Category: 月別観た映画と読んだ本
今月観た映画と読んだ本(2015年3月)
観た映画

「かぐや姫の物語」
2013年日本 監督:高畑勲 声の出演:朝倉あき/高良健吾/地井武男/宮本信子/高畑淳子/田畑智子/上川隆也/立川志の輔/伊集院光/宇崎竜童/中村七之助/橋爪功/朝丘雪路/仲代達矢

「ひまわりと子犬の7日間」
2013年日本 監督:平松恵美子 出演:堺雅人/中谷美紀/若林正恭/吉行和子/夏八木勲/左時枝/小林稔侍

「マイ・ルーム」
1996年アメリカ 監督:ジェリー・ザックス 出演:メリル・ストリープ/ダイアン・キートン/レオナルド・ディカプリオ/ロバート・デ・ニーロ

「ハノーバー・ストリート」
1979年アメリカ 監督:ピーター・ハイアムズ 出演:ハリソン・フォード/レスリー・アン・ダウン/クリストファー・プラマー////

「永遠の0」
2013年日本 監督:山崎貴 出演:岡田准一/三浦春馬/濱田岳/新井浩文/染谷将太/井上真央/三浦貴大/吹石一恵/田中泯/山本學/橋爪功/平幹二朗/夏八木勲/風吹ジュン

「ダイ・ハード ラスト・デイ」
2013年アメリカ 監督:ジョン・ムーア 出演:ブルース・ウィリス/ジェイ・コートニー/コール・ハウザー/メアリー・エリザベス・ウィンステッド/ユーリヤ・スニギーリ

「浮草」
1959年 監督:小津安二郎 出演:中村鴈治郎/京マチ子/若尾文子/川口浩/杉村春子/三井弘次/田中春男/潮万太郎/浦辺粂子/笠智衆/野添ひとみ/高橋とよ/

「フライト・ゲーム」
2014年アメリカ 監督:ジャウマ・コレット=セラ 出演:リーアム・ニーソン/ジュリアン・ムーア/スクート・マクネイリー/ミシェル・ドッカリー/ネイト・パーカー/ジェイソン・バトラー・ハーナー

「クレアモントホテル」
2005年アメリカ/イギリス 監督:ダン・アイアランド 出演:ジョーン・プロウライト/ルパート・フレンド/アンナ・マッセイ/ロバート・ラング/ゾーイ・タッパー/クレア・ヒギンズ
読んだ本

「余寒の雪」(宇江佐真理 時代小説)

「映画の話が多くなって」(小林信彦 コラム)

「西村賢太対話集」(西村賢太 対談集)

「スエロは洞窟で暮らすことにした」(マーク・サンディーン ドキュメント)

「冬の蜃気楼」(山田太一 現代小説)

「すべての神様の十月」(小路幸也 現代小説)

「海炭市叙景」(佐藤泰志 現代小説)

「そこのみにて光輝く」(佐藤泰志 現代小説)

「父からの手紙」(小杉健治 ミステリー)

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「かぐや姫の物語」
2013年日本 監督:高畑勲 声の出演:朝倉あき/高良健吾/地井武男/宮本信子/高畑淳子/田畑智子/上川隆也/立川志の輔/伊集院光/宇崎竜童/中村七之助/橋爪功/朝丘雪路/仲代達矢

「ひまわりと子犬の7日間」
2013年日本 監督:平松恵美子 出演:堺雅人/中谷美紀/若林正恭/吉行和子/夏八木勲/左時枝/小林稔侍

「マイ・ルーム」
1996年アメリカ 監督:ジェリー・ザックス 出演:メリル・ストリープ/ダイアン・キートン/レオナルド・ディカプリオ/ロバート・デ・ニーロ

「ハノーバー・ストリート」
1979年アメリカ 監督:ピーター・ハイアムズ 出演:ハリソン・フォード/レスリー・アン・ダウン/クリストファー・プラマー////

「永遠の0」
2013年日本 監督:山崎貴 出演:岡田准一/三浦春馬/濱田岳/新井浩文/染谷将太/井上真央/三浦貴大/吹石一恵/田中泯/山本學/橋爪功/平幹二朗/夏八木勲/風吹ジュン

「ダイ・ハード ラスト・デイ」
2013年アメリカ 監督:ジョン・ムーア 出演:ブルース・ウィリス/ジェイ・コートニー/コール・ハウザー/メアリー・エリザベス・ウィンステッド/ユーリヤ・スニギーリ

