風に吹かれて

My Life & My Favorite things

Category: 月別観た映画と読んだ本

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今月観た映画と読んだ本(2015年12月)

観た映画


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「永遠の僕たち」
2011年アメリカ 監督:ガス・ヴァン・サント 出演:ヘンリー・ホッパー/ミア・ワシコウスカ/加瀬亮/シュイラー・フィスク/ジェーン・アダムス/ルシア・ストラス/チン・ハン


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「キツツキと雨」
2011年 監督/脚本:沖田修一 出演:役所広司/小栗旬/高良健吾/臼田あさ美/古舘寛治/嶋田久作/平田満/伊武雅刀/山崎努


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「マッドマックス 怒りのデス・ロード」
2015年アメリカ 監督/脚本:ジョージ・ミラー 出演:トム・ハーディ/シャーリーズ・セロン/ニコラス・ホルト/ロージー・ハンティントン=ホワイトリー/ゾーイ・クラヴィッツ/ライリー・キーオ/ネイサン・ジョーンズ


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「旅役者」
1940年 監督/脚本:成瀬巳喜男 出演:藤原鶏太/柳谷寛/山根寿子/高勢実乗/清川虹子/清川荘司/中村是好


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007 スペクター
2015年アメリカ/イギリス 監督:サム・メンデス 出演:ダニエル・クレイグ/クリストフ・ヴァルツ/レア・セドゥ/レイフ・ファインズ/ベン・ウィショー/ナオミ・ハリス/モニカ・ベルッチ


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「近松物語」
1954年 監督:溝口健二 出演:長谷川一夫/香川京子/進藤英太郎/小沢栄/南田洋子/田中春男/浪花千栄子/菅井一郎/石黒達也/十朱久雄


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「テイク・シェルター」
2011年アメリカ 監督/脚本:ジェフ・ニコルズ 出演:マイケル・シャノン/ジェシカ・チャステイン/シェー・ウィガム/ケイティ・ミクソン/キャシー・ベイカー/レイ・マッキノン


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「キングスマン」
2014年イギリス 監督/脚本:マシュー・ヴォーン 出演:コリン・ファース/マイケル・ケイン/サミュエル・L・ジャクソン/タロン・エガートン/マーク・ストロング/ソフィア・ブテラ/ソフィー・クックソン




読んだ本


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螢・納屋を焼く・その他の短編(村上春樹 現代小説)


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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(村上春樹 現代小説)


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回転木馬のデッド・ヒート(村上春樹 現代小説)


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ダンス・ダンス・ダンス(村上春樹 現代小説)



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Category: 読書

Tags: 村上春樹  

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村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」

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この小説は『羊をめぐる冒険』の続編として書かれたものである。
ただし『羊をめぐる冒険』の後、この小説が書かれるまでには6年近い時間が流れている。
またその間には、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と『ノルウェイの森』というふたつの長編小説が書かれている。
そのことについて作者は次のように述べている。

<でもその二つを書き終えた時点で、僕はもう一度あの三部作の世界に戻ってみたくなったのだ。僕が『ダンス・ダンス・ダンス』という小説で本当に書きたかったのは、あの羊男のことだった。ある意味では、羊男はずっと僕の心の中に住んでいた。僕は『羊をめぐる冒険』を書き終えたあとでもよく羊男のことを考えた。 >
そして「僕」を「ああいうひどい場所におきざりにしたことに」「責任を感じていた」。
そこであの「ひどい場所」から救い出したいとの思いからこの小説を書いたのである。

物語は友人であった鼠と恋人を失った僕が、羊男と出会った、いるかホテルを再び訪れることから始まる。
しかしそこは以前あったいるかホテルとは違い、ドルフィンホテルと名を変えた現代的なホテルに変わっていた。
そこで再び羊男と出会うと、彼から次のようなことを言われる。

