蓮見圭一「水曜の朝、午前三時」

先日読んだ近田春夫の「僕の読書感想文」に、この小説のことが書かれおり、そのなかに、次のような一文があった。
<その過ごした時代には密度があった。70年代というものの持っていた力強さや希望、そしてうしろに隠されたある種の構造的な貧しさ。何よりもあの頃の人たちの心のありようがこの本ではあざやかに描かれている。直美とほぼ同世代に属する私には、とても切なく懐かしい小説で、まるで昔に戻った気分で一気に読み上げてしまった。>
そんな言葉にひかれてこの小説を読んでみた。
物語の始まりは1970年の大阪万国博覧会。
没落した旧家の出身で、戦犯の祖父をもった四条直美は、親の決めた許嫁との結婚から逃れるため、勤めていた出版社を辞め、大阪に移り住み、万博のホステスとして働き始める。
そこで臼井という男性と知り合い恋に落ちるが、ある事実を知ったことで破局を迎える。
そしてそれが引き金となって悲劇的な事件が起きる。
さらに数年が経った後のふたりの再会。
そうした経緯を、癌で余命わずかになった四条直美が、ニューヨークに留学している一人娘・葉子に伝えようと、テープに向かって語っていく。
それを彼女の死後、葉子の夫が手記の形にして起こしたのが、この小説である。
こうした恋愛小説で重要なことは、主人公のキャラクターであろう。
それが魅力的かどうかが、評価の分かれ目になってくる。
四条直美はそういった意味では、魅力的な女性で、それがこの小説の面白さを大きく支えている。
人生は選択の連続である。
小説では、キルケゴールの「人間は、選択して決意した瞬間に飛躍する」という言葉が引用されているが、どれを選ぶかで、その後の人生は大きく変わっていく。
しかしどれを選択しようとも、それを決めたのは他の誰でもない自分自身なのである。
結果がどうなろうとも、自らが決めたことである。
後は覚悟を決め、その選択にしたがって前に進むしかない。
主人公、四条直美はそうやって自分の気持ちに正直に、そして選択に責任を持ち、後悔せずに生きたのである。
そして最後は娘に向かって次のように語りかける。
この人生に私が何を求めていたのか-----ここまで根気よくつきあってくれたなら、もう分かったでしょう。私は時間をかけてどこかにあるはずの宝物を探し回っていたのです。ただ漫然と生きていては何も見つけることはできない。でも、耳を澄まし、目を見開いて注意深く進めば、きっと何かが見えてくるはずです。・・・・なににもまして重要なのは内心の訴えなのです。あなたは何をしたいのか。何になりたいのか。どういう人間として、どんな人生を送りたいのか。それは一時的な気の迷いなのか。それともやむにやなれね本能の訴えなのか。耳を澄ませてじっと自分の声を聞くことです。歩き出すのはそれからでも遅くないのだから
この小説は単なる悲恋の物語というよりも、意志的に生きたひとりの女性の力強い人生の物語なのである。
そこに強く魅せられた。
さらに彼女が昭和22年生まれの同年齢だということも、この小説にシンパシーを感じた大きな要因である。
偶然ではあるが、先日読んだ小池真理子の「無伴奏」に続き、またもういちどあの時代へと想いを馳せたのである。


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