風に吹かれて

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Category: 読書

Tags: 葉室麟  時代小説  

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葉室麟「いのちなりけり」

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先日の「散り椿」に続いて読んだ葉室麟の「いのちなりけり」は、雨宮蔵人(くらんど)と妻咲弥(さくや)の波乱の人生を描いた小説である。
雨宮蔵人は佐賀鍋島藩の支藩である小城藩の武士である。
一見凡庸に見える蔵人だったが、実は隠れた剣の達人であった。
それを見抜いた咲弥の父、天源寺刑部は彼を咲弥の入り婿として迎えた。
しかし咲弥は死別した前夫、多門のことが忘れられず、蔵人を受け入れようとはしない。
そして「強いばかりでなく風雅の道が分かってこそ奥行きのある武士となる。どのような和歌を好きかということでその人間の心栄えが分かる。だからどんな和歌が好きかを教えて欲しい」と迫るが、蔵人は答えることができない。
そんな蔵人に対して「答えるまでは寝所をともにしない」と宣言する。
ここからふたりの波乱の人生が幕を開けることになる。

小城藩の藩内抗争から天源寺刑部が何者かに刺殺され、その疑いを持たれた蔵人は藩を出奔、咲弥も水戸家の奥女中となって水戸光圀のもとで暮らすことになる。
そこに将軍綱吉と水戸光圀との暗闘をからませながら、数奇な運命によってふたりが翻弄されていく物語が続いていく。
その抗争のなかで、蔵人は和歌を探し求めていく。
そして咲弥は離れ離れになることで、蔵人の真の姿を知ることになっていく。
最後は罠と知りつつ、咲弥に逢うために死を覚悟のうえで、京都から江戸を目指して走り抜けてゆく。
「四十を過ぎても女人をかように思い続けているとは、わしは愚か者だな」と思いながら。
しかし「何度生まれ変わろうとも咲弥殿をお守りいたす。わが命に代えて生きていただく」という一途な思いだけを胸に江戸を目指す。
まさに死を覚悟した大人の純愛物語である。
そして最後に蔵人が選んだのは「古今和歌集」の詠み人知らずの和歌「春ごとに花のさかりはありなめど、あひ見むことはいのちなりけり」であった。
それは「天地に仕え、命に仕える」を旨とする雨宮蔵人の清冽な生き様そのものを表すような和歌であった。

鍋島藩といえば「葉隠」を生み出した藩として知られているが、この物語が「忍ぶ恋こそ至極の恋と存じ候」の言葉とともに、後日談として「葉隠」成立へと繋がっていると匂わせるところが、さらに深い余韻を残している。
この小説は第14回松本清張賞を受賞した作品である。


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1歳と7ヶ月

昨日は孫のすずの日。
午前中は家でのんびり過ごし、昼は板柳町の「ふるさとセンター」まで出かけた。

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レストランで昼食後、敷地内を散歩、すずは池の鯉に興味津々、よほど気に入ったようで、いつまで経っても離れようとしなかった。

すずは今日でちょうど1歳と7ヶ月になる。
記念に昨日撮った写真を、いくつか並べておくことにした。

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向かいの猫と。


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Category: 読書

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向田邦子「隣の女」

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久々に読んだ向田邦子の小説。
思わず「うまい!」と唸ってしまった。
さすが短篇の名手といわれるだけのことはある。
表題作『隣りの女』の他に『幸福』『胡桃の部屋』『下駄』『春が来た』の5篇が収録されており、どの話も面白いが、なかでも『隣りの女』と『胡桃の部屋』『春が来た』は絶品である。
いずれも家族の物語だが、その日常の裏側に潜んだ様々な情念が見事に表現されており、サスペンス小説を読むようなドキドキ感を味わいながら読んだ。

