小松宰「剣光一閃 戦後時代劇映画の輝き」

戦後の時代劇映画の流れを辿るなかで、時代劇映画の魅力と、そこに込められた日本人の精神構造を見つめようとした評論集。
弘前の地元紙「陸奥新報」に、1年2ヶ月にわたって連載されたものである。
著者の小松宰(こまつ おさむ)氏は秋田県大館市在住で、北海道、東北では唯一の「日本映画ペンクラブ」会員である。
またNHKカルチャー弘前教室の映画講座講師や、弘前文学学校講師なども務めるライターである。
身近にこうした人がいたことは、新しい発見であった。
図書館で偶然見つけ、そのプロフィールに引かれて、読んでみた。
「戦後に幼少期を送った」著者は、自分とはほぼ同世代のようで、その時代劇映画の遍歴も似たような道程を辿っており、そうしたことも手伝って、興味深く読んだ。
それは次のような文章である。
<私が時代劇映画を観るようになったのは、最初は、言うまでもなく、ただ単に「時代劇がそこにあった」からである。>
<しかし、ある時期から、私は自分から時代劇を選択し、いくらか意識的に時代劇を見るようになった。>
そして<自分はなぜ時代劇が好きなのかとか、時代劇の中には一体、なにがあるのか、といった自問を発しながら観るようになった。>
こうして始まった時代劇映画への傾倒から導き出された様々な考察が、網羅的に語られていく。
その内容は次のようなもの。
1章 現代史としての幕末映画
2章 新選組映画の深層心理
3章 忠臣蔵映画の興亡
4章 シリーズ時代劇と捕物帳
5章 定番時代劇がゆく
6章 残酷時代劇と集団抗争時代劇
7章 柳生武芸帳の秘密
1 柳生武芸帳の秘密
2 柳生十兵衛はいつ片目を失ったのか
8章 黒澤時代劇の世界
1 『羅生門』の真実
2 時代劇の金字塔『七人の侍』
3 『影武者』と『笛吹川』
9章 激動する時代の中で
1 岡崎三郎信康の悲劇
2 龍馬映画の行方
3 東映の非東映時代劇
4 日本的なものを求めて
5 形を変えた時代劇
10章 白刃の美学
11章 文芸時代劇の系譜
12章 21世紀の時代劇
13章 〈死の美学〉としての時代劇
全盛期の東映時代劇をはじめ、大映時代劇、黒澤時代劇、さらには任侠映画も一種の時代劇として捉え、時代劇衰退後の現在の時代劇までを俯瞰的に考察していく。
これを読むことで、今に至る時代劇映画の大筋を、ほぼ概観することができる。
そして「あとがき」には次のように書いている。
<人間は誰でも自分の人生を完成させたいと願っている。ここで自分の人生を終わらせてもいいと思える地点に到達したいと願っている。それはほとんど人間の悲願である。しかし実際には、自分の人生を完結させることなどできはしない。
むしろ、自分がどこにいるのか、どこまで来たのか、皆目分からないまま不確実な人生を生きるしか方途がないのが人生である。(中略)
しかし、時代劇映画の主人公たちは違う。彼らは紛うかたなく自己の人生を完結させる。初志を貫徹し、大望を成就し、悲願を達成して、幸運にも自らの人生を完結させる。
いや、挫折や敗北で終わる時代劇もある。壮絶きわまる斬り死にや、非業の死で終わる時代劇もある。しかし、挫折や敗北ではあっても、そのようなかたちで彼等は自らの人生を完結させるのである。それはまさしく人間にとっての僥倖であり、時代劇というものの持つ幸運であるように、私には思える。>
かつてのような時代劇全盛の時代は、再び訪れることはないだろうが、時代劇というものが持つ力は決して衰えることはない。
そうした人を惹きつけてやまない魅力的な時代劇が、今後もさらに作られて続けていくことを願いながら、この本を読み終えた。


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