Category: 外国映画
映画「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」と「ブルーに生まれついて」
イーサン・ホーク主演の映画を続けて観た。
「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」と「ブルーに生まれついて」の2本である。
いずれも実在の人物を題材にしており、「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」はカナダの画家モード・ルイスを、「ブルーに生まれついて」はジャズ・ミュージシャンのチェット・ベイカーを描いている。
「しあわせの絵の具」でイーサン・ホークが演じたのは、貧しい漁師でモード・ルイスの夫であるエベレットという男。
そして「ブルーに生まれついて」では、チェット・ベイカーを演じている。
まったく異なるふたつの役をイーサン・ホークは巧みに演じ、同じ人物が演じているとは思えないほど。
今更ながらイーサン・ホークの演技のうまさ、幅広さ、そして底知れぬ魅力に魅せられた。

「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」は、カナダの画家モード・ルイスの半生を描いたもの。
モード・ルイスはカナダ・ノバスコシア州の海辺の街に住み、1970年に67歳で他界した画家である。
モード・ルイスを演じるのは、「シェイプ・オブ・ウォーター」で主人公イライザを演じたサリー・ホーキンス。
イライザは聾唖者だったが、こちらはリュウマチを患って手足が不自由という女性である。
いずれも障害者であるが、こうしたクセの強い人物を演じると彼女は俄然輝きを増す。
対してイーサン・ホーク演じるエベレットは孤児院育ちの漁師。
口数少なく人と交わることを嫌う偏屈者で、粗暴な男である。
その男の住む小さな家に家政婦としてモードは雇われることになる。
叔母の家で厄介者として扱われていたモードが、自力で生きていこうと決意して見つけた仕事である。
しかしそこでの扱いは家畜以下というひどさであった。
行き場のないモードは、過酷な酷使に必死で耐える。
そして時間の経過とともにふたりの関係が、次第に変化していくことになる。
そのなかでモードは唯一の慰みである絵を描くようになっていく。
とにかくサリー・ホーキンスとイーサン・ホークふたりの演技の見事さに目を奪われる。
粗暴な男と行き場のない女という設定は、フェリーニの映画「道」でのザンパノとジェルソミーナの関係を彷彿とさせる。
そしてその関係が次第に変化していく様を、大自然の雄大な美しさを背景にきめ細かく描かれていく。
何度も繰り返し観たくなる映画、「これぞ映画!」と叫び出したくなる作品であった。

そしてもう1本は「ブルーに生まれついて」。
チェット・ベイカーは、1950年代に活躍した伝説のジャズトランペッターである。
一声を風靡したものの、麻薬に関するトラブルから暴行を受け、顎と前歯を砕かれるという重傷を負ってしまう。
ジャズトランペッターにとって命ともいえるものを失ったチェット・ベイカーは、どん底へと突き落とされる。
そこから立ち直り、再び栄光を手にするまでを描いたのがこの映画である。
チェット・ベイカーを演じるのが、イーサン・ホーク。
半年間かけて習得したというトランペットの演奏と歌を聴かせてくれる。
トランペットの演奏はおそらく吹き替えだろうが、歌は彼自身の歌声のようだ。
切々と歌う「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は、深く心に沁み込んでくる。
結局チェット・ベイカーは麻薬中毒から完全に立ち直ることなく、58歳で謎の転落死を遂げてしまうことになるのだが、そうした波乱に満ちた人生を送らざるをえなかった業のようなものをイーサン・ホークは説得力ある演技で演じ切っている。
ジャズ・ファンならずとも、魅せられる映画である。
こうしてイーサン・ホーク主演の映画を続けて観たわけだが、映画における俳優の存在の大きさをあらためて認識することになった。
やはり俳優の良し悪しは、映画の良さを大きく左右する。
そしてその俳優の魅力をどう映画の魅力につなげていくかということが、演出の大きな役割であるということも。
それを生かすも殺すも演出しだい。
そんな当たり前のことをあらためて強く思ったのであった。

