンの当たり役ジェイソン・ボーンに匹敵するヒーロー像である。
映画の最後は、続編を予感させるような終わり方。
おそらく続編が作られるにちがいない。
それを楽しみに待ちたいと思う。


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葉室麟「紫匂う」

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昨年12月、作家・葉室麟が亡くなった。
66歳であった。
葉室麟は遅咲きの作家で、デビューしたのは、2005年、54歳の時である。
わずか12年という作家生活だったわけだ。
しかしその著作は、50冊を超えるほどの量産であった。
まるで残された時間が、わずかであることを知っていたかのような多作ぶりである。
そしてそれらの小説で書き続けたのは、人間がもつ尊厳や真心といった精神の美しい輝きであった。
それはこの小説でも描かれていることである。

主な登場人物は、3人。
黒島藩六万石の郡方を務める萩蔵太とその妻・澪、そして江戸藩邸側用人の葛西笙平。
萩蔵太は心極流の剣の達人だが、普段は仕事一途なだけの地味で目立たない男であった。
その夫に18歳で嫁いで12年になる澪は、二人の子供を授かり、平穏な生活を送ってはいたが、夫にいささかの物足りなさを感じることがあった。
そんな折、幼馴染であり初恋の人である葛西笙平が、家老の意に染まぬことを行ったという理由で、国許に送り返されることになり、その旅の途中で逃げ出してしまう。
その葛西笙平が、澪の前に突然現れる。
彼を匿うことになった澪と笙平ふたりの逃避行が始まる。
それを見捨てておけなくなった蔵太が後を追い、ふたりに力を貸す、というのが物語のおおまかなストーリーである。

3人の交錯する思い、そして騒動の顛末はどうなるのか、その面白さに一気に読み終わってしまった。
それはこれまで読んできた葉室麟の、いずれの小説とも変わらぬ面白さであった。

ところで和歌や俳句に傾倒したこともあるという葉室麟の小説には、しばしば和歌や俳句の引用がなされることがあるが、この小説でもいくつかの和歌が登場してくる。
そのなかのひとつ、「紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに吾恋めやも」が、小説の最後に効果的に使われている。
これがこの小説の題名として使われているわけだが、その心境に至った夫婦ふたりの慎み深い機微を表して、印象深い結末になっている。
「精神の美しい輝き」が、ここでも見ることができる。


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髙村薫「晴子情歌 上・下」

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ようやく読み終えたというのが、正直なところ。
旧仮名遣いで書かれた文章は、重々しく、理解しづらいところも多く、かなり骨が折れる。
行きつ戻りつしながら読むため、遅々として進まない。
不安定な足元を、転げ落ちないようにしっかりと確かめながら高い頂を目指す、そんな形容がしたくなるような読書だった。
途中で投げ出すことなく読み終えることができたのは、この小説が持つ強力な磁力に引っ張られたがゆえである。

主人公・晴子が息子・彰之に送った100通を超える手紙と、それを受け取った彰之の現在の心境や回想によって物語は描かれていく。
その手紙に綴られるのは、50年に及ぶ晴子の数奇な人生である。
晴子は大正9年、母の実家である東京本郷の岡本家で生まれた。
父・康夫は東大文学部を出て、東京外国語学校で講師を勤める左翼系のインテリであったが、若くして亡くなった妻の死をきっかけに、残された4人の子供を連れて康夫の実家のある青森県津軽地方の筒木坂(どうぎざか)へと帰っていく。
そして実家の野口家に晴子たち4人の幼い子供を預けたまま、北海道へと渡ってしまう。
野口家の次男が働く江差の鰊場に、職を得たためであった。
昭和9年、晴子15歳の時である。
その後、晴子たちは父が働く鰊場に移り住むことになるが、翌年、父・康夫は死亡、その結果弟妹は東京の母親の実家に引き取られることとなり、晴子はたったひとりで生きていくことになる。
筒木坂に帰った晴子は、新しい奉公先となる野辺地の福澤家で働くことになる。
福澤家は古くから醤油製造業を営む県下有数の名家であり、当主・勝一郎は事業家として様々な会社を経営する傍ら、衆議院議員として政治の世界でも重きをなす人物であった。
そこで女中として働く晴子は、やがて福澤家の跡取りである榮の子を産み、戦争から帰ってきた画家を志す放蕩息子・淳三と結婚することになる。
そして昭和50年、彰之は東大理学部を出たものの、ある日突然漁船員となることを告げ、北転船に乗り込んで遠洋漁業へと旅立ってゆく。
そこから晴子の彰之へ送る手紙を書く日々が始まる。
その手紙に描かれるのは、これまで歩んできた晴子の人生と家族の姿であるが、それと同時に激しく揺れ動く昭和という時代を描いた叙事詩ともなっている。
津軽や北の大地の因習や風土、そこに根差して生きる人々の姿、さらに大家(おおやけ 津軽弁で大地主の意)である福澤家の複雑で陰湿な家系と政治の世界、そして戦争というものの実態、さらに息子・彰之の章では、それらが彼の視点からも描かれ、揺れ動く心の襞が書き加えられていく。
そしてそれが言葉の奔流となって押し寄せてくるのである。
晴子が文学少女であるという設定にはなっているが、それにしてもこの奔流はただ事ではない。
これはそうした膨大な言葉の渦によって書かれた昭和史であり、民衆史である。
その醍醐味に、そしてその熱量に、心底圧倒されてしまったのである。