昔観た向田邦子シナリオのドラマに「冬の運動会」というのがあったが、そのなかで志村喬演じる元裁判官で現在は大学で教鞭をとる祖父が、家族に隠れて下町の小さな家に藤田弓子演じる若い恋人と住んでおり、そこでは普段の謹厳実直な顔とはまったく違う顔をした祖父がいるというシーンがあった。
ドラマの粗筋はほとんど忘れてしまったが、なぜかそのシーンだけは強く印象に残っている。
この小説でも『幸福』『胡桃の部屋』『下駄』の3篇に、これと同じようなシチュエーションが登場してくる。
家族には真面目一方の堅物と思われていた父親が、ある日突然姿を消して女の元に走ってしまう。
こうした設定が何度も繰り返されるのが、向田邦子作品の特徴のひとつのようだが、それによって家族というものには、こうした危うさが常に秘められているのだということを語っているのであろう。
しかしそれがけっして修羅場にはならず、むしろユーモアを交えて語られるところが、向田邦子のもうひとつ特徴のようでもある。
結局人というのは、皆どうしようもない生き物で、間違いを犯したり、人を傷つけたり、後悔したりといったことを繰り返すものなのである。
そしてそうした愚かなことを繰り返しながらも、どこか愛すべきところを持っているのが人間である。
そんな人を見る視線の優しさが、向田邦子の小説の最大の魅力なのかもしれない。
久々に向田邦子の小説を読んで、そのことをあらためて思ったのであった。


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Category: 読書

Tags: 葉室麟  時代小説  

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葉室麟「散り椿」

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葉室麟の直木賞受賞作品「蜩ノ記」を図書館で予約待ちにしているが、依然として10人待ちといった状態である。
読めるのは、まだまだ先のことになるなあと考えていたところ、受賞後第2作目の「散り椿」を偶然見つけたので借りてきた。
さっそく読んでみたが、面白くていっきに読み終えてしまった。

ある事件で藩を追われた主人公瓜生新兵衛が、妻の死を看取った後、妻の最後の願いをかなえるために、18年ぶりに故郷へ帰って来たところから物語は始まる。
そしてそれが引き金になったように、藩内抗争が再び頭をもたげることになる。
そのなかで、かつて同じ道場で四天王と並び称された旧友たちが、いずれも騒動の犠牲となって死んでいく。
それは「散る椿は残る椿があると思えばこそ見事に散ってゆける」と、今は側用人として藩の重責を担っている、かつての友、榊原采女が呟いた言葉どおりの散り方であった。
普通の椿は花ごと落ちるが、「散り椿」という椿は花びらが一片一片散ってゆくそうだ。
その椿に行く人、去る人、さまざまな武士や女たちの思いを託して物語が語られていく。
そこに込められた深い思いが胸を打つ。
そしてその思いは新兵衛とともに藩の抗争へと巻き込まれることになった甥、坂下藤吾へと託されていくことになる。

藤吾の父、坂下源之進は一年前、使途不明金を糾弾された末に、自害してこの世を去った。
そのため家禄は大きく減らされ、朋輩からは冷たい目で見られている。
そうした屈辱の日々を送っているだけに何とか出世の糸口を探しあて、家を再興することを願っている。
そこへ突如18年前に不祥事から藩を出奔した伯父が帰ってきたのである。
出世を願う藤吾にとって、そうした伯父の存在は迷惑以外の何ものでもない。
当初はやっかい者と蔑んでいたが、藩の抗争に否応なく巻き込まれるなかで、伯父の真価を目にすることになる。
そして、しだいにその人間的魅力に惹き込まれ、男として成長していく。
そうした成長物語がサイドストーリーとしてあるのも、この小説の面白さのひとつである。

久々に胸躍らせて読んだ時代小説であった。


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Category: 日本映画

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映画「海炭市叙景」

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胸の中を冷たい風が吹き抜けていくような映画だった。
架空の街「海炭市」を舞台にした5つの物語が展開されるが、いずれもドラマチックなことは、何も起こらない。
ただそこに生きる人たちの冷え冷えとした日常が、淡々と描かれるだけである。
そしてそれぞれの話が、ごくわずかにクロスするだけで、ほとんどお互いに無関係である。
その閉じられた淋しい世界を観ているうちに、次第に息苦しさを覚えていった。
どうにもやり切れない気分に満たされてしまった。
そしてその暗く沈んだ気持ちは、最後まで拭い去られることはなかった。