「浮草」
1959年 監督:小津安二郎 出演:中村鴈治郎/京マチ子/若尾文子/川口浩/杉村春子/三井弘次/田中春男/潮万太郎/浦辺粂子/笠智衆/野添ひとみ/高橋とよ/

「フライト・ゲーム」
2014年アメリカ 監督:ジャウマ・コレット=セラ 出演:リーアム・ニーソン/ジュリアン・ムーア/スクート・マクネイリー/ミシェル・ドッカリー/ネイト・パーカー/ジェイソン・バトラー・ハーナー

「クレアモントホテル」
2005年アメリカ/イギリス 監督:ダン・アイアランド 出演:ジョーン・プロウライト/ルパート・フレンド/アンナ・マッセイ/ロバート・ラング/ゾーイ・タッパー/クレア・ヒギンズ
読んだ本

「余寒の雪」(宇江佐真理 時代小説)

「映画の話が多くなって」(小林信彦 コラム)

「西村賢太対話集」(西村賢太 対談集)

「スエロは洞窟で暮らすことにした」(マーク・サンディーン ドキュメント)

「冬の蜃気楼」(山田太一 現代小説)

「すべての神様の十月」(小路幸也 現代小説)

「海炭市叙景」(佐藤泰志 現代小説)

「そこのみにて光輝く」(佐藤泰志 現代小説)

「父からの手紙」(小杉健治 ミステリー)


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Category: 外国映画
映画「クレアモントホテル」

BSで放映されているのを何気なく観たが、観ているうちにどんどん引き込まれていった。
そして最後は爽やかな感動に包まれた。
あまり知られていない映画だが、こんな佳い映画がまだまだ知らずに眠っているのである。
2005年のアメリカ・イギリスの合作映画。
主人公は人生の黄昏時を迎えた老婦人。
彼女がロンドンの一角にある長期滞在者用のホテルを訪れるところから物語は始まる。
そこには彼女と同じように老いの日々を過ごす老人たちが滞在している。
ある日、近所に住む小説家志望の青年とひょんなことがきっかけで知り合うことになる。
そこから老婦人と青年の心暖まる交流が始まる。
ホテルの滞在者たちを巻き込んでの交流が微笑ましい。
大きな事件が起きるわけではなく、ごく当り前な日常が続いていくだけだが、そこで交わされるユーモアやウィットに富んだ会話の妙に、思わず聞き入ってしまう。
そしてその会話のなかで語られるワーズワースやウィリアム・ブレイクの詩、そして映画「逢引き」の話題などが、香り高い味付けになっている。
老婦人と青年の取り留めもないお喋りだが、そこにふと顔を覗かせる過去の様々な思い出、そこから滲み出てくる人生の哀歓、観ているうちにしみじみとした気分に包まれてくる。
こういう映画を観た後は、何だかこちらまでいつもよりも優しい気持ちになってくる。
地味ながらいつまでも心に残る、いい映画だった。