ところで昨年の秋、津軽半島をドライブしたことを以前書いたが、それは小説の最初の舞台になった木造町(今はつがる市となっている)の筒木坂(どうぎざか)に行ってみようと思ったからである。
果たしてそこはどんな場所なのか、その風景をいちどこの目で確かめてみたいという思いがあったからである。
津軽半島の付け根に位置する漁港・鰺ヶ沢から北に延びる国道をしばらく走ると、広大な田園地帯が現れてくる。
そこが目指す筒木坂であった。
しかし行けども行けども人家が見当たらない。
秋の穏やかな風景ではあるが、ひと気はなく七里長浜から吹きつける風は強い。
冬になればおそらく荒涼とした雪景色になるだろうことは容易に想像できた。
ましてや主人公・晴子たちが、この地に足を踏み入れた昭和初期の頃となると、それはさらに荒々しいものだったにちがいない。
小説ではそれを「嵐が丘」の描写を引用して、「大気の動亂(どうらん)」と呼んでいる。
その一部を書き写すと次のようなものである。

 そして間もなく林が途切れ、その先に山のような砂丘があらはれたときの驚きと云ったら!その砂の山はなだらかな上り下りを伴ひ、見渡すかぎり續いてゐました。薄く被った雪が風に巻き上げられて煙を上げてをり、さらに砂は別の煙になってそれに重なり、滲みあひ、濃淡を作りながら流れていきます。その下では、未だ色のない草が間断もなく風になびき續け、砂丘そのものがうねりながら動いてゐるかのようです。しかも、何と云ふ風でせう。それはもう鼓膜をぢかに震はし、ほとんど何も聴こえません。その風を見てゐるとき、ふいに「大気の動亂」と云ふ言葉が一つ浮かんできましたが、『嵐が丘』と云ふ小説の中で、そこに吹く風のことをそのように書いてあるのです。まさに風の姿が小説家にそのような言葉を思ひつかせたのか、小説家のこころの有りやうが風の姿をそんなふうに見させたのか、どちらが正しいのかは私には分かりませんが、ともかくその外國の小説の感覚が突然身近になり、私はしばし言葉を失いました。



