風に吹かれて

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Category: 弘前

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弘前さくらまつり100周年

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今年の桜は、開花から満開までが早かった。
開花したのが4月20日、そして満開になったのが23日と、わずか3日間という早さだった。
平年だと開花から約1週間くらいで満開なので、これは異状に早いペースである。
天候不順の影響とはいえ、残念な話である。
例年だとゴールデンウィークの今頃は、いちばん賑わう時期になるが、今年はその影響でここ数日は客足が大幅に落ちている。
それでもこうなることを予想していたのか、祭り前半はいつも以上に大勢の花見客が訪れて、大きな賑わいを見せていた。
とくに今年は「さくらまつり100周年」ということもあって、イベントが多く、それを目当てに客が大挙して押しかけたということもある。
なかでも祭り初日に行われたブルーインパルスの曲芸飛行は、その最たるもの。
宮城県松島基地から飛んできた6機のジェット機が、弘前上空で曲芸飛行を繰り広げた。
それを大勢の市民や観光客が歓声を上げて見上げた。
こうして100周年を迎えた「弘前さくらまつり」が始まったのである。

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弘前城に桜が植えられたのは1915年(正徳5年)のこと。
弘前藩士が京都・嵐山からカスミザクラを持ち帰り、西の丸に植えたことが始まりとされている。
その後、明治、大正と時代を追うごとに植栽が行われ、それを目当てに1918年(大正5年)に「第1回観桜会」が催された。
それが「弘前さくらまつり」の始まりである。
当時「観桜会」は津軽訛りで「かんごかい」と呼ばれていたが、その呼称は現在も残されており、市民の中には今なお「かんごかい」と親しみを込めて呼ぶ人も少なくない。
長く厳しい冬をひたすら耐えて過ごしてきた津軽の人たちの抑えられていた心情が、この「観桜会」で一気に解き放たれる。
この時とばかりに盛装し、ご馳走を携えて「観桜会」に馳せ参じた。
ハレの日の祭りなのであった。
様々な種類の花がいっせいに咲き誇る津軽の春と同じく、ひたすら耐えてきた津軽のエネルギーが、この時一気に爆発するのであった。
娯楽の乏しかった時代だけに、その熱気はおそらく凄いものであったに違いない。
まさに胸ときめく津軽の春であり、「かんごかい」の光り輝く姿でもあったのだ。
だがさすがに現在では、そこまで熱気が発散されるということはなくなってしまったが、それでもそうした春を愛でる気持ちというのは、今も間違いなく継承されている。
「弘前さくらまつり」は昔と変わらず、市民にとっての誇るべきものであり、特別なものであり続けているのである。
そのことを毎年この時期になると、あらためて感じさせられるのである。

テーマ : 青森県弘前市  ジャンル : 地域情報


Category: 行事・記念日

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そして四国を後に

朝6時半、迎えに来た弟のクルマに乗って、「オークラホテル」に行った。
全員で朝食バイキングをとるためである。
レストランはすでに客でいっぱいである。
そしてここでも聞こえてくるのは外国語。
ほとんどが中国人、韓国人のようだ。
最近はどこへ行っても、こうした光景に出会うことが多くなった。
われわれ家族は喧噪を離れて、奥まった部屋に場所をとった。

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弟はこのホテルの朝食バイキングがお気に入りで、月に何回か足を運ぶそうだ。
料理の種類が多くどれも美味いのだから、その気持ちはよく分かる。
近くに住んでいれば私もそうするだろうと思う。
和食、洋食両方の料理をたっぷりと食べた。
昼を抜いてもいいくらいに満腹になった。

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一服した後はホテル前で全員で記念写真を撮った。
そしてクルマで丸亀駅まで送ってもらい、そのまま別れて帰途についた。
こうして今回の旅は終わったのである。

正直もう少しいたかったが、そうもいかず後ろ髪を引かれる思いであった。
しかしわずか3日間(正確にいえば正味2日間)ではあったが、今回の帰省は中身の濃い充実した毎日だった。
中学時代の旧友、森安君との57年ぶりの再会、「滑稽広場」での飲み会、直島行き、西岡との11年ぶりの再会、兄弟揃っての会食、そして「SILENCE BAR」探訪と、ほんとうに盛りだくさんだった。
それにしてもこの時期にこうした旅行ができるとは、考えてもみなかったことである。
帰省のわずか数日前、突然弟から電話があり、今回の計画を聞かされた。
そこから話が動き始め、4年ぶりの帰省になったのである。
母親の七回忌、古希を迎えた年、そして瀬戸大橋開通30周年と、奇しくも3つの節目が重なった年にこうした旅行ができたことは、ほんとうに良かった。
いい記念、いい思い出になる。
揺れる列車の中で3日間の出来事を振り返りながら、四国を後にした。