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Category: 外国映画
映画「フライト・ゲーム」

航空保安官という仕事を、この映画で初めて知った。
ハイジャックやテロに備えての警備が主な仕事であるが、実際にはそうした事件と遭遇することはまれである。
ほとんどの場合、飛行機に乗るだけで仕事は終わってしまう。
そこで「彼らは連邦職員の中で最も楽な仕事をしている」といった皮肉な批判も出てくるようになる。
そうしたコメントが映画の冒頭でも紹介され、リーアム・ニーソン演じる航空保安官の微妙な立場がそれとなく示される。
そして今回も相も変わらず飛行機に乗るだけという仕事で終わりそうな気配を見せて映画は始まる。
ところがそうした思惑を裏切るように、突然予期しない事件が持ち上がる。
彼が持つ専用回線の携帯に「指定の口座に1億5000万ドル送金しなければ、20分ごとに機内の誰かを殺す」という謎のメールが届くのだ。
そして予告通り、ひとりまたひとりと犠牲者が出ることになる。
犯人の予測はまったくつかず、さらにこの事件が彼が自ら仕組んだハイジャック事件だと見做されるようになっていく。
しかも彼は幼い娘を癌で亡くし、それがもとでアルコール依存性になってしまったということが明かされるや、ますますその容疑が信憑性を帯びたものになってくる。
乗客の疑心暗鬼が渦巻き、四面楚歌な状況のなか、次々と襲ってくる難題をどうやってクリアしていくのか、ひとり奮闘する主人公の姿から一瞬たりとも目が離せななくなってしまう。
細部にはいくつか疑問符のつくところもあるが、畳み掛けるテンポの良さとパワーで、そうしたことも忘れさせてくれ、事件は一気に突き進んでいくのである。
こうした航空機パニック、航空機犯罪というのは、密室のなかで繰り広げられ、しかもタイムリミットがあるだけに、いやが上にも緊迫感が盛り上がていく。
また一歩間違えば乗客全員の死につながってしまうだけにより切迫した危機感を感じることになる。
当然ハラハラドキドキの連続だ。
そしてその危機が大きければ大きいだけ、その後に来るカタルシスが大きい。
だからその危機をどう工夫して盛り上げていくのかが面白さの分かれ目になるわけで、それについてのテクニックが要求されることになる。
ここではそれがなかなかうまく出来ており、映画の中にどんどんと引き込まれていく。
まさに原題が示す通りに「NON-STOP」に、映画の世界へと引き込まれていったのである。
同様のジャンルの映画で、面白かったものを思い出すと、「乱気流 タービュランス」、「エグゼグティブ・デシジョン」、「エア・フォース・ワン」、「フライト・プラン」といったものがある。
いずれもスリルとサスペンスに溢れていたが、この映画も負けていない。
それにしても最近のリーアム・ニーソンは「96時間」シリーズといいい、この映画といいい、アクション物の主演が多い。
こうしたアクション物のヒーローを彼が演じると、いわゆるスーパーマンではなく、背景には大切な家族がおり、悩みや苦しみも抱えた等身大の男として見られるだけに、より物語に厚みが加わり、けっして荒唐無稽なだけではないリアルさが生まれてくる。
そこがリーアム・ニーソンが演じることの大きな魅力なのだろう。
この映画を観る数日前に、ドイツの航空機が謎の墜落事故を起こし、それが事件の様相を見せ始めてきただけに、この映画が決して作り事だけのものではないリアルさで迫ってきた。


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佐藤泰志「海炭市叙景」

佐藤泰志は、1949年(昭和24年)に函館市で生まれた。
高校時代から小説を書き始め、やがて小説家を志すようになる。
この時代に書いた小説が、ある受験雑誌で佳作となっている。
同時に佳作となったのが、現在小説家として活躍している宇江佐真理である。
最近読んだ「深川恋物語」、「余寒の雪」の作者である。
函館に暮らすふたりの高校生が、ともに受賞、そしてどちらも後に小説家となったのである。
興味深いエピソードである。
しかし1990年、佐藤泰志は41歳で自ら命を絶ち、やがて忘れられた作家となってしまった。
ところが近年、再評価されるようになり、小説の復刊が相次いでいる。
また「海炭市叙景」と「そこのみにて光輝く」が映画化された。
死後、20年以上を経てこうした人気を得るというのは、まれなことではなかろうか。
何がそうさせるのか、そしてその魅力とは何なのか、興味を引かれて読んでみた。
「海炭市叙景」は函館をモデルにした架空の街「海炭市」を舞台に書かれた連作短編集である。
「海炭市」は造船と炭鉱に依存した人口20万ほどの地方都市である。
しかし炭鉱は閉山に追い込まれ、造船所は合理化の波で大きく揺れており、かつての賑わいを失っている。
そうした街に生きるごくありふれた人々の姿を描いたのが、この小説である。
短く簡潔で無駄を省いた文章が、リズムよく刻まれていく。
その心地良いリズムに身を任せているうちに、知らず知らずに「海炭市」の街中へと誘われていく。
そしてそこに登場してくる人物たちに、まるで旧い知人と遭遇したかのような懐かしさを感じるのである。
そんなリアリティと親密さに満ちている。
と同時に彼らが抱えもつ痛みや迷いにも、寄り添いたくなるような親密さを覚えたのである。
それにしても「海炭市」とは何と詩的な名前であろうか。
この名前だけで、もうすでに小説世界へと惹きつけられてしまう。
映画ではその暗く淋しい世界に息苦しさを覚えたが、小説ではそうしたものを感じることはなかった。
それは抑制された文章が紡ぎだす潔さが、閉塞した世界に一種爽快な気分を醸し出しているからなのだろう。
そのため暗く淋しい世界ではあっても、そこに何か突き抜けたような明るさを感じ取ることができたのだ。
この小説は、当初36の短編から成る物語世界が構想されていたそうだ。
しかしそれは作者の自死により実現されずに終わっている。
書かれた18篇は、冬から春に至る季節である。
そして書かれなかったのは、夏から秋にかけての物語であった。
果たしてどんな話が展開されることになっていたのだろうか、そんなことを空想しながら読んでみるのも一興かもしれない。
小品ながら愛しさを覚えるような小説、繰り返し読みたくなる小説であった。


