風に吹かれて

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Category: 月別観た映画と読んだ本

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今月観た映画と読んだ本(2015年11月)

観た映画


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「マジック・イン・ムーンライト」
2014年アメリカ/イギリス 監督/脚本:ウディ・アレン 出演:アイリーン・アトキンス/コリン・ファース/マーシャ・ゲイ・ハーデン/ハミッシュ・リンクレイター/サイモン・マクバーニー/エマ・ストーン/ジャッキー・ウィーバー


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1959年 監督/脚本:市川崑 出演:京マチ子/仲代達矢/中村鴈治郎/叶順子/北林谷栄/菅井一郎/山茶花究/倉田マユミ/潮万太郎


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「カウボーイ」
1958年アメリカ 監督:デルマー・デイヴス 出演:グレン・フォード/ジャック・レモン/アンナ・カシュフィ/ブライアン・ドンレヴィ/ディック・ヨーク


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「雨月物語」
1953年 監督:溝口健二 出演:森雅之/田中絹代/京マチ子/小沢栄/水戸光子/毛利菊枝/香川良介/上田吉二郎/青山杉作


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「東京物語」
1953年 監督:小津安二郎 出演:笠智衆/東山千栄子/原節子/杉村春子/山村聰/三宅邦子/香川京子/大坂志郎/東野英治郎/中村伸郎/十朱久雄/長岡輝子/桜むつ子/高橋豊子/安部徹




読んだ本


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風の歌を聴け(村上春樹 現代小説)


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羊をめぐる冒険(村上春樹 現代小説)


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中国行きのスロウ・ボート(村上春樹 現代小説)


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カンガルー日和(村上春樹 現代小説)



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Category: 日本映画

Tags: 小津安二郎  

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原節子、死去

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原節子が亡くなった。
享年95歳、映画界を引退してからすでに50年以上が経つが、未だに語られることの多い「伝説の女優」である。
こういう例は過去にはない。
まことに稀有な存在である。

彼女が引退したのは、1963年のこと、42歳であった。
1963年というと、私が15歳の時、高校1年生の頃。
なので彼女が出演した映画のほとんどはリアルタイムでは観たことがなく、憶えがあるのは、「日本誕生」と最後の作品となった「忠臣蔵」の2本だけ。
このうち「日本誕生」では天照大神(アマテラスオオミカミ)を演じていたことは、微かに記憶にあるが、「忠臣蔵」では出演していたことすら憶えていない。
またどちらも彼女の代表作というわけではないので、全盛期の作品はすべて後追いで観たものばかりである。
それも特別彼女の映画を観ようとしたわけではなく、小津や黒澤、成瀬といった監督たちの映画を追っかけているうちに、全盛期の彼女と出会ったのである。
恐らく自分たちの年代の者たちは、多かれ少なかれ似たようなものではなかったろうか。

そうやって観た彼女の映画のなかで印象的なものをあげると、『わが青春に悔なし』(1946)、『お嬢さん乾杯!』(1949)、『青い山脈』(1949)、『めし』(1951)、『晩春』(1949)、『麦秋』(1951)、『東京物語』(1953)となる。
この他にも、『安城家の舞踏会』(47)、『白痴』(51)、『山の音』(54)、『驟雨』(56)、『東京暮色』(57)、『娘・妻・母』(60)、『秋日和』(60)など名作は数多い。
だが選ぶとすればやはり先の作品ということになる。
そしてこれらの作品は1946年から1953年のわずか7年間に作られたものばかり。
原節子、26歳から33歳の時である。
そして9年後、42歳の若さで突然映画界を引退するのである。
そのことについては今回の死去に際しても、やはり様々に書かれているが、結局その理由に関しては依然謎のままである。

川本三郎に「君美わしく 戦後日本映画女優讃」という著書がある。
これは戦後の日本映画を代表する銀幕の名女優たちへのインタビューをまとめた本である。
山田五十鈴、高峰秀子、杉村春子をはじめとした煌びやかな顔ぶれが並ぶが、ひとり重要な人物が欠けている。
原節子である。
戦後の日本映画を論ずる場合、彼女はどうしても欠かすことのできない女優のひとりである。
そんな彼女が欠けていることは画竜点睛を欠くことになるが、早くに女優業を引退し、以後表舞台には一切姿を表さなかったことを考えれば、これはやはり致し方のないことだと言わざるを得ない。
しかしここに彼女の姿はないが、逆に不在という目に見えない存在感を強く感じさせられるのである。
そして同時に表舞台には決して出ないという彼女の決意が、いかに強いものであったかということも。

