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Tags: エッセイ・評論  

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齋藤明美「高峰秀子の流儀」

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先日映画「浮雲」を観たことで、急に高峰秀子についての本を読みたくなった。
さっそく図書館に行って、借りたのが「高峰秀子の流儀」という本であった。
これは高峰秀子を「かあちゃん」と呼び、松山善三を「とうちゃん」と呼ぶ著者が、高峰秀子の生活の「流儀」、生き方の「流儀」について書いたものである。
「動じない」「求めない」「期待しない」「振り返らない」「迷わない」「甘えない」「変わらない」「怠らない」「媚びない」「驕らない」「こだわらない」、そして「結婚」「二十七歳のパリ」という13のキーワードを基に書いている。
それはもう天晴れというしかないような生き方、見事のひと言に尽きる生き方である。
こうした生き方は、けっして一朝一夕に手に入れられるものではない。
それを高峰秀子はどうやって手にすることができたのか、またそこに至るまでには、どんな過去があったのか、いちばん身近にいる著者が、高峰秀子の現在の生活と半生を紐解きながら解き明かしていく。

高峰秀子は四歳で母を失い、父親の妹に攫われるようにして養女になる。
そして5歳で子役として映画デビュー、以後「天才子役」「人気少女スター」そして「大女優」として映画史に偉大な足跡を残していくことになる。
これは稀有なことである。日本のみならず世界にも例のないことである。
<「子役は大成しない」、このジンクスを破った、たった一人の女優である。>
さらに子供でありながら養母をはじめ、養母が呼び寄せた親戚十数人の生活の面倒まで見ることになる。
そして養母志げの常軌を逸した行状によって振り回されていくことになる。
その顛末については「私の渡世日記」に詳しく書かれているが、とにかく凄まじいのひと言である。
昔それを読んだときには、その事実に驚いてしまった。
それを高峰秀子は養母が亡くなるまで何十年にもわたって受け入れ続けたのである。
普通の人間ならこうした仕打ちに耐えられず、逃げ出すか、縁を切るところだろう。
しかし彼女はそれをしなかった。
そしてその理由をたったひと言「親だから」ですませている。
まったく潔い。

養母志げをそのような人間にした最大のものは、「金」である。
<子役から少女スターになった高峰秀子が稼ぎ出す、莫大な金。志げが明らかに変わったのは、十二歳の高峰秀子を東宝が松竹から引き抜いた時からだ。東宝は移籍の条件として、高額の契約料の他に、世田谷区成城に母娘の家まで用意した。だが秀子自身の心を動かしたのは、もう一つの条件、「学校に行かせてやる」だった。そして文化学院に入学するのだが、喜びもつかの間、撮影が忙しくて月に一度出席できればいいほうだった。結局、学校を取るか、仕事を取るかと担任教師に選択を迫られ、秀子は学校を諦める。そのときには既に養母が北海道から呼び寄せた親戚十数人の生活が秀子一人にかかったいたからである。
 「学校へ行かなくても勉強はできる。今日からは、会う人、見る物、全てが私の先生だ。」秀子はまだ真新しい教科書を古新聞と一緒に括るのである。(中略)
 娘が学業を諦めてまで一家の稼ぎ手として生きる覚悟をした時、皮肉にも、養母はその欲望の箍(たが)を外したのである。その時から母娘は二度と心を通わせることなく、真反対の方向をめざして歩き始めるのだ。>
結局彼女は、小学校にも満足に通うことがなく、またせっかく入学した文化学院でも何ひとつ学ぶことができなかった。
だからすべては独学であった。そして暇さえあれば本を読み、それによって後に名文家と呼ばれるほどのエッセイストになっていくのである。
そのことひとつをとってみても、いかに彼女が優れた人物であったかということがよく分かる。
そこには計り知れない努力があったにちがいない。だがそうしたことはおくびにも出さない。
けっして「驕らない」。
それは有名女優、大女優であることについてもそうであった。
けっして偉ぶることがない。
いかに褒められ持ち上げられようと、そうしたことに有頂天になることも勘違いすることもなかった。
女優としての虚飾に幻惑されることがない。
というよりもそうした虚飾に彩られた女優という職業が心底嫌いであった、と彼女は言う。
だがけっして映画が嫌いであったわけではない。
むしろスタッフたちと苦心惨憺して一本の映画を作り上げることにはことのほか魅力を感じ、また情熱も傾けた。
そしてその結果、数々の名作を残したのである。
「自分の好むと好まざるとにかかわらず、人に名前や顔がしられるようになってしまった人間には、社会に対して責任があります」そう彼女は言う。
だが、女優という特殊な存在、まわりからちやほやされ、また厳しく糾弾もされる女優という職業には、意に染まぬものをずっと持ち続けていた。
その結果、彼女は自分を見つめる客観性を持つに至ったのである。
「自分の中から女優というものを取ってしまったら何も残らないような人間にはなりたくない」「映画の中の高峰秀子は、私とは別の人です」
きっぱりとそう言い切る彼女には、怖いほどの「冷めた目」を感じると著者は言う。
そしてそれこそが女優、高峰秀子が、高峰秀子個人として何ものにも迷わせられることなく、独自の生き方を貫くことができた最大の要因なのではないかと思うのである。

これはこの本のごく一部を紹介しただけである。
こうした「流儀」が、このほかにもまだまだたくさん、さまざまに角度を変えて語られていく。
そしてその結果、85年の見事な生涯を終えたのであった。
高峰秀子という稀有な女優の、その凛とした生き方はけっして真似のできるものではないかもしれないが、そこからわれわれは多くのものを学ぶことができるのではないか、そんな感想をこの本を読んで思ったのであった。


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テーマ : 読んだ本の感想等  ジャンル : 小説・文学

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