風に吹かれて

My Life & My Favorite things

Category: 月別観た映画と読んだ本

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今月観た映画と読んだ本(2016年3月)

観た映画


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トニー滝谷
2004年 監督/脚色:市川準 出演:イッセー尾形/宮沢りえ/西島秀俊(語り)


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「バベットの晩餐会」
1987年デンマーク 監督/脚本:ガブリエル・アクセル 出演:ステファーヌ・オードラン/ジャン・フィリップ・ラフォン/ヤール・キューレ/ボディル・キェア/ボディル・キェア/ビアギッテ・フェザースピール


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海街diary
2015年 監督/脚本:是枝裕和 出演:綾瀬はるか/長澤まさみ/夏帆/広瀬すず/加瀬亮/鈴木亮平/キムラ緑子/樹木希林/風吹ジュン/リリー・フランキー/堤真一/大竹しのぶ


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「The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛」
2011年フランス 監督:リュック・ベッソン 出演:ミシェル・ヨー/デヴィッド・シューリス/ジョナサン・ラゲット/ ジョナサン・ウッドハウス /スーザン・ウールドリッジ


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あの日の声を探して
2014年フランス/グルジア 監督/脚本:ミシェル・アザナヴィシウス 出演:ベレニス・ベジョ/アネット・ベニング/マキシム・エメリヤノフ/アブドゥル・カリム・ママツイエフ/ズクラ・ドゥイシュビリ/レラ・バカガシュヴィリ



読んだ本


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流水浮木  最後の太刀(青山文平 時代小説)


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ア・ルース・ボーイ(佐伯一麦 現代小説)


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上京する文學(岡崎武志 評論)


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火を熾す(ジャック・ロンドン 短編小説)


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いのちの姿(宮本輝 エッセイ)



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Category: 読書

Tags: 短編小説集  

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宮本輝「いのちの姿」

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宮本輝のエッセイを読むのは、久しぶりのこと。
『二十歳の火影』や『命の器』を読んで以来だから、およそ30年ぶりということになる。
宮本輝は随筆の名手である。
これは『二十歳の火影』や『命の器』を読んだ時に感じた印象である。
まるで名短編を読んでいるような味わいがあった。
しかしあとがきで書いているように、彼はある時期からエッセイを書くことをやめている。
依頼があっても、ことごとく断っている。
小説を書くことに専念したいからというのが、その理由である。

ところが、2007年の春、懇意にしている京都の料亭の大女将と食事をしたとき、料亭でエッセイ誌を出すことにしたという話を打ち明けられた。
それは大女将の長年の夢であった。
そして半ば強制的に書くことを承諾させられたのである。
どうせ3号くらいで廃刊になるだろう、そう考えて軽く請け負ったが、結局7年間も続くことになった。
ところがそうやって書き続けているうちに、エッセイを書く楽しみを、また思い出したというのである。
それをまとめたのが、この本である。
やはり相変わらずうまい。

創刊からの14編が収められている。
どの短編も読ませるが、なかでも最初に登場する「兄」「星雲」「ガラスの向こう」がとくにいい。
「兄」は、彼の母親が最初の結婚をした時に生んだ異父兄と、ひょんなことから出会ったという話。
「星雲」はシルクロードを旅した時に泊まった、鄙びたホテルのたったひとりの従業員である十六、七歳の少女の話。
「ガラスの向こう」は子供の頃近所にあったお好み焼屋の生まれたばかりの子供を、ある事情から著者の父親が子供のいない豆腐屋の夫婦に、養子として斡旋したという話。

またこの他にも「パニック障害がもたらしたもの」というのがあるが、それは著者が25歳の時、突然得体のしれない精神性の疾患に襲われ、苦しむようになるが、それを契機に作家になる決意をしたという話である。
その経緯は以前読んだエッセイ集でも読んだことがあるが、それがまた形を変えてここでも書かれている。
さらにそのパニック障害がきっかけで出合うことになった興味深い話が、「人とのつながり」というエッセイになっている。

いずれも著者が出会った人生のある瞬間を丁寧に切り取った滋味あふれる話ばかり。
さまざまな経験を積んできた、著者ならではのものだ。
今回も以前読んだ時の印象と変わらず、名短編を読んでいるような気分にさせられたのである。