「踊るんだよ」
「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうするとあんたはこっちの世界の中でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。だから足を停めちゃいけない。どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。使えるものは全部使うんだよ。ベストを尽くすんだよ。怖がることは何もない。あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから足が停まってしまう」
「でも踊るしかないんだよ」
「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」
オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。

そして自分のなかで失われた何かを回復するために、僕の前から姿を消した恋人を探す旅が始まるのである。
その旅の途中で、様々な個性的な人物たちと出会う。
ホテルのフロント係の女性ユミヨシさん、中学校の同級生で映画スターの五反田君、ユキという名の少女、その父親である牧村拓、母親のアメ、その恋人のディック・ノースなど。
そして彼らとの不思議な交流が続くなかで、ある者は死に、ある者は姿を消していく。
ここでも出会いと別れが繰り返されていく。
物語の中心となるのは、ユキと五反田君である。

ユキはドルフィンホテルで出会った少女である。
彼女の母親アメは、有名なカメラマンで、世界を股にかけて活躍をしている。
両親は離婚をしており、ユキは不登校となって、母親と共に旅をしている。
しかし、アメは時としてユキの存在を忘れてしまい、衝動的に自分勝手な行動をとることがある。
僕がユキと知り合ったのも、そうやってユキがホテルにひとり置き去りにされた時であった。
そして行き掛りでユキを東京の自宅まで送り届けることになり、それがきっかけでユキとの交流が始まる。
ユキには特別な能力が備わっており、僕に様々なものを示したり、導いたりしていく。
謂わば彼女は「巫女」のような存在で、物語を牽引していく存在でもある。
『羊をめぐる冒険』では耳の女キキがその役割果たしていたが、ここでは彼女がそれを担っているのである。

いっぽう、五反田君はホテル滞在中に観た映画の主人公として僕の前に現れる。
そのなかで彼の相手役としてわずかに顔を出すのが、僕が捜し求めていた恋人キキであった。
そこで詳しい話を聞くために五反田君と再会することになるが、結局キキに関する手がかりは掴めないままで終わってしまう。
以後僕と五反田君との新しい付き合いが始まる。
五反田君は容姿端麗で頭脳明晰、絵にかいたようなエリートである。
どんなことをやっても人より秀でており、期待に違わぬことがない。
そして今は俳優として派手な生活を送っている。
高級マンションに住み、高級外車に乗り、一流レストランで食事をするという、人も羨むような生活である。
だが本当は彼は穏やかで健全な生活を送ることを望んでいる。
しかし周りがそれを許さない。
そのため自分が望むものは何ひとつ手に入れることが出来ないでいるのである。
そうした乖離と抱え持つ心の闇から、彼はコールガールを殺し、マセラッティに乗って海に飛び込んで死んでしまう。

小説の舞台となるのは、1983年、これからバブルが始まろうとする時代である。
その狂乱の時代の予兆を孕んだ年である。
そうした時代を生きる五反田君は、謂ってみれば高度資本主義社会がつくり出した歪んだエリートであり、犠牲者である。
そして、実は五反田君は僕自身ではないかと、僕は思っている。
村上作品では多くの分身が描かれるが、ここでは五反田君が僕の分身となっている。
そうした分身たちとの関係のなかで、僕は自分自身を検証していくことになる。
その結果、僕は成長し、生き延びる力を獲得していくようになる。
そして自分自身の人生を生きるために、愛するユミヨシさんのもとへ帰っていこうと決意するのである。
『羊をめぐる冒険』では絶望だけしか残らなかったが、ここでは希望を残して終わる。
それが僕と鼠と羊男の長い物語の、最終的な着地点である。