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小杉健治「父からの手紙」

ふたつの話が並行して語られていく。
ひとつは失踪した父親を持つ家族の話。
十年前に謎を残して家族の前から姿を消した父親から、人生の節目の時になると、娘と息子の元に必ず手紙が届く。
その娘が結婚をすることになるが、その婚約者が死体で発見される。
そして弟が容疑者として逮捕されてしまう。
そこから弟の無実を晴らそうとする姉の必死の捜査が始まる。
その困難のなかで「父からの手紙」が、彼女の大きな支えになっていく。
もうひとつは、9年前に殺人を犯した男が出所して、犯した罪の裏に隠された謎の真相を追及していくという話。
まったく無関係に思えたふたつの話が次第に繋がっていく。
それにつれて父親の失踪の裏に隠された真実が明らかになっていく。
人を想う気持ち、善意の心が犯罪を生み出してしまうという皮肉。
そこから浮かび上がってくる父親の愛情の深さとその悲痛な叫びが胸を打つ。
そして最後に読むことになる新たな「父からの手紙」には、思わず涙を誘われる。
人間にとって幸せとは何か、強く生きるとはどういうことか、そうしたことを考えさせられるミステリーであった。


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映画「浮草」

BSプレミアムで映画「浮草」を観た。
この映画を観るのは、これで4回目である。
この映画に限らず小津作品は、何回観ても飽きることがない。
というよりも何回も繰り返し観たくなる。
そして観るたびに新しい発見がある。
そういう映画は他にはない。
それこそが名作たる所以であろう。
この映画が作られたのは、1959年、昭和34年のこと。
小津監督最晩年の作品である。
ちなみにこの後に作られたのは、「秋日和」、「小早川家の秋」、「秋刀魚の味」の3本だけ。
1934年に撮った自らの映画「浮草物語」をリメイクした作品である。
前年(1958年)の「彼岸花」で、女優・山本富士子を借りたお返しに大映で撮ったもので、小津監督にとっては唯一の大映作品である。
キャメラマンは宮川一夫。
巨匠と名キャメラマンがタッグを組んだというわけである。
そしてこれが最初で最後のコンビということになる。
この映画の後、小津監督は何度も大映に掛け合って、宮川キャメラマンとの仕事をもう一度実現させようとしたそうだが、結局この話は五社協定の壁に阻まれて、実現することなく終わってしまった。
もしこれが実現していたら、どんな映画が生まれていたことだろう。
今更ながらに悔やまれる話である。
そのふたりが初めて組んだということで、この映画はいつもの「小津調」からは幾分はみ出した異色の作品となっている。
例えば冒頭登場する旅芸人一座が町中を練り歩くシーン。
これはこの映画唯一の俯瞰撮影であり、小津映画ではほとんど使われることのないものである。
宮川キャメラマンが、「上から町を撮りたい」と希望したもので、それを小津監督は気安く受け入れている。
それでもひょっとすると、編集段階で使われないかもしれないと考えた宮川キャメラマンは、念のために低い位置からのカットも同時に撮っておいたが、最終的にはこの俯瞰のショットが使われた。
また土砂降りの雨の中で、中村鴈治郎と京マチ子が怒鳴り合う場面も、雨が好きな宮川キャメラマンの意向に沿ったものであった。
静かで抑制の効いたいつもの「小津調」からすると、これは相当異質な映像である。
しかしこれも小津監督は受け入れている。
これを宮川キャメラマンは、「自分に対する思いやりではなかったか」と書いているが、果たしてそれだけであろうか。
そこには、宮川一夫という名キャメラマンと組むことによって生み出されるだろう新しいものを期待する小津監督の秘かな狙いがあったようにも思うのだが、如何なものであかろうか。
とにかくこの映画では従来の小津映画からすると破調ともいえる数々の激しいものが散見されるのである。
基本は飽くまでも従来の「小津調」を押し通してはいるものの、実験精神溢れる映画になっている。
陰影の強い画面、カット数の多さ、激しい感情表現等々、これまでにないものである。
そしてそれが決して失敗に終わっていないところは、さすがである。
そこには小津映画に新しい何かが生み出されてくるのではないかと予感させられるものがある。
それだけにこのコンビが一度だけで終わってしまったことが、いかにも惜しまれてくるのである。


