風に吹かれて

My Life & My Favorite things

Category: 月別観た映画と読んだ本

Comment (0)  Trackback (0)

今月観た映画と読んだ本(2017年12月)

観た映画


red1942-s.jpgレッド・リーコン1942 ナチス侵攻阻止作戦(DVD)
2015年ロシア 監督/脚本:レナ・ダヴェルヤーロフ 出演:ピョートル・フョードロフ/アナスタシア・ミクルチナ/イフゲニア・マラコーヴァ/クリスティナ・アスムス/ソフィア・レべデヴァ/アグニャ・クズネーツォーヴァ/アナトリー・ビェリー/ダリヤ・マロース/ヴィクトル・プロスクーリン


daniel-blake-s.jpgわたしは、ダニエル・ブレイク(DVD)
2016年イギリス/フランス/ベルギー 監督:ケン・ローチ 出演:デイヴ・ジョーンズ/ヘイリー・スクワイアーズ/ディラン・フィリップ・マキアナン/ブリアナ・シャン/ケイト・ラッター/シャロン・パーシー/ケマ・シカズウェ


7kiheitai-s.jpg壮烈第七騎兵隊(BSプレミアム)
1942年アメリカ 監督:ラウール・ウォルシュ 出演:エロール・フリン/オリヴィア・デ・ハヴィランド/アーサー・ケネディ/チャーリー・グレイプウィン/ジーン・ロックハート/アンソニー・クイン/スタンリー・リッジス/ジョン・ライテル/ウォルター・ハムデン/シドニー・グリーンストリート/レジス・トゥーミー/ハティー・マクダニエル


yoruwoikiru-s.jpg「夜に生きる」(DVD)
2017年アメリカ 監督/脚本:ベン・アフレック 出演:ベン・アフレック/エル・ファニング/ブレンダン・グリーソン/クリス・メッシーナ/シエナ・ミラー/ゾーイ・サルダナ/クリス・クーパー


loving-s.jpgラビング 愛という名前のふたり(DVD)
2016年アメリカ/イギリス 監督/脚本:ジェフ・ニコルズ 出演:ジョエル・エドガートン/ルース・ネッガ/マートン・ソーカス/ニック・クロール/テリー・アブニー/アラーノ・ミラー/ジョン・ベース/マイケル・シャノン


moonlight.jpg「ムーンライト」(DVD)
2016年アメリカ 監督/脚本:バリー・ジェンキンズ 出演:トレヴァンテ・ローズ/アシュトン・サンダース/アレックス・ヒバート/マハーシャラ・アリ/ナオミ・ハリス/アンドレ・ホランド


takagasekainoowari-s.jpgたかが世界の終わり(DVD)
2016年カナダ/フランス 監督/脚本:グザヴィエ・ドラン 出演:ギャスパー・ウリエル/ヴァンサン・カッセル/レア・セドゥ/マリオン・コティヤール/ナタリー・バイ


julieta-s.jpg「ジュリエッタ」(DVD)
2016年スペイン 監督/脚本:ペドロ・アルモドバル 出演:アドリアーナ・ウガルテ/エマ・スアレス/ダニエル・グラオ/インマ・クエスタ/ダリオ・グランディネッティ/ミシェル・ジェネール/スシ・サンチェス/ロッシ・デ・パルマ


20woman.jpg「20センチュリー・ウーマン」(DVD)
2016年アメリカ 監督/脚本:マイク・ミルズ 出演:アネット・ベニング/エル・ファニング/グレタ・ガーウィグ/ルーカス・ジェイド・ズマン/ビリー・クラダップ


tenmongakusya-s.jpg「ある天文学者の恋文」(DVD)
2016年イタリア 監督/脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ 出演:オルガ・キュリレンコ/ジェレミー・アイアンズ/ショーナ・マクドナルド/パオロ・カラブレージ


jack-s.jpg「ジャック・リーチャー NEVER GO BACK」(DVD)
2016年アメリカ 監督/脚本:エドワード・ズウィック 出演:トム・クルーズ/コビー・スマルダーズ/ダニカ・ヤロシュ/ロバート・ネッパー/パトリック・ヒューシンガー/オルディス・ホッジ/ホルト・マッカラニー/ロバート・カトリーニ/ジェシカ・ストループ


13jikan.jpg「13時間 ベンガジの秘密の兵士」(DVD)
2015年アメリカ 監督:マイケル・ベイ 出演:ジョン・クラシンスキー/ジェームズ・バッジ・デール/パブロ・シュレイバー/デヴィッド・デンマン/ドミニク・フムザ/マックス・マーティーニ


sousakusya-s.jpg「捜索者」(BSプレミアム)
1956年アメリカ 監督:ジョン・フォード 出演:ジョン・ウェイン/ジェフリー・ハンター/ヴェラ・マイルズ/ワード・ボンド/ナタリー・ウッド/ジョン・クオウルン/ヘンリー・ブランドン/ハリー・ケイリー・ジュニア/アントニオ・モレノ/パトリック・ウェイン


lion-s.jpgライオン 25年目のただいま(DVD)
2016年オーストラリア 監督:ガース・デイビス 出演:デヴ・パテル/ルーニー・マーラ/デヴィッド・ウェンハム/ニコール・キッドマン/サニー・パワール/アビシェーク・バラト/プリヤンカ・ボセ/タニシュタ・チャテルジー/ディヴィアン・ラドワ





読んだ本



dokusyoku.jpg「知的読食録」(堀江敏幸・角田光代 書評)


at-home-s.jpgat Home(本多孝好 現代小説)


still-life-s.jpgスティル・ライフ(池澤夏樹 現代小説)


tokyo-senya-s.jpg東京千夜(石井光太 ルポ)


kisidancho2-s.jpg騎士団長殺し 第2部:遷ろうメタファー編(村上春樹 現代小説)


kigatsuitara-s.jpg気がついたらいつも本ばかり読んでいた(岡崎武志 書評コラム)



