風に吹かれて

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Category: 月別観た映画と読んだ本

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今月観た映画と読んだ本(2014年9月)

観た映画

「風にそよぐ草」 (2009年フランス/イタリア 監督:アラン・レネ 出演:サビーヌ・アゼマ/アンドレ・デュソリエ/アンヌ・コンシニ/エマニュエル・ドゥヴォ )

「オブリビオン」 (2013年アメリカ 監督:ジョセフ・コシンスキー 出演:トム・クルーズ/オルガ・キュリレンコ/モーガン・フリーマン/メリッサ・レオ )

もらとりあむタマ子 (2013年日本 監督:山下敦弘 出演:前田敦子/康すおん/鈴木慶一/中村久美 )

「ノア 約束の舟」 (2013年アメリカ 監督:ダーレン・アロノフスキー 出演:ラッセル・クロウ/ジェニファー・コネリー/レイ・ウィンストン/エマ・ワトソン/アンソニー・ホプキンス/ローガン・ラーマン/ダグラス・ブース )

「MUD マッド」 (2012年アメリカ 監督:ジェフ・ニコルズ 出演:マシュー・マコノヒー/タイ・シェリダン/ジェイコブ・ロフランド/サム・シェパード/リース・ウィザースプーン )

「遥かなる勝利へ」 (2011年ロシア 監督:ニキータ・ミハルコフ 出演:ニキータ・ミハルコフ/オレグ・メンシコフ/ナージャ・ミハルコフ/ヴィクトリア・トルストガノヴァ )

「大脱出」 (2013年アメリカ 監督:ミカエル・ハフストローム 出演:シルヴェスター・スタローン/アーノルド・シュワルツェネッガー/ジム・カヴィーゼル/ヴィンセント・ドノフリオ )



読んだ本

トワイライト・シャッフル( 乙川優三郎  現代小説/短編集)

短編を七つ、書いた順(片岡義男 現代小説/短編集)

「山月記」をよむ(群馬大学教育学部国語教育講座∥編著 評論/小説)

平凡( 角田光代  現代小説/短編集)

「袋小路の男」(絲山秋子 現代小説/短編集)


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Category: 日本映画

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映画「もらとりあむタマ子」

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ほとんど何も起きない。
同じ日常の繰り返しが、だらだらと続くだけ。
そんな何も起きない日常のなかで、主人公のタマ子はただただ惰眠を貪っている。
漫画を読むこと、テレビを見ること、食事をすること、それだけで一日は終わってしまう。
そんなだらしのないタマ子に、父親は時たま小言を言うくらいで、それ以上の騒動に発展することはない。
そして甲斐甲斐しく食事を作り洗濯をし、家業のスポーツ店の開店時間になると、決められた手順で店の開店準備をする。
こうした変わらぬ日常が永遠に続くのではないかと思えるくらい、同じシーン(開店の準備と食事)が繰り返し写し出される。
しかしその何も変わらないと思われていた日常が、父親の再婚話が持ち上がったことからほんの少しだけ変化の兆しを見せていく。
これはそんな映画である。
見方によっては退屈きわまりない映画になってしまうところだが、けっしてそうはならないところが山下敦弘の映画の一筋縄ではないところ。
「どんてん生活」、「ばかのハコ船」、「リアリズムの宿」、「苦役列車」といったダメ人間ばかりを撮ってきた山下敦弘ならではの腕の冴えである。

タイトルにあるモラトリアムとは、若者が社会に出ていくまでの猶予期間のことを指す。
通常否定的な意味で使われることの多い言葉だが、ここではそうではない。
否定も肯定もしない。
ただあるがままの姿として映し出していくだけ。
「もらとりあむ」とひらがな書きで使われているところにも、そうした意図が込められているように思う。
なぜタマ子はこういう態度をとるのか、その原因はいったい何なのか、そういったこともいっさい描かれない。
またこうしたタマ子のまわりには、当然のことながら男の影などいっさいない。
近所の写真館の中学生の男の子を、子分のように顎で使うくらいが関の山である。
そんなないない尽くしの映画だが、その独特のリズム感がすこぶる心地いい。