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Category: 外国映画

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映画「あの日の声を探して」

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1999年に起きた第二次チェチェン紛争を舞台に描いた悲劇である。
それを両親を殺戮された少年と、強制的に軍隊に入隊させられた若いロシア兵、そして少年を保護するEU職員という3つの視点から描くことで、紛争の絶望的な状況を浮かび上がらせる。
その過酷な現実には、思わず目を背けたくなってしまう。
しかしそれでいてけっして画面から目を離すことはできない。
映像が持つ力である。
そして両親を殺戮されたショックで声を失った少年と同じように、言葉を失い少年の絶望的な逃避行を息をつめて見守ることになる。

さらにもうひとつの視点、ロシア人の青年が強制的に入隊させられた軍隊のなかで陰湿な虐待を受けながら、次第に人間性を失っていく姿を見せられる。
スタンリー・キュブリックの「フルメタル・ジャケット」を思わせるような軍隊の狂気である。
そうした現実の前では、どんな言葉も無力だということを感じてしまう。
そこは力だけが支配する有無を言わせぬ世界である。
また常に死と隣り合わせとなった世界でもある。
そうした異常さのなかから殺戮兵器としての兵士がつぎつぎと生み出されていくことになる。

そんなふたつの厳しい現実を突きつけられることで、戦争の不条理さや、人間が抱え持つどうしようもない残虐性が激しく炙り出されていく。
そしてこのような極限状況のなか、人はどのように行動し生きていけばいいのか、深く考えさせられることになるのである。

監督は2011年に「アーチスト」でアカデミー賞5部門を獲得したミシェル・アザナヴィシウス。
エンターテインメント性たっぷりの「アーチスト」から一転、今回はシリアスな人間ドラマである。
これは彼がどうしても描きたいと願い続けた作品なのだという。
おそらくそれは彼がリトアニア系ユダヤ人家庭で育ったことと無縁ではあるまい。
そう考えるとこれは歴史の大きなうねりの中で、撮るべくして撮られた映画ということになるのかもしれない。
こうした悲劇は、これからも連綿と続いていくのだということを示唆しているようにも思える。
映画の中で全く無関係のように思われていたふたつのドラマが、最後に交差するのを見ていると、なおさらそう思えてならない。
だがそんな絶望のなかでも少年が声を取り戻し、最後に笑顔を見せることで、そこに残されたわずかな希望や人間の優しさを見ることができるのである。


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Category: 読書

Tags: 短編小説集  

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ジャック・ロンドン「火を熾す」

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この小説を知ったのは、村上春樹の小説「神の子はみな踊る」のなかの短編「アイロンのある風景」を読んだから。
「アイロンのある風景」は、焚き火を通して知り合った中年男と若い女性が、海岸で焚火をしながらとりとめのない話をするというもので、そのなかで彼女が高校の夏休みに読書感想文の課題として読んだジャック・ロンドンの「火を熾す」という小説のことを思い出す。
そしてその感想文に「主人公は本当は死を求めていた」と書いたことから、教師にバカにされたと言うのである。
それを読んでこの小説のことが強く心に残った。

またこの短編を読んでほどなくして、たまたま聴いていたラジオから、ジャック・ロンドンの「火を熾す」についての話が聞こえてきた。
それは作家小川洋子が出演する「メロディアス・ライブラリー」という番組であった。
そのなかで採り上げられていたのがこの小説であった。
この不思議な偶然に、あらためて読んでみなければと思ったのである。
この経緯は、まるで先日読んだ村上春樹の「東京奇譚集」で書かれていたような偶然であった。

ジャック・ロンドンは生涯に200以上の短編を書いたそうだが、そのなかから翻訳者・柴田元幸が選んだ9篇を収めたのがこの短編集である。
ジャック・ロンドンは1876年に、サンフランシスコの貧しい家庭に生まれている。
小学校は卒業したものの、貧困の為に進学できず、缶詰工場で働き始める。
さらに漁船の乗組員になったり、ゴールドラッシュにわくカナダ北西部に金鉱を探す旅に出かけたりと、様々な職業を転々としている。
またホーボー(鉄道放浪者)となって、各地を放浪するという生活も経験している。
その時には浮浪罪で逮捕され、30日間の労役を科せられている。
そうした波乱に富んだ生活を送った後、独学で小説を書き始め、1903年に出版された『野性の呼び声』によって、一躍流行作家となったのである。
これらの短編は、そんな生活体験の中から生み出されたものである。