ブログランキング・にほんブログ村へ 
  ↑ クリック、お願いします。 ↑


スポンサーサイト


Category: 読書

Tags: エッセイ・評論  

Comment (0)  Trackback (0)

岡崎武志「気がついたらいつも本ばかり読んでいた」

kigatsuitara.jpg

この本の表紙裏には、次のように書かれている。

<著者の20冊以上にのぼるスクラップブックから精選した各紙誌掲載の書評原稿やエッセイに加え、映画、音楽、演芸、旅、食、書店についてのコラム、イラスト、写真によるお愉しみ満載のヴァエティブック。>

そして「ヴァラエティブック」については「あとがき」で、次のように書いている。

<「ヴァラエティブック」というのは、一九七一年に晶文社から出た植草甚一『ワンダー植草・甚一ランド』をその嚆矢とする、書籍のスタイルを指す。
通常、一段、および二段組で、テキストを流し込むところを、一段、二段、三段、四段と違う組み方で、評論、エッセイ、コラム、対談あるいはビジュアルページを雑多に編集、構成。まるで雑誌みたいな単行本のことで、小林信彦、双葉十三郎、筒井康隆などが、晶文社で同様のスタイルの本を出していた。七〇年代に本読みとして青春を送った我々は、この自由な本の作り方に憧れ、大いに感化されたのである。>

晶文社、そして植草甚一とくると、われわれ世代の人間にとっては、ことさら馴染み深い。
この本をはじめ晶文社の本には、70年代のサブカルチャーの水先案内といったような本が多く、その隆盛に大きな役割を果たした。
私もそうした一連の書籍から様々な影響を受け、未だに自分の中に深く根を下ろしているのを感じている。
それは著者の岡崎武志が「大いに感化された」のと同様だ。
さらに加えて晶文社の創業者が、明治大学の教授、小野二郎先生ということも、それを特別なものにしている。
直接教わったわけではないが、隣のクラスにいた家内は小野先生の授業を受けており、また他の友人たちからもそのユニークな授業内容や、小野先生の人となりをよく聞かされていた。
そうした名物教授が晶文社の創業者ということで、晶文社の本は特別輝いて見える存在であったのだ。
この本はそんな流れを汲んでおり、70年代の匂いをそこはかとなく身に纏っている。
それがこちらのアンテナに引っかかり、手に取ることになったわけである。

岡崎武志の本を読むのは「上京する文学」に続いて、これが2冊目。
「上京する文学」も面白かったが、こちらも負けずに面白い。
それは岡崎武志の書く内容や関心の持ち方などが、私の趣味嗜好と合致する部分が多いからで、また年齢が近いということも大きいのかもしれない。
同じ時代を生き、そのなかで似たような感性を育んだということか。
とにかくこの本を読んでいると、共感する部分が多い。
またコアな情報も多く、そうしたものを見つけると、ひとりほくそ笑んでしまう。
たとえば、いちばん最初に出てくる書評「とにかく生きてゐてみようと考え始める」のなかでは「森崎書店の日々」という映画のことが書いてあり、その映画の「1シーンに出演している。」と書いている。
地味な映画で、あまり採り上げられることのない映画だが、神田神保町の古本屋街が舞台になっていることから、古書マニアの著者にお呼びがかかったのだろう。
もうそれだけで、嬉しくなり、この本に親しみが沸くのである。
また著者が10数年書き続けているブログから採録した「今日までそして明日から」という章では、「タブレット純」についてのコラムが出てくる。
そこには「出てくる時は出てくるもんである。新しい才能が。」という書き出しで、次のように書いている。
<その時、脇に座ってニコニコ笑っていたのが、驚異のレコードコレクターで歌手として登場していたタブレット純というタレント。ボクは初めて見たが、「何とな!」と叫びたくなる、異端の存在であった。ちょっと、話題が飛び出すと、まあ、次から次へと、超希少なレコードが、テーブルの下から出てくる出てくる。すべて自分のコレクションだという。すごいものを見た、という印象である。
 しかもタブレット純は、この手の蒐集家にありがちな、鼻をふくらませて「どうだ!」と言いたげな風情がまったくなく、持ってきたレコードも、申し訳なさそうに出す。ビジュアルはGS時代を思わせる金髪長髪、喋りはオネエ系である(あとで、本当にそうだと知る。)アルフィーの高見沢と二人並ぶ姿を想像すると、目が眩む。出てくる音楽の小ネタも情報として正確で、見飽きない。今後が楽しみな逸材、だと認識したのだった。>
実は私も以前からタブレット純のことは注目して見ていたので、これを読んでわが意を得たりとまた嬉しくなってしまったのである。
まさに「見ている人は、見ているもんである。」

この他にも「ダンテ」、「こけし屋」、「ファンキー」、「いもや」といった昔懐かしい名前の店が出てきたのも嬉しいことのひとつ。
「ダンテ」と「こけし屋」は、40数年前、西荻窪に住んでいた頃に、よく通った店である。
とくに「ダンテ」は、知り合う前の家内が毎日のように通っていた店で、家内と知り合ったとき、最初に連れていかれたのがこの喫茶店であった。
10坪にも満たない小さな店で、ジャズ喫茶というわけではないが、いつも静かにジャズが流れていた。
そして美味しいコーヒーを飲ませてくれる。
隠れた名店である。
いっぽう「こけし屋」は「ダンテ」のような小さな店ではなく、3階まである洋菓子兼レストランである。
創業昭和24年の老舗で、近隣の文化人たちが足繁く訪れた店である。
よく知られたところでは、浜田山に住んでいた松本清張がしばしば来店、食事の後はここで小説を執筆していたこともあったそうだ。
また井伏鱒二、丹羽文雄、金田一京助、棟方志功、東郷青児、徳川夢声、開高健などが集う会がこの店にあった。
そんな文化の匂いを今も残しており、本書ではここで「西荻ブックマーク」のトークショーが開かれたと書かれている。
こうした店が「中央線文化」の一翼を担っているのである。
両店とも西荻窪の駅前にあり、今も昔と変わらず健在なのが頼もしい。

