Category: 心に残る言葉
春眠暁を覚えず
3月も終盤を迎えた。
ここまで三寒四温の日々を繰り返しながら、ようやくにして春が近づいてきた。
見渡せば、あれほどあった雪も少なくなった。
つい先ごろまで大雪に悪戦苦闘していたことを思えば、何だか嘘の様な気がする。
春は急ぎ足で近づいているのである。
ところでこういう時期になると、よく口にするのが「春眠暁を覚えず」という言葉である。
春になると暖かさが心地よく、つい朝寝坊をしてしまう。
その言い訳のように使うことで知られているフレーズである。
この言葉は高校時代の古文の授業で教わったはずだが、その出典についてはよく覚えていない。
そこでこの機会に勉強し直そうと調べてみた。
これは8世紀頃に活躍した中国の詩人、孟浩然(もうこうぜん)が書いた「春曉(しゅんぎょう)」という五言絶句の一節である。
次のような詩である。
春眠不覺暁(しゅんみん あかつきをおぼえず)
處處聞啼鳥(しょしょ ていちょうをきく)
夜来風雨聲(やらい ふううのこえ)
花落知多少(はな おつることしるや いくばくぞ)
訳すと
春の眠りは心地よく、夜が明けたことも知らずに眠っていた。
気が付けばあちこちで鳥のさえずりが聞こえる。
夕べは風雨が強かったので、 せっかく咲いた花がどれほど落ちたことか。
となっている。
春は急激に日が長くなる。
そして朝が明けるのが早い。
しかし身体のリズムは、まだ少し前の日が昇るのが遅く、寒かったかった時のままである。
さらに寝床での暖かい心地よさが手伝って、目覚めを邪魔してしまい、ついつい寝坊をしてしまう。
そうした春の到来を歌っている。
この歌のように惰眠を貪りたいと言いたいところだが、今の自分にとっては、それも縁遠いものになってしまった。
朝明るくなる前にはすでに目覚めており、朝寝坊することはほとんどなくなった。
そんなふうなことを考えていると、若いころのいつまでも寝床にしがみついていた頃のことが、無性に懐かしくなってきた。
叶うなら、またもういちど、あんなふうに惰眠を貪りたいものである。
ここまで三寒四温の日々を繰り返しながら、ようやくにして春が近づいてきた。
見渡せば、あれほどあった雪も少なくなった。
つい先ごろまで大雪に悪戦苦闘していたことを思えば、何だか嘘の様な気がする。
春は急ぎ足で近づいているのである。
ところでこういう時期になると、よく口にするのが「春眠暁を覚えず」という言葉である。
春になると暖かさが心地よく、つい朝寝坊をしてしまう。
その言い訳のように使うことで知られているフレーズである。
この言葉は高校時代の古文の授業で教わったはずだが、その出典についてはよく覚えていない。
そこでこの機会に勉強し直そうと調べてみた。
これは8世紀頃に活躍した中国の詩人、孟浩然(もうこうぜん)が書いた「春曉(しゅんぎょう)」という五言絶句の一節である。
次のような詩である。
春眠不覺暁(しゅんみん あかつきをおぼえず)
處處聞啼鳥(しょしょ ていちょうをきく)
夜来風雨聲(やらい ふううのこえ)
花落知多少(はな おつることしるや いくばくぞ)
訳すと
春の眠りは心地よく、夜が明けたことも知らずに眠っていた。
気が付けばあちこちで鳥のさえずりが聞こえる。
夕べは風雨が強かったので、 せっかく咲いた花がどれほど落ちたことか。
となっている。
春は急激に日が長くなる。
そして朝が明けるのが早い。
しかし身体のリズムは、まだ少し前の日が昇るのが遅く、寒かったかった時のままである。
さらに寝床での暖かい心地よさが手伝って、目覚めを邪魔してしまい、ついつい寝坊をしてしまう。
そうした春の到来を歌っている。
この歌のように惰眠を貪りたいと言いたいところだが、今の自分にとっては、それも縁遠いものになってしまった。
朝明るくなる前にはすでに目覚めており、朝寝坊することはほとんどなくなった。
そんなふうなことを考えていると、若いころのいつまでも寝床にしがみついていた頃のことが、無性に懐かしくなってきた。
叶うなら、またもういちど、あんなふうに惰眠を貪りたいものである。
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