さらにその先にある七里長浜の海辺の描写へと続いていく。

 前方の海は鈍く光りながら濱を覆ふばかりの波を繰りだして打ち寄せ、濱一面が飛沫とさらに細かい水煙の中にありました。眩しい白さは、まるで無数の光の点のやうです。濱は色がなく、海と砂丘の間に開いた水煙の靄の廊下のやうで、一軆どこまで續いてゐるのか分かりません。その先の方は半分明るく、半分翳ってをり、空と陸の境も分かりません。
 沖にはガスがかかってをり、薄い桃色と黄色に色づいて空と繋がり、そこからは仄かな日差しが透過してきて、ガスと海と濱の全部をぼんやり照らしてゐます。その遥か上方で鳴り續ける風音も、沖の方から傳はつてくる轟音も、いまは少しくぐもって響き、そこに打ち寄せる波の朗らかに高い音が加わると、まるで天と地が呼び合つてゐるように聴こえます。さらに私の耳のせゐでせうか、そこにはやがてリン、リンと云ふ明るい鈴の音が混じり始め、初めは微かに響いてきただけでしたが、その音はしかし、遠くから確かに近づいてきます。
 そうして突然、水煙の靄の濱にいくつかの人の姿があらわれたかと思ふと、それらの人影は少しづつ間隔をあけてゆらゆらと濱を近づいてくる行列の姿になりました。私は、海辺の蜃気樓を見てゐるような心地になり、さらに目を見開きます。いまはリン、リンと鳴り續ける音のほかに、ほーお、ほーおと云ふ齊唱も聴こえてきます。私は靄の中でゆらめき續ける人影を八つまで數へましたが、それは網代笠と墨染の衣と白脚絆と云ふ姿の人びとで、右手の小さな持鈴を鳴らし、ほーお、ほーおと詠うやうに長閑で、なほ鋭い喚声を上げてゐるのでした。その行列の上に波しぶきの光の塊が降り、海と空から曇硝子を通したやうな光が降り続けます。
 やがて、それは私たちの直ぐ傍まで来て止むと、間もなく今度は私たちの垂れた頭の上に、低く呟くやうな聲が降ってきました。ほんの短い間、意味も何も分からないままに、むへんぜいぐわん、むじんぜいぐわん、むりょうぜいぐわん、むじやうぜいぐわん、と云ふ不可思議な言葉の響きが耳に滲み込みます。そのときの心地を云ひあらわすなら、僅かに嬉しいやうな、楽しいやうな心地だったと云ふところかしら。否、より正しくは、そこには同時に邊りがしんと冷えていくやうな、森閑として寂しい心地も混じってゐたと云ふべきかしら。
 行きずりの子供に四弘誓願(しくせいがん)を唱えてくれた雲水たちは、そうして再び濱を遠ざかっていきました。



これからの晴子の人生を予感させるような描写である。
そして訪れた筒木坂の景色をイメージしながらこれらを読むことで、より深いリアリティを感じることになったのである。

ちなみにこの小説を読んだ後、筒木坂(どうぎざか)という地名の由来について調べてみたところ、次のようなことが分かった。
筒木坂は縄文土器で有名な亀ヶ岡遺跡の隣に位置する集落で、筒木坂でも縄文土器が出土することがある。
そこから「陶器が出土する坂」という意味をこめて、この名がつけられたということだ。
それを知って考えたことは、この長大な物語は、太古の昔から連綿と続いてきた人間の変わらぬ営みに繋がる、壮大な人間ドラマとして捉えることができるのではないかということ。
そうした巧まざる意図が、そこから匂い立ってくるように、感じられたのである。


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Category: 行事・記念日

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初詣

今年の正月は、好天続きで雪も少なく穏やかで、過ごしやすい日が続いている。

初の日曜日である昨日も、晴れのいい天気であった。

そこで遊びに来ていた孫たちを連れて、八幡様に初詣に行くことにした。

遅い初詣であるが、日曜日ということもあって人出も多く賑わっていた。

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さっそく本殿でお参りをし、その後は型通りのおみくじである。

今年のおみくじはいつものおみくじと違って、ちょと趣向を変えたものになっていた。

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透明なケースのなかに小さな鯛のおみくじがたくさん入っており、それを備え付けの釣り竿で釣り上げるというもの。

ゲーム感覚のおみくじに孫たちは大喜び。

苦戦しながら釣り上げたおみくじは、どちらも「末吉」であった。

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小さな祠にもお参りをして。

今年もいい年でありますように。

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映画「日の名残り」

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何か映画でも観ようかと家内とふたりでレンタルショップに行った。
その時たまたま目にしたのがこの作品である。
カズオ・イシグロ原作のイギリス映画である。
家内はこれは観ていないと言う。
ならばカズオ・イシグロがノーベル賞を受賞したことでもあるし、この機会にもういちど観てみようと、借りることにした。

最初にこの映画を観たのは1995年のこと。
今から20年以上前である。
この映画を観て初めてカズオ・イシグロという作家の存在を知った。
そして日系二世の作家が、イギリスの伝統的な世界を舞台にこのような小説を書いたことに、不思議な思いを抱いたものだ。
調べてみるとその年に観た洋画のベストテンに選んでいる。
面白かったということになるのだろうが、ほとんど記憶に残っていない。
なので初めて観るようなもの。
実際、観て分かったことだが、憶えていたのはごくわずか。
主演がアンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソンのふたりだということ。
そしてふたりがお互いに好意を持ちながらも、いっしょになることなく、別々の人生を歩まざるをえなかったということ。
そのくらいのことしか憶えていなかった。
そういうことは何もこの映画に限ったことではなく、どんな映画でも、また小説でもいえることで、よほど印象に残った作品でない限り、記憶は時間とともに薄れていくものだ。
いいものはやはり繰り返し読み観るべきだとつくづく思う。
そうすることで、そこにまた新たな発見がある。
そしてさらに深く理解することになる。
そのことをこの映画を観直してみて、またあらためて実感したのである。