「ファンキー」は吉祥寺駅前にあるジャズ喫茶、そして「いもや」は神保町にある天ぷらの店。
どちらも昔通った馴染の店だが、とくに「いもや」は安くてうまい天ぷらを出す店で、貧乏学生にとってはありがたい店であった。
「八人で満員ぐらいの小ぶりの店」で、行くと必ず長い行列に並んだものだ。

このほかにも旅や街歩きのさまざまな記述があり、情報満載。
なかでも古書店についての情報は詳細を極めている。
東京に限らず各地の古本屋を巡り、行く先々で珍本、希少本を探す。
また古本に限らず、古書店主やスタッフなどにも顔なじみが多く、そのため業界の裏話にも深く通じている。
古本や古書店についての著書を、数多く出している著者ならではの世界である。

このように盛りだくさんの内容に、時間を忘れて読み耽った。
どこを開いても興味深く、どこから読んでも面白い。
また著者自身が描いた和田誠風のイラストや写真も彩りを添えており、それを眺めるのも愉しい。
だからこそ「ヴァラエティブック」なのである。


にほんブログ村 本ブログへ 
↑ クリック、お願いします。 ↑

テーマ : 図書館で借りた本  ジャンル : 本・雑誌


Category: 外国映画

Comment (0)  Trackback (0)

映画「ライオン 25年目のただいま」

lion.jpg

副題に「25年目のただいま」とあるように、この映画は迷子になった5歳の少年が、25年後に家族を捜し出し、再会を果たすという物語である。
事実をもとに作られた映画ということだが、そのことにまず驚かされる。
そしてそこにどのような経緯があったのか、詳しく知りたいという好奇心が大いに掻き立てられる。

映画は前半と後半に分かれており、前半は主人公の子供時代のインドが舞台、後半は成人した後のオーストラリアが舞台になっている。
主人公は5歳の少年サルー。
インドの田舎町で母、兄、妹と暮らしている。
ある日、兄のグドゥが働く町まで着いていくが、そこで兄とはぐれてしまう。
そして間違って乗った回送列車によって、1000キロ以上離れたカルカッタの街まで連れて行かれる。
そこで降り立ったサルーは、ストリートチルドレンになるが、後に孤児院に収容され、そこでオーストラリア人夫婦の養子として引き取られることになる。
これが前半のストーリー。
そして後半は成人したサルーが、苦労の末、家族を捜し出すまでが描かれる。
そのプロセスも見応えあるが、やはりこの映画のいちばんの見どころは、前半のインドでの少年時代の話である。
貧しい生活のなかで、母親を少しでも助けようと幼いサルーが兄と一緒になって懸命に働く。
またサルーがストリートチルドレンとなっての路上生活や、孤児院に収容されるまでの数々のエピソード。
わずか5歳の少年にとって、それは想像をはるかに超える過酷さである。
次々と襲ってくる不安と恐怖のなか、子供なりの直観と懸命さで何とか生き抜こうとする。
そんなサルーの健気な姿が胸に迫る。

この前半のくだりを観ていて、思い出したのが「冬の小鳥」という韓国映画である。
こちらも孤児院に収容された孤児の話だが、そのなかで主人公の少女に先輩格の少女があることを教える。
それはアメリカ人家庭に養子として迎えられるためには、英語を身に着けることが一番の近道であり、自分はそれを秘かに実践しているのだと話す。
逆境から脱け出すために、子供は子供なりの知恵を働かせ、わずかな希望に縋ろうとするのである。
それはこの映画でも同じである。
そして幸運は、はるか彼方からやってくる。
オーストラリアの裕福な夫婦の養子となって引き取られることになる。
数少ない幸運な子供となるが、忘れてならないのは、その陰に何万という不運な子供たちがいるということである。
さらに幸運な子供となっても、必ずしも幸せを掴むことができるとは限らない。
サルーの後に、もうひとりの養子となり、サルーの義理の兄となったマントッシュの場合がそれである。
彼はそれ以前の生活で受けた傷が、いつまでもトラウマとなって消えず、成人した後は家族から離れ、世間との交渉も断って世捨て人のように暮らしている。
養子となり貧しさから解放されても、それは彼にとっての救済にはなっていない。
こうした問題にはそんな側面もあり、一筋縄ではいかない根深さを抱えているのだということがさりげなく示されるが、それによってこの映画が単なるヒューマンなドラマというだけではない奥の深さをもったものになっている。
そうしたことを考えながら観ると、この映画の感動は、さらに深いものになるにちがいない。


にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ 
  ↑ クリック、お願いします。 ↑



Category: 行事・記念日

Comment (1)  Trackback (0)

一日早いメリークリスマス

今日はクリスマス・イブ。
各家庭では今夜、それぞれに工夫を凝らしたパーティーが行われることだろうが、わが家では昨夜、ひと足早いクリスマス・パーティーを開いた。
娘夫婦が「プリムヴェール」というレストランに、パーティーの予約をしてくれたのである。
このレストランは、喫茶店を兼ねた小さなレストランで、欧風家庭料理が美味しい、家内お気に入りのレストランである。
また40年ほど前、知り合いがここでクリスマス・パーティーを開いた際、娘たちを連れて参加したことがある。
そんな思い出の場所でもある。
娘夫婦と孫娘のすず、そしてもうひとりの孫の瑚太郎と、われわれ夫婦の6人である。
次女夫婦は仕事の都合で参加できなかったが、孫の瑚太郎が代表しての参加である。

17christmas2.jpg

予約時間の少し前に到着したため、しばらく待ったが、料理が次々と運ばれてきた。
お腹を空かした孫たちは、いつも以上に食欲旺盛である。

17christmas1.jpg

17christmas4.jpg

17christmas5.jpg

バラエティーに富んだ料理と食後のデザートに舌鼓を打った。
そして帰宅後は、娘の旦那が秘かに用意したプレゼントが孫たちに渡された。
そのサプライズに、孫たちは大喜びであった。

17christmas6.jpg

一日早いが、いいクリスマスを迎えることができた。
娘夫婦に感謝である。




Category: 読書

Tags: 村上春樹  

Comment (0)  Trackback (0)

