Category: 月別観た映画と読んだ本
今月観た映画と読んだ本(2015年8月)
観た映画

「女は二度生まれる」
1961年 監督/脚色:川島雄三 出演:若尾文子/藤巻潤/山茶花究/フランキー堺/山村聡/山岡久乃/潮万太郎

「ジャッジ 裁かれる判事」
2014年アメリカ 監督:デイヴィッド・ドブキン 出演:ロバート・ダウニー・Jr/ロバート・デュヴァル/ヴェラ・ファーミガ/ビリー・ボブ・ソーントン/ヴィンセント・ドノフリオ

「博士と彼女のセオリー」
2014年イギリス 監督:ジェームズ・マーシュ 出演:エディ・レッドメイン/フェリシティ・ジョーンズ/チャーリー・コックス/エミリー・ワトソン/サイモン・マクバーニー/デビッド・シューリス/クリスチャン・マッケイ

「アパートの鍵貸します」
1960年アメリカ 監督/脚本:ビリー・ワイルダー 出演:ジャック・レモン/シャーリー・マクレーン/フレッド・マクマレイ/レイ・ウォルストン/デイヴィッド・ルイス/ジャック・クラシェン/ジョアン・ショーリー

「壬生義士伝」
2002年 監督:滝田洋二郎 出演:中井貴一/佐藤浩市/夏川結衣/中谷美紀/山田辰夫/三宅裕司/塩見三省/野村祐人/堺雅人/村田雄浩/伊藤淳史/加瀬亮

「君が生きた証」
2014年アメリカ 監督/脚本:ウィリアム・H・メイシー 出演:ビリー・クラダップ/アントン・イェルチン/フェリシティ・ハフマン/ジェイミー・チャン/ローレンス・フィッシュバーン/ウィリアム・H・メイシー/セレーナ・ゴメス

「GODZILLA ゴジラ(2014)」
2014年アメリカ 監督:ギャレス・エドワーズ 出演:アーロン・テイラー=ジョンソン/渡辺 謙/エリザベス・オルセン/ジュリエット・ビノシュ/ブライアン・クランストン/サリー・ホーキンス/デヴィッド・ストラザーン
読んだ本

「花のあと」(藤沢周平 時代小説)

「諫早菖蒲日記」(野呂邦暢 時代小説)

「小さな町にて」(野呂邦暢 エッセイ)

「太陽は気を失う」(乙川優三郎 現代小説)

「杖ことば」(五木寛之 エッセイ)

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「女は二度生まれる」
1961年 監督/脚色:川島雄三 出演:若尾文子/藤巻潤/山茶花究/フランキー堺/山村聡/山岡久乃/潮万太郎

「ジャッジ 裁かれる判事」
2014年アメリカ 監督:デイヴィッド・ドブキン 出演:ロバート・ダウニー・Jr/ロバート・デュヴァル/ヴェラ・ファーミガ/ビリー・ボブ・ソーントン/ヴィンセント・ドノフリオ

「博士と彼女のセオリー」
2014年イギリス 監督:ジェームズ・マーシュ 出演:エディ・レッドメイン/フェリシティ・ジョーンズ/チャーリー・コックス/エミリー・ワトソン/サイモン・マクバーニー/デビッド・シューリス/クリスチャン・マッケイ

「アパートの鍵貸します」
1960年アメリカ 監督/脚本:ビリー・ワイルダー 出演:ジャック・レモン/シャーリー・マクレーン/フレッド・マクマレイ/レイ・ウォルストン/デイヴィッド・ルイス/ジャック・クラシェン/ジョアン・ショーリー

「壬生義士伝」
2002年 監督:滝田洋二郎 出演:中井貴一/佐藤浩市/夏川結衣/中谷美紀/山田辰夫/三宅裕司/塩見三省/野村祐人/堺雅人/村田雄浩/伊藤淳史/加瀬亮