昨日NHKで追悼番組として『東京物語』が放映された。
それを観て、哀悼の意を込めながら在りし日を偲んだ。


最期に備忘録として彼女の簡単な経歴を書いておくことにする。

本名会田昌江(あいだ・まさえ)
1920年6月17日神奈川県横浜市で生まれる。男3人、女5人の末っ子であった。
1935年横浜高等女学校(横浜学園高等学校)を中退して15歳で日活多摩川撮影所に入社。これは経済的に困窮する家庭のため、次女光代と結婚していた映画監督の熊谷久虎の勧めによるもの。
同年の日活映画『ためらふ勿れ若人よ』(田口哲監督)で映画デビュー。同作で演じた役名「節子」から芸名をとって「原節子」とした。
1936年初の日独合作映画『新しき土』のヒロイン役に抜擢される。
同年、11月30日に発足した東宝映画株式会社に移籍する。
1946年黒澤明監督の戦後初の作品『わが青春に悔なし』のヒロインに抜擢される。
同年、東宝争議のあおりを受けて3月に創立した新東宝に参加。
1947年6月フリーの女優として独立。
1949年初めて小津安二郎監督と組んだ作品『晩春』に出演。
同年『晩春』、『青い山脈』、『お嬢さん乾杯』の演技が評価され、毎日映画コンクールの女優演技賞を受賞。
1953年、『白魚』の御殿場駅での撮影中に原の眼前で実兄会田吉男(東宝のカメラマンであった)が助手の伊藤哲夫と共に列車に撥ねられ不慮の死を遂げるという悲劇に遭う。そしてこの事件のわずか10日後、『東京物語』の撮影に入る。
1963年東宝創立三十周年記念作品『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』出演を最後に、女優業を引退。28年間で108本の映画に出演した。
以後表舞台には一切姿を見せず、2015年9月5日肺炎で死去、95歳であった。


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Category: 日本映画

Tags: 市川崑  

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映画「鍵」

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市川崑監督が大映時代に撮った文芸作品のうちの1本。
この時代(1958年~62年)は市川崑監督の全盛期で、代表作の多くがこの時期に撮られている。
そしてそのほとんどが文芸作品である。
書き出してみると、1958年に「炎上」、1959年には「鍵」と「野火」、1960年は「ぼんち」と「おとうと」、1961年は「黒い十人の女 」、そして1962年には「破戒」といったぐあいである。
「黒い十人の女 」だけがオリジナルで、後はすべて文芸作品である。
参考までにそれぞれの作品の原作の作家名を書くと、三島由紀夫、谷崎潤一郎、大岡昇平、山崎豊子、幸田文、島崎藤村といった、錚々たる顔ぶれ。
さらにこれらの作品のうち「野火」と「黒い十人の女 」を除いた作品はすべて、宮川一夫が撮影を担当している。
ちなみに「野火」と「黒い十人の女 」は小林節雄。
名作にとってカメラマンの力量がいかに重要かということが、このことからもよく判る。
宮川一夫らしい斬新な映像が随所に見られ、その映像美を堪能できる。
実験精神旺盛な監督とカメラマンが、新しい映像を求めて様々な試みをしている様や、映画全盛時代の活気あふれる現場の熱気が、画面の端々から伝わってくる。
なお宮川一夫カメラマンは、これらの作品と並行して1959年には小津安二郎の「浮草」を、そして1961年には黒澤明の「用心棒」を撮っている。
また「浮草」で共演した中村鴈治郎と京マチ子が、この作品で再び共演しているというのも、面白い。
「浮草」とはまた違ったふたりの関係が見られるのが興味深く楽しめる。
こうした映画を観るたびに思うことだが、名作はいつまで経っても古びない。


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Category: 弘前

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スターバックス弘前公園前店

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「スターバックスコーヒー弘前公園前店」に行ってきた。
今年の4月にオープンして以来、初めてのことだ。
この店舗は国登録有形文化財である「旧第八師団長官舎」を転用したもので、文化財への出店は神戸市の「北野異人館」に次いで2例目ということである。
開店当初はそんな話題性とさくら祭り期間も重なって、長蛇の列であった。
しかしそれもようやく落ち着き、半年を経た今ではすっかり周囲に溶け込んだ店になっている。
かつては毎日のように喫茶店通いをしたものだが、最近ではほとんど行くことはなくなった。
それでも物珍しさと、建物内部への興味もあって、この店にはいちどは行ってみたいと思っていたが、それでもなかなか腰を上げることができず、気がつくとすでに半年が過ぎていたというわけである。
ようやくにしての初来店ということになる。