村上春樹「騎士団長殺し 第2部:遷ろうメタファー編」

kisidancho2.jpg

村上春樹の小説の重要なキーワードのひとつに、「シーク・アンド・ファインド(seek and find)」というのがある。
主人公が「何か」を探し、「見つけ出す」ことである。
この小説の骨格となっているのも、「シーク・アンド・ファインド」ということになる。
ではこの小説では、いったい何を探し出そうとしているのか。
その手がかりとなるのが、主人公の「私」が、屋根裏で見つけた雨田具彦の未発表作品「騎士団長殺し」である。
ドン・ジョヴァンニが騎士団長を剣で刺し殺すという、モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」の場面をモチーフに、それを飛鳥時代に移し変えて描いた日本画である。
雨田具彦の最高傑作と云っていいほどの完成度の高い作品であるが、それにもかかわらず、なぜそれを隠さなければならなかったのか。
そこに秘められた謎を探ることになる。
そこから物語は本格的に動き出していく。
そしてその謎を探るなか、騎士団長に姿を借りたイデアが顕れ、「私」を異界へと導いていく。
イデアについての考察は、騎士団長と「私」の間で何度か話されるが、その実態についてはよく分からない。
しかし禅問答のようなそのやりとりは、非常に興味深く面白い。
その騎士団長と会話ができるのは、「私」と「私」の絵の教え子であり、絵のモデルでもある13歳の少女、「秋川まりえ」だけである。
「秋川まりえ」は「私」が15歳のときに死んだ妹のことを思い出させるような少女である。
そして免色が、ひょっとすると自分の娘かもしれないと考えている少女でもある。
そのまりえが、ある日突然謎の失踪をする。
そこで「私」は、まりえを救出するため、騎士団長に促されるままに「メタファー通路」と呼ばれる闇のなかへと、足を踏み入れていく。
こうした展開は、これまでの小説のなかでも繰り返し描かれてきた、おなじみの展開である。
そこでは現実と異界の二重構造になっており、そこを行き交い、通り抜けることで、自分のなかの何かが変化し、ある着地点へと到達する。
それが、村上春樹の小説の構造になっている。
そしてこの小説での到達点は、「私」が「ユズに電話をかけて、君に一度会ってゆっくりと話がしたいんだと告げること」であり、まりえは「自分は自由なのだ。この足で歩いてどこにでも行けるのだ。」と考えたことである。
その結果「恩寵のひとつのかたちとして」大切なものを手渡され、物語は静かに終息していく。

上下巻合わせて千ページを超える長編ではあるが、途中ダレることなく読み続けた。
いやむしろ次々と起きる不思議の先を知りたいという気持ちに掻き立てられていった。
小説がもつミステリーの要素がそうさせるのである。
さらにクラシックやジャズやポップスなどの音楽や、文学、映画といったモチーフを散りばめることで、小説世界に彩りを添えていく。
そうしたいつも通りの手法が、さらに効果的な後押しとなっている。
また様々なクルマが登場するのも同様である。
主人公の「私」が乗るのは、埃まみれのカローラ・ワゴン、免色が乗るのは、ピカピカに磨き上げられた銀色のジャガージャガーXJ6、そして秋川笙子とまりえが乗るのは、ブルーのトヨタ・プリウス、雨田政彦が乗るのは、黒いボルボ、さらに私が妻と別れた後、北海道と東北をあてもなく旅した時に乗ったのが古いプジョー205である。
そしてその旅の途中で出会った謎の「白いスバル・フォレスターの男」といった具合である。
そのように村上春樹好みのアイテムで細部を埋め尽くしていくことで、独自の世界を構築していくのである。
それはまるで「言葉やロジックとしてではなく、ひとつの造型として、光と影の複合体として」把握しながら描く「私」の絵の作業のようでもある。
また雨田具彦が「自ら血を流し、肉を削るように」「精根を傾けて」「騎士団長殺し」という絵を描いたことにも重なってくる。
そこには村上春樹の小説を書くということの困難さや熱い思いが、込められているのではないか。
読み終わった後、ふとそんなことを考えたのである。


にほんブログ村 本ブログへ 
↑ クリック、お願いします。 ↑

テーマ : 図書館で借りた本  ジャンル : 本・雑誌


Category: 読書

Tags: 村上春樹  

Comment (0)  Trackback (0)

村上春樹「騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編」

kisidancho1.jpg

村上春樹の七年ぶりとなる長編「騎士団長殺し」が出版されたのは、今年2月のこと。
すぐ図書館に予約を入れたが、すでに予約が殺到、30人を超える予約待ちであった。
待つこと数ヶ月、その順番がようやく回ってきた。
8月のことである。

主人公は36歳の肖像画家である「私」。
妻から突然離婚を迫られた「私」は、妻と別れ、友人の父親である高名な日本画家・雨田具彦が持つ、小田原市郊外の自宅兼アトリエに、留守番役として住むことになる。
そしてその家の屋根裏で、雨田具彦の未発表作品「騎士団長殺し」を偶然見つけることになる。
その絵に込められた謎を探るなか、向かいの山上に建つ、白い邸宅の謎の人物、免色渉と知り合い、肖像画を描くよう依頼される。
そうした展開の中で、様々な不思議と出会うことになる。
これが第1部のストーリー。
いつもの春樹的モチーフ満載の世界である。
そして気がつくと、その不思議世界にいつの間にかどっぷり浸っているというのも、またいつも通りのことである。

ここまで読むと次が読みたくなってくる。
ところが、この時点ではまだ第2部の予約はしていなかった。
うっかりミスである。
急いで予約を入れたが、また30人近く待たされることになった。
そしてその順番がようやく回ってきたのが先日のこと。
さてどういう展開になるか、読むのが楽しみである。
ということで、この続きはまた後日ということに。


にほんブログ村 本ブログへ 
↑ クリック、お願いします。 ↑


テーマ : 図書館で借りた本  ジャンル : 本・雑誌


Category: 読書

Tags: 短編小説集  

Comment (0)  Trackback (0)