この状態での2時間32分は、正直ちょっと辛いものがある。
けっして駄作というわけではなく、目が放せない映画ではあるが、しかしながら、なかなか評価が難しい。

原作は佐藤泰志の未完の短編小説。
彼の故郷函館をモデルにしており、映画も函館をロケして撮られている。
造船所があり、路面電車が走り、函館山の夜景が美しく、そうした冬の情景がこの映画に独特のトーンをもたらせている。
佐藤泰志は1990年に41歳の若さで自殺した作家である。
近年再評価の動きがあるそうだ。
果たして小説だとどういった印象になるのだろうか。
機会があれば、いちど原作を読んでみようかなと思っている。


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Category: 愛犬

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今朝の散歩

最近の日の出は早い。
朝4時過ぎになると窓の外が明るくなる。
それで目が覚める。
今朝も4時半に起きて、ロシェルの散歩に出かけた。

今日は少し脚を伸ばして、岩木川の河原まで行ってみた。
先々週あたりから芽を出し始めた菜の花が、黄色い花を咲かせている。

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そのなかをロシェルが元気に駈けて行く。
歩いて行くうちに靴が朝露で濡れていく。
ロシェルの身体もびっしょりと濡れていく。
後で身体を拭くのが大変だが、うれしそうに駈けて行く姿を見ていると、そんな大変さも忘れて、思いっきり走らせてやろうという気になってくる。
朝陽がだんだんと登ってくる。
足元に伸びる影がずいぶんと長い。

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今日はいい天気になりそうである。


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Category: 読書

Tags: エッセイ・評論  

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齋藤明美「高峰秀子の流儀」

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先日映画「浮雲」を観たことで、急に高峰秀子についての本を読みたくなった。
さっそく図書館に行って、借りたのが「高峰秀子の流儀」という本であった。
これは高峰秀子を「かあちゃん」と呼び、松山善三を「とうちゃん」と呼ぶ著者が、高峰秀子の生活の「流儀」、生き方の「流儀」について書いたものである。
「動じない」「求めない」「期待しない」「振り返らない」「迷わない」「甘えない」「変わらない」「怠らない」「媚びない」「驕らない」「こだわらない」、そして「結婚」「二十七歳のパリ」という13のキーワードを基に書いている。
それはもう天晴れというしかないような生き方、見事のひと言に尽きる生き方である。
こうした生き方は、けっして一朝一夕に手に入れられるものではない。
それを高峰秀子はどうやって手にすることができたのか、またそこに至るまでには、どんな過去があったのか、いちばん身近にいる著者が、高峰秀子の現在の生活と半生を紐解きながら解き明かしていく。

高峰秀子は四歳で母を失い、父親の妹に攫われるようにして養女になる。
そして5歳で子役として映画デビュー、以後「天才子役」「人気少女スター」そして「大女優」として映画史に偉大な足跡を残していくことになる。
これは稀有なことである。日本のみならず世界にも例のないことである。
<「子役は大成しない」、このジンクスを破った、たった一人の女優である。>
さらに子供でありながら養母をはじめ、養母が呼び寄せた親戚十数人の生活の面倒まで見ることになる。
そして養母志げの常軌を逸した行状によって振り回されていくことになる。
その顛末については「私の渡世日記」に詳しく書かれているが、とにかく凄まじいのひと言である。
昔それを読んだときには、その事実に驚いてしまった。
それを高峰秀子は養母が亡くなるまで何十年にもわたって受け入れ続けたのである。
普通の人間ならこうした仕打ちに耐えられず、逃げ出すか、縁を切るところだろう。
しかし彼女はそれをしなかった。
そしてその理由をたったひと言「親だから」ですませている。
まったく潔い。