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Category: 月別観た映画と読んだ本

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今月観た映画と読んだ本(2017年12月)

観た映画


red1942-s.jpgレッド・リーコン1942 ナチス侵攻阻止作戦(DVD)
2015年ロシア 監督/脚本:レナ・ダヴェルヤーロフ 出演:ピョートル・フョードロフ/アナスタシア・ミクルチナ/イフゲニア・マラコーヴァ/クリスティナ・アスムス/ソフィア・レべデヴァ/アグニャ・クズネーツォーヴァ/アナトリー・ビェリー/ダリヤ・マロース/ヴィクトル・プロスクーリン


daniel-blake-s.jpgわたしは、ダニエル・ブレイク(DVD)
2016年イギリス/フランス/ベルギー 監督:ケン・ローチ 出演:デイヴ・ジョーンズ/ヘイリー・スクワイアーズ/ディラン・フィリップ・マキアナン/ブリアナ・シャン/ケイト・ラッター/シャロン・パーシー/ケマ・シカズウェ


7kiheitai-s.jpg壮烈第七騎兵隊(BSプレミアム)
1942年アメリカ 監督:ラウール・ウォルシュ 出演:エロール・フリン/オリヴィア・デ・ハヴィランド/アーサー・ケネディ/チャーリー・グレイプウィン/ジーン・ロックハート/アンソニー・クイン/スタンリー・リッジス/ジョン・ライテル/ウォルター・ハムデン/シドニー・グリーンストリート/レジス・トゥーミー/ハティー・マクダニエル


yoruwoikiru-s.jpg「夜に生きる」(DVD)
2017年アメリカ 監督/脚本:ベン・アフレック 出演:ベン・アフレック/エル・ファニング/ブレンダン・グリーソン/クリス・メッシーナ/シエナ・ミラー/ゾーイ・サルダナ/クリス・クーパー


loving-s.jpgラビング 愛という名前のふたり(DVD)
2016年アメリカ/イギリス 監督/脚本:ジェフ・ニコルズ 出演:ジョエル・エドガートン/ルース・ネッガ/マートン・ソーカス/ニック・クロール/テリー・アブニー/アラーノ・ミラー/ジョン・ベース/マイケル・シャノン


moonlight.jpg「ムーンライト」(DVD)
2016年アメリカ 監督/脚本:バリー・ジェンキンズ 出演:トレヴァンテ・ローズ/アシュトン・サンダース/アレックス・ヒバート/マハーシャラ・アリ/ナオミ・ハリス/アンドレ・ホランド


takagasekainoowari-s.jpgたかが世界の終わり(DVD)
2016年カナダ/フランス 監督/脚本:グザヴィエ・ドラン 出演:ギャスパー・ウリエル/ヴァンサン・カッセル/レア・セドゥ/マリオン・コティヤール/ナタリー・バイ


julieta-s.jpg「ジュリエッタ」(DVD)
2016年スペイン 監督/脚本:ペドロ・アルモドバル 出演:アドリアーナ・ウガルテ/エマ・スアレス/ダニエル・グラオ/インマ・クエスタ/ダリオ・グランディネッティ/ミシェル・ジェネール/スシ・サンチェス/ロッシ・デ・パルマ


20woman.jpg「20センチュリー・ウーマン」(DVD)
2016年アメリカ 監督/脚本:マイク・ミルズ 出演:アネット・ベニング/エル・ファニング/グレタ・ガーウィグ/ルーカス・ジェイド・ズマン/ビリー・クラダップ


tenmongakusya-s.jpg「ある天文学者の恋文」(DVD)
2016年イタリア 監督/脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ 出演:オルガ・キュリレンコ/ジェレミー・アイアンズ/ショーナ・マクドナルド/パオロ・カラブレージ


jack-s.jpg「ジャック・リーチャー NEVER GO BACK」(DVD)
2016年アメリカ 監督/脚本:エドワード・ズウィック 出演:トム・クルーズ/コビー・スマルダーズ/ダニカ・ヤロシュ/ロバート・ネッパー/パトリック・ヒューシンガー/オルディス・ホッジ/ホルト・マッカラニー/ロバート・カトリーニ/ジェシカ・ストループ


