鈴木則文「下品こそ、この世の花 映画・堕落論」
東映でアクションからコメディ、ポルノまで、さまざまな娯楽映画を撮り続けた鈴木則文監督によるエッセイ集。
「映画芸術」や「シナリオ」といった雑誌に1970年代から書き続けてきた文章を纏めたものである。
自ら「三流映画カントク」を名乗り、アナーキーさと頽廃志向を漂わせ、斜に構えた文章からは、カツドウヤの心意気、映画への熱い思いが伝わってくる。
なかでも自ら作り上げた「緋牡丹博徒」矢野竜子こと藤純子への想いは、ことのほか熱い。
「シナリオはラブレターを書くつもりで書け」という言葉が出てくるが、第3章「さよなら お竜さん」での藤純子への想いの丈は、まさにラブレターそのもの。
また自ら師匠と呼ぶ内田吐夢、加藤泰について書かれた第2章「命一コマ」も読み応えがある。
そのなかで書かれた内田吐夢が語った言葉の数々、「人間心理の立ち廻り」「フィルムは観念をうつす」「感覚の爪を研ぎ、論理の牙を磨け」「テーマはその映画のワンシーンにある」等々、巨匠ならではの含蓄ある言葉に大いに惹きつけられる。
助監督時代、内田邸でしばしば居候状態にあった著者ならではの話である。
ちなみに「命一コマ」とは内田吐夢の墓に刻まれた言葉。
さらに同じ章で書かれた「『関の彌太ッぺ』の頃」も貴重な資料となっている。
なかでも映画のクライマックスで使われたムクゲの垣根に関するエピソードなど、読んでいてゾクゾクしてくる。
撮影現場での意気込みや緊張感溢れたやりとりがダイレクトに伝わってくる。
こういう裏話は、映画ファンにとってはたまらない。
この映画は、山下耕作監督の監督昇進3本目の作品であった。
当時の東映京都撮影所では、新人監督には最低3本は撮らせるという不文律があった。
『関の彌太ッぺ』はちょうどその3本目に当たっていた。
しかも人気、実力ナンバーワンの大スター、中村錦之助が主役である。
その責任は重い。
そしてこの映画の成功如何が、後に続くであろう新人監督たちの行く末にも関わってくることになる。
古い監督陣の体制に風穴を開け、監督の世代交代を図ることができるかどうか。
そうしたことがこの映画の出来如何に係っているのである。
それだけに助監督としてついた中島貞夫や鈴木則文たちも、この映画には我がことのような強い意気込みを持って臨んだのである。
そして『関の彌太ッぺ』という名作が誕生したわけだが、そこには、スタッフたちのそうした熱い思いが込められているのである。
そう考えると、この映画がまた違った輝きをもって見えてくる。
題名の「下品こそ、この世の花」という言葉は、鈴木則文の座右の銘。
そして同じタイトルのエッセイも収められている。
昭和の絵師、上村一夫の劇画「黄金街」の原作を書いた鈴木則文が、そのあとがきとして書いたものである。
この本で初めて知ったが、鈴木則文は上村一夫の劇画の原作をこの他にも3本ほど書いているそうだ。
なるほど、鈴木則文と上村一夫か。
意外なところに意外な繋がりがあるものだ。
表紙の絵に上村一夫の絵を使っているのも、そうした経緯ゆえ。
そんな楽屋裏のことを知ることができるのも、こうした種類の本を読む醍醐味である。
なお著者は昨年5月に逝去、享年80歳であった。
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