懐かしのEP版レコード第四回:カルメン・マキ「時には母のない子のように」

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先日の浅川マキに続いて、今度はもうひとりのマキであるカルメン・マキ。
1969年のデビュー曲「時には母のない子のように」。
この時、彼女は17歳。
少女の雰囲気のなかに、大人の女の妖艶さを感じさせるキャラクターと、哀愁を帯びた歌声で、この曲は大ヒット。
作詞は寺山修司、作曲は当時、寺山の秘書で劇団員だった田中未知。
カルメン・マキが所属する劇団「天井桟敷」の企画によって生まれたレコードだった。

古い記憶のなかでいちばん印象に残っているカルメン・マキは、テレビ番組「11PM」に「天井桟敷」のメンバーのひとりとして出演した時のことである。
それは上演中だったロック・ミュージカル「時代はサーカスの象に乗って」を番組内で一部再現して紹介するというものだった。
そのなかでカルメン・マキが「時には母のない子のように」に似た曲調の歌を歌った。
その姿が印象に残ったことと、ミュージカルの斬新さにひかれ、実際の舞台を観てみようと、番組終了の数日後、渋谷の「天井桟敷」まで出かけたのである。
残念ながら、その日の芝居にはお目当てのカルメン・マキは出演せず、代役での上演であった。
当てが外れたものの、「時代はサーカスの象に乗って」は素晴らしく、強烈なインパクトを受けたのである。
ちなみにこの芝居は「演劇実験室・天井桟敷」のこけら落としだった。
さらにこれはアメリカのオフ・オフ・ブロードウエイの影響から生まれたものであることを、後に知った。
またこの流れから派生して出来たのが、後の「東京キッドブラザース」である。

カルメン・マキはアメリカ人の父親と日本人の母親との間に生まれ、高校を中退して「天井桟敷」に入団。
翌年「時には母のない子のように」で歌手デビュー。
この歌一曲だけで時代を象徴する歌手となった。
澄んだ声で投げやりに歌う歌い方は、寂しく儚げで、聴く者の心を甘く切ない世界へと誘いこんでいく。
何だかこちらまで「母のない子のよう」な錯覚に陥ってしまう。
そしてそんな「母のない子」の心細い感傷に、いつしか甘く浸っているのである。
この曲のもつ暗さが、時代の暗さとどこかで共鳴し合ったからこそ、これほどのヒット曲になったのだろう。
私の20代の記憶のなかに、大きな存在として残っている歌である。
裏面の「山羊にひかれて」も負けずにいい曲だ。




時には母のない子のように

作詞:寺山修司 作曲:田中未知

時には母のない子のように  だまって海をみつめていたい
時には母のない子のように  ひとりで旅に出てみたい
だけど心はすぐかわる  母のない子になったなら  だれにも愛を話せない

時には母のない子のように  長い手紙を書いてみたい
時には母のない子のように  大きな声で叫んでみたい
だけど心はすぐかわる  母のない子になったなら  だれにも愛を話せない

時には母のない子のように・・・


カルメン・マキOfficial Site

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