13jikan.jpg「13時間 ベンガジの秘密の兵士」(DVD)
2015年アメリカ 監督:マイケル・ベイ 出演:ジョン・クラシンスキー/ジェームズ・バッジ・デール/パブロ・シュレイバー/デヴィッド・デンマン/ドミニク・フムザ/マックス・マーティーニ


sousakusya-s.jpg「捜索者」(BSプレミアム)
1956年アメリカ 監督:ジョン・フォード 出演:ジョン・ウェイン/ジェフリー・ハンター/ヴェラ・マイルズ/ワード・ボンド/ナタリー・ウッド/ジョン・クオウルン/ヘンリー・ブランドン/ハリー・ケイリー・ジュニア/アントニオ・モレノ/パトリック・ウェイン


lion-s.jpgライオン 25年目のただいま(DVD)
2016年オーストラリア 監督:ガース・デイビス 出演:デヴ・パテル/ルーニー・マーラ/デヴィッド・ウェンハム/ニコール・キッドマン/サニー・パワール/アビシェーク・バラト/プリヤンカ・ボセ/タニシュタ・チャテルジー/ディヴィアン・ラドワ





読んだ本



dokusyoku.jpg「知的読食録」(堀江敏幸・角田光代 書評)


at-home-s.jpgat Home(本多孝好 現代小説)


still-life-s.jpgスティル・ライフ(池澤夏樹 現代小説)


tokyo-senya-s.jpg東京千夜(石井光太 ルポ)


kisidancho2-s.jpg騎士団長殺し 第2部:遷ろうメタファー編(村上春樹 現代小説)


kigatsuitara-s.jpg気がついたらいつも本ばかり読んでいた(岡崎武志 書評コラム)



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Tags: エッセイ・評論  

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岡崎武志「気がついたらいつも本ばかり読んでいた」

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この本の表紙裏には、次のように書かれている。

<著者の20冊以上にのぼるスクラップブックから精選した各紙誌掲載の書評原稿やエッセイに加え、映画、音楽、演芸、旅、食、書店についてのコラム、イラスト、写真によるお愉しみ満載のヴァエティブック。>

そして「ヴァラエティブック」については「あとがき」で、次のように書いている。

<「ヴァラエティブック」というのは、一九七一年に晶文社から出た植草甚一『ワンダー植草・甚一ランド』をその嚆矢とする、書籍のスタイルを指す。
通常、一段、および二段組で、テキストを流し込むところを、一段、二段、三段、四段と違う組み方で、評論、エッセイ、コラム、対談あるいはビジュアルページを雑多に編集、構成。まるで雑誌みたいな単行本のことで、小林信彦、双葉十三郎、筒井康隆などが、晶文社で同様のスタイルの本を出していた。七〇年代に本読みとして青春を送った我々は、この自由な本の作り方に憧れ、大いに感化されたのである。>

晶文社、そして植草甚一とくると、われわれ世代の人間にとっては、ことさら馴染み深い。
この本をはじめ晶文社の本には、70年代のサブカルチャーの水先案内といったような本が多く、その隆盛に大きな役割を果たした。
私もそうした一連の書籍から様々な影響を受け、未だに自分の中に深く根を下ろしているのを感じている。
それは著者の岡崎武志が「大いに感化された」のと同様だ。
さらに加えて晶文社の創業者が、明治大学の教授、小野二郎先生ということも、それを特別なものにしている。
直接教わったわけではないが、隣のクラスにいた家内は小野先生の授業を受けており、また他の友人たちからもそのユニークな授業内容や、小野先生の人となりをよく聞かされていた。
そうした名物教授が晶文社の創業者ということで、晶文社の本は特別輝いて見える存在であったのだ。
この本はそんな流れを汲んでおり、70年代の匂いをそこはかとなく身に纏っている。
それがこちらのアンテナに引っかかり、手に取ることになったわけである。