3部作とはいささか趣を異にしたこの小説で、また新たな村上文学の魅力に出会うことができたように思う。

ところで村上春樹の小説には、様々な音楽が登場してくる。
ジャズをはじめ、ポップス、ロック、クラシック、そして映画音楽とあらゆるジャンルの音楽が流れる。
小説の中にこれほど多くの音楽を登場させるのは、村上作品以外ではあまり記憶にない。
これほどたくさんの音楽が登場するのは、彼が音楽好きということもあるが、それだけではなく、音楽によって言葉では表わしにくいような雰囲気や心情などを表現しようとしているからではなかろうか。
それによってより重層的なイメージを作り上げようとしているように思われる。
ちなみにこの小説に出てくる音楽を、思い出すままに書いてみると、ローリング・ストーンズ『ブラウン・シュガー』、レイ・チャールズ『ボーン・トゥー・ルーズ』、マイケル・ジャクソン『ビリー・ジーン』、リッキー・ネルソン『トラヴェリン・マン』、デヴィッド・ボウイ『チャイナ・ガール』、ポール・マッカートニー&マイケル・ジャクソン『セイ・セイ・セイ』、ボブ・ディラン『ハード・レイン』、ビーチ・ボーイズ『ヘルプ・ミー・ロンダ』、ボブ・マーリー『エクソダス』、ブルース・スプリングスティーン『ハングリー・ハート』、ジョン・コルトレーン『バラード』、ビル・エバンス『ポートレイト・イン・ジャズ』等々、この他にもまだまだある。
まるでラジオのリクエスト番組を聴いているような数の多さである。
こうしたところも村上文学の大きな特徴であり、また魅力でもある。


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Category: 読書

Tags: 村上春樹  短編小説集  

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村上春樹「回転木馬のデッド・ヒート」

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<我々は我々自身をはめこむことのできる人生という運行システムを所有しているが、そのシステムは同時にまた我々自身をも規定している。
それはメリー・ゴーラウンドによく似ている。
それは定まった場所を定まった速度で巡回しているだけのことなのだ。
どこにも行かないし、降りることも乗りかえることもできない。
誰をも抜かないし、誰にも抜かれない。
しかしそれでも我々はそんな回転木馬の上で仮想の敵に向けて熾烈なデット・ヒートをくりひろげているように見える。>

村上春樹は小説の前書きとしてこのように書いている。
そしてここで語られる8つの短編は、いずれも人から聞いた話をもとに書いたもので、「正確な意味での小説ではない」と断っている。
しかし後に作者自らが語っているように、これは「聞き書きという形式を利用して」作ったもので、「リアリズムの文体の訓練」のためのものだったということである。

8つの短編は、「レーダーホーゼン」、「タクシーに乗った男」、「プールサイド」、「今は亡き王女のための」、「嘔吐1979」、「雨やどり」、「野球場」、「ハンティング・ナイフ」。
いずれも奇妙で摩訶不思議な物語ばかり。
読んでいるうちに人生の危うさ、不可思議さに思い至る。
そしてどんな人生であれ、いつ何時どんなことが起きるかもしれないということを感じてしまう。
しかしそんな人生に戸惑いつつも、けっして挫けることなく、回転木馬が回り続ける限り、しっかりと生きていかなければならないのだというメッセージが込められているように思われる。
さりげない日常の中にふと姿を現す濃密な時間、そんな印象的な瞬間に浸ることのできる短編集である。


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Category: 外国映画

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映画「007 スペクター」

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「スター・ウォーズ」の一般公開が始まった。
この公開を待ちかねていたマニアックなファンが大勢詰めかけて、まさにお祭り騒ぎの様相を見せている。
これに続いて23日からは「ロッキー」シリーズの「クリード チャンプを継ぐ男」が公開される。
また「007」シリーズの最新作「007 スペクター」が、現在上映中である。
そういうわけで年末から正月にかけての洋画界は、奇しくも人気のシリーズ物が集まったということになる。
これらのシリーズもののうち、いちばん馴染のあるのは、やはり何と云っても「007」シリーズである。
ちなみにシリーズ第1作の「007は殺しの番号」が公開されたのが、1963年。
高校1年生のときである。
以後「危機一発」「ゴールドフィンガー」「サンダーボール作戦」と毎年作られて一大ブームとなった。
ショーン・コネリーのかっこよさ、迫力あるアクションなど、それまでになかった斬新な内容に夢中になった。
しかしショーン・コネリーが降板した後は、その熱も冷めてしまったが、ダニエル・クレイグがボンド役に起用されるや、またその熱が再燃することになったのである。
前作の「スカイフォール」以来3年ぶりの新作、こういう派手なアクション物は、やはり映画館の大きな画面で観たいもの。
さっそく行ってきた。