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なるほど、噂に違わずなかなか雰囲気のある店である。
大正6年に建設されたという建物は、大正ロマンを感じさせるレトロな趣がある。
それがスターバックスの現代性とうまくマッチしている。
さらに本丸を前にした立地条件といい、これからは単なるカフェというだけではなく、弘前の観光名所のひとつになっていくのだろうと思う。

たった一杯のコーヒーながら、ちょっぴり贅沢な時間を過ごすことができた。


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Category: 読書

Tags: 村上春樹  短編小説集  

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村上春樹「中国行きのスロウ・ボート」

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村上春樹、初の短編集である。
書かれたのは、1980年4月から82年12月にかけてのこと。
収録されているのは、表題作の『中国行きのスロウ・ボート』をはじめ、『貧乏な叔母さんの話』、『ニューヨーク炭鉱の悲劇』、『カンガルー通信』、『午後の最後の芝生』、『土の中の彼女の小さな犬』、『シドニーのグリーン・ストリート』の7編。
『1973年のピンボール』が出版された後に前半の4編が、『羊をめぐる冒険』出版後に後半の3編が書かれている。

印象に残ったのは表題作の『中国行きのスロウ・ボート』と『午後の最後の芝生』。
『中国行きのスロウ・ボート』は主人公の「僕」が、若い頃に出会った3人の中国人の話である。
その中国人たちとの出会いのなかで語られる青春の日々の記憶、そしてそれによって引き出されていく「ここは僕の場所でもない」という思い。

『午後の最後の芝生』も『中国行きのスロウ・ボート』同様、30歳を越えた「僕」が、18歳か19歳だったころの自分を回想するという話。
その頃「僕」は芝刈りのアルバイトをやっていたが、事情があってそのアルバイトをやめることになる。
そして最後の仕事のために訪れた家で起きた出来事が語られる。

どちらも青春時代の挫折や傷が鮮やかに蘇るという構成になっており、そこに漂う明と暗、光と影が自らの青春時代と重なり、懐かしさとともに幾分の愛おしさを感じることとなった。

その『午後の最後の芝生』のなかの心に残った言葉。

<気の長い仕事だ。適当にやろうと思えば適当にやれるし、きちんとやろうと思えばいくらでもきちんとやれる。しかしきちんとやったからそれだけ評価されるかというと、そうとは限らない。ぐずぐずやっていると見られることもある。それでも前にも言ったように、かなり僕はきちんとやる。これは性格の問題だ。それからたぶんプライドの問題だ。>

これはよく解かる。
このように村上春樹の小説の主人公たちは、多かれ少なかれ、この小説の主人公のように「きちんとやる」人間ばかりである。
そんなところも、彼の小説の魅力のひとつになっているようだ。

ここに書かれているのは、日常のなかでふと出会う、ちょっと奇妙で不思議な出来事ばかり。
とくに何かが起きるというわけではなく、ごくありふれた日常が淡々と過ぎていくだけ。
しかしよく見ると、そこにあるのは普通の日常とはどこか違って見える世界である。
目に映る現実というよりも、もっと深い精神世界のような。
そんな謎めいた白昼夢のような物語を読んでいるうちに、いつの間にか空中を彷徨っているような不思議な感覚に陥っていく。
譬えて謂えば、それは小説を読むというよりも、詩や音楽を聴く感覚に近いのかもしれない。
そしてそうした感覚をまたもういちど味わいたくなり、彼の小説を手に取ってしまうのである。
村上春樹の小説はクセになる。


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Category: 美味しいもの

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干し柿の出来上がり

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先日(11月4日)吊るした干し柿が出来上がった。
数日前にはもうすでに食べごろを迎えていたが、まだ収穫はせずにそのままにしておいた。
それを今日収穫したのである。
試しに食べてみると、甘くて美味しい。
特別何をするというわけでもないのに、こんなに美味しく出来上がるのである。
まさに自然の恵みである。