岡崎武志の本を読むのは「上京する文学」に続いて、これが2冊目。
「上京する文学」も面白かったが、こちらも負けずに面白い。
それは岡崎武志の書く内容や関心の持ち方などが、私の趣味嗜好と合致する部分が多いからで、また年齢が近いということも大きいのかもしれない。
同じ時代を生き、そのなかで似たような感性を育んだということか。
とにかくこの本を読んでいると、共感する部分が多い。
またコアな情報も多く、そうしたものを見つけると、ひとりほくそ笑んでしまう。
たとえば、いちばん最初に出てくる書評「とにかく生きてゐてみようと考え始める」のなかでは「森崎書店の日々」という映画のことが書いてあり、その映画の「1シーンに出演している。」と書いている。
地味な映画で、あまり採り上げられることのない映画だが、神田神保町の古本屋街が舞台になっていることから、古書マニアの著者にお呼びがかかったのだろう。
もうそれだけで、嬉しくなり、この本に親しみが沸くのである。
また著者が10数年書き続けているブログから採録した「今日までそして明日から」という章では、「タブレット純」についてのコラムが出てくる。
そこには「出てくる時は出てくるもんである。新しい才能が。」という書き出しで、次のように書いている。
<その時、脇に座ってニコニコ笑っていたのが、驚異のレコードコレクターで歌手として登場していたタブレット純というタレント。ボクは初めて見たが、「何とな!」と叫びたくなる、異端の存在であった。ちょっと、話題が飛び出すと、まあ、次から次へと、超希少なレコードが、テーブルの下から出てくる出てくる。すべて自分のコレクションだという。すごいものを見た、という印象である。
 しかもタブレット純は、この手の蒐集家にありがちな、鼻をふくらませて「どうだ!」と言いたげな風情がまったくなく、持ってきたレコードも、申し訳なさそうに出す。ビジュアルはGS時代を思わせる金髪長髪、喋りはオネエ系である(あとで、本当にそうだと知る。)アルフィーの高見沢と二人並ぶ姿を想像すると、目が眩む。出てくる音楽の小ネタも情報として正確で、見飽きない。今後が楽しみな逸材、だと認識したのだった。>
実は私も以前からタブレット純のことは注目して見ていたので、これを読んでわが意を得たりとまた嬉しくなってしまったのである。
まさに「見ている人は、見ているもんである。」

この他にも「ダンテ」、「こけし屋」、「ファンキー」、「いもや」といった昔懐かしい名前の店が出てきたのも嬉しいことのひとつ。
「ダンテ」と「こけし屋」は、40数年前、西荻窪に住んでいた頃に、よく通った店である。
とくに「ダンテ」は、知り合う前の家内が毎日のように通っていた店で、家内と知り合ったとき、最初に連れていかれたのがこの喫茶店であった。
10坪にも満たない小さな店で、ジャズ喫茶というわけではないが、いつも静かにジャズが流れていた。
そして美味しいコーヒーを飲ませてくれる。
隠れた名店である。
いっぽう「こけし屋」は「ダンテ」のような小さな店ではなく、3階まである洋菓子兼レストランである。
創業昭和24年の老舗で、近隣の文化人たちが足繁く訪れた店である。
よく知られたところでは、浜田山に住んでいた松本清張がしばしば来店、食事の後はここで小説を執筆していたこともあったそうだ。
また井伏鱒二、丹羽文雄、金田一京助、棟方志功、東郷青児、徳川夢声、開高健などが集う会がこの店にあった。
そんな文化の匂いを今も残しており、本書ではここで「西荻ブックマーク」のトークショーが開かれたと書かれている。
こうした店が「中央線文化」の一翼を担っているのである。
両店とも西荻窪の駅前にあり、今も昔と変わらず健在なのが頼もしい。

「ファンキー」は吉祥寺駅前にあるジャズ喫茶、そして「いもや」は神保町にある天ぷらの店。
どちらも昔通った馴染の店だが、とくに「いもや」は安くてうまい天ぷらを出す店で、貧乏学生にとってはありがたい店であった。
「八人で満員ぐらいの小ぶりの店」で、行くと必ず長い行列に並んだものだ。

このほかにも旅や街歩きのさまざまな記述があり、情報満載。
なかでも古書店についての情報は詳細を極めている。
東京に限らず各地の古本屋を巡り、行く先々で珍本、希少本を探す。
また古本に限らず、古書店主やスタッフなどにも顔なじみが多く、そのため業界の裏話にも深く通じている。
古本や古書店についての著書を、数多く出している著者ならではの世界である。

このように盛りだくさんの内容に、時間を忘れて読み耽った。
どこを開いても興味深く、どこから読んでも面白い。
また著者自身が描いた和田誠風のイラストや写真も彩りを添えており、それを眺めるのも愉しい。
だからこそ「ヴァラエティブック」なのである。