表題作の「火を熾す」はアラスカのユーコン川が舞台になっている。
雪で覆われた極寒の大地のなか、仲間のいる場所を目指してひとりの男が歩いている。
その後を見知らぬ犬がついていく。
そして男は道に迷い、次第に死の影が迫ってくるなか、生き抜くために火を熾そうとするがなかなか火はつかない。
果たして男と犬の運命はどうなるのか、というのがこの小説のストーリーである。

こうした極限状態が、抑えた筆致で簡潔に書かれており、力強い迫力で迫ってくる。
そこにあるのは、生と死を分ける厳しい現実だけ。
軟な情緒の入り込む余地はない。
波乱に富んだ人生を歩んできたジャック・ロンドンならではの力強さに満ちている。
この他の短編も同様である。
これと同じく極寒の大地を舞台にした「生への執着」、ボクシングものの「メキシコ人」や「一枚のステーキ」、こうした物語を読んでいると、人生は闘いの連続だとの認識を新たにすることになる。
そしてその闘いのなかで感じる恐怖や希望や絶望が、切実で身近なものとして迫ってくる。

そんな力強い小説を書いたジャック・ロンドンであるが、1916年に40歳の若さで自殺をしている。
そうした人生や作品を考え合わせると、ヘミングウェイとの共通性が感じられてならない。

今年は没後100年にあたる年。
その節目にこうした作品群を味わえたことは非常な歓びである。
機会があれば、いつか他の作品も読んでみたいと思っている。


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Category: 日本映画

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映画「海街diary」

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昨年度の日本アカデミー賞で、最優秀作品賞と最優秀監督賞(是枝裕和)を受賞した映画である。
原作は吉田秋生の漫画作品。
映画のキャッチフレーズは「家族を捨てた父が、のこしてくれた家族。」
十四年前に家を捨てた父親の葬儀に出席した三姉妹が、そこで母違いの妹の存在を知ることとなり、すでに実母も亡くしていることを知った三姉妹は、彼女を引き取ることにする。
こうして四姉妹による共同生活が始まるというのがこの映画のストーリーである。

海街というのは彼女たちが住む鎌倉のこと。
特別何かが起きるというわけではない。
彼女たちとその周辺に生きる人たちの、ごくありふれた普通の生活が淡々と描かれるだけである。
だがそこに流れる時間や空気感は、何ものにも代えがたいものがある。
そしてそうしたありふれた日常が、いかに貴重でかけがえのないものかということが伝わってくる。
同時に家族であることのやっかいさも忘れずに描きこまれていく。
そうしたことのひとつひとつを、きめ細かく丁寧に掬い取っていく。

古い佇まいを見せる鎌倉の街並みが美しい。
その素朴な美しさが、この映画をさらにかけがえのないものとして見せている。
その風景を切り取る柔らかなカメラワークが心地いい。
撮影と照明は瀧本幹也と藤井稔恭、ともに日本アカデミー賞最優秀撮影賞と賞最優秀照明賞を受賞している。

二時間を超える上映時間だが、けっして長くはない。
いやむしろ短く感じられるほどである。
いつまでもこの心地いい世界に浸っていたいという気持ちにさせられた。


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Category: 読書

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岡崎武志「上京する文學」

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副題に「漱石から春樹まで」とある。
「上京」という切り口で、近代から現代に至る数々の文学作品を考察した本である。
採り上げられた作家は18人、登場順に書くと、斎藤茂吉(山形)、山本有三(栃木)、石川啄木(岩手)、夏目漱石、山本周五郎(山梨)、菊池寛(香川)、室生犀星(石川)、江戸川乱歩(三重)、宮沢賢治(岩手)、川端康成(大阪)、林芙美子(山口)、太宰治(青森)、向田邦子、五木寛之(福岡)、井上ひさし(山形)、松本清張(福岡)、寺山修司(青森)、村上春樹(京都)となる。
このうち漱石と向田邦子は東京生まれであるが、漱石には『三四郎』という上京小説があること、また向田邦子は父親の仕事の関係で幼くして東京を離れていたことから、採り上げられている。
ちなみにこのふたりを除いた16人を地域別に見てみると、東北6人、中部1人、関東2人、近畿3人、中国四国2人、九州2人である。
東北が圧倒的に多い。