この映画を観ながら以前観た同じ山下監督の手になるショートムービー「曇天吉日」を思い出した。
こちらもごくありふれたクリーニング店の日常を描いた映画だったが、流れる空気感は同じである。
そういえばこの映画の主人公も、今回父親役を演じた康(かん)すおんであった。
こういうどこにでもいそうな普通の男を、演技とは思えない自然体で演じていて適役である。
山下監督の映画ではお馴染みの役者ということで、これまでにも「リアリズムの宿」、「松ヶ根乱射事件」、「マイ・バック・ページ」などにも出ていたそうだが、気づかなかった。
「曇天吉日」で初めてその存在を知ったのである。
今後とも注目していきたい役者である。


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Category: 日本映画

Tags: 山田洋次  

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映画「小さいおうち」

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山田洋次監督の父親は、満鉄に勤めるエンジニアであった。
その仕事の関係から、二才の時には満州に移り住み、終戦を迎えるまで、奉天、ハルピン、新京、大連などを転々とした。
奉天で暮らした小学二、三年生の頃、山田少年の家には、ふみさんという若いお手伝いさんがいた。
ある時、彼は、ふみさんに連れられて映画を観に行った。
その時観たのが田坂具隆監督の「路傍の石」であった。
この映画は山田少年に強い印象を与えたが、それ以上にこの映画を観ながらふみさんが、その白い頬を涙でベショベショに濡らして声をあげんばかりに泣いていた姿が、強く印象に残った。
<幼くして両親を失い、見知らぬ他人の家を転々としてめぐり歩く吾一少年の悲しい運命はふみさんにとっては、けっして他人事ではなかったに違いない。映画というものは、そのように、まるで声をあげんばかりに観客を泣かせるほど、強く訴える力を持つものだということを、少年の私は痛切に思い知らされたのだった。>
これは山田監督のエッセイ集「映画館(こや)がはねて」の中に出てくる子供時代の印象的なエピソードである。

おそらく山田監督は、自らの精神形成に大きな影響を与えたであろうこの時代の風景を、映画としてきっちりとそして正確に残しておこうと考えたに違いない。
その結実が、今回の映画「小さいおうち」であった。
そこには山田監督が育ってきたモダンで折り目正しい昭和の風景が見事に再現されている。
その象徴となるのが、赤い三角屋根の「小さいおうち」であった。

「この作品は、東京郊外のモダンな家で起きた、ある恋愛事件の秘密を巡る物語が核にあるけれども、そのストーリーの向こうに、あまり見つめられてこなかった当時の小市民家庭の暮らし、戦前から敗戦の時代を描きつつ、更にはその先に、果たして今の日本がどこへ向かっていくのか、というようなことも見えてくる作品にしたい」と語るような物語がリアルにそしてドラマチックに展開されて見応えがある。

母べえ」「おとうと」「東京家族」と続いてきた山田作品だが、どれも今ひとつ乗り切れないものがあった。
だが、この作品でようやく山田監督らしい冴えが戻ってきたのを感じた。
間違いなく代表作のひとつになるだろう。
久しぶりに堪能することのできた山田作品であった。
それにしても82歳でこうした瑞々しい意欲作を作るとは、山田監督の凄さに、改めて敬服した次第である。


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Category: 読書

Tags: 短編小説集  

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片岡義男「短編を七つ、書いた順」

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片岡義男の本を読むのはこれが初めて。
ただし名前だけはかなり昔から知っていた。
1970年頃、大学の同級生で今は翻訳家として活躍している友人が、時々片岡義男のことを話題に持ち出すことがあった。
当時片岡義男はテディ片岡と名乗っており、小説はまだ書いておらず、翻訳家としてごく一部の人たちだけに知られる存在であった。
雑誌「宝島」(創刊当時の書名は「ワンダーランド」)の創刊に関わっているということを聞いたのもそうした話のなかであった。
そんな経緯もあって、片岡義男は小説家というよりも、ヒッピー文化やカウンターカルチャーといったアメリカ文化の紹介者としての認識のほうが強く、小説を読んでみようというところまではいかなかった。
以来縁のないままに時間だけが過ぎてしまったが、気がつくと片岡義男の作家生活も40年を迎えるまでになっていたというわけである。
その作家生活40周年を記念して書き下ろしたのが、この短編集である。
5月に出版されたばかりの新刊本である。
題名の奇妙さに惹かれて読んでみた。