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Category: 日本映画
映画「そこのみにて光輝く」

「海炭市叙景」に続く佐藤泰志の小説の映画化作品。
昨年度のキネマ旬報日本映画のベスト1に選ばれた作品である。
「海炭市」を観たのは、2012年のこと。
暗く沈んだ内容に、些か辟易しながら観た記憶があるが、この映画も印象は変わらない。
どちらも佐藤泰志の故郷・函館を舞台にしている。
「海炭市」は季節が冬だったが、こちらは夏の函館を舞台に描かれている。
その違いが、内容の悲惨な印象を幾分和らげてくれてはいるが、それでも全体の印象は沈んで暗い。
それがラストのふたりに降り注ぐ朝焼けによって、微かな希望の光を象徴させるという仕掛けになっているのだろうが、その狙いには乗ることはできかった。
その大きな原因のひとつは、細部に納得できないものが多すぎたということである。
それがいかにも作り物めいたものばかりで、登場人物たちの生きにくさ、絶望感に説得力がなく、薄っぺらいものにしか感じられなかったのである。
そうなると、もう映画の世界に入って行くことは困難であった。
そして最後までそうした気分を拭えないままに、映画は終わってしまったのである。
それでも見るべきものが、まったくなかったというわけではない
そのひとつが主役ふたりと、準主役の菅田将暉の熱演である。
とくに菅田将暉の存在感には、目を見張るものがあった。
見たことのある俳優だとは思ったが、最後まで思い出せなかった。
後で調べてみると朝ドラ「ごちそうさん」で、主人公たちの長男役を演じた役者だった。
まったく正反対の役柄だったこともあって、すぐには思い出せなかったのだ。
このキャラクターを見ているうちに、ふと昔観た映画「祭りの準備」を思い出した。
年齢は違うものの、この映画で演じた原田芳雄のイメージに重なって見えてきたのである。
若くして落ちこぼれ、主人公に野良犬のように纏わりつくやくざな若者を、活き活きと演じている。
何の能力もなく、ただ日々を無為に過ごすだけの行き場のない若者。
けっしてうまい演技というわけではなく、時にオーバーになりながらも、その熱演から目が離せなかった。
原作の小説は、1990年に佐藤泰志が書いた初の、そして唯一の長編小説である。
第2回三島由紀夫賞の候補となったが、落選であった。
ちなみに彼は芥川賞にも5回候補になりながら、結局受賞することはなかった。
「海炭市叙景」「そこのみにて光輝く」と、これらの映画化作品には、満足することはできなかったが、佐藤泰志という作家にはなぜか強く惹かれるものがある。
その心の闇を覗いてみたいという気持ちが強くなってきた。
近々これらの原作を読んでみたいと思っている。


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Category: ガーデニング
春近し?
先日弘前公園で桜の剪定枝を貰った。
そのことは先日のFacebookにも書いた。
今日でようやく1週間が過ぎた。
日々蕾が膨らんでいる。
今日の蕾はこんな感じ。

この調子でいけば、今月中には咲くかもしれない。
またこちらも今日のFacebookにも書いたが、パソコンのテーブルに置いてあるシャコバサボテンの花が咲いた。

何の管理もしていないのに健気なものである。
いずれの出来事も、確実に季節が変わりつつあることを教えてくれている。
それでも外はまだまだ冬景色のまま。
先月末以来、雪も降らず暖かい日が続いており、今年は春が早いと思っていたが、ここ3日ほどは大荒れの天気で、あっという間に冬に逆戻りである。
なかなかすんなりとは行かないものである。

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そのことは先日のFacebookにも書いた。
今日でようやく1週間が過ぎた。
日々蕾が膨らんでいる。
今日の蕾はこんな感じ。

この調子でいけば、今月中には咲くかもしれない。
またこちらも今日のFacebookにも書いたが、パソコンのテーブルに置いてあるシャコバサボテンの花が咲いた。

何の管理もしていないのに健気なものである。
いずれの出来事も、確実に季節が変わりつつあることを教えてくれている。
それでも外はまだまだ冬景色のまま。
先月末以来、雪も降らず暖かい日が続いており、今年は春が早いと思っていたが、ここ3日ほどは大荒れの天気で、あっという間に冬に逆戻りである。
なかなかすんなりとは行かないものである。