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干し柿について少し調べてみた。
まず渋柿がどうして干すだけで甘い柿に変わるかといえば、渋柿の水溶性のタンニン(カキタンニン、シブオール)が不溶性に変わり(渋抜きがされて)渋味を感じなくなるからである。
すなわち水溶性のタンニンを口に入れると、唾液に溶けて渋味を感じるが、不溶性になるとそれが溶けず、渋く感じることがなくなるというわけである。
そしてその甘さは砂糖の約1.5倍、生柿の4倍もあるという。
またカリウムやカロチンを豊富に含むため、高血圧、脳卒中の予防や二日酔い、風邪による発熱の軽減、疲労回復などの効果があるとされている。
さらに生柿は体を冷やすが、干し柿は胃腸を丈夫にして体を温めてくれる。
しかし、あまり食べ過ぎるとタンニンの作用で鉄分の吸収が妨げられるという悪影響があるので、一日に食べる量は1、2個に抑えるべしとのことだが、なかなかそうはいかない。
美味しさに負けてついつい食べ過ぎてしまうことになる。
まあ、この辺のことはあまり厳密に考えなくともいいようにも思うが。
いずれにしてもこれからは、毎日のおやつとして重宝しそうである。


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Category: 薪ストーブ

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薪集め

知人でFacebook友だちでもある阿保君から、桜林公園で伐採木が入手できるとの情報をもらった。
生憎の雨だったが、さっそく行ってきた。

桜林公園は、岩木山の中腹にある、桜の名所である。
その桜の剪定作業が、数日前に行われた。
そして伐採した木を誰でも自由に持ち帰れるという告知がFacebookに掲載された。
それを見つけた阿保君が、教えてくれたというわけである。

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桜林公園に到着すると、何か所かに分散されて伐採木が置いてある。
雨に濡れながらクルマに積み込んだ。
積めるだけ積んだが、それでもまだ積み切れない。
そこでもういちど出かけることにした。
かなりの量が集まった。
これはこれから1年間乾燥させて、来年用の薪になる。

それにしてもFacebookの威力は凄い。
こうした情報を、リアルタイムで瞬時に素早く手に入れることができるのだから。
ささやかではあるが、今回、こうした恩恵にあずかり、その効力をあらためて実感したのであった。


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Category: 読書

Tags: 村上春樹  

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村上春樹「羊をめぐる冒険」

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ここまで「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」と順を追って読んできたが、今度は長編第3作目の「羊をめぐる冒険」である。
これら3作は、いずれも登場人物が「僕」と「鼠」という共通点を持っている。
そのことから、「鼠」3部作と呼ばれている。
ただし前の2作が、長編とは言っても、中編に近いような長さの小説であったが、「羊をめぐる冒険」は、まさに長編と呼ぶのに相応しい長さの小説になっている。
また前2作が、ほとんど物語らしいもののない小説だったが、「羊をめぐる冒険」では、「僕」がこの世に存在するはずのない珍しい羊(背中に星形の斑紋のある羊)を探すために北海道へ行くという、明確なストーリーが存在する。
そうしたことから、この小説は3部作とはいっても前2作とは、いささか趣きを異にしている。
もちろん「僕」と「鼠」は、前2作と間違いなく繋がってはいるが。

この小説について、村上春樹は次のように述べている。

<この小説はストラクチャーについてはレイモンド・ チャンドラー の小説の影響を色濃く受けています。
僕は彼の小説の熱心な読者で、幾つかの作品は何度も読み返しました。
だから僕はこの小説の中で、その小説的構図を使ってみようと思ったのです。
まず第一に主人公が孤独な都市生活者であること。
それから、彼が何かを探そうとしているうちに、様々な複雑な状況に巻き込まれていくこと。
そして彼がその何かをついに見つけたときには、既に失われてしまっていることです。
これは明らかに チャンドラー の用いた手法です。
僕はそのような構図を使用して、この『羊をめぐる冒険』という小説を書きました。>

形式的にはチャンドラー の手法を借りてはいるものの、この小説は探偵小説というわけではない。
また幻想小説でもSF小説でもなく、それらの要素をすべて抱え持つ、まさに「村上春樹的な」としか言いようがない小説である。

「何かを探すこと」、そしてそれが「既に失われてしまっていること」というのは、これ以後の村上春樹の小説の中で繰り返し使われる手法である。
それがこの小説から始まったというわけである。
また現実と幻想が境目なく繋がっており、そこを主人公たちが軽々と越えて行き来するというのも、この小説から本格的に始まっている。
さらにこの小説は、彼がそれまでやっていたジャズバーを売却、作家一本で生きていこうと決めて書いた最初の小説になる。
そうしたことを合わせて考えてみると、これは大きな転換点となった、まさに記念碑的な小説といえるだろう。
今回も複雑で刺激的な謎を含んだ物語を、道に迷いながらも、楽しく歩き通したのである。