養母志げをそのような人間にした最大のものは、「金」である。
<子役から少女スターになった高峰秀子が稼ぎ出す、莫大な金。志げが明らかに変わったのは、十二歳の高峰秀子を東宝が松竹から引き抜いた時からだ。東宝は移籍の条件として、高額の契約料の他に、世田谷区成城に母娘の家まで用意した。だが秀子自身の心を動かしたのは、もう一つの条件、「学校に行かせてやる」だった。そして文化学院に入学するのだが、喜びもつかの間、撮影が忙しくて月に一度出席できればいいほうだった。結局、学校を取るか、仕事を取るかと担任教師に選択を迫られ、秀子は学校を諦める。そのときには既に養母が北海道から呼び寄せた親戚十数人の生活が秀子一人にかかったいたからである。
 「学校へ行かなくても勉強はできる。今日からは、会う人、見る物、全てが私の先生だ。」秀子はまだ真新しい教科書を古新聞と一緒に括るのである。(中略)
 娘が学業を諦めてまで一家の稼ぎ手として生きる覚悟をした時、皮肉にも、養母はその欲望の箍(たが)を外したのである。その時から母娘は二度と心を通わせることなく、真反対の方向をめざして歩き始めるのだ。>
結局彼女は、小学校にも満足に通うことがなく、またせっかく入学した文化学院でも何ひとつ学ぶことができなかった。
だからすべては独学であった。そして暇さえあれば本を読み、それによって後に名文家と呼ばれるほどのエッセイストになっていくのである。
そのことひとつをとってみても、いかに彼女が優れた人物であったかということがよく分かる。
そこには計り知れない努力があったにちがいない。だがそうしたことはおくびにも出さない。
けっして「驕らない」。
それは有名女優、大女優であることについてもそうであった。
けっして偉ぶることがない。
いかに褒められ持ち上げられようと、そうしたことに有頂天になることも勘違いすることもなかった。
女優としての虚飾に幻惑されることがない。
というよりもそうした虚飾に彩られた女優という職業が心底嫌いであった、と彼女は言う。
だがけっして映画が嫌いであったわけではない。
むしろスタッフたちと苦心惨憺して一本の映画を作り上げることにはことのほか魅力を感じ、また情熱も傾けた。
そしてその結果、数々の名作を残したのである。
「自分の好むと好まざるとにかかわらず、人に名前や顔がしられるようになってしまった人間には、社会に対して責任があります」そう彼女は言う。
だが、女優という特殊な存在、まわりからちやほやされ、また厳しく糾弾もされる女優という職業には、意に染まぬものをずっと持ち続けていた。
その結果、彼女は自分を見つめる客観性を持つに至ったのである。
「自分の中から女優というものを取ってしまったら何も残らないような人間にはなりたくない」「映画の中の高峰秀子は、私とは別の人です」
きっぱりとそう言い切る彼女には、怖いほどの「冷めた目」を感じると著者は言う。
そしてそれこそが女優、高峰秀子が、高峰秀子個人として何ものにも迷わせられることなく、独自の生き方を貫くことができた最大の要因なのではないかと思うのである。

これはこの本のごく一部を紹介しただけである。
こうした「流儀」が、このほかにもまだまだたくさん、さまざまに角度を変えて語られていく。
そしてその結果、85年の見事な生涯を終えたのであった。
高峰秀子という稀有な女優の、その凛とした生き方はけっして真似のできるものではないかもしれないが、そこからわれわれは多くのものを学ぶことができるのではないか、そんな感想をこの本を読んで思ったのであった。


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Category: 弘前

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岩木山へドライブ

孫のすずを連れて岩木山までドライブに行ってきた。
桜林の桜を見ようと思ったからである。

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ここの桜は、弘前公園の桜が終わって1週間後くらいがちょうど見頃になる。
だが今年は咲くのが少し早かったようで、もうすでに満開の時は過ぎて散り始めていた。
散った桜の花びらがまるで雪のように地面を覆っている。
なかなか風情ある眺めだった。

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そのなかにカタクリの花が群生しているのに気がついた。
小さく可憐な花なので、よく見ないと見落としてしまうところだった。
聞くところによると、桜の花とカタクリの花が同時に見られるというのは珍しいそうだ。
冬に雪が多かったことが影響しているのかもしれない。
得した気分であった。