こうした作家たちの顔ぶれを見ていると、近代以降の文芸の世界で、上京組がいかに重要な役割を果たしているかがよく分かる。
同時に東京という街が上京組にとって、どんなに憧れと魅力に溢れた街であったかということも。
期待と不安を抱えて上京、自由を味わいながら文学と格闘する彼らの姿を見るうちに、かつての自分のことがダブって見えてきた。
大学入学のために上京したのは、1996年。
井上ひさしが宮澤賢治について「自分の可能性は東京に出たらあると思っていたふしがある。」と書いているように、自分もそうしたことを漠然と考えながら上京したことを思い出した。
そして期待と不安のなか、東京と云う街に懸命に馴染もうとする日々があったことも。
その一番の障壁になったのは、やはり言葉の問題であった。
最初に住んだのは県人寮、そこは東京の中の田舎であった。
外出すれば東京、だがいったん寮に戻ればそこは方言を自由に喋れる田舎そのものの世界。
そんな中途半端な環境のため、いつまでたっても方言はとれないままであった。
こうした悩みは、多かれ少なかれ上京組には共通のものではあるが、なかでも訛りの強い東北人にとっては、それはことさら大きかったのではないかと思う。
たとえば井上ひさしは「東京人はきっと田舎者のわたしを愚かもの扱い」しているのではないかとの思いにさいなまれ、「訛りのある言葉を笑われやしないか」と激しい劣等感にとりつかれている。
ほとんどノイローゼ状態である。
そのいっぽうでは、寺山修司のように抜けなかった訛りを自分の個性とした者もいる。
また室生犀星のように東京の生活に疲れ切り、故郷へと逃げ帰ってしまうが、すぐにまた東京が恋しくなって舞い戻ってしまうなど、都落ちと上京を振り子のように何度も繰り返す者もいる。
そのようにそれぞれがそれぞれに様々な葛藤に苦しみながらも、やがて時間が経つにつれて次第にそうした悩みも解消されていき、東京と云う街に馴染んでいく。
そして江戸川乱歩が味わったような、都会のなかでの孤独や自由を謳歌するようになっていくのである。
乱歩は書く。
「青年時代、私は群衆の中のロビンソン・クルーソーとなるために浅草へ行った。知り人の全くいない大群衆の中にいることは、孤独の甘さを一層甘くしてくれるからである。」
こうした自分を無化してくれる都会の自由さは、上京者の特権のようなものかもしれない。
また斎藤茂吉のように、東京の郊外に故郷に似た風景を見つけ、それによって都市生活での挫折や憂鬱を晴らそうとする者もいる。
よくよく見れば東京という都会も、小さな田舎の集合体のようなものなのである。

このように上京者たちが味わったさまざまな格闘や自由から、時代を代表するさまざまな文学作品が生み出されていったのである。
各々の上京物語は、その作品同様まさに個性的。
それを読むことで、それぞれの作品がもつ魅力の一端に触れることができるのである。
今後はこれを手引きに、こうした作家たちの作品を読んでみたいと思っている。


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佐伯一麦 「ア・ルース・ボーイ」

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以前から気になっていた作家、佐伯一麦の小説を初めて読んだ。
1959年仙台市生まれの小説家である。
名前の一麦は「かずみ」と読む。
敬愛する画家ゴッホが、麦畑を好んで描いたことにちなんだペンネームである。
仙台第一高等学校を卒業後上京し、週刊誌記者、電気工など様々な職業を経て作家になる。
現在は仙台市在住で、東日本大震災時には自宅が大きく被害を受けている。
そのことはこの小説を読んだ後に知った。
私小説作家ということなので、この小説も自身の経験を踏まえて書かれているようだが、東日本大震災とは直接関わりのある内容ではない。
しかし震災後5年の節目を迎えたこの日、偶然にもこの小説を読んだことで、そこに何か不思議な巡り合わせのようなものを感じてしまう。