今回の「007 スペクター」はダニエル・クレイグのものでは4作目で、シリーズでは24作目になる。
物語は「スカイフォール」や「慰めの報酬」などとの繋がりのもとに展開していく。
少々複雑でよく分からないところもあるが、こういう映画の場合、あらすじを追うことには、それほど意味があるとも思えない。
それよりも次々と襲い掛かる危機をジェームズ・ボンドがどう乗り切っていくか、その醍醐味に浸るだけでもう大満足である。
また今回はメキシコシティ、ロンドン、ローマ、オーストリア、モロッコと、様々な都市に舞台を移しながらの展開で、そのシークエンスごとに見せ場が仕込まれており、それも大きな魅力であった。
そして何といっても最大の魅力は、ダニエル・クレイグのタフな男臭さである。
けっして二枚目というわけではなく、どちらかといえば醜男の部類に属する顔立ちである。
正義の味方というよりも、むしろ悪役に適した風貌である。
昔の俳優で謂えばチャールズ・ブロンソンのような労働者顔。
そして身に纏った高級スーツの上からでも想像することが出来る鍛えた筋肉質な体。
そんな印象の彼だからこそ、どんな危険な目に遭おうとも、決して負けずに切り抜けられるだけの説得力を感じることができるのだ。

今回はニューモデルになったアストンマーチンの登場や、砂漠を走る列車のなかでの格闘など、初期のボンドものの再現のようなシーンも多々あって、その点でも大いに楽しめた。

それにしてもダニエル・クレイグのボンド役が今回限りというのはいささか寂しい。
もっと観てみたいというのが正直なところ。
これでまたもういちどシリーズへの熱が冷めてしまうことになるかもしれない。
残念なことだが。





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村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」

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村上春樹の第4作目に当たる長編小説である。
そして初の書き下ろし長編小説でもある。

物語は「世界の終り」の章と「ハードボイルド・ワンダーランド」の章が、「僕」と「私」というふたつの語り手に分かれて交互に語られていく。
「世界の終り」は、高い壁に囲まれた、外界と隔絶された街である。
そこでは人々は記憶や感情をなくしており、そのため自我の苦しみや他者との衝突などとは無縁である。
一方「ハードボイルド・ワンダーランド」では、暗号を取り扱う「計算士」の私が、老博士から「シャフリング」と呼ばれる高度な計算方法を使った仕事を依頼されるが、それによって複雑な事件に巻き込まれることになる。
静と動の対照的な世界に分かれて物語が展開していくが、「ハードボイルド・ワンダーランド」は現実世界で、「世界の終り」は、現実の「私」が頭の中に作り上げた無意識の世界ということになる。
すなわち「世界の終り」は、他者との接触の中で傷つけられたくないという「私」の無意識の願望が生み出した世界である。
そして現実世界の「ハードボイルド・ワンダーランド」も、実は「私」が見ている夢の世界なのかもしれないと思わせるものがある。
そのような次元と空間が複雑に錯綜する世界が、この小説世界ということになる。
いわば作者の脳内世界で起きたあれこれが、形を変えて重層的に語られているわけである。