テーマ : 一人旅  ジャンル : 旅行


Category: 月別観た映画と読んだ本

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今月観た映画と読んだ本(2018年4月)

観た映画

sandomeno.jpg「三度目の殺人」(DVD)
2017年 監督/脚本:是枝裕和 出演: 福山雅治/広瀬すず/満島真之介/市川実日子/松岡依都美/蒔田彩珠/井上肇/橋爪功/斉藤由貴/吉田鋼太郎/役所広司


scoop.jpg「SCOOP!」(DVD)
2016年 監督/脚本:大根仁 出演: 福山雅治/二階堂ふみ/吉田羊/宇野祥平/今井隆文/松居大悟/平原テツ/塚本晋也/宮嶋茂樹/斎藤工/中村育二/滝藤賢一/リリー・フランキー


jane.jpg「ジェーン」(DVD)
2015年アメリカ 監督:ギャビン・オコーナー 出演:ナタリー・ポートマン/ジョエル・エドガートン/ユアン・マクレガー/ノア・エメリッヒ/ロドリゴ・サントス


namidasurumade-s.jpg涙するまで、生きる(DVD)
2014年フランス 監督:ダヴィド・オールホッフェン 出演:ヴィゴ・モーテンセン/レダ・カテブ/ ジャメル・バレク/ヴァンサン・マルタン/ニコラ・ジロー/ジャン=ジェローム・エスポジト/ヤン・ゴヴァン


bestsaler.jpg「ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ」(DVD)
2016年イギリス 監督:マイケル・グランデージ 出演:コリン・ファース/ジューロ・ロウ/ニコール・キッドマン/ガイ・ピアース/ローラ・リーニ/ドミニク・ウェスト


pasenger.jpg「パッセンジャー」(DVD)
2016年アメリカ 監督:モルテン・ティルドゥム 出演:ジェニファー・ローレンス/クリス・プラット/マイケル・シーン/ローレンス・フィッシュバーン/アンディ・ガルシア


bary-rindon.jpg「バリー・リンドン」(DVD)
1975年アメリカ/イギリス 監督/脚本:スタンリー・キューブリック 出演:ライアン・オニール/マリサ・ベレンソン/パトリック・マギー/ハーディー・クリューガー/スティーヴン・バーコフ/ゲイ・ハミルトン/マリー・キーン/ダイアナ・コーナー/マレー・メルヴィン/フランク・ミドルマス/アンドレ・モレル/アーサー・オサリバン/レナード・ロジター



読んだ本

musenyokotyo-s.jpg無銭横町(西村賢太 短編集)


godoku.jpg「誤読日記」(斎藤美奈子 評論)


gencho.jpg「幻鳥さりて」(葉室麟 時代小説)


syoseinosyosei.jpg「書生の処世」(荻原魚雷 エッセイ)


nasunokagayaki.jpg「茄子の輝き」(滝口悠生 現代小説)


guhunoou.jpg「颶風の王」(河崎秋子 現代小説)


usotukikarasu.jpg「嘘つき鳥」(久世光彦 エッセイ)


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Category: 行事・記念日

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SILENCE BAR

「一徳」での歓談中のことである。
箸袋に書かれた住所を何気なく見ていると、「港町」と書いてある。
それで思い出したのが、先日読んだ雑誌「Lightning」の記事。
そこで紹介されていたのが、「SILENCE BAR」という店であった。
記事には丸亀の港町にあると書かれてあった。
「一徳」と同じ町名である。
そのことに気づき、弟に話してみると、偶然にも先ほどクルマを停めた駐車場の隣がその店だという。
弟も昔何度か足を運んだことがあるそうで、せっかくだからいちど行ってみようということになった。
但し名前の通り、騒がしい客は嫌がられるだろうから、大勢で行くのはまずいと言う。
そこで妹とふたりだけで行くことにした。

