帰省そして旧友との再会
四国の実家に帰省した。
今年が母親の七回忌なので、弟の呼びかけで子供たちだけで集まろうということになったからである。
前回帰ったのは、2016年の4月だったので、ちょうど2年ぶりということになる。
集まるのは14日の夜。
そこで1日早く行くことにした。
4月13日、青森から飛行機で伊丹空港まで、さらに新大阪から新幹線で岡山まで。
そこで瀬戸大橋線に乗り換えて丸亀までというコースである。
ちなみに今年は瀬戸大橋開通30周年の年である。
その年に偶然瀬戸大橋を渡ることになったのだ。
いい記念になった。
自宅を出たのが午前7時過ぎ、そして丸亀に着いたのが午後2時半である。
そこで出迎えてくれたのが、中学時代の同級生、森安君である。
卒業が1963年なので、57年ぶりの再会ということになる。
森安君とは数年前にFacebookで出会っている。
彼が僕を見つけて友達申請をしてくれたからである。
以来Facebook上での交流はあったが、実際に会うことはなかった。
そこでこの機会にぜひ会いたいと思い、弟を通して連絡をつけてもらって、今回の再会となったのである。
実は森安君の奥さんは弟の小学校時代の同級生。
不思議な縁である。
さっそく駅前の喫茶店に入って昔話で盛り上がる。
森安君は卒業アルバム持参である。
さらに平成5年に開いたという同窓会の写真まで持ってきてくれた。
そしてその写真は余分にあるからといって進呈してくれたのである。
ありがたいことだ。
そういえばその同窓会の案内が来たことを思い出した。
しかし遠方ということもあって出席できず、思い出や近況を書いた手紙を出したのだが、森安君によるとこの同窓会の席上でその手紙が披露されたそうだ。
うれしい話である。

卒業アルバムの「3年10組」のページを開き、その写真と同窓会の写真を見比べながら、記憶を辿っていく。
生徒は男子31人、女子25人の計56人のクラスであった。
そして同窓会に集まったのは男15人、女12人の計27人である。
半数以上が出席したことになる。
高い出席率ではないだろうか。
これはやはりクラス担任だった庭村先生の熱心な教育の賜物ではないかと今更ながら思う。
庭村先生は熱血教師で、怖い面もあったが、細部に気配りの利く、いい先生だった。
クラスには「3年10組」という歌があり、ホームルームの後は必ずこの歌を歌って一日の終りとしていた。
そんなクラスなので、生徒たちの結束は固く、わずか1年間だったが、忘れ難いクラスになったのである。
それがこうした出席率の高さに結びついているように思う。


見た目が変わった人、変わらない人、様々だが、それでもよく見ればみんな昔の面影を残している。
中学生に帰った気分で当時のことを思い出した。
そしてあっという間に時間が過ぎた。
喫茶店を出た後は、森安君がクルマで多度津の実家まで送ってくれた。
夜には彼と奥さんがまた改めて出直して、もういちど弟の家で、一緒に呑むことになっている。
そのことはまた次回に。
今年が母親の七回忌なので、弟の呼びかけで子供たちだけで集まろうということになったからである。
前回帰ったのは、2016年の4月だったので、ちょうど2年ぶりということになる。
集まるのは14日の夜。
そこで1日早く行くことにした。
4月13日、青森から飛行機で伊丹空港まで、さらに新大阪から新幹線で岡山まで。
そこで瀬戸大橋線に乗り換えて丸亀までというコースである。
ちなみに今年は瀬戸大橋開通30周年の年である。
その年に偶然瀬戸大橋を渡ることになったのだ。
いい記念になった。
自宅を出たのが午前7時過ぎ、そして丸亀に着いたのが午後2時半である。
そこで出迎えてくれたのが、中学時代の同級生、森安君である。
卒業が1963年なので、57年ぶりの再会ということになる。
森安君とは数年前にFacebookで出会っている。
彼が僕を見つけて友達申請をしてくれたからである。
以来Facebook上での交流はあったが、実際に会うことはなかった。
そこでこの機会にぜひ会いたいと思い、弟を通して連絡をつけてもらって、今回の再会となったのである。
実は森安君の奥さんは弟の小学校時代の同級生。
不思議な縁である。
さっそく駅前の喫茶店に入って昔話で盛り上がる。
森安君は卒業アルバム持参である。
さらに平成5年に開いたという同窓会の写真まで持ってきてくれた。
そしてその写真は余分にあるからといって進呈してくれたのである。
ありがたいことだ。
そういえばその同窓会の案内が来たことを思い出した。
しかし遠方ということもあって出席できず、思い出や近況を書いた手紙を出したのだが、森安君によるとこの同窓会の席上でその手紙が披露されたそうだ。
うれしい話である。

卒業アルバムの「3年10組」のページを開き、その写真と同窓会の写真を見比べながら、記憶を辿っていく。
生徒は男子31人、女子25人の計56人のクラスであった。
そして同窓会に集まったのは男15人、女12人の計27人である。
半数以上が出席したことになる。
高い出席率ではないだろうか。
これはやはりクラス担任だった庭村先生の熱心な教育の賜物ではないかと今更ながら思う。
庭村先生は熱血教師で、怖い面もあったが、細部に気配りの利く、いい先生だった。
クラスには「3年10組」という歌があり、ホームルームの後は必ずこの歌を歌って一日の終りとしていた。
そんなクラスなので、生徒たちの結束は固く、わずか1年間だったが、忘れ難いクラスになったのである。
それがこうした出席率の高さに結びついているように思う。


見た目が変わった人、変わらない人、様々だが、それでもよく見ればみんな昔の面影を残している。
中学生に帰った気分で当時のことを思い出した。
そしてあっという間に時間が過ぎた。
喫茶店を出た後は、森安君がクルマで多度津の実家まで送ってくれた。
夜には彼と奥さんがまた改めて出直して、もういちど弟の家で、一緒に呑むことになっている。
そのことはまた次回に。
スポンサーサイト
Newer Entry新々「滑稽堂」 | Older Entry映画「涙するまで、生きる」 |