片岡義男は写真家でもある。(出版された写真集は10数冊)
彼が撮るのは風景や物の写真が多い。
そうやってカメラで切り取った何気ない日常が小説化されたような作品ばかり。
会話を主体にした日常の風景が、ハードボイルドタッチで淡々とスケッチされていく。
そしてどの話にもコーヒーショップが登場してくる。
そこでうまいコーヒーを飲みながら、とりとめのない会話が繰り広げられていく。
そこから浮かび上がってくる登場人物たちの過去と現在。
そして中断するように突然小説は終わってしまう。
まだまだ読み足りない気持ちのまま、取り残されたように終わってしまう。
しかし決して嫌な終わり方というわけではない。
そこに残る気分や味わいには、乾いた爽やかがある。
あたかもいっしょにコーヒーを飲みながら、とりとめのない会話を楽しんだような気分になってくる。
そしてその後に残る少しばかりの疲労感が心地いい。

<片岡義男(かたおか・よしお)
1939年東京生まれ。周防大島出身の祖父は元ハワイ移民で、父は日系二世。氏自身、疎開先の岩国で少年期を祖父と過ごす。早稲田大学在学中にコラム執筆や翻訳を始め、1974年「白い波の荒野へ」で小説デビュー。翌年発表の「スローなブギにしてくれ」で野性時代新人文学賞を受賞以来ヒット作を続々発表し、映画化作品多数。評論、エッセイ、写真家としても活躍。近著に『真夜中のセロリの茎』『ミッキーは谷中で六時三十分』等。>


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Category: 暮らし

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十和田湖ドライブ

久しぶりのドライブである。
最近は仕事が休みの日はほとんど家で過ごしているので、遠出をするのは久しぶりである。
目指すのは十和田湖、銀山。
黒石から平川市へと入って行く。
その頃になると、空は次第に雨雲に覆われてきた。
登るにつれて霧が漂い始め、やがて雨になった。
約1時間程で滝ノ沢展望台に到着。
いつもはここでクルマから降りて、展望台から十和田湖を眺めるのだが、雨なので断念、そのまま銀山へと向かう。

12時少し前に銀山に到着。
この頃になると雨も止み、日も射してきた。
いいタイミングである。
さっそくクルマを停めて湖畔を散策、ここは景色がいいのでお気に入りの場所である。
十和田湖を訪れた際には、必ず立ち寄っている。
木の葉から雨露が落ちてくるが、それもいい刺激になって心地いい。

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散策の後は、持参した弁当で昼食を摂った。
食後のデザートは、途中の道の駅で買ってきた「しとぎ餅」である。
毎度のことだが、こういう場所で食べると、格別にうまい。

食後は十和田ふるさとセンターまで足を延ばして再び湖畔を散歩。
ドングリや山栗を拾いながら歩いていった。

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たっぷりと森林浴をしたせいか、心も体も軽くなったような気がする。
紅葉の季節が近づいている。
そのころにまたもう一度来てみようかなと思っている。


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Category: 読書

Tags: 乙川優三郎  

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乙川優三郎「トワイライト・シャッフル」

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著者初の現代小説「脊梁山脈」に続いて、こちらも現代小説である。
小説新潮の2013年7月号から翌年の4月号まで連載されたものに、3編の書下ろしを加えた短編集である。
いずれの作品も房総半島の海沿いの小さな町が舞台になっており、そこに住む人、訪れる人、去っていく人、さまざまな人たちの姿が描かれる。
登場人物は作家、ジャズピアニスト、画家、郵便局員、海女、主婦、イギリス人女性、リオッ子(カリオカ)などバラエティに富んでいる。
なかには若い人も登場するが、ほとんどが人生の黄昏時(トワイライト)を迎えた年配の人たちである。
そうした人たちが織りなす哀感が切々と胸をうつ。

老いた海女ふたりが支え合う友情を描いた「イン・ザ・ムーンライト」。
落魄したジャズピアニストのささやかな挑戦を描いた「オ・グランジ・アモーレ」。
町の高台にある新興住宅地に住む老婦人と、庭の手直しを請け負った職人との束の間の触れ合いを描いた「私のために生まれた街」。
どの話も身に詰まされるが、なかでもいちばん印象に残ったのが「ビア・ジン・コーク」である。

主人公は夫が失踪した後の四年間をひとりで生きてきた女性である。
スーパーに勤める彼女が、日曜の昼下がりから始まる一日半の休日にすることは、読書であった。
その時必ず飲むのが、「ビア・ジン・コーク(ビールとジンとコークのカクテル)」であった。
そうやって<彼女は不測の日々を読書と酒で乗り越えてきた>のである。
<何か信じられる時間を持たなければ自分が壊れる気がしたし、寄り添えるもののないことほど恐ろしいこともなかった。佳い本は彼女を抱き寄せて、温かい海のように優しかった。
 書店も図書館もない房総半島の小さな街で、早苗はおそらく都会の学生よりも多読している。読むことで人間も人生も膨らむ気がするし、自分にはない物の考え方や苦悩や人のありようを知るのが愉しかった。他人の人生に触れていると自分の人生を客観視できるようになって、重たい現実は軽くなり、生きている空間が色づく。そんなありがたいものは他に見当たらないので、日曜の午後から火曜の朝まで彼女は読書に明け暮れるのであった。>

さらにこんな文章もある。
<「煎じつめればこの世のことは何もかも美しいのであり、美しくないのは生きることの気高い目的や自分の人間的価値を忘れたときの私たちの考えや行為だけである」
 もう忘れることのない、チェーホフの言葉であった。時間も空間も飛び越えて、それは縁もゆかりもない女の心を支えようとしている。
 この種の喜びを人に口で伝えるのはむずかしい。他人のことは知りたくないという人もいる。彼らは自分を取り巻く現実だけで苦悩は充分だと言い、結局抱え込んだ小さな現実に埋もれて終わる。心の切り替えようがないし、別世界に漂い、学ぶこともできない。だから小説家は願いをこめて、彼らが見ようとしない世界を敢えて書き綴るのだろう。>
 
映画「いつか読書をする日」に似た女性の物語である。
映画を思い出し、そして読書の与えてくれる様々な恩恵に思い致しながら読み進んでいった。
味わい深い時間を過ごさせてくれた読書であった。


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ハチに刺された

庭で雑草を抜いている時、突然ハチに刺された。
そこはちょうどハチの巣のある場所だったのだが、そのことをうっかり忘れていた。
普段は刺激しないように十分注意をしていたのだが、この時はそこに巣があることをすっかり忘れてしまっていたのである。

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刺されたのは左手の人差指と手首そして右の耳の3ヶ所。
手袋をしていたが、その上から刺されてしまったのである。

ハチに刺されたのは、子供の時以来のこと。
子供の頃に刺されたのは、悪戯心に竹竿でハチの巣を落とそうとした時であった。
長い竹竿だったので、まさか刺されるとは思っていなかった。
だが攻撃する時のハチの行動は素早い。
予想を上回る速さで、手元まで飛んできて刺されてしまったのである。

その時の痛さはかなりのものだったが、今回の痛さはそれほどのものではなかった。
注射針で刺されたようなチクッとしただけの痛さだったので、一瞬ハチに刺されたとは思わなかった。
それでもその後2、3匹のハチが周りを飛んでいるのを見て、ようやくハチに刺されたことに気づいたのである。

すぐに虫刺されの薬を塗ったが、時間が経つにつれて赤く腫れあがり、痛痒くなってきた。
冷やすといいということなので、氷で冷やしてみたがあまり効果はなさそうである。
この調子だと、痛みと痒みは数日続きそうだ。

それにしても災いはどこに転がっているか分からないもの。
今回のことはいい教訓になった。


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錦織、準優勝

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全米オープン、錦織の優勝を期待した決勝だったが、残念ながらマリン・チリッチに敗れて準優勝に終わってしまった。
しかし結果はそうだったが、今回の錦織の活躍は素晴らしいものであった。

大会直前に足の親指の手術をし、大会出場が危ぶまれていたにもかかわらず、出場すると徐々に調子を上げ、格上の選手を次々と破っていった。
4回戦ではランキング6位のラオニッチ、準々決勝では4位のワウリンカ、そして準決勝では1位のジョコビッチ。
大会前には果たして試合ができるかどうかといった状態だったのに、この快進撃。
それだけでも凄いことである。
そしてとうとう決勝戦まで勝ち残ったのである。

しかし決勝戦でのプレッシャーは相当のものだったようだ。
眠れず胸が痛くなるようななかで迎えた決勝戦。
プレッシャーのなかでもがき続ける錦織の姿がそこにはあった。
しかも相手のチリッチがまったくスキのない状態であった。
準決勝でフェデラーをストレートで破った勢いのままの姿であった。
そのチリッチの前では、錦織は自分本来のゲームをすることができなかった。
また体力的にもおそらく限界だったのではなかろうかと想像する。
いずれにしても、こうして今年の全米オープンはすべて終了したのである。

試合後の錦織のコメントにあったように「とても楽しい2週間」だった。
そしてそう思わせてくれた錦織の活躍に心から拍手を送りたい。
「錦織選手、準優勝おめでとう!」
今後の活躍がますます楽しみになってきた。

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錦織、全米オープン準決勝勝利

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全米オープン・テニス準決勝で錦織圭が、世界ランキング1位のノバク・ジョコビッチを破って決勝進出を決めた。
まさかまさかの勝利である。
しかもその内容たるや、3対1とジョコビッチを圧倒する完璧な内容。
「負ける相手はもういない」と言い切るその自信を裏付けするような、堂々たるものである。
まったく驚きである。
ジョコビッチには2011年に一度は勝っているとはいえ、その時のジョコビッチは故障を抱えた万全ではない状態。
おそらく今回は勝つのは難しいのではと考えていたが、その予想を覆しての見事な勝利であった。

このニュースを知ったのは、今朝テニスに出かけた時であった。
コートに着くやいなや、テニス仲間からその結果を聞いた。
まったく予期していなかっただけに、驚きであった。
うれしい誤算、この話題に盛り上がりながら、いつも以上に熱を入れてテニスを楽しんだ。

帰宅した後は、テレビで何度も流れるニュースに釘付けであった。
勝利の後のマイケル・チャン・コーチの感極まった表情が印象的であった。

こうなればぜひとも優勝してほしい。
ただ残念ながら、わが家ではWOWWOWをとっていないので、その試合は観ることができないが。

決勝の相手は、フェデラーを破ったマリン・チリッチ。
過去の対戦成績は、錦織の5勝2敗と錦織がリードしている。
対戦成績だけから見れば錦織優位は動かし難いが、こればかりは蓋を開けてみなければ判らない。

いずれにしても千載一遇のチャンスである。
錦織にはぜひとも優勝してもらいたい。

それにしてもグランドスラムで日本人が優勝するかもしれないとは、これまで考えもしなかったことだ。
ひっとするとそれが現実のものになるかもしれないのだ。
考えただけでも胸が高鳴ってくる。

試合は日本時間の明後日9日午前6時から。
楽しみである。




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北村薫「八月の六日間」

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北村薫の小説を読むのは「鷺と雪」に続いてこれが2冊目である。
「鷺と雪」はミステリーだったが、こちらは今流行りの山ガールの話である。
「九月の五日間」、「二月の三日間」、「十月の五日間」、「五月の三日間」、「八月の六日間」という五つの短編からなる連作短編集である。

「鷺と雪」もそうであったが、北村薫の小説では特別ドラマチックな何かが起きるわけではない。
ごくありふれた日常の話が、淡々と描かれるだけである。
「鷺と雪」はミステリーだが、犯罪を扱っているわけではなく、「日常の中に潜む謎」を解き明かしていくというもの。
また主人公がいずれも若い女性というのも、北村薫の小説のスタイルのようである。
「八月の六日間」も同様で、編集者である主人公の仕事と山行の様子が淡々と描かれるだけである。
特別何かが起きるというわけではない。
しかしそれでいて読み進むうちに、次第にそのゆったりとしたリズムの中に、心地よく入り込んでいくのである。
煩雑な日常生活から逃れ、いっしょに山登りをしているような気分になってくる。

彼女がそもそも山登りを始めたのは、同僚の女性から誘われて初めて山登りをしたことがきっかけであった。
その時、彼女の前に新しい世界が開けた。

<山に登ると、時として風景を前にしただけで、遠い、生まれる前にそれを見たようで、たまらなくなり、涙腺が緩む。それが嫌ではない。素直になれたような気になる。
涸れ沢に入った時、わたしは山から手を差し伸べられた。生きていると、そんな瞬間があるものだ。そしてわたしは、しっかり、その手を握った。>

生きにくい現代の都市生活のなかで、煮詰まってくると、僅かな時間を見つけては山に出かけてゆく。
そして雄大な自然に囲まれた中で、日常の些末な出来事や思い悩むことを思い浮かべては自問自答を繰り返していく。
そうした思考の中で、彼女が抱えるわだかまりや先の見えなかった問題が、少しづつ溶け始め、出口が見えてくるようになっていく。
そうやって固く鎧で覆われていた彼女の心が、柔らく解き放たれていくのが手に取るように分かる。

団体行動が苦手で人見知りな彼女の山行は、基本的には単独行である。
しかしそんな彼女でも時として山で印象的な出会いをすることがある。
そんな出会いもまた山の魅力のひとつである。

また山行の際には編集者らしく、必ず文庫本を何冊か携えていく。
「本は精神安定剤、もしくはお守り」なのである。
例えばそれは次のようなもの。
戸板康二「あの人この人 昭和人物誌」、向田邦子「映画の手帳」、南方熊楠「十二支考」、川端康成「掌の小説」、吉田健一「私の植物誌」など。
こうした本選びにも魅せられる。
それもこの小説の欠かせない味付けのひとつになっている。

登山の経験はほとんどないが、それでも若い頃に何度かハイキング程度の山登りはしたことがある。
そんな記憶を蘇らせながらの楽しい読書であった。

ところで登場する主人公が若い女性で、しかも作者の名前が「薫」となると、女性を思い浮かべるかもしれないが、実は作者は男である。
参考までにプロフィールを載せておく。

<1949(昭和24)年、埼玉県生れ。早稲田大学ではミステリ・クラブに所属。母校埼玉県立春日部高校で国語を教えるかたわら、1989(平成元)年「覆面作家」として『空飛ぶ馬』でデビュー。1991年『夜の蝉』で日本推理作家協会賞を受賞。2006年に『ニッポン硬貨の謎』で第6回本格ミステリ大賞(評論・研究部門)・2006年版バカミス大賞を受賞。2009年、『鷺と雪』で第141回直木賞を受賞する。2013年度より早稲田大学の文学学術院文化構想学部教授に就任。>


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中島らも「今夜、すべてのバーで」

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中島らもが階段から転落して亡くなったのは2004年のこと、もうすでに10年が経っている。
彼について憶えていることといえば、朝日新聞で連載されていた「中島らもの明るい悩み相談室」であった。
時々それを読むことがあり、そのバカバカしくも意表を突いた回答にはいつも笑いを誘われていた。
そしてその常識に囚われない奇抜な発想と、ユニークな笑いのセンスから伝わってくるのは、彼の奇才ぶりであった。
こういう回答をする人物とは、果たしてどんな人物なのか、大いに好奇心を掻き立てられたものである。
そんな折偶然テレビに登場した彼の姿を見ることがあったが、呂律の回らない喋り方で、冗談とも本気ともつかない話をする姿は、まさにイメージに違わぬ奇才そのものの姿であった。
そんな強烈な個性を持った彼が1991年に書いた小説が、「今夜、すべてのバーで」であった。