「君が生きた証」
2014年アメリカ 監督/脚本:ウィリアム・H・メイシー 出演:ビリー・クラダップ/アントン・イェルチン/フェリシティ・ハフマン/ジェイミー・チャン/ローレンス・フィッシュバーン/ウィリアム・H・メイシー/セレーナ・ゴメス

「GODZILLA ゴジラ(2014)」
2014年アメリカ 監督:ギャレス・エドワーズ 出演:アーロン・テイラー=ジョンソン/渡辺 謙/エリザベス・オルセン/ジュリエット・ビノシュ/ブライアン・クランストン/サリー・ホーキンス/デヴィッド・ストラザーン
読んだ本

「花のあと」(藤沢周平 時代小説)

「諫早菖蒲日記」(野呂邦暢 時代小説)

「小さな町にて」(野呂邦暢 エッセイ)

「太陽は気を失う」(乙川優三郎 現代小説)

「杖ことば」(五木寛之 エッセイ)


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五木寛之「杖ことば」

今や小説家というよりも、現代の蓮如ともいうべき伝道師、五木寛之の本である。
「杖ことば」という言葉は、初めて聞いた言葉である。
この本で初めて知ったが、その意味を「まえがき」では次のように書いている。
紹介してみることにする。
次のようなものである。
< あるとき、「杖ことば」という言い方を耳にしました。
ともすれば、しゃがみ込みたくなるようなとき、人生の苦難の旅路を共に歩き、その一歩一歩を杖となってささえてくれる言葉をさすのだといいます。
人間は言葉によって傷つき、また言葉によって癒され、救われることはもはや当たり前のことでしょう。
ことに日本人は昔から、言霊(ことだま)といって、言葉には霊が宿り、特別な能力があると信じてきました。
日本だけではなく、東洋の宗教やヨガの行者は、神仏への祈りや讃歌をマントラという短い真言にこめて唱えてきました。
キリスト教文化では、言葉をロゴスといい、新約聖書の中で、「はじめに御言葉があった。御言葉は神とともにあった。御言葉は神であった。」と書かれています。
洋の東西を問わず、言葉は単なる言語の働きを超えた力ある実体と考えられていたようです。
杖ことばとは、そのような霊力ある言葉が杖の形に変化して、倒れそうな人間をささえる、そういうことなのではないかと思います。
私自身、もう駄目だと思うときに、いくつかの言葉によって、ささえられて、今日まで生き延びてきました。崩れ落ちそうな自分、もう諦めてしまいそうな自分をささえ、再び立ち上がらせ、もう一歩進んでみようかという気にさせてくれるのが、杖ことばなのです。
それは、人生、かくあるべきだといった、大上段にかまえた箴言、金言ではなく、もっと、もっと、さりげない言葉、素朴な言葉のような気がします。
日々の暮らしの中で、どうにもこうにも行き詰まり、立ち止まってしまったとき、その言葉を思い出し、固まった心身をほぐしてくれるようなもの。
例えば、長い連載小説を抱えているとき、どうしても、アイデアがうかんでこないで、もう投げ出してしまいたいような衝動に駆られることがあります。
そんなとき、ふと心の中で、響いてくる言葉があります。
「継続は力なり」
そのことわざに妙に納得させられるのです。
そうか、継続は力なりか!
不思議なことに、その言葉がひとつのてことなって、そっと背中を押してくれるのです。そして、もう一歩を押し出してくれるのです。
重い荷物を背負って、山を登らなくてはならないとき、ヨッコラショと、自分自身に掛け声をかけて、立ち上がる。そのヨッコラショ、に当たるのが、杖ことばなのではないでしょうか。
ここに紹介する言葉は、みんな、私が日々の暮らしの中で、つらいなと感じるときに、思わず口をついて出る、ヨッコラショなのです。
ブッダは死の床で、うろたえ、絶望する弟子たちに、自分が亡くなった後は、これまで、自分が教えた法を自分の中にしっかり根づかせ、それをよりどころにして、他人に頼らずしっかりと生きなさいと諭しました。それが自燈明(じとうみょう)、法燈明(ほうとうみょう)という教えとなって、伝わっています。
「自分をよりどころにせよ、法をよりどころにせよ」というブッダの教えを生きるためには、ともすれば崩れそうになる自分をささえる杖ことばが必要なのです。
「転ばぬ先の杖」ということわざがありますが、このときの杖とは、先人たちが、生活の中で得た智慧の言葉なのかもしれません。
人生の折節で、私をささえてくれたのは、古くからのことわざや格言の類から、法然、親鸞、蓮如と続く浄土系の宗教者の言葉、キリスト教の聖書や西洋の哲学者の言葉まで、いろいろあります。ここに紹介したのは、ほんの一部です。
このようにして、私は難儀な時をのりこえてきました。これからも、杖ことばによってささえられて生きていくことでしょう。そのときどんな杖ことばと出会えるか、年がいもなく、少しわくわくしています。 >
こうした考えから書かれた杖ことばの数々。
それを著者の体験を交えながら、独特な視点から解釈を加えていく。
時にその言葉が本来持つ意味から逸脱することもあるが、それでいて思わず納得してしまうところは、やはり五木寛之ならでは。
説得力ある文章には、いつもながら頷いてしまう。
決して押しつけがましくなく、声高に主張するわけでもない。
平易に優しく語りかけてくるので、その考えが素直に伝わってくる。
やはり彼は稀有な現代の伝道者なのである。
採り上げられた言葉は次のようなもの。
参考のため書いておく。
第1章 人生に迷ったときの杖ことば(転ばぬ先の杖/ 案ずるより産むが易し/ 牛に引かれて善光寺参り/ 我は濁れる水に宿らん/ 吉日良辰を選ばず/ 禍福はあざなえる縄のごとし)
第2章 人間関係をささえる杖ことば(親しき仲にも礼儀あり/ 朱に交われば朱くなる/ 十人十色/ 物言えば唇寒し秋の風/ 子孫のために美田を残さず/ 巧言令色鮮し仁/ 人に恩を与えることは、じつに危険なことである/ 笑う門には福来る)
第3章 よりよい日々をひらく杖ことば(天が下に新しきものなし/ 一寸先は闇/ 風邪は万病の元/ 病は気から/ 積善の家に必ず余慶あり/ 物言わぬは腹くくるるのわざ/ 世間虚仮 唯仏是真/ 過ぎたるはなお及ばざるが如し)
第4章 苦難をのりこえる杖ことば(天のまさに大任をこの人に降さんとするや、必ず先づその心志を苦しめ、その筋骨を労せしむ/ 逃げるが勝ち/ 復讐するは我にあり/ 人事をつくして天命を待つ/ 自然法爾(じねんほうに)/ 他力本願/ 善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をや)
第5章 老いをささえる杖ことば(朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり/ 天上天下唯我独尊/ ナーム・アミータ/ 君はいたるところで死を待ちうけよ/ わが計らいにあらず/ 罪業深重(ざいごうじんじゅう)のわれら/ われあり、ゆえにわれ求む)