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「一徳」を出ると外は雨であった。
雨の降る薄暗い夜道を歩いていくと、倉庫のような建物が見える。
「SILENCE BAR」と書いたネオンが光っている。
シンプルなファサードだ。

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店内に入ると、正面にL字型のカウンターがあり、その周辺にわずかな光が灯されている。
他に照明はない。
後で分かったことだが、薄暗い照明はウイスキーの劣化を防ぐためのものだという。
ウイスキーは太陽光や蛍光灯の光で劣化する。
そのため店には窓もなく、蛍光灯も使わず、必要最小限の灯りに留めているのだそうだ。

僅かな照明に照らされた壁一面には、たくさんのウイスキー瓶が並んでいる。
その半端じゃない数にまず驚かされる。
うろ覚えだが、雑誌の記事によれば、60代のマスターはウイスキーのコレクターとしても知られた人で、店に納まり切らないウィスキーは倉庫に保管しているとのこと。
なかには超レアなウイスキーも数多くあるそうだ。
そんなウイスキーを目当てに、客が遠方からはるばるやってくる。
こういう世界に疎い私でも、その奥深さやこだわりが伝わってくる話である。

わずか水割り1杯だけの客ではあったが、最後は丁寧に送り出してくれた。
そして数十分という短い時間だったが、こういう雰囲気の中で妹とふたりだけでじっくりと話す時間が持てたことは何よりも良かった。
「一徳」の料理と酒、そしてその後の「SILENCE BAR」で過ごした時間、忘れられない夜になった。

テーマ : 一人旅  ジャンル : 旅行


Category: 行事・記念日

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母親の七回忌

西岡と別れてホテルに向かっていると、ちょうど後ろから弟の運転するクルマが近づいてきた。
ホテルまで迎えに来る途中で、私が歩いているのを偶然見つけたらしい。
いいタイミングである。
クルマには先ほど東京から着いたばかりの妹夫婦も乗っている。
これで全員が揃ったわけだ。
さっそく今夜開かれる会食の店へと向かう。
丸亀の中心街から少し離れた「一徳」という海鮮料理の店である。
すぐ傍に海が見える。
弟の説明によると、元漁師が経営する店で、うまい魚料理を出すので評判の店だという。
その言葉通り店内は大勢の客で賑わっている。
予約してあったカウンター席に座り、酒と料理を注文する。

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まずは再会を祝ってビールで乾杯。
つぎつぎと料理が運ばれてくる。
さすが瀬戸内の魚はうまい。
これは帰省して魚を食べる度に必ず思うことだが、やはりこれしか言葉がない。
そして積もる話が、さらに料理を旨いものにしてくれる。
それにつれて酒も進む。
美味い料理に美味い酒、そして懐かしい話、楽しい話。
至福の時である。

全員が揃うのは、2年前の横浜での「兄弟会」以来のことになる。
(偶然ながらこの時も今回と同じ4月13日、14日だった。)
こうやって全員が元気に再会できたことは何よりである。
母親の七回忌というのが、今回の名目だが、それは飽くまでも建前で、弟の本音としてはそれを節目に、全員が集まることが目的だったのではないだろうか。
そういうことで今回は儀式ばったことはやらず、こうやって兄弟だけが集まって会食することにしたのである。
それが母親の供養にもなる。
そういう考えなのではないかと勝手に考えている。
そしてその段取りをすべてやり、お膳立てをしてくれた弟夫婦の配慮に感謝である。
またこのためだけに東京から駆けつけてくれた妹夫婦にも感謝である。

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Category: 懐かしいもの

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旧友と会った

直島から丸亀に帰り、ホテルに着いたのが4時過ぎ。
今夜予定の会食までには、まだ時間が少しある。
そこで旧友西岡に会おうと電話をした。
前触れもなく突然の電話で驚かせたが、快く応えてホテルまで駆けつけてくれた。

彼とは大学時代以来の付き合いである。
高校は同じ丸亀高校だったが、その頃は付き合いがなく、大学に入ってから共通の友人を通して知り合った。
大学は違ったが、同じ上京組ということもあって、急速に親しくなっていった。
また私が吉祥寺に住んでいた時は、隣駅の西荻窪に彼は住んでおり、近くということでしょっちゅう彼のアパートに入り浸っていた。
一時期は自分のアパートのように彼のアパートに出入りしていたこともある。
体のいい居候である。
それでもそんな迷惑を彼は嫌がりもせず、鷹揚に受け入れてくれたのである。
そしてそれをいいことにこちらは甘えっぱなしのままであった。

近くの喫茶店に入って、近況を報告し合う。
彼と会うのは2007年の弟の出版記念パーティー以来のことなので、11年ぶりだ。
お互い変わらずと言いたいところだが、彼は頭が真っ白になっている。
やはりわれわれの年代になると、10年という時間の経過は大きい。
それでも話す表情などは昔と変わらず今でも穏やかで、話すうちに何も変わっていないのだという気持ちになってくる。

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聞けば、数年前に大きな手術をしたという。
大動脈瘤の除去手術である。
そんな大手術をしたのだから、白髪になるのも当たり前。
しかもその手術の後、糖尿病の疑いも出て、検査の結果糖尿病と診断されたらしい。
以来酒を控え、ほとんど飲むことはなくなったそうだ。
しかし顔色を見るといたって健康そうに見える。
とても大手術をし、糖尿病を患っているとは思えない。
このまま元気でいてほしいと願うばかりだ。
わずか1時間ほどの再会だったが、会えて良かった。
思い切って連絡をして良かった。
次はいつ会えるか分からないが、お互い健康に注意して、また会えることを願いながら別れた。

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Category: アート

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ベネッセハウスミュージアム

「地中美術館」見学の後は、「ベネッセハウスミュージアム」に行った。
シャトルバスで数分の所。

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「地中美術館」と同じく、こちらも安藤忠雄設計による美術館である。
この美術館も安藤建築の特徴であるコンクリート主体の造形になっているが、「地中美術館」と異なり、展示方法は従来の美術館と同じくオーソドックスなもので、また作品数も多い。
起伏のある高台に建っているため、地下1階が入り口になっている。
その入り口を進んでいくと、すぐ目の前に吹き抜けになった円形の部屋がある。
そこを入ると広い空間の中にポツンと作品がひとつだけ置かれている。

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ブルース・ナウマンの「100生きて死ね」という作品である。
四角いボード上にネオン管で書いた言葉が数多く並んでおり、それが次々と点滅している。
この広い空間に作品はこれひとつだけ。
贅沢な造りである。
隅に置かれた椅子に座り、その空間の贅沢さと光の明滅をゆったりと味わった。

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さらに1階2階へと上がっていく。
現れたのは、ジャコメッティ、ウォーホル 、ジャスパー・ジョーンズ、ジャクソン・ポロック、バスキア、ホックニー、ジョージ・シーガルなど、20世紀を代表するアーチストたちの作品。
それらに混じって日本人のアーチストの作品も何点か展示してあるが、よく知らない作家ばかり。
これを機会に少し勉強してみようかなどと思いながら鑑賞。
また見慣れたはずの瀬戸内海の風景も、美術館から見るとまた違って見えて新鮮である。

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そうこうするうちに、時間はあっという間に過ぎていく。
限られた時間での滞在なので、あまりゆっくりはしていられない。
帰りの船の時間は14:20。
あまり多くは残されていない。
ミュージアム近くの海岸には、この他にも多くのオブジェが展示されているそうだが、それらは見ずにバス停へと急ぐ。
また近くにある「李禹煥美術館」も時間の都合で諦めた。
そしてバスに乗ったが、途中「家プロジェクト」を少しだけ覗いてみようと途中下車。
しかし結局は周辺を歩いただけで、「南寺」も「ANDO MUSEUM」も中には入らず、その建物を見ただけで素通り。
慌ただしいが仕方がない。

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それでも港に着いたのは出港の1時間前。
予定のフェリーに乗り遅れると、次は17:00の最終便しかない。
それに乗るとなれば18:00から始まる今夜の兄弟揃っての会食には間に合わなくなってしまう。
この会食は今回の帰省の最大の目的である。
そんなことになっては一大事。
そういうわけで、どうしても予定の14:20発の便には乗らなければいけない。
そのために余裕をもって港に帰ってきたというわけである。

一息つき、安心したところで、急にお腹が空いてきた。
時間と駆け足しながらの美術館巡りだったため、昼食をとることもままならなかったのである。
そこで港近くでセルフのうどん屋を見つけ、そこでうどんを食べることにした。
今日は朝もうどんだったが、昼もうどんである。
しかしさすがはうどんの本場、讃岐である。
どこで食べてもうどんは美味い。
朝昼連続のうどんでもいささかも不満は感じない。
美味しい讃岐うどんを食べて空腹は満たされた。
そして時間通りのフェリーに乗って、高松目指して直島を後にした。

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こうして念願だった直島行きの旅は終わったが、出来ればもう少し時間の余裕があればというのが本音である。
わずか半日ではとても全部は回りきれない。
まだまだ観るべきものはたくさんある。
それを端折って駆け足で見て回ったのが今回の旅であった。
それでも考えてみれば「ベネッセアートサイト直島」を代表するふたつの美術館を観て回ることができたのだから、これは上出来だと思わなければいけない。
いずれにしてもこの直島行きは、今回の帰省の大きな収穫であった。

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地中美術館

以前から行きたいと思いながら、時間の都合がつかず何度も諦めていた直島へ、今回は思い切って行くことにした。
直島に行くには、時間の余裕がなければ駄目である。
これまではいつもスケジュールが詰まっていて、なかなか実行に移すことができなかったが、今回は何とか時間を割くことができた。
この機会を逃せばこの先またいつのことになるか分からない。
ひょっとするとこれが最後の機会になるかもしれない。
そんな思いから、何としても今回は行こうと考えたのである。

直島に行くのは、もちろん「ベネッセアートサイト直島」を観るためである。
「ベネッセアートサイト直島」のそもそもの始まりは、福武書店(当時)の創業社長である福武哲彦氏が、安藤忠雄設計による美術館とホテルが一体となった「ベネッセハウス」を1992年に直島に作ったことから始まっている。
続いて2004年には「地中美術館」をオープン、さらに周辺の島々、豊島や犬島などにも施設を作るなど、現代アートを代表する一大プロジェクトとなった。
そして2010年には、これらが核となって「瀬戸内国際芸術祭」が始まった。
そうしたプロジェクトのルーツともいえる直島の現代アートを、ぜひ見てみたいというのが、今回の直島行きである。

直島へ渡るには、まず高松まで出なければいけない。
そこから船に乗って直島に渡る。
時間を有効に使うため、宿泊している丸亀のホテルを朝早くに発った。
そして丸亀駅からJRに乗って約1時間、高松駅に到着。
朝食がまだだったので、駅構内にあった「連絡船うどん」という店に入った。
「連絡船うどん」といえば、昔よく利用した宇高連絡船のなかに立ち食いうどんがあったことを思い出した。
東京から帰省した折には、まずはそこでうどんを食べるというのが、恒例であった。
瀬戸大橋開通後は連絡船はなくなり、それとともに立ち食いうどんもなくなったが、それがこうした形で残っているのだ。
思い出に浸りながら味を噛みしめた。

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高松港8時12分発のフェリーに乗って高松を出港。
約50分で直島の宮浦港に着いた。
そこから町営バスで「つつじ荘」バス停まで、そこでシャトルバスに乗り換えて、終点の「地中美術館」まで。
いずれのバスも満員であった。
そして聞こえてくるのは外国語ばかり。
ほとんどが韓国、中国、ヨーロッパ、アメリカなどの外国人たちである。
今や直島は国際的な観光地になっている。

「地中美術館」に着いたのは10時前。
開館が10時なのでしばらく待つことになったが、その間、美術館前に作られた「地中の庭」で、花や雑木を眺めながら時間をつぶした。
天気予報では、時々雨ということで心配したが、予報は外れ、晴天とまではいかないが春らしい陽気である。
クロード・モネのジヴェルニーの庭をイメージして作ったといわれる「地中の庭」には、春の陽光が降り注ぎ、爽やかな潮風が吹いている。
しばらく散策しているうちに、次第に身体がほぐれてきた。
そしてようやく開館の時間となった。

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「地中美術館」は、その名の通り土に埋まっているので、外観は見ることができない。
厚いコンクリートで囲まれた細長い廊下が入り口として口を開いているだけ。
恐る恐る入っていく。
途中に明りとりの開口部が設けられているが、照明はなく薄暗い。
これからどんなことが始まるのだろうか、といった期待と不安の入り交じった緊張感に包まれながら歩いていく。
しばらく進むと突然高いコンクリートの壁がそそり立った広い空間が現れた。
天井はなく、光が射しこんでいる。
薄暗い廊下から急に明るい所に出たので眩しいが、狭い廊下から広い空間に出たことで気分が解放されたように感じる。
巧妙に計算された演出である。
回廊を登ると、その先にまたさらに薄暗く長い廊下が続いている。
そこを音もなくゆっくりと進んでいく。
まるで要塞の中を歩いているような気分である。
コンクリートの無機質で堅牢な感覚が、そうしたことを連想させるのだ。

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最初に現れたのが、ジェームズ・タレルの光のアートを体感する部屋。
3作品が展示されているが、そのなかの「オープン・フィールド」が印象に残った。
作品の中に入ると、急に遠近感がなくなったような感覚に陥った。
飛行機で雲の中に入ったような、あるいは猛吹雪でホワイトアウトに閉じ込められたような感覚とでも譬えればいいだろうか。
さらに宇宙空間のなかを歩いているような浮遊感も同時に味わった。

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次はウォルター・デ・マリアの作品展示室。
広い部屋自体が彼の作品になっている。
階段の先にあるフロアの中央に黒く大きな石の球体が置かれている。
そして壁には金箔で覆われた1メートルほどの柱が数か所にわたって規則正しく並べられている。
天井と正面の壁には開口部があり、そこから柔らかな光が降り注いでいる。
ゆっくりと階段を登って行くと、磨き込まれた黒い球体が鏡のように部屋全体を映しこんでいるのが見えてくる。
角度を変えるにしたがって、それが微妙に変化していく。
静かで厳かな気分になる。

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そして最後に入ったのが、クロード・モネの「睡蓮」の部屋。
そこにはモネの最晩年の「睡蓮」の絵5枚が、飾られている。
天井から間接的に洩れてくる自然光が、白で統一された部屋全体を明るくしており、「睡蓮」の絵が柔らかく目に映る。
「睡蓮」の絵をどのようにすれば最良の形で見ることができるかを突き詰めて作り出された環境である。
そもそも地中美術館が構想されたのは、これらの「睡蓮」の絵を福武社長が手に入れたことに端を発している。
それを展示するための美術館として建てられたのが、この「地中美術館」である。
そういう意味では、「睡蓮」の部屋は、「地中美術館」のメインともいえる存在なのである。

以上が「地中美術館」の全作品である。
数は少ないが、建物と作品が一体になった独自性を有しており、しかもすべて自然光で作品を鑑賞するように作られている。
時間とともに微妙に変化してゆく光と影が、この美術館の作品群をさらに価値あるものとして提示しているように思う。
そうやって作られた異次元を演劇的に体験するというのが、この「地中美術館」の鑑賞の仕方のようだ。

「地中美術館」の後はまたバスに乗って移動、「ベネッセハウスミュージアム」に行ったが、そのことはいずれまた後日。

テーマ : art・芸術・美術  ジャンル : 学問・文化・芸術


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「滑稽広場」で歓迎会

「滑稽広場」の続きである。
弟がこの建物を借りたのは昨年の4月のこと。
その時のブログに「シャケが生まれた場所に帰ってくる」ように「60年経って、生まれた場所に帰って来た」と書いている。
なるほど、まさにその通り。
以来休日になると、ひとりで整理清掃をやり、電気工事をし、大工仕事をし、そして出来たのが「滑稽広場」と名づけたプライベート・バーである。
GW前から始まった作業は7月末に完成、8月には近所の人たち、お世話になった人たちを招待して、スタートさせたということだ。
以後月に1、2回の割合で友人知人が集まって呑み会を開いている。
そして今夜私の歓迎会をそこでやってくれるというのである。
趣味人、そして滑稽堂主人・原哲(弟のペンネーム)の面目躍如である。
こういうところはやはり父の血を受け継いだのだと思う。
父もこうしたモノづくりが好きで、庭に泉水を作ったり、小屋を建てたりといったことをマメにやる人だった。
今で言うところのDIYである。
私にもそうしたところがあるので、弟が作業に熱中したのがよく分かる。
もし近くに住んでいたら、積極的に手伝ったのではなかろうか。
血は争えないと、つくづく思うのである。

