40数年ぶりの再会
香川滞在最終日は高校時代の友人に連絡をとることにした。
大学時代に県人寮で1年間同室だった友人である。
彼とは大学卒業後にいちど会ったきり、それ以後は年賀状のやりとりをするだけで会うことはなかった。
そして気がつくと40数年が経っていた。
そこで今回は思い切って連絡をとることにしたのである。
電話をするとこれから出勤だという。
退職して今はもう仕事はしていないだろうと勝手に思いこんでいたが、そうではなかった。
それでも今日しか会うことができないと言うと、仕事を休んで会いに来るという。
有難いやら申し訳ないやら。
申し出を有難く受けることにした。



丸亀駅で落ち合い、喫茶店に。
そこで40数年分の積もる話が始まった。
お互いの家族や仕事のこと、健康のこと、旧友たちの消息、話は尽きない。
そして小一時間が過ぎた頃、共通の友人Nに連絡をとることになり、待ち合わせて、昼食をいっしょにとることになった。


Nとは昨年4月に会って以来。
3人揃うとさらに話が盛り上がる。
忘れていた記憶がつぎつぎと蘇ってくる。
そしてあっという間に時間が流れ、別れの時がやってきた。
名残惜しいが、次回の再会を約束、ふたりと別れた。
こうして香川での2泊3日の帰省が終わり、帰路に就いた。
復路の飛行機は往路と同じくプロペラ機、最近はジェットしか乗ったことがないので珍しい。

青森空港付近は雪と強風の影響で、着陸が難しく、1度目の着陸は失敗。
上空を30分ほど旋回した後、2度目のトライで何とか着陸することができた。
別な空港に引き返すという最悪の事態を覚悟していたが、ひとまず回避でき、ひと安心。
結局1時間遅れの到着であった。
今回の帰省は弟の見舞いという名目ではあったが、印象深いこと、思いがけないことが多く、盛りだくさんな3日間だった。
そして「思えば遠くに来たもんだ」を実感させられるセンチメンタル・ジャーニーでもあった。
今度はいつ帰ることができるか分からないが、できるだけ帰りたいとの思いを新たにしながら帰り着いた。
大学時代に県人寮で1年間同室だった友人である。
彼とは大学卒業後にいちど会ったきり、それ以後は年賀状のやりとりをするだけで会うことはなかった。
そして気がつくと40数年が経っていた。
そこで今回は思い切って連絡をとることにしたのである。
電話をするとこれから出勤だという。
退職して今はもう仕事はしていないだろうと勝手に思いこんでいたが、そうではなかった。
それでも今日しか会うことができないと言うと、仕事を休んで会いに来るという。
有難いやら申し訳ないやら。
申し出を有難く受けることにした。



丸亀駅で落ち合い、喫茶店に。
そこで40数年分の積もる話が始まった。
お互いの家族や仕事のこと、健康のこと、旧友たちの消息、話は尽きない。
そして小一時間が過ぎた頃、共通の友人Nに連絡をとることになり、待ち合わせて、昼食をいっしょにとることになった。


Nとは昨年4月に会って以来。
3人揃うとさらに話が盛り上がる。
忘れていた記憶がつぎつぎと蘇ってくる。
そしてあっという間に時間が流れ、別れの時がやってきた。
名残惜しいが、次回の再会を約束、ふたりと別れた。
こうして香川での2泊3日の帰省が終わり、帰路に就いた。
復路の飛行機は往路と同じくプロペラ機、最近はジェットしか乗ったことがないので珍しい。

青森空港付近は雪と強風の影響で、着陸が難しく、1度目の着陸は失敗。
上空を30分ほど旋回した後、2度目のトライで何とか着陸することができた。
別な空港に引き返すという最悪の事態を覚悟していたが、ひとまず回避でき、ひと安心。
結局1時間遅れの到着であった。
今回の帰省は弟の見舞いという名目ではあったが、印象深いこと、思いがけないことが多く、盛りだくさんな3日間だった。
そして「思えば遠くに来たもんだ」を実感させられるセンチメンタル・ジャーニーでもあった。
今度はいつ帰ることができるか分からないが、できるだけ帰りたいとの思いを新たにしながら帰り着いた。
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