この後も「中国行きのスロウボート」と「カンガルー日和」という2冊の短編集が控えている。
村上春樹の小説を読む日々は、まだまだ続く。


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Category: 暮らし

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干し柿づくりの季節です。

今年もまたこういう季節がやってきた。

今回吊るした柿は50個。

陽を浴びた干し柿を見ていると、何とも言えず、のどかな気分になってくる。

今日は小春日和のいい天気。

干し柿づくりには絶好の天気である。

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Category: 弘前

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今日の弘前公園

弘前公園の紅葉が真っ盛りである。

天気がいいので出かけてみた。

その時の写真である。

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Category: 読書

Tags: 村上春樹  

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村上春樹「風の歌を聴け」

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村上春樹の小説を読み続けている。
そこでここいらでひとつ時代を追って順番に読んでみようと、デビュー作「風の歌を聴け」を読むことにした。
この小説を読むのは2度目のこと。
以前読んだのはいつだったか忘れてしまったが、リアルタイムで読んだというわけではない。
おそらく10年くらい前ではなかったかと思う。

トルーマン・カポーティの短篇の一節「何も思うまい。ただ風にだけ心を向けよう」から名付けられたこの小説は、1970年8月8日から8月26日までの「僕」の周りで起きた出来事が書かれているだけで、特にこれといった事件が起きるわけではない。
「鼠」と呼ばれる友人と「僕」、そしてバーで酔いつぶれていた女との出会いと別れが淡々と描かれるだけである。

この小説を読んで、まず最初に受けた印象は、とても洗練されているということ。
これは村上春樹のどの小説にも共通することだが、日本の小説を読んでいるような気がしない。
初めて読んだ時にも感じたことだが、今回読んでも、その印象は変わらない。
それは翻訳調の文体や、切れがよく味のあるメタファー、無駄話とも思えるような何気ない会話、そして映画や音楽をはじめとしたアメリカンな小道具の使われ方、そうしたものがセンス良く散りばめられたことから醸し出される印象である。

またこの小説は、アメリカの作家リチャード・ブローティガンやカート・ヴォネガットの小説を参考にして書いたと言われている。
その特徴は、短いエピソードの積み重ねや断章のコラージュ、そして心理描写を極力抑えるといったもの。
そうした作風を、村上春樹流に巧みに取り入れることで出来上がったのが、この小説である。
そんなところも、この小説を洗練されたものにしている要因である。

普通読者は作家が年齢を重ねるにしたがって、それに合わせて年をとっていくものだが、村上春樹の場合はどうやらそうではなさそうだ。
依然今でも若い年齢層の読者が多い。
この小説が書かれたのは30年ほど前のことだが、今読んでも古びていない。
いやむしろ未だに感覚が新しい。
それはこうした作風によるところが大きいのだろうとあらためて思う。
そしてそれが今も若い読者を惹きつける魅力のひとつになっているのである。

さらにその翻訳調の文体が、物語世界と読者との間に適度な距離感をつくり出している。
物事は近すぎると却って全体像がよく見えなくなってしまうことがあるが、彼の小説にはそれがない。
翻訳調の文体が作り出す適度な距離が、われわれ読者に余裕ある心理的空間を与えてくれているのである。
そのことにより物語そのものは、いかにも作り物めいた印象があるが、その底に流れている心情は、逆にリアリティを持ったものとして伝わってくる。
そしてこうした手法は、何かを正確に描き出すのではなく、逆に何かを暗示しぼかすことでより深いリアリティを感じさせるという効果を生み出しているのである。
それは物語が本来持つ力というものだろう。
コミニケーションがうまく取れない若者の静かな絶望や寂寥感が、しみじみとそして痛切に響いてくる。

<完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。>
<どんなに惨めなことからでも人は学べるし、だからこそ少しずつでも生き続けることができる>
人はお互いに本当の意味では、分かり合えることは難しい。
結局どんな人間も、ひとりで生きていかざるをえないのである。
そうした諦めや空虚さが、そして不毛な世界観が小説全体を覆っている。

村上春樹の小説は、読むたびに新しい発見がある。
そして繰り返し読む必要があることを、さらにそれに応えるだけの奥深さを持っていることを、改めて思ったのである。


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プロフィール

cooldaddy

Author:cooldaddy
住んでいるところ:青森県弘前市
出身地:香川県
年齢:今年(2008年)還暦です。
性別:男

還暦という節目を迎え、何か新しいことを始めようとブログを開設しました。
趣味のこと、生活のこと、心に残ったことなど、My Favorite thingsを、気ままに書いていこうと思います。
末永くおつき合いください。

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