石井光太「東京千夜」

tokyo-senya.jpg

著者は、最下層に生きる人たちをルポするライターである。
ルポライターという職業は、人と会うのが仕事である。
日々様々な人と関わっていく。
そうやって出会った人のなかから、特に印象に残った人たちの姿を「あるものは随筆として、あるものは私小説として、またあるものは記録として」描いたのが、この本である。
自殺者、ゴミ屋敷の住人、ハンセン病者、HIV感染者、身体障害者、津波の被災者と、いずれも社会の枠から外れたところで生きる人たちである。
そうした人たちが、なぜそんな人生を歩まなければならなくなったのか。
そしてそこでどんな歩み方をしているのか。
それを自ら寄り添うようにしながら書き綴っていく。
そこから見えてくるのは、様々な生と死である。
目を背けたくなるような悲惨さではあるが、それだけに却って目が離せなくなる。
こんな過酷な人生があるのだという驚きがある。
しかし同時に生きる逞しさも見えてくる。
それはギリギリのところで生きていかざるをえない人間の、切ないまでの逞しさである。
それが激しく胸を打つ。
こうした人たちを前にすると、誰もが言葉を失ってしまうにちがいない。
生半可な言葉では、到底太刀打ちできない。
それをあえて言葉にしなければならないのがルポライターという仕事である。
相当タフな精神をもっていなければ対応できないことだ。
おそらく自らの身を削りながら書いたに違いない。
そんな痛みが、行間から見えてくる。
初めて出会ったルポライターではあるが、この本1冊によってその名前が強く刻みつけられた。


にほんブログ村 本ブログへ 
↑ クリック、お願いします。 ↑

テーマ : 図書館で借りた本  ジャンル : 本・雑誌


Category: 読書

Tags: 短編小説集  

Comment (0)  Trackback (0)

池澤夏樹「スティル・ライフ」

still-life.jpg

中央公論新人賞および芥川賞を受賞した「スティル・ライフ」と、受賞第一作「ヤー・チャイカ」が収録された作品集である。
池澤夏樹の小説を読むのはこれが初めてだが、その存在には以前から関心があった。
それは彼の父親が高名な小説家、詩人、フランス文学者の福永武彦であるということ。
またかなりの読書家で、書評家、そして翻訳家、詩人、小説家で、古今の文学に深く通じた文学者であるということ。
過去にいくつか書評を読んだことがあるが、その慧眼には教えられることが多かった。
そうした文学的素養を生かして、世界文学全集を個人編集で出版したのが、数年前のこと。
続いて、日本文学全集の編集も行っている。
いずれも、これまでの全集にはなかった斬新な内容で、機会があれば読んでみたいと思っている。
そんなこんなで、気になる存在であった。
ただ小説を読むというところまではいかなかった。
ところが最近読んだ、山崎努の「柔らかな犀の角」のなかで、彼が池澤夏樹の熱烈なファンで、ほとんどの著作を読んでいると書かれてあった。
それを読んで、それほど惹かれる魅力とはいったい何なのか、それを知りたくて、この小説を読むことにしたのである。

この小説は、昭和62年に書かれたもの。
1945年(昭和20年)生まれなので、42歳の時。
最初に小説を書いたのは、これより4年前の「夏の朝の成層圏」、遅い小説家デビューである。
そのことについて、彼は次のように語っている。
「きっかけは福永が亡くなったことです。父がいる間はとても小説などを書くことは想像もしなかった。」
彼の母親は詩人の原條あき子、同人仲間であった福永武彦と1944年に結婚したが、5年後に離婚、その後再婚したが、池澤夏樹には福永武彦が実父だということは教えていなかった。
そのことを知ったのは、高校生になってから。
突然知らされた高名な父親の存在、その事実に複雑な感情を抱いたことは想像に難くない。
以来その存在が大きな壁となって立ちはだかった。
そんな複雑な経緯の影響が、彼を小説から遠ざけ、遅い小説家デビューとなったのである。

「スティル・ライフ」は、アルバイト先で知り合った男と「ぼく」の交流を描いたもの。ある日彼から奇妙な仕事を手伝うよう依頼される。「スティル・ライフ」とは静止画のこと。

「ヤー・チャイカ」は、高校生の娘とふたりだけで住む主人公が、イルクーツク出身のロシア人の男と偶然知り合い、そこから3人の交流が始まる。そしてその交流の間に、娘が語るファンタジックな話が差し挟まれる。ちなみに「ヤー・チャイカ」とは、人類初の女性宇宙飛行士テレシコワが、宇宙船から地球に送ったコール・サイン「私はカモメ」のこと。

どちらもこれといって特別なことが起きるわけではない。
偶然知り合った同士の、とりとめのない会話主体で話が進行していく。
しかしその会話の内容は、興味深いものばかり。
そして詩的で哲学的な文章によって、浮世離れした不思議な世界が展開されていく。
そういう点では村上春樹との共通性も感じるが、池澤の場合はそこに自然科学の要素が加味されていく。
彼が大学時代に専攻したという物理学を始めとした自然科学の知識が、文章に生かされており、独特の味わいを醸し出している。
それは例えば次のようなもの。

<ぼくはハトに気持を集中した。ハトがひどく単純な生物に見えはじめた。歩行のプログラム、彷徨的な進みかた、障害物に会った時の回避のパターン、食べ物の発見と接近と採餌のルーティーン、最後にその場を放棄して離陸するための食欲の満足度あるいは失望の限界あるいは危険の認知、飛行のプログラム、ホーミング。彼らの毎日はその程度の原理で充分まかなうことができる。 そういうことがハトの頭脳の表層にある。
しかし、その下には数千万年分のハト属の経験と履歴が分子レベルで記憶されている。ぼくの目の前にいるハトは、数千万年の延々たる時空を飛ぶ永遠のハトの代表にすぎない。ハトの灰色の輪郭はそのまま透明なタイム・マシンの窓となる。長い長い時の回廊のずっと奥にジュラ紀の青い空がキラキラと輝いて見えた。>(スティル・ライフ)