ところで村上春樹の小説を読んでいると、どうしてもシュールレアリスムとの関連について考えてしまう。
ちなみにこの本の装丁に使われているのは、シュールレアリスム画家ポール・デルヴォーの絵である。
村上春樹は60年代の終わりから70年代にかけて学生生活を送っている。
この時代はシュールレアリスム関連の書籍が、もっともよく読まれた時代であった。
書店に行くと書棚にはアンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」が必ずといっていいほど並んでいた。
またロートレアモンの「マルドロールの詩」も同様であった。
この時代に芸術に幾何かの関心を持つ者ならば、必ずや一度はこうした書籍に目を通したはずである。
そうしたシュールレアリスムと、さらにはベケットやイヨネスコといった不条理演劇の影響を受け、そこに前近代の土俗的な要素を加味することで、演劇の復権を目指そうとする前衛的な劇団が、数多く生まれたのも、この時代であった。
すなわち「状況劇場」、「天井桟敷」、「早稲田小劇場」、「黒テント」、「発見の会」等々に代表される、いわゆるアングラ劇団である。
さらには横尾忠則のイラストなどに代表されるポッポアートなどを読み解く際にも、シュールレアリスムは重要な鍵であった。
早稲田大学の演劇科に属していた村上春樹も、当然そうしたものの洗礼を受けたはずである。
そして意識するとしないとに関わらず、そうしたものの影響は、彼の小説の中に今も流れているはずである。

そもそもシュルレアリスムとは、理性の支配をしりぞけ、夢や幻想など非合理な潜在意識の世界を表現することにより、人間の全的解放をめざすという芸術運動であった。
それは村上春樹の小説の目指そうとする方向性と一致したものである。
その世界を表現するための方法として自動記述(オートマティスム)やデペイズマンといったものがあるが、自動記述(オートマティスム)とは、あらかじめ何も決めずに、先入観を捨て無意識に近い状態で文章を書くというもの。
それによって人間の無意識世界に迫ろうとしたのである。
またデペイズマンは、「居心地の悪さ、違和感、生活環境の変化、気分転換」を意味するフランス語で、あるものを本来あるべき場所から、意想外のところへ置いたり、組み合わせることによって異和を生じさせるという手法である。
これを表す言葉として、ロートレアモンの「マルドロールの詩」のなかに書かれた、「解剖台の上でのミシンとこうもりがさの不意の出会い」という有名な言葉がある。
またこの他にも、偶然性を利用するためのコラージュや、夢を重要視する方法など、さまざまな手法が使われる。
これらをそのまま村上春樹が小説手法として用いているというわけではないが、メタファーや夢の世界の描写の多用などは、無意識世界を表現するための、彼なりの手法ということになるだろう。
また村上春樹の小説には「言葉では説明できない。」といった記述がよく出てくるが、これは言葉に対する不信感の表れである。
それは大学紛争当時に味わった、運動への絶望感がもたらしたものである。
しかしそうした言葉への不信という前提のもとで、言葉で表現するためには、当然新たな言葉の再構築が必要となってくる。
それを模索するなかで生み出されたのが、村上春樹独自の小説手法ということになる。
そうした手法を駆使することで、言葉で表現できないことを、言葉で表現しようという困難な作業を成し遂げようとしているのではなかろうか。
そしてそこに新しい価値を見出そうとしているのである。

この小説を読みながら、ふとそんなことを考えたのである。


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Category: 薪ストーブ

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来年用の薪

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今年の冬は暖かい。
この暖冬傾向は全国的なもののようだ。
調べてみると昨年の今頃は、もうすでに積雪が40センチを超えていた。
今年はつい数日前にようやく降ったが、それもわずか数センチだけ。
その雪もあっという間に融けて、跡形もなくなってしまった。

昨日は最高気温が10度、今日も13度まで上がるという予報である。
この上天気に、さっそく朝から薪づくりに励んだ。
先日桜林で手に入れた伐採木が、まだ手つかずのままの状態で残っているからだ。
これは来年用の薪になる。
しっかりと乾燥させるためには、根雪になる前に処理を終わらせる必要がある。
今日はその薪づくりで、一日が過ぎた。