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夕闇迫る頃、まず弟の連れ合いであるまさみさんのお姉さん夫婦が到着。
観音寺市に住んでいるふたりだが、こうした催しがあるたびに、遠路はるばる駆けつけてくれるという。
謂わば私に代わって兄弟付き合いをしてくれているようなもの。
有難いことだ。
続いて森安君が奥さんと一緒に現れた。
奥さんとは初対面。
弟とは小学校時代の同級生で、数年に一度の割合で同窓会を開いているということで旧知の仲である。
そして次に現れたのが、丸亀の理髪師・濱田さん。
弟の呑み仲間で映画好きということで、これまでにも帰省の度に会っている。
最初に会ったのは、2007年に開かれた弟のエッセイ集「滑稽倶楽部」出版記念パーティーの席上。
映画同好の士ということで、弟が配慮して同席にしてくれた。
次に会ったのは2009年に丸亀の居酒屋「じゃこ家」で、そして3回目が2014年に同じく「じゃこ家」で。
そして今回また弟の呼び掛けで、さっそく駆けつけてくれたというわけである。
最後に現れたのが、まさみさん。
所用で山梨に行っていたのを、この時間に合わせて急いで帰って来てくれた。
この旅行のことは、Facebookの投稿で知っていた。
これで全員揃い、再会を祝して乾杯。
賑やかな宴の始まりである。
左隣に森安君、右隣に濱田さん。
森安君とは昔話、濱田さんとは映画談義。
いつ果てるともなく楽しい時間は続く。
しかし楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。
気がつくとすでに11時を周っている。
名残惜しいがお開きだ。
こうして「滑稽広場」の小宴は終わり、忘れられない夜になった。

帰省に合わせてこうした場を設けてくれた弟夫婦に感謝。
そして集まってくれた皆さんにさらに感謝である。

ところでこの時、話に夢中になって写真を撮るのをすっかり忘れていた。
せっかくの機会を逃して残念に思っていたところ、思いがけず森安君からこの時の写真が送られてきた。
確か奥さんが写真を撮ってくれたということは憶えていたが、それをわざわざプリントして送ってくれるとは。
予想もしていなかっただけに感激である。
そして森安君の行届いた気配りに深く感謝。
お蔭でいい記念になりました。

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「滑稽広場」

古道具屋「滑稽堂」の次は、「滑稽広場」に行った。
「滑稽堂」のある本町通りから脇道へ入ってすぐのところ。
ほんの目と鼻の先である。
その一角に古い倉庫が建っている。
そこが目指す「滑稽広場」である。

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終戦後、所帯を持った両親がここを借りて、電器屋を始めた。
そしてそこで私が生まれ、弟が生まれた。
そんな思い出の場所が、手つかずのままで残っている。
それを半世紀が過ぎた今、弟がもういちど借りることになったのである。
そしてその一室を手作りで改装し、プライベートバーにした。

当時はガラス屋が大家だったが、現在は酒屋である「草薙商店」が大家になっている。
「草薙商店」は以前この倉庫の数軒先にあった。
今は別な場所に移転してしまったが、当時はご近所さんで、そこの一人息子が私の同級生であり遊び友達であった。
残念ながら若くして彼は亡くなったが、今は息子さんが後を継いでいる。
そんな縁のある「草薙商店」が大家さんなのである。

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入るとすぐに子供の頃の記憶が蘇ってきた。
建物の中央が通路になっており、その通路に面して両側に部屋がある。
思ったよりも小さい。
住んでいたのは7歳までなので、子供だった当時の大きさの感覚と今の感覚とでは当然違っている。
それにしても小さい。
そんな小さな家に、両親と私と弟の4人が暮らしていたのである。
今では考えられないほど倹しい暮しである。

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奥には大家が使っていた倉庫が昔と変わらぬ姿で残っていた。
その薄暗い倉庫に足を踏み入れると、忘れていた記憶が徐々に蘇ってきた。
大家が置いてあった小さなガラスの細工物で遊んだこと。
その一角に端午の節句の人形を飾ってお祝いをしたことなど、朧げな記憶が少しづつ蘇ってきた。

そんな懐かしい記憶のいっぱい詰まった「滑稽広場」で、今夜ささやかな宴が始まるのである。


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プロフィール

cooldaddy

Author:cooldaddy
住んでいるところ:青森県弘前市
出身地:香川県
年齢:今年(2018年)70歳です。
性別:男

還暦(10年前)という節目を迎え、何か新しいことを始めようとブログを開設しました。
趣味のこと、生活のこと、心に残ったことなど、My Favorite thingsを、気ままに書いていこうと思います。
末永くおつき合いください。

映画サイト「マイ・シネマ館」もやっています。
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