<まわりにまったく何もないというのはどんな気持ちがするものなのか、と想像する。そういう擬人法に依らなくては、人は遠方に送った機械と自分の意識をつなぐことができない。かじかんだ足の指がまだ自分に所属することを確かめようと、ちょっとだけ動かしてみるようなものだ。小惑星の向こうを飛ぶ探査装置が自分たちの世界に所属することを確認するために、自分をその場所に置かれた目と考えて、見える光景を想像し、物質がないという寂寞を想像する。そういう誘惑を感じている人間がたくさんいる。>(ヤー・チャイカ)

こうした思念や描写が、現実世界と行きつ戻りつ、そして融合しながら、科学的美しさをもった小説世界を形作っていくのである。
これ1冊では、まだまだその魅力を解明できたということにはならないが、その一端に触れることはできたように思っている。
これをきっかけに、またもう少しその世界を覗いてみたいなと考えている。


にほんブログ村 本ブログへ 
↑ クリック、お願いします。 ↑

テーマ : 図書館で借りた本  ジャンル : 本・雑誌


Category: 行事・記念日

Comment (0)  Trackback (0)

餅つき会

今日は孫が通う保育園の餅つきの日。
毎年この時期になると開かれる恒例の行事である。
参加するのは、園児の祖父母たちである。
毎年参加しているが、今回で3回目。
来年春には小学校入学となるので、今回が最後になる。

集合時間は10時、少し早めに行き時間をつぶしていると、参加者が次々と集まってきた。
時間になると全員が遊戯室に集まり、園児といっしょに授業らしきものを受ける。

その後は大ホールに移動してもちつき会の始まりである。
杵と臼が4組用意されている。
それぞれに振り分けられて、餅つきが始まった。

mochitsuki1.jpg

毎年のことだが、今年も杵を持って餅をついた。
薪割りで慣れているとはいえ、連続で振り下ろすとなるとやはり息が上がる。
杵が振り下されるたびに、園児たちの「ヨイショ」という元気な声がホールに響き渡る。
その声援に励まされながら、結局ふた臼つくことになった。

mochitsuki2.jpg

mochitsuki3.jpg

mochitsuki5.jpg

餅つきの後は、園児といっしょの食事会である。
ついたばかりの餅を入れた雑煮と、お節料理が振る舞われ、ひと足早い正月気分を味わった。

mochitsuki4.jpg



Category: 読書

Tags: 短編小説集  

Comment (0)  Trackback (0)

本多孝好「at Home」

at-home.jpg

作り話だからこそ見えてくる真実というものがある。
概ね小説とは、そういうものかもしれないが、とくにこの短編集では、そんな感想を強く持った。

表題作の「at Home」、「日曜日のヤドカリ」、「リバイバル」、「共犯者たち」の4編が収録されている。
いずれの短編も家族がテーマになっているが、どこか歪な欠損家族ばかり。
そこから家族とはいったい何なのかというテーマが、浮かび上がってくる。
ありえないような設定、都合のいい展開など、欠点はあるが、それでも読ませてしまうものがある。
もともとがミステリー作家であるという作者の、ストーリーテラーとしてのテクニックに、うまく乗せられてしまうわけだが、けっして不快ではない。
むしろその手管にひとつ乗ってみようという気にさせるものがある。
そして余計なことを考えず、物語世界へと身を委ねるうちに、快い感動へと至るのである。
最後がどんでん返しというか、落ちのような終わり方というか、そこには落語の人情話を聴いているような心地よさがある。

本多孝好の本を読むのは、これが初めて。
なので、最後に簡単な略歴を書いておく。

1971年の東京生まれ、慶應義塾大学法学部卒。
小学生の頃は江戸川乱歩、中学生の頃は赤川次郎、高校生の頃は半村良、大学時代は村上春樹や村上龍に夢中だった。
弁護士を志して法学部に在籍していたが、大学4年生の時、同じ学部の金城一紀に卒業文集に入れる小説の執筆を依頼されたことがきっかけとなり、作家を志すようになった。その後、金城の助言で習作を続け、共に切磋琢磨した。本格的に作家を目指すか、弁護士になるか心が揺れていた時(1994年)に「眠りの海」で第16回小説推理新人賞を受賞し、作家になる決心をした。(以上Wikipediaより)
1999年に単行本デビューとなる「MISSING」で、「このミステリーがすごい」のトップ10入りを果たす。
主な著書に「ALONE TOGETER」、「FINE DAYS」、「真夜中の5分前」、「MOMENT」、「WILL」などがある。


にほんブログ村 本ブログへ 
↑ クリック、お願いします。 ↑
テーマ : 図書館で借りた本  ジャンル : 本・雑誌


Category: 外国映画

Comment (0)  Trackback (0)

映画「たかが世界の終わり」

takagasekainoowari.jpg

「家庭の幸福は諸悪の根源」とは、太宰治の言葉である。
家族とはやっかいなもの。
時に優しく、時に苦しく、時に淋しい。
そして時に暖かく、時に冷たい。
そんな複雑な家族の姿を描こうとしたのが、この映画である。

物語は、12年ぶりに故郷に帰ってきた主人公と、それを迎える家族の話。
その再会の数時間が描かれていく。
主人公はゲイの作家。
死期が迫っていることを家族に伝えるために帰ってきたが、なかなかその機会が訪れない。
迎える家族は、母、兄、妹、そして兄の妻の4人、それぞれが屈折したものを抱えており、素直になれず、かみ合わないまま気まずい空気が流れていく。
とくに兄は弟に対して複雑な感情を持っており、口調は刺々しく、トラブルメーカーである。
過去に様々な問題があり、それを未だに引き摺っているのだろうことは容易に想像がつくが、そうした過去は明かされることはない。
ただ観る者の想像に委ねるのみ。
そして家族は最後まで歩み寄ることなく、苦い結末を迎えることになるのである。