小説は高校を中退、父親の分からない子供を抱えた初恋の彼女とアパート暮しを始めた17歳の少年の日常が描かれている。
落ちこぼれの彼らが、生きるために職探しを始めるが、容易には見つからない。
早々と社会の厚い壁に阻まれることになるのだが、偶然の出会いから電気工事の見習いとして働けることになる。
ふたりはどちらも家庭的には恵まれず、それぞれ人に知られたくないトラウマを抱えている。
そんなふたりが、共に寄り添い懸命に生きようとする姿は、未熟で危なっかしいが、若さゆえの逞しさも同時に感じることができる。
そして肉体労働をすることによって次第に必要な筋肉がついていくように、心のなかにも次第に生きる力が備わっていく。
そうやって少しづつ、しかし着実に社会の一員となるべく成長していくプロセスが、何の衒いもなく抑えた筆致で描かれていく。
著者自身の体験がベースになっているだけに、作り物ではない力強さがそこにはある。
いずれにしても彼ら主人公たちの前途は、けっして平坦なものではないだろう。
それは容易に想像できることである。
しかし、恐らく彼らはもがき苦しみ、不器用ながらも、こうやって道を切り開いて生きて行くに違いないという余韻を残して小説は終わる。
そこには切ないものがあるが、同時に爽やかさも感じることができる。

題名の「ア・ルース・ボーイ」の「ルース」とは、「しまりのない」「だらしのない」「道徳感のない」といった意味である。
それは少年が教師から押された烙印ではあるが、この言葉を少年が辞書で引いてみると、そこには「自由」や「解き放たれた」といった意味も書かれており、それが今の自分にはふさわしいものだと感じるのである。
そうした両方の意味が、この題名には込められている。
けっして否定的に使われているだけではない。

この小説の後は、図書館でいっしょに借りてきた同じ作者の「木の一族」という小説が控えている。
こちらは短編集である。
読むのが楽しみになってきた。


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Category: 日本映画

Tags: 村上春樹  

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映画「トニー滝谷」

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<トニー滝谷の本当の名前は、本当にトニー滝谷だった>で始まる短編小説「トニー滝谷」を映画化した作品。
短編集「レキシントンの幽霊」のなかに収められている。
これを読んだ家内が、映画も観たいと言い出したので、レンタル・ショップで借りてきた。
以前観たのはおよそ10年ほど前のこと。
この機会にまたもういちど観ることにした。

村上春樹の小説は、あまり映画化されていない。
小説の人気に比べるとその数は極端に少ない。
独特の世界観をもつ彼の作品は、映像化するのが難しいということなのかもしれない。
しかしその難しい関門を、この映画はうまくクリアしている。
そしてその難関をクリアするために様々な工夫を凝らしている。
まずセリフを極端に少なくして、映像だけで見せるという手法を用いている。
そしてその少ないセリフを補うように、ナレーションが多用される。
ナレーションの多用というのは、映画にとっては禁じ手である。
ひとつ間違えれば命取りになりかねない。
それをこの映画では敢えてやっているのだが、そこにひと工夫を加えている。
それはナレーターだけが語るのではなく、演じている俳優自身にもそれを語らせるというものである。
この実験的なスタイルによって、単なるドラマではない、現実感覚から少しだけズレた浮遊感覚を味わうことになるのである。
また映像のかなりの部分が横移動によるもので、それによって時間空間の移り変わりを表現している。
そこに映るのは、必要最小限度にまで削られたシンプルなものである。
それは写そうというよりも、写さない工夫を凝らしているのではないかと思えてくるほど。
余計なものを削ぎ落とし、必要最小限のものしかない映像を観ているうちに、だんだんとその詩的で静謐な空間に心を奪われていく。
そしてそこに込められた孤独や喪失が、深い悲しみを伴ってごく自然に沁み込んでくる。
わずか76分という小品だが、どんな大作にも負けない濃密な時間がそこには流れている。

監督は市川準
『禁煙パイポ』や『タンスにゴン』などのCMを作り、『BU・SU』で劇場用映画に進出したCM界出身の監督である。
『病院で死ぬということ』、『東京兄妹』、『トキワ荘の青春』、『東京夜曲』など、独特な感性を持った監督として知られている。
8年前に59歳という若さで急逝したが、惜しまれてならない。
久しぶりにこれを観て、つくづくそう思うのである。


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Category: 地域情報

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積雪ゼロ

暖かい日が続いている。

ここ3日間の最高気温が13.4度、8.4度、11.9度と、これは4月初旬から中旬にかけての気温である。

この暖かさのせいで雪も日一日と少なくなり、とうとう昨日、積雪ゼロを記録した。

昨年の積雪ゼロが3月30日だったので、20日以上早い記録である。

今年の冬は雪が少なくて楽だったが、春もまた早そうである。



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青山文平「流水浮木  最後の太刀」

ryusuihuboku.jpg

この作者の小説を読むのは、これが初めて。
実はこの小説ではなく、『つまをめとらば』という短編集を読もうと思って図書館に出かけたのだが、あいにく貸し出し中で借りることができなかった。
『つまをめとらば』は、先日直木賞を受賞したばかりの小説である。
なので、これは無理からぬこと。
予想はしていたが、やはりである。
しかしこれを読もうと思ったのは、直木賞を受賞したからではなく、以前から読みたいと思っていたからで、偶然にもそれが直木賞を受賞したというわけである。
代わりにと言っては何だが、こちらを借りてきた。

青山文平は1948年12月の生まれ。
同い年ということになるが、学年でいえば1年下である。
経済関係の出版社勤務を経て作家になった人である。
1992年に『俺たちの水晶宮』で第18回中央公論新人賞を受賞、これは時代小説ではなく純文学であった。
その後一旦活動を休止、2011年、時代小説『白樫の樹の下で』で、第18回松本清張賞を受賞、これが事実上のデビュー作となる。
2014年、『鬼はもとより』で第152回直木賞候補となるが、受賞はならなかった。
しかし同作で第17回大藪春彦賞を受賞、そして本年1月、『つまをめとらば』で第154回直木賞受賞となる。
以上が簡単な経歴である。

「流水浮木」という言葉の意味は、辞書で引くと「固執せず自由自在に動く事。」とある。
小説のなかでは、主人公が使う一刀流の技のひとつであり、主人公の生き方を象徴させる言葉としても使われている。
内藤新宿・鉄砲百人組の初老の武士、山岡晋平が主人公である。
鉄砲百人組に属するのは伊賀者という家柄を継ぐ者たちである。
だが、八代将軍吉宗が独自にお庭番という役目を作り上げたことから、今や閑職同然の立場に追いやられている。
そしてサツキ栽培で生計をたてるということが、彼らに残された僅かな糧となっており、そこに生きがいを見出そうとする者たちがいる。
だがなかには同心株を売って武士を捨て去るという者もいる。
そうした背景が、この物語全体に暗い影を落としており、そのなかでもがき苦しむ下級武士たちの姿が描かれていく。
そんな主人公山岡晋平の親友3人が、ある陰謀に巻き込まれて命を落としたことから、剣の達人である彼がその陰謀に立ち向かうというのが主なストーリーである。
初老の武士が主人公ということで、藤沢周平の『三屋清左衛門残日録』を連想したが、それとはまた違った趣きがある。
これを読んだことで、『つまをめとらば』を読むのが待ち遠しくなってきた。
図書館で予約の申込みをしたが、現在の予約待ちが24人、何か月も先のことになりそうだ。


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Author:cooldaddy
住んでいるところ:青森県弘前市
出身地:香川県
年齢:今年(2008年)還暦です。
性別:男

還暦という節目を迎え、何か新しいことを始めようとブログを開設しました。
趣味のこと、生活のこと、心に残ったことなど、My Favorite thingsを、気ままに書いていこうと思います。
末永くおつき合いください。

映画サイト「マイ・シネマ館」もやっています。
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