考えてみると、この時期にこういう作業が出来るのは稀なこと。
たとえ雪が降らなくても、風が強かったり雨が降ったりという悪天候が続くこの時期である。

しかしこの天気も明日まで、その後は雪ではなく雨の予報である。


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村上春樹「螢・納屋を焼く・その他の短編」

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「螢・納屋を焼く・その他の短編」を再読。
刊行されたのは1984年7月。
中国行きのスロウ・ボート』『カンガルー日和』に続く短編集で、「螢」、「納屋を焼く」、「踊る小人」、「めくらやなぎと眠る女」、「三つのドイツ幻想」の5編が収録されている。

「螢」は『ノルウェイの森』の原型となった作品。
そのことは以前『ノルウェイの森』のところでも書いたが、自分の記憶とも繋がるだけに、自分にとっては特別な作品である。
「納屋を焼く」は文字通り納屋を焼く男の話。
そのメタファーがどんなことを意味しているのか、色々と考えさせられる。
同時にそこに隠された心の深い闇や死の香りを、感じ取ることができる。
「めくらやなぎと眠る女」はいとこの耳の治療に付き合うことになった僕が、かつて友達のガール・フレンドが胸の手術で入院したときに、見舞ったことを思い出すというもの。
ここでは「耳」が重要なモチーフとして使われているが、これは「羊をめぐる冒険」でも使われたモチーフである。
こういうふうに同じモチーフが作品が違っても繰り返し使われるというのも、村上春樹の小説の特徴のひとつである。
なおこの短編は、後の短編集『レキシントンの幽霊』にも再録されている。


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村上春樹「カンガルー日和」

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中国行きのスロウボート』に続く短編集。
18の短編が収録されているが、最後の「図書館奇譚」以外は、ごくごく短いショート・ストーリーばかり。
400字づめ原稿用紙にすると、8枚から14枚くらいという長さである。
村上春樹によると、「他人の目をあまり気にせずに、のんびりとして楽しんで」書いたものだ。
そして「図書館奇譚」は連続ものの活劇が読みたいという奥さんのリクエストにこたえて書かれたものである。
6回連続で雑誌に連載された。
この短編には先日読んだ『羊をめぐる冒険』と同様に、羊男が登場してくる。
そして図書館の地下牢に閉じ込められた「僕」が、羊男と美しい少女の3人で、地下牢からの脱出を試みる。
こうした地下からの脱出という話は、村上作品で繰り返し使われるシチュエーションである。
その原型がここにある。

「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」はとてもチャーミングな話である。

<たいして綺麗な女の子ではない。素敵な服を着ているわけでもない。髪の後ろの方には寝ぐせがついたままだし、歳だっておそらくもう三十に近いはずだ。しかし五十メートルも先から僕にはちゃんとわかっていた。彼女は僕にとっての100パーセントの女の子なのだ。彼女の姿を目にした瞬間から僕の胸は不規則に震え、口の中は砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう。>

しかし僕はひと言も喋れないままにすれ違い、彼女は人混みの中へと消えていく。
そしてその後、<「昔々」で始まり、「悲しい話だと思いませんか」で終わる>話を思いつく。
妄想のような話が淡々と語られるが、なるほどこういうことって案外あるかもしれない、と思わせるものがそこにはある。
そしてそこから滲み出てくる人生の不思議や悲しみは、まことに味わい深いものがある。

またこれらの短編には、ガンガルーやあしかやかいつぶり、そして羊など、いろんな動物が登場してくるが、これも動物園好きの村上春樹ならではのものといえよう。


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Author:cooldaddy
住んでいるところ:青森県弘前市
出身地:香川県
年齢:今年(2008年)還暦です。
性別:男

還暦という節目を迎え、何か新しいことを始めようとブログを開設しました。
趣味のこと、生活のこと、心に残ったことなど、My Favorite thingsを、気ままに書いていこうと思います。
末永くおつき合いください。

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