映画は会話主体で進行していく。
そしてそれをカメラはクローズアップで捉えていく。
そうしたクローズアップの多用は、家族というものの近すぎる関係を表しているかのようだ。
「ハリネズミの理論」というのがあるが、近づき過ぎるとお互いが傷つけあうばかり。
人間関係を良好に保つには、適度な距離が必要である。
しかし家族同士では、その距離のとり方がなかなか難しい。
近づきたいのに近づけない、離れたいのに離れられない、家族にはそうしたジレンマが常につきまとう。
そんなことをふと考えた。

セリフはすべてフランス語であるが、これはカナダ映画である。
カナダの公用語の大部分は英語であるが、一部の地域ではフランス語も話されている。
特にグザヴィエ・ドラン監督の出身地であるカナダ・ケベックは、フランス語が公用語になっている。
そのことからこの映画はフランス語を使っており、ヴァンサン・カッセル、マリオン・コティヤールをはじめ多くはフランスの俳優である。

監督のグザヴィエ・ドランは、1989年生まれ、この映画を撮影した時点では27歳である。
その若さでこの映画である。
豊かな才能というべきか。

先日の映画「ラビング 愛という名前のふたり」のジェフ・ニコラズは39歳、さらに「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼルは32歳。
グザヴィエ・ドランは、それよりもさらに若い。
こうした才能あふれる若手の台頭を数多く目にすることは、映画ファンとしてはうれしい限りである。


にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ 
  ↑ クリック、お願いします。 ↑



Category: 外国映画

Comment (0)  Trackback (0)

映画「ラビング 愛という名前のふたり」

loving.jpg

1950年代のバージニア州では、黒人と白人の結婚は法律で禁じられていた。
それが憲法違反であるという判決を勝ち取り、法律改正へのきっかけとなったのが、実在の人物、ラビング夫妻である。
その実話をモデルにしたのが、この映画である。

そうした法律が、わずか60年ほど前に存在していたことに、まず驚かされる。
さらにそれに違反したふたりが逮捕拘留、25年間の州外追放という罰則で裁かれる理不尽さにも怒りを覚える。
リチャードとミルドレッドのふたりは、将来の夢をすべて諦め、両親姉弟と別れてワシントンへと移り住む。
そして数年の後、公民権運動が盛り上がるなか、ミルドレッドがケネディ司法長官に宛てて、自分達の現状を訴える手紙を書く。
それがきかけとなって、事態は少しづつ動き出していく。

ドラマは激しい起伏はなく、ただ淡々とふたりの生活だけを追っていく。
それでいて映画は、終始緊張感に包まれている。
それは悪法によって自分たちの人生を捻じ曲げられてしまったラビング夫妻の身に、目に見えない不安の影が常につきまとっているからである。
そうした影に怯えながら、世間から身を隠し、声を潜めて生きていく。
ただ家族の幸せだけを願いながら。
大工であるリチャードの、黙々とブロックやレンガを積み重ねていく姿が、そうした態度の象徴のように思える。
その繰り返しの中から、彼らの言葉に出来ない複雑な感情が滲み出てくる。
そしてそうした迫害が、ふたりの愛をさらに深めていくことになる。

夫役のジョエル・エドガートンと妻役のルース・ネッガの演技が秀逸。
とくにジョエル・エドガートンの感情を押し殺した表情は印象的。
物言わぬ堅い表情だからこそ、却って苦しみや歓びの深さが、強く伝わってくる。
調べてみると、以前観た「ウォーリアー」で、主役の総合格闘家を演じた俳優であった。
印象がまったく違っていたので、同一人物とは思えなかったのだ。
幅広い演技の持ち主だと、あらためて思った。

監督のジェフ・ニコルズは、以前観た「テイク・シェルター」や「MUD マッド」の監督である。
いずれも南部の田舎町が舞台である。
そこに監督のこだわりを感じる。
まだ若干39歳の若さである。
注目度大の監督である。


にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ 
  ↑ クリック、お願いします。 ↑



Category: 外国映画

Tags: 西部劇  

Comment (0)  Trackback (0)

映画「壮烈第七騎兵隊」

7kiheitai.jpg

昨日のBSプレミアムで観た、エロール・フリン主演の1941年製作の西部劇。
監督はラオール・ウォルシュ。
「海賊ブラッド」、「ロビンフッドの冒険」など、エロール・フリンの代表作をともに作り上げてきた監督である。
相手役は、こちらもエロール・フリンと数多くの映画で共演してきた、オリヴィア・デ・ハヴィランド。
3人の集大成ともいえる映画である。

内容は南北戦争のヒーロー、カスター将軍の一代記。
ウエストポイント陸軍士官学校入学に始まって、南北戦争を経てリトルビッグホーンでの戦死に至るまでが描かれており、ハリウッド映画らしい陽気なユーモアを交えながらの一代記になっている。
カスター将軍についての評価はさまざまあるが、この映画では一貫して正義のヒーローとして描かれている。
必ずしも歴史通りとはいえないところもあるが、娯楽作としては致し方ないところ。
そのあたりのことは、「小さな巨人」、「ソルジャー・ブルー」など、インディアン側の視点から描いた映画が、参考になるだろう。

エロール・フリンは戦前から戦後にかけてのハリウッド・スターである。
あまり馴染のない俳優ではあるが、この映画の溌剌とした演技を見ていると、なるほど類まれなる魅力がある。
一世を風靡したスターだったことがよく分かる。
いっぽう相手役のオリヴィア・デ・ハヴィランドは、「風と共に去りぬ」(1939年)や「女相続人」(1949年)などで、お馴染みの女優である。
「遥かなる我が子」(1946年)と「女相続人」(1949年)で、2度のアカデミー主演女優賞を受賞した、ハリウッドを代表する女優である。
撮影当時26歳、こちらも光り輝き、強く惹きつける魅力に満ちている。
ちなみに妹のジョーン・フォンテインも、ヒッチコックの「断崖」(1941年)で、アカデミー主演女優賞を受賞しており、この賞を獲得した唯一の兄弟姉妹となっている。
なおオリヴィア・デ・ハヴィランドは、100歳を超えて今なお健在だということも、付け加えておく。
また若き日のアンソニー・クイン(当時25歳)が、インディアンの酋長クレイジー・ホース役で出ているのを発見できたことも、大きな収穫であった。
aq.jpg