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映画「ライオン 25年目のただいま」

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副題に「25年目のただいま」とあるように、この映画は迷子になった5歳の少年が、25年後に家族を捜し出し、再会を果たすという物語である。
事実をもとに作られた映画ということだが、そのことにまず驚かされる。
そしてそこにどのような経緯があったのか、詳しく知りたいという好奇心が大いに掻き立てられる。

映画は前半と後半に分かれており、前半は主人公の子供時代のインドが舞台、後半は成人した後のオーストラリアが舞台になっている。
主人公は5歳の少年サルー。
インドの田舎町で母、兄、妹と暮らしている。
ある日、兄のグドゥが働く町まで着いていくが、そこで兄とはぐれてしまう。
そして間違って乗った回送列車によって、1000キロ以上離れたカルカッタの街まで連れて行かれる。
そこで降り立ったサルーは、ストリートチルドレンになるが、後に孤児院に収容され、そこでオーストラリア人夫婦の養子として引き取られることになる。
これが前半のストーリー。
そして後半は成人したサルーが、苦労の末、家族を捜し出すまでが描かれる。
そのプロセスも見応えあるが、やはりこの映画のいちばんの見どころは、前半のインドでの少年時代の話である。
貧しい生活のなかで、母親を少しでも助けようと幼いサルーが兄と一緒になって懸命に働く。
またサルーがストリートチルドレンとなっての路上生活や、孤児院に収容されるまでの数々のエピソード。
わずか5歳の少年にとって、それは想像をはるかに超える過酷さである。
次々と襲ってくる不安と恐怖のなか、子供なりの直観と懸命さで何とか生き抜こうとする。
そんなサルーの健気な姿が胸に迫る。

この前半のくだりを観ていて、思い出したのが「冬の小鳥」という韓国映画である。
こちらも孤児院に収容された孤児の話だが、そのなかで主人公の少女に先輩格の少女があることを教える。
それはアメリカ人家庭に養子として迎えられるためには、英語を身に着けることが一番の近道であり、自分はそれを秘かに実践しているのだと話す。
逆境から脱け出すために、子供は子供なりの知恵を働かせ、わずかな希望に縋ろうとするのである。
それはこの映画でも同じである。
そして幸運は、はるか彼方からやってくる。
オーストラリアの裕福な夫婦の養子となって引き取られることになる。
数少ない幸運な子供となるが、忘れてならないのは、その陰に何万という不運な子供たちがいるということである。
さらに幸運な子供となっても、必ずしも幸せを掴むことができるとは限らない。
サルーの後に、もうひとりの養子となり、サルーの義理の兄となったマントッシュの場合がそれである。
彼はそれ以前の生活で受けた傷が、いつまでもトラウマとなって消えず、成人した後は家族から離れ、世間との交渉も断って世捨て人のように暮らしている。
養子となり貧しさから解放されても、それは彼にとっての救済にはなっていない。
こうした問題にはそんな側面もあり、一筋縄ではいかない根深さを抱えているのだということがさりげなく示されるが、それによってこの映画が単なるヒューマンなドラマというだけではない奥の深さをもったものになっている。
そうしたことを考えながら観ると、この映画の感動は、さらに深いものになるにちがいない。


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Category: 行事・記念日

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一日早いメリークリスマス

今日はクリスマス・イブ。
各家庭では今夜、それぞれに工夫を凝らしたパーティーが行われることだろうが、わが家では昨夜、ひと足早いクリスマス・パーティーを開いた。
娘夫婦が「プリムヴェール」というレストランに、パーティーの予約をしてくれたのである。
このレストランは、喫茶店を兼ねた小さなレストランで、欧風家庭料理が美味しい、家内お気に入りのレストランである。
また40年ほど前、知り合いがここでクリスマス・パーティーを開いた際、娘たちを連れて参加したことがある。
そんな思い出の場所でもある。
娘夫婦と孫娘のすず、そしてもうひとりの孫の瑚太郎と、われわれ夫婦の6人である。
次女夫婦は仕事の都合で参加できなかったが、孫の瑚太郎が代表しての参加である。

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予約時間の少し前に到着したため、しばらく待ったが、料理が次々と運ばれてきた。
お腹を空かした孫たちは、いつも以上に食欲旺盛である。