中島らもは放送作家、コピーライター、小説家、エッセイスト、演出家、ミュージシャンと様々な顔を持っている。
そして売れっ子作家になってからは、依頼された仕事を片っ端から引き受けるという生活で、それをこなすためにアルコールの助けを借りるということを繰り返している。
その結果、アルコール依存症となって倒れてしまうのである。
その時の入院生活の体験を基に書いたのが、この小説であった。

主人公の小島容は、毎日ウイスキーをボトル1本以上空けてしまうといったアル中男である。
彼は医者、占い師、親友の3人から「35歳で死ぬ」と予言されていた。
そしてその予言通り35歳の時、這うようにして病院にたどり着き、医者から「生きているのが不思議なくらい」と言われてしまう。
当然のことながら即入院であった。
そして40日間にわたる闘病生活を送ることになる。
その顛末が、時にシリアスに、時にユーモラスに描かれていくが、なかでもアル中に関する様々な考察が格別面白い。

「35歳で死ぬ」と予言された主人公は、自分なりに「アル中」に対してのアンテナを張るためと称しては、膨大な資料を読み漁っている。
<肝硬変が悪化して静脈瘤や胃かいようが破れ、大量出血してもまだ飲んでいるような人間を、本の中に探し求める。
これらの人々を眺める安心感と、こういう「ひとでなしのアル中」どもが、河ひとつ隔てた向こう側にいて、おれはまだこっち側にいるその楽観とを得るために、おれは次から次へとアルコール中毒に関する資料を集めた。>
しかしそんな知識をいくら仕入れようとも、まったく何の役にも立たない。
所詮それは自分が「まだ飲める」ことを確認するためだけの手段でしかなかったのである。

とにかくこうした依存症がいかにやっかいなものかという事例が、これでもかというように次から次へと引用されていく。
当然そこには、有名なジャンキーたちも登場してくる。
ウイリアム・バロウズ、アレン・ギンズバーグ、アントナン・アルトー、プレスリー等々、あたかもジャンキー読本とでも呼びたいような趣である。

しかしこうして読み進んでいくうちに、他人事と笑ってばかりはいられないという気がしてくる。
結局人間とは、何かに頼らざるをえない弱い存在なのである。
それがふとしたきっかけで薬に依存したり、アルコールに依存したりということになってしまう。

<酒の味を食事とともに楽しみ、精神のほどよいほぐれ具合をよしとする人にアル中は少ない。そういう人たちは酒を「好き」ではあるけれど、アル中にはめったにならない。
アル中になるのは、酒を「道具」として考える人間だ。おれもまさにそうだった。この世からどこか別の所へ運ばれていくためのツール、薬理としてのアルコールを選んだ人間がアル中になる。
肉体と精神の鎮痛、麻痺、酩酊を渇望する者、そしてそれらの帰結として「死後の不感無覚」を夢見る者、彼等がアル中になる。これはすべてのアディクト(中毒、依存症)に共通して言えることだ。>

理屈ではない人間の弱さ、複雑さを痛感してしまう。
そしてこうした摩訶不思議な世界が、けっして遠くない所にしっかりと控えていることを、この小説は教えてくれているのである。
無縁と思っていても、案外と近いところにそれはある。
心すべきである。

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プロフィール

cooldaddy

Author:cooldaddy
住んでいるところ:青森県弘前市
出身地:香川県
年齢:今年(2008年)還暦です。
性別:男

還暦という節目を迎え、何か新しいことを始めようとブログを開設しました。
趣味のこと、生活のこと、心に残ったことなど、My Favorite thingsを、気ままに書いていこうと思います。
末永くおつき合いください。

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