上映時間140分という大作だが、途中ダレることもなく、飽きずに観ることができた。
1941年という製作年は、第2次世界大戦最中の時代である。
この映画に国威発揚の意識があっただろうことは想像に難くない。
そうした影響があったにしても、これはなかなかよく出来た娯楽大作である。
いい出会いであった。


にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ 
  ↑ クリック、お願いします。 ↑


テーマ : TVで見た映画  ジャンル : 映画


Category: 外国映画

Comment (0)  Trackback (0)

映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」

daniel-blake.jpg

英国内の社会問題をテーマに、反権力の立場で映画を撮り続けてきたケン・ローチ監督も、すでに80歳を超えた。
そんな高齢にもかかわらず、未だに映画を撮り続けている。
その最新作が、「わたしは、ダニエル・ブレイク」である。
そしてこの映画で、二度目のカンヌ国際映画祭のパルムドール賞に輝いた。

ケン・ローチ監督の映画の特徴のひとつに、ドキュメンタリー・タッチな撮影手法がある。
テレビ出身のケン・ローチ監督が、テレビの世界で培ったもので、その手法を使って労働者や移民といった社会の底辺で生きる人たちを描いていく。
この映画でも主人公、ダニエル・ブレイクの追いつめられた末の孤軍奮闘ぶりが描かれるが、疲弊した官僚的な壁を乗り越えることはできない。
そうした姿を、シングルマザーのケイティや隣人たちとの交流を交えながら、ドキュメンタリーのような映像で写しとっていく。
そしてそんな現実から何を感じ、どう思うかを、静かに問いかけてくる。
それはけっして政治的なメッセージではなく、飽くまでも庶民が生きる姿を真摯に捉えようとするものである。
そのため、映像には本物が持つ力強さがあり、観る者の心を掴んで離さないのである。

「私は依頼人でも、顧客でも、ユーザーでもない。怠け者でも、たかり屋でも、物乞いでも、泥棒でもない。国民保険番号でもなく、エラー音でもない。きちんと税金を払ってきた。それを誇りに思っている。地位の高い人には媚びないが、隣人には手を貸す。施しは要らない。わたしはダニエル・ブレイク。人間だ、犬ではない。当たり前の権利を要求する。敬意ある態度というものを。私はダニエル・ブレイク1人の市民だ。それ以上でも以下でもない。」

これはダニエル・ブレイクが最後に書き残した言葉である。
そこに込められているのは、貧しくとも自分を偽らず、懸命に生きようとする庶民の心の底からの叫びと尊厳である。
その言葉が胸に迫る。


にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ 
  ↑ クリック、お願いします。 ↑



Category: 外国映画

Tags: 戦争映画  

Comment (0)  Trackback (0)

映画「レッド・リーコン1942 ナチス侵攻阻止作戦」

red1942.jpg

2015年のロシア映画、日本未公開だが、見応えのある作品。
大げさな題名から、よくある戦争アクション物かと思ったが、予想に反してなかなか見せる人間ドラマで、思わぬ拾いものであった。

時は1942年、ドイツ軍がソ連に攻め込んだ、いわゆる独ソ戦さなかの物語である。
ウラル山脈の森林地帯にある、小さな村に配備された少数の守備部隊。
前線から離れているため、緊張感はなく、酔っ払った兵士が問題を起こすことも珍しくない。
苦り切った隊長のヴァスコフは、代わりに酔っ払わない兵士を寄こせと要求。
やってきたのは女性兵士ばかり。
がっかりするが、ドイツ軍の飛行機が来ると、意外な活躍を見せる。
彼女たちはそれぞれ家族や恋人をナチスに殺され、ドイツ軍に対する強い憎しみがあり、ドイツ軍をやっつけようという強い使命感を持っている。
そうした彼女たちの過去が、繰り返し映し出されていく。

ある日、森で数名のドイツ兵が目撃される。
そこでヴァスコフは、女性兵士5名を選んで、森の奥深くへと偵察に出発するが、少人数と思っていたドイツ兵が、予想をはるかに超えた大人数であった。
それは森の先にあるシベリア鉄道を抑えるために、送られた部隊だということが、次第に分かってくる。
ヴァスコフは救援部隊を呼ぶために、兵士ひとりを帰すが、救援部隊が駆け付けるまでの間、残った女性兵士たちとともに戦うことを決意する。
圧倒的に不利な状況のなか、決死の戦いが始まる。
そしてひとりまたひとりと、女性兵士たちが倒れていく。

独ソ戦では、多くの女性兵士が存在したそうだ。
ほとんどが20歳前後の若い女性たちで、なかには男の兵士を凌ぐほどの活躍をした兵士もいたという。
あまり多く語られることのない、戦争の裏面史である。

この映画は、1973年に作られたソ連映画「朝やけは静なれど…」のリメイク作品で、オリジナルのこちらは、アカデミー外国語映画賞にもノミネートされたということだ。
ロシア映画らしく、重くリアルな戦争映画であった。


にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ 
  ↑ クリック、お願いします。 ↑



カレンダー
11 | 2017/12 | 01
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
プロフィール

cooldaddy

Author:cooldaddy
住んでいるところ:青森県弘前市
出身地:香川県
年齢:今年(2018年)70歳です。
性別:男

還暦(10年前)という節目を迎え、何か新しいことを始めようとブログを開設しました。
趣味のこと、生活のこと、心に残ったことなど、My Favorite thingsを、気ままに書いていこうと思います。
末永くおつき合いください。

映画サイト「マイ・シネマ館」もやっています。
こちらもよろしく。

ランキングサイトに参加しています。
もしよければクリック、お願いします。↓
ブログランキング・にほんブログ村へ 

cooldaddyの本棚
FC2ブログランキング
ブログ内検索
QRコード
QRコード

1234567891011121314151617181920212223242526272829303112 2017