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バラエティーに富んだ料理と食後のデザートに舌鼓を打った。
そして帰宅後は、娘の旦那が秘かに用意したプレゼントが孫たちに渡された。
そのサプライズに、孫たちは大喜びであった。

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一日早いが、いいクリスマスを迎えることができた。
娘夫婦に感謝である。




Category: 読書

Tags: 村上春樹  

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村上春樹「騎士団長殺し 第2部:遷ろうメタファー編」

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村上春樹の小説の重要なキーワードのひとつに、「シーク・アンド・ファインド(seek and find)」というのがある。
主人公が「何か」を探し、「見つけ出す」ことである。
この小説の骨格となっているのも、「シーク・アンド・ファインド」ということになる。
ではこの小説では、いったい何を探し出そうとしているのか。
その手がかりとなるのが、主人公の「私」が、屋根裏で見つけた雨田具彦の未発表作品「騎士団長殺し」である。
ドン・ジョヴァンニが騎士団長を剣で刺し殺すという、モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の場面をモチーフに、それを飛鳥時代に移し変えて描いた日本画である。
雨田具彦の最高傑作と云っていいほどの完成度の高い作品であるが、それにもかかわらず、なぜそれを隠さなければならなかったのか。
そこに秘められた謎を探ることになる。
そこから物語は本格的に動き出していく。
そしてその謎を探るなか、騎士団長に姿を借りたイデアが顕れ、「私」を異界へと導いていく。
イデアについての考察は、騎士団長と「私」の間で何度か話されるが、その実態についてはよく分からない。
しかし禅問答のようなそのやりとりは、非常に興味深く面白い。
その騎士団長と会話ができるのは、「私」と「私」の絵の教え子であり、絵のモデルでもある13歳の少女、「秋川まりえ」だけである。
「秋川まりえ」は「私」が15歳のときに死んだ妹のことを思い出させるような少女である。
そして免色が、ひょっとすると自分の娘かもしれないと考えている少女でもある。
そのまりえが、ある日突然謎の失踪をする。
そこで「私」は、まりえを救出するため、騎士団長に促されるままに「メタファー通路」と呼ばれる闇のなかへと、足を踏み入れていく。
こうした展開は、これまでの小説のなかでも繰り返し描かれてきた、おなじみの展開である。
そこでは現実と異界の二重構造になっており、そこを行き交い、通り抜けることで、自分のなかの何かが変化し、ある着地点へと到達する。
それが、村上春樹の小説の構造になっている。
そしてこの小説での到達点は、「私」が「ユズに電話をかけて、君に一度会ってゆっくりと話がしたいんだと告げること」であり、まりえは「自分は自由なのだ。この足で歩いてどこにでも行けるのだ。」と考えたことである。
その結果「恩寵のひとつのかたちとして」大切なものを手渡され、物語は静かに終息していく。

上下巻合わせて千ページを超える長編ではあるが、途中ダレることなく読み続けた。
いやむしろ次々と起きる不思議の先を知りたいという気持ちに掻き立てられていった。
小説がもつミステリーの要素がそうさせるのである。
さらにクラシックやジャズやポップスなどの音楽や、文学、映画といったモチーフを散りばめることで、小説世界に彩りを添えていく。
そうしたいつも通りの手法が、さらに効果的な後押しとなっている。
また様々なクルマが登場するのも同様である。
主人公の「私」が乗るのは、埃まみれのカローラ・ワゴン、免色が乗るのは、ピカピカに磨き上げられた銀色のジャガージャガーXJ6、そして秋川笙子とまりえが乗るのは、ブルーのトヨタ・プリウス、雨田政彦が乗るのは、黒いボルボ、さらに私が妻と別れた後、北海道と東北をあてもなく旅した時に乗ったのが古いプジョー205である。
そしてその旅の途中で出会った謎の「白いスバル・フォレスターの男」といった具合である。
そのように村上春樹好みのアイテムで細部を埋め尽くしていくことで、独自の世界を構築していくのである。
それはまるで「言葉やロジックとしてではなく、ひとつの造型として、光と影の複合体として」把握しながら描く「私」の絵の作業のようでもある。
また雨田具彦が「自ら血を流し、肉を削るように」「精根を傾けて」「騎士団長殺し」という絵を描いたことにも重なってくる。
そこには村上春樹の小説を書くということの困難さや熱い思いが、込められているのではないか。
読み終わった後、ふとそんなことを考えたのである。


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テーマ : 図書館で借りた本  ジャンル : 本・雑誌


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