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宇江佐真理「余寒の雪」

先日読んだ「深川恋物語」に続いて読んだ宇江佐真理の短編集。
「紫陽花」、「あさきゆめみし」、「藤尾の局」、「梅匂う」、「出奔」、「蝦夷松前藩異聞」、「余寒の雪」の7篇から成る。
「深川恋物語」同様、どの話も心に沁みる話ばかりだ。
なかでも「梅匂う」と表題作の「余寒の雪」がいい。
「梅匂う」は、女房に先立たれた小間物屋の主が、見せ物小屋の大女・大滝太夫に心奪われるという話。
「余寒の雪」は、剣術で身を立てようとするあまり、婚期を逸してしまった女剣士・知佐が、剣術修行のためと称して叔父夫婦に連れられて、江戸にやってくる。
ところがそれは両親や親戚一同が考え出した策略で、実は北町奉行所の同心・鶴見俵四郎との婚礼が、本来の目的であった。
騙されたと知った知佐は、その話を断るが、行き掛り上、しばらくの同居に同意することになる。
鶴見俵四郎には病没した先妻との間に、松之丞という5歳の子供がいる。
子供嫌いである知佐が、そこで過ごすうちに、次第にふたりと心通わすようになっていく姿が、微笑ましく描かれる。
どちらの話も主人公が男勝りの女性という共通点がある。
またこれらの話以外にも、しっかり者の女たちが登場してくるが、それぞれの生き方が頼もしい。
「深川恋物語」は市井の人たちを描いたものばかりだったが、ここでは「出奔」、「蝦夷松前藩異聞」、「余寒の雪」と3篇の武家ものが入っている。
市井ものもいいが、武家ものもいい。
いずれも楽しんで読むことができた。
「蝦夷松前藩異聞」は、函館在住の作者らしい小説だ。
これまでほとんど採りあげられることのなかった松前藩の話だけに新鮮である。
地元に暮らす作者ならではのものといえるだろう。


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映画「ジャージー・ボーイズ」

クリント・イーストウッドは、音楽愛好家としてもよく知られている。
特にジャズに対する造詣が深く、それは仕事にも生かされている。
これまでにもジャズの巨匠チャーリー・パーカーをモデルにした映画「バード」を監督したり、自らの映画(「ミスティック・リバー」「ミリオンダラー・ベイビー」「父親たちの星条旗」)の音楽担当も行っている。
また中年の歌手を主人公にした映画「センチメンタル・アドベンチャー」では、監督・主演をし、自らギター、ピアノを弾き、歌も歌っている。
この映画で共演した息子カイル・イーストウッドは、後にミュージシャンとなって、父親の監督作品(「ルーキー」「硫黄島からの手紙」「グラン・トリノ」「インビクタス/負けざる者たち」)では音楽を担当している。
そんな音楽に縁の深いイーストウッドが監督したのが、映画「ジャージー・ボーイズ」である。
原作はトニー賞受賞のミュージカル。
1960年代に活躍したアメリカン・ポップスの人気グループ「フォー・シーズンズ」の光と影を描いた物語だ。
「フォー・シーズンズ」といえば、「シェリー」である。
独特のファルセットで歌う、あの懐かしのヒット曲だ。
歌うのはフランキー・ヴァリ、この映画では舞台同様ジョン・ロイド・ヤングが演じている。
てっきり吹き替えだと思ったが、実際に彼自身が歌っているそうだ。
しかも他のメンバーたちの歌も、全員吹き替えなしというから驚きだ。
彼らの歌うシーンを観ているだけでも値打ちがある。
さらにドラマの方も歌に負けない面白さ。
イタリア系の移民街で育った不良少年たちが、歌を武器に次第にのし上がり、人気者になっていく軽快なサクセスストーリー、そしてその後に訪れる挫折と再会。
ドラマとしても文句なしの一級品。
さすがはイーストウッド、手堅い職人技である。
若造たちに注がれるイーストウッドの眼差しが辛辣で暖かい。
そしてラストで見せてくれる、出演者全員によるダンス・シーン。
ここではフォーシーズンズの後見役であるマフィアのボスを演じたクリストファー・ウォーケンまでが、一緒になって踊って見せてくれる。
さすが若い頃ダンサーだっただけあって、動きが軽やかだ。
この大団円によって映画は最高に盛り上がって終わる。
音楽映画らしいハッピーな終わり方に拍手喝采である。
それにしても齢84にしてこんなにも楽しめる映画を作り出すとは。
老いてますます盛んなイーストウッドに乾杯である。


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