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乙川優三郎「太陽は気を失う」

『脊梁山脈』、『トワイライト・シャッフル』に続く乙川優三郎の現代小説である。
乙川優三郎は2010年に「麗しき花実」を書いて以後、時代小説は書いていない。
その心境の変化には何があったのか、彼の書く時代小説ファンとしては気になるところ。
乙川優三郎は間違いなく山本周五郎、藤沢周平の後継者となる作家だと思っている。
彼の書く時代小説をまたもう一度読んでみたいと思っているが、その期待にはなかなか応えてくれそうもない。
もともとが多作な作家ではないので、これは気長に待つしかないのだろう。
今回の小説は、2013年9月号から2015年3月号まで、『オール讀物』に連載した短編を纏めたものである。
いずれの登場人物も、人生の黄昏時を迎えた人たちばかりで、そこにさまざまな人間模様を見ることができる。
どの人物も、それぞれに精一杯生きてきた人たちである。
けっして後ろ指を指されるような人生を歩んできたわけではない。
しかしそれでいて、そこには様々な悔いや苦みが伴っている。
そうした思いというのは、人生の黄昏時を迎えた人間には共通なものだろう。
そこから滲み出る苦さは、切なく哀しいが、しかしそれこそが人生の滋味なのではあるまいか。
そうしたことを、しみじみと感じさせられる小説であった。
苦いが読後感は、決して悪くない。
そして読み終わった後も、まだまだもっと読み続けたいという気持ちにさせられたのである。


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清左衛門残日録

先日書いたことの続きだが、テレビドラマ「清左衛門残日録」のDVD6枚すべてを観終わった。
内容は全14話とスペシャル版の「仇討ち! 播磨屋の決闘」である。
宅配でDVDが2枚づつ送られてくるのだが、観終わると返却し、それが向こうに着くと折り返し次の2枚が送られてくるというシステムであるが、届くまでの何と待ち遠しかったことか。
一刻も早く続きが観たくてたまらない。
それほど夢中になって観続けたのである。
このドラマは、1993年(平成5年)にNHKの「金曜時代劇」で放映されたもの。
その時何本か観た覚えがあるが、見逃したものも多く、今回すべてを通して観て、また改めてその佳さに感じ入った次第である。
何と云っても清左衛門を演じた仲代達矢が素晴らしい。
彼以外にこの三屋清左衛門役は考えられないと思えるほどの適役である。
元用人という重厚さだけではなく、時にコミカルな面も見せながら、人間的に深みのある三屋清左衛門を、これ以上はない見事さで演じている。
さらに彼の無二の親友、佐伯熊太を演じる財津一郎がまた、これに負けず劣らずの適役である。
ふたりの軽妙なやりとりを聞いているだけで思わず口元が綻んでくる。
そして彼らにからむ二人の女性、涌井の女将を演じるかたせ梨乃、そして清左衛門の息子の嫁、里江を演じる南果歩、その艶やかさと優しさがドラマの大きな彩りとなっている。
また竹馬の友を演じた佐藤慶と河原崎長一郎もいい。
佐藤慶が演じたのは金井奥之助、清左衛門とは元同僚で、道場にともに通った旧い友人である。
しかし政争でついた側が失脚したために家禄は減らされ、以来貧しい不遇の人生を送ることになった。
ふたりは30年ぶりで再会したが、用人にまで出世した清左衛門との間には越えられないほどの差がついており、それを恨みに思う奥之助は一緒に釣りに出かけた磯で清左衛門を海に突き落とそうとする。
しかし誤って自分が落ちてしまう。
清左衛門に助けられた奥之助は次のような言葉を洩らす。
「許してくれとは言わぬ。助けてもらった礼も言いたくない。それでも、むかしの友人という気持ちが一片でも残っていたら、このままわしを見捨てて帰ってくれ。もう二度と、貴公とは会わぬ」
河原崎長一郎演じるのは、大塚平八。
清左衛門や熊太とは幼馴染、道場仲間である。
しかしふたりとは違って特にこれといった人に誇れるような能力があるわけではなく、ごく平凡な男である。
そんな彼が小心翼々として家禄を守り抜き、隠居の身となった。
そしてようやく静かで落ち着いた生活が始まったという矢先に中風で倒れてしまう。
不運を絵にかいたような男だが、彼と清左衛門、熊太との少年時代と変わらぬ胸襟を開いた親しい交流には深い滋味があり、ホッとして泣かされてしまう。
こうした俳優たちの熟達の演技に酔い、そして様々な人間たちの人生の機微と哀歓を味わうことのできた楽しい日々であった。
「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」仲代達矢が読むこの言葉と、「人は命ある限り生き続けなければならない」というセリフが、今も鮮明に耳に残っている。


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Category: 外国映画
映画「アパートの鍵貸します」

都会派ラブコメディの傑作。
これまでにも何回観たことか。
先日BSプレミアムで放映されたのを何気なく観始めたが、あっという間に引き込まれ、やめられなくなってしまった。
そして観終わった後は、これまで同様心温まる感動に満たされたのである。
まさに映画史に残る傑作、これぞ映画の見本という作品である。
何度観ても飽きることはない。
ウィットに富んだセリフ、洗練された演出、巧みな小道具使い、そして主役のふたりの絶妙な演技、どれをとってもすべてが名人芸である。
主役のふたり、ジャック・レモンとシャーリー・マクレーンのどちらもが、この映画でアカデミー賞を獲っていないのが不思議なくらい。
しかしさすがにビリー・ワイルダー監督だ。
作品賞、監督賞、脚本賞は受賞しており、その点では大いに納得。
「私は芸術映画は作らない。映画を撮るだけだ」と言ったビリー・ワイルダーの面目躍如たるものがある。
コメディだけにとどまらず、シリアスな映画でも数々の名作を作り続けたビリー・ワイルダー監督。
好きな作品を選べと言われたら迷ってしまうが、この映画だけは外せない。
間違いなくベストスリーには入る。


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Category: 外国映画
映画「ジャッジ 裁かれる判事」

法廷ドラマが中心に描かれるが、実は父と息子の確執と和解がこのドラマのメインテーマである。
それを演じるのが、ロバート・デュヴァルとロバート・ダウニー・Jrというふたりのロバートである。
ロバート・デュヴァル演じる父親は、田舎の裁判所の頑固で誇り高い裁判官である。
そしてロバート・ダウニー・Jr演じる息子は、金のためには事実をも強引に捻じ曲げてしまうヤリ手の弁護士である。
ふたりの間には深い確執があり、そのために息子は故郷を離れ、長年会ったこともない。
そんなふたりが母親の死をきっかけに再会することになる。
そして父親がある事件の容疑者となって法廷で裁かれることになり、息子が弁護士として法廷に立つことになる。
当初は息子の弁護の申し出を父親は頑なに拒否するが、簡単に思えていた裁判が複雑化していくなかで、ついに息子が弁護人となることを承諾することになる。
そこで明らかになっていく様々な事実、そして事件の進行とともに、これまで避けてきた親子の本音がぶつかり合う。
そのなかで父と子の縺れた関係が次第に解きほぐされてゆき、和解の糸口が徐々に見えてくる。
事件を裁く法廷ドラマと、父と子の確執と和解という人間ドラマが、融合して描かれていく。
ミステリアスな面白さだけではなく、重厚な人間ドラマとしても見応え十分。
なかでもふたりのロバートの演技合戦が素晴らしい。
とくに御年83歳になるロバート・デュヴァルの存在感が圧倒的。
これまでにも、「ゴッドファーザー」、「地獄の黙示録 」、「ワイルド・レンジ 最後の銃撃」、「ブロークン・トレイル 遥かなる旅路」など印象的な出演作はいくつもあるが、これも間違いなく彼の代表作のひとつになるだろう。
久しぶりに骨太なドラマを、心ゆくまで堪能した。


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Category: テレビ・ラジオ番組
DVD宅配レンタル

最近家内が藤沢周平の小説を読み返している。
先日「三屋清左衛門残日録」を読み終えた後、その小説の話でひとしきり華が咲いた。
その際、昔観たテレビドラマ「清左衛門残日録」のことを思い出して話したところ、家内はそのドラマのことは知らなかった。
ぜひ観てみたいということになったので、レンタルビデオ店を数軒探してみたところ、どの店にも置いていない。
半ば諦めかけたが、そこでふと思いついたのが、TSUTAYAがやっている宅配レンタルのことであった。
探してみると、このドラマの在庫はある。
しかも1か月のお試し期間というのがあり、それを利用すると無料でレンタルができる。
さっそく申し込むことにした。
数日すると商品が届いた。
いちどに借りられるのは、2枚まで。
観終わって送り返すと、折り返しまた新たに2枚が送られてくるというシステムである。
「清左衛門残日録」は6巻まであるので、後2回これを繰り返すことになる。
便利なものである。
というわけで家内とふたり、このドラマを観て毎晩楽しんでいる。


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