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「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」と「ブルーに生まれついて」の2本である。
いずれも実在の人物を題材にしており、「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」はカナダの画家モード・ルイスを、「ブルーに生まれついて」はジャズ・ミュージシャンのチェット・ベイカーを描いている。
「しあわせの絵の具」でイーサン・ホークが演じたのは、貧しい漁師でモード・ルイスの夫であるエベレットという男。
そして「ブルーに生まれついて」では、チェット・ベイカーを演じている。
まったく異なるふたつの役をイーサン・ホークは巧みに演じ、同じ人物が演じているとは思えないほど。
今更ながらイーサン・ホークの演技のうまさ、幅広さ、そして底知れぬ魅力に魅せられた。

「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」は、カナダの画家モード・ルイスの半生を描いたもの。
モード・ルイスはカナダ・ノバスコシア州の海辺の街に住み、1970年に67歳で他界した画家である。
モード・ルイスを演じるのは、「シェイプ・オブ・ウォーター」で主人公イライザを演じたサリー・ホーキンス。
イライザは聾唖者だったが、こちらはリュウマチを患って手足が不自由という女性である。
いずれも障害者であるが、こうしたクセの強い人物を演じると彼女は俄然輝きを増す。
対してイーサン・ホーク演じるエベレットは孤児院育ちの漁師。
口数少なく人と交わることを嫌う偏屈者で、粗暴な男である。
その男の住む小さな家に家政婦としてモードは雇われることになる。
叔母の家で厄介者として扱われていたモードが、自力で生きていこうと決意して見つけた仕事である。
しかしそこでの扱いは家畜以下というひどさであった。
行き場のないモードは、過酷な酷使に必死で耐える。
そして時間の経過とともにふたりの関係が、次第に変化していくことになる。
そのなかでモードは唯一の慰みである絵を描くようになっていく。
とにかくサリー・ホーキンスとイーサン・ホークふたりの演技の見事さに目を奪われる。
粗暴な男と行き場のない女という設定は、フェリーニの映画「道」でのザンパノとジェルソミーナの関係を彷彿とさせる。
そしてその関係が次第に変化していく様を、大自然の雄大な美しさを背景にきめ細かく描かれていく。
何度も繰り返し観たくなる映画、「これぞ映画!」と叫び出したくなる作品であった。

そしてもう1本は「ブルーに生まれついて」。
チェット・ベイカーは、1950年代に活躍した伝説のジャズトランペッターである。
一声を風靡したものの、麻薬に関するトラブルから暴行を受け、顎と前歯を砕かれるという重傷を負ってしまう。
ジャズトランペッターにとって命ともいえるものを失ったチェット・ベイカーは、どん底へと突き落とされる。
そこから立ち直り、再び栄光を手にするまでを描いたのがこの映画である。
チェット・ベイカーを演じるのが、イーサン・ホーク。
半年間かけて習得したというトランペットの演奏と歌を聴かせてくれる。
トランペットの演奏はおそらく吹き替えだろうが、歌は彼自身の歌声のようだ。
切々と歌う「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は、深く心に沁み込んでくる。
結局チェット・ベイカーは麻薬中毒から完全に立ち直ることなく、58歳で謎の転落死を遂げてしまうことになるのだが、そうした波乱に満ちた人生を送らざるをえなかった業のようなものをイーサン・ホークは説得力ある演技で演じ切っている。
ジャズ・ファンならずとも、魅せられる映画である。
こうしてイーサン・ホーク主演の映画を続けて観たわけだが、映画における俳優の存在の大きさをあらためて認識することになった。
やはり俳優の良し悪しは、映画の良さを大きく左右する。
そしてその俳優の魅力をどう映画の魅力につなげていくかということが、演出の大きな役割であるということも。
それを生かすも殺すも演出しだい。
そんな当たり前のことをあらためて強く思ったのであった。


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