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ここまで来たので、近くの「野風パン」で久しぶりにパンを買った。
ここのパンは、全粒粉(外皮と胚芽が入った小麦粉)と天然酵母を使い、手作りの石窯で焼いたパンなので、味が深くまろやかだ。
明日の朝食用に買った。
山の中にあるパン屋さんなので、しょっちゅう買うというわけにはいかないが、こうしてドライブに来たときには、必ず立ち寄ることにしている。

この後はちょっと脚を伸ばして湯段まで行ってみることにした。

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別荘街を抜けて湯段温泉まで行くと、近くの林のなかに水芭蕉の群生が見えてきた。
今がちょうど見頃であった。
岩木山を背景にした水芭蕉の群生は、高原独特の景色である。
「夏が来れば思い出す、遥かな尾瀬、遠い空」という「夏の思い出」の歌詞が、自然と浮かんできた。


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Category: 日本映画

Tags: 成瀬巳喜男  

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映画「浮雲」

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昨日BSで放映された「浮雲」を観た。
観るのは、これで4、5回目になるのではないか。

原作は林芙美子、脚色は水木洋子、才能あふれるふたりの女性作家が生み出した悲劇を、成瀬巳喜男監督がこれ以上ない演出で描きあげている。
演じるのは高峰秀子と森雅之、演技とは思えないふたりのやりとりにクギづけになってしまう。
弱々しいような、それでいて時にふてぶてしいほどの逞しさや優しさを見せる、女の複雑な内面を演じる高峰秀子の演技は、もう見事というしかない。
対する森雅之演じる優柔不断で身勝手な男の狡さも、やり切れないほどのリアルさである。
執着と諦めが交互する女の哀しさ、自らの不甲斐なさを自覚しながらも、どうしようもできず、ただ自分勝手にふるまうしかない優柔不断な男のやるせなさ、それでも離れられないふたりの関係は、これはもう理屈を越えた男女の宿命としか言いようのないものである。
「ねえ、どこまで歩くのよ・・・・私達、行くところがないみたい」高峰の漏らすセリフに、胸が締め付けられる。
どこまでも寒々しい風景が続いていく。
そこには男女の愛憎を越えた、人間の生きる苦しみが漂っている。
そしてどこまでいっても救いの道は残されていない。

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小津安二郎がこれを見て、「オレには撮れない写真」と絶賛したのは、よく知られたエピソード。
まさに映画史に残る、名作中の名作である。
そのことを今回また改めて思い知らされた。


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従姉妹との再会

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母の葬儀がきっかけで、従姉妹と40数年ぶりに再会することができた。
母の兄である叔父の娘で、3人姉妹の長女である。
私とは同い年の幼馴染、住む町が違っていたために小学校は違っていたが、中学3年の時に事情があって、彼女が通う中学校に転校することになった。
そして以後1年間、祖父の家に同居して、いっしょに高校受験に励むことになったのである。
その結果、同じ希望校に合格、以後3年間同じ高校に通うことになった。
だが、大学進学後は離れ離れとなり、会う機会もなくなり、気がつくと40数年が過ぎ去っていたのである。
そして今回の再会であった。

葬儀後の会食では、弟の計らいで隣り合った席に座らせてもらい、40数年分の積もる話で盛り上がった。
懐かしかった。楽しかった。そして少しばかり切なかった。
時間はあっという間に過ぎ、そして別れの時が来た。
「多分これが最後になるかもしれないね。」どちらからともなくそんな言葉が出てきてしまった。
おそらくそうだろうと思う。
「お互い元気でいよう。そうするとまたいつか会えることもあるかもしれない。」
そう言うのが、精一杯であった。
従姉妹が運転する車が遠ざかっていくのを、いつまでも見送っていた。


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墓参りと町歩き

母の葬儀で帰省した2日目のことである。
告別式、火葬、初七日の法要など、葬儀のすべてが終わった後、妹とふたりで父の墓にお参りをした。

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その後、ふたりで町なかを散策した。
墓のある田町から、かつて店があった本町商店街(現在は本通りと町名を変えている)へと歩いていった。

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田町には子供の頃、毎日のように遊んだ白髯神社が、幾分手直しされてはいるものの、昔とほとんど変わらぬ姿であった。
急な階段を登っていくと、頂上付近には稲荷大明神の社があり、それを過ぎてさらに登ると、桃陵公園の登り口へと続いている。
近所の子供たちといつも登った道である。

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白髯神社の向かいには、黒住教会がある。

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しばらく歩くと薬師寺があり、その隣には昔倉庫として借りていた蔵が、変わらぬ姿で建っていた。
ここも遊び場のひとつで、いろんな思い出の詰まった場所である。

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そこを過ぎてさらに先に進むと、寶性寺(ほうしょうじ)が見えてくる。
ここのお寺のご住職が、今回の母の葬儀でお経をあげてくれた人である。

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さらに路地を進むと本通り商店街へと続いていく。
この商店街は、かつてはメインの商店街として賑わった所である。
しかしその頃の賑わいは今はない。
ほとんどの店が商売をやめており、今や商店街としては機能していない。
しかし並んでいる建物のほとんどは、古い記憶どおりの場所に今もそのままの姿で残っている。
ただ、どの建物も古びてしまい、なかには今にも壊れそうな家もある。
そこには、かつてあったはずの生気はなくなっている。
人通りもなく、ひっそりと静まり返った通りを歩いているうちに、次第に奇妙な感覚に陥っていった。
懐かしさを感じるはずの風景が、むしろ知らない町へと紛れ込んでしまったような錯覚を覚えたのである。
そしてあの生き生きとしたかつての懐かしい風景は、もう記憶の中だけにしか残っていないのだということを思い知らされた。
長い時間が過ぎ去ったということである。
失われた時間は、もう二度と戻ってはこない、決して後戻りすることはない、そんな当たり前のことを今更のように痛感したのであった。
しかしそんな感慨を持ったものの、こうして妹と昔を思い出しながら散策する時間を過ごせたことは、ほんとうによかった。
わずかな時間だったが、きっと大切な思い出として、残っていくことだろう。
そんな感傷に浸りながら商店街を後にした。

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両親が戦後この蔵を借りて商売を始めた。私と弟はここで生まれた。

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次に引っ越したのがここである。前の店は借家だったが、これで始めて自分たちの持ち家になった。
妹はここで生まれた。現在はクリーニング店になっている。

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彫り物を生業としている隣の店である。この家は、近所の子供たちのたまり場であった。お世話になりました。


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Category: 弘前

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ジュンク堂弘前店オープン

先日(3日)ジュンク堂弘前店が、中三デパート内にオープンした。
さっそく行ってみた。
デパートの6、7階の2フロアを使った売り場は、800坪もある広さで、県内最大規模の売り場面積だそうだ。
弘前には既存の書店としては、350坪の「紀伊國屋書店」さらに「宮脇書店」「くまざわ書店」、そして「TSUTAYA書店」が2店舗ある。
またこの他に古本の「BOOK OFF」が2店舗、さらに「ヴィレッジバンガード」もある。
そこに今回のジュンク堂が加わった。

弘前市は、県内で唯一国立大学(弘大)を有する街なので、本の需要は他の町に比べて高いのは確かだが、それにしても人口18万の街にこれほどの書店が競合するとなると、間違いなくオーバーストア状態ということになるだろう。
われわれ市民の立場からすると、大いに歓迎するところではあるが、それにしても他人事ながらいったいどういうことなのかと心配してしまう。

30数年前、紀伊國屋書店が弘前にオープンした際は、その影響を受けて地元の書店の倒産が相次いだ。
そして現在は古本屋が数店舗残るだけで、地元の書店はほぼ姿を消してしまい、現在のようなナショナル・チェーンの書店だけという状態になってしまった。
そこへ今回のジュンク堂オープンである。
これが今後どんな影響を及ぼすことになるのか、ちょっと野次馬根性を刺激されるニュースではある。

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まずは6階の売り場に行ってみた。
さすがオープン2日目というだけあって人であふれていた。
さらに置いてある本の量がすごい。圧倒されてしまった。
高さ2メートルほどある背の高い書棚が何列にもわたって並んでいる。
蔵書数は80万点を謳っているが、まさに壮観である。
弘前市の図書館の蔵書数が50万冊というから、それをはるかに越える数である。
いかにすごい量なのかが、よく分かる。
しかも品揃えは多岐にわたっており、医学書を中心とした自然科学関係の専門書にはとくに力を入れているとのこと。
これだけの量があると、見て歩くだけでもあっという間に時間が経ってしまう。
とても1日や2日ではすべてを見ることができない。
最近は図書館で本を借りるだけで、買うことがほとんどなくなってしまったが、これほど充実していると、つい買ってしまおうかという気にされられてしまう。
また買わないまでも、他の書店では見かけないような珍しい本を手にとって、新しい情報に触れていると好奇心を大いに刺激される。
そうした時間を過ごせる場所が近くにできたことは、ほんとうに喜ばしいことである。
今後は時間を見つけては、できるだけ通ってみることにしようと考えている。
これでまたひとつ楽しみが増えた。


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井上靖「わが母の記」

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先日母の葬儀のために帰省した際、列車のなかで読もうと、駅の売店で本を買った。
井上靖の「わが母の記」である。
映画化されて封切られたばかりの小説である。
葬儀に帰る列車のなかで読むには、「いかにも・・・」の本かなと、一瞬躊躇をしたが、やはり買うことにした。
別段母親の死に関連づけて選んだというわけではない。つい手が出てしまった。
そんな風に思っていたが、よく考えてみると、やはり母の死があったからこそ、この本を選んだということになるのかもしれない。
その辺の心理については自分でもよく分からない。

これは井上靖が68歳の時に書いた小説である。
彼の母親は89歳で亡くなっているが、その死の前の10年間を描いたものである。
「花の下」「月の光」「雪の面」という3部からなっている。

私は現在64歳、母親は89歳で亡くなった。
そうしたところが、この小説と似ている。
そのために興味を惹かれたのかもしれない。
読む前は自分たちのことが重なってしまうのではないかと思っていたが、明治40年生まれの文豪と、医者の娘で軍医と結婚した母親では、ちょっと立派すぎて自分たちとは違い過ぎる。
あまり感情移入することなく読み終えた。
またそうした感情移入をさせるような類の小説ではなかったということでもある。

物語は父親が死んで5年を経たところから始まっている。
父親の死後すぐに問題になったのは、ひとりきりになった母親の身の振り方であった。
兄弟4人が相談の結果、末の娘の家に身を寄せることになる。
だが、次第に物忘れがひどくなった母親に振り回されるようになっていく。
やがて末の娘の心労が重なり、結局もうひとりの妹の家に移されることになる。
そうした老耄の日々が淡々と綴られていく。
そこには小説家としての醒めた目と同時に、息子としての切実な心の移ろいが描かれている。

誰もが通らなければならない親の老いと死という道、それを周りのものがどう捉え、どう対応していけばいいのか、そうしたことを真剣に考えさせられる小説であった。
しかし介護ということに関して言えば、私自身は遠く離れていることもあって、ほとんど何もしていない。
それについての苦労や悩みとは無縁の立場であった。
だからそうした切実な現実については、今ひとつ実感が伴わないままに読み終えたというのが正直なところであった。
しかし時折伝え聞く母親の老いていく様子に、切なさと何もできないもどかしさを感じたことは、この小説の語り手が感じた戸惑いや哀しみと相通じるものであった。
いずれにしても老々介護が当たり前の今に時代に、これは避けては通れない現実なのである。

昨日、弟のブログに、この小説と映画に関連して、亡くなった母親の「母の記」を書いてみようといった内容のことが書かれてあった。
それに触発されて、これを書いてみた。
弟がどんな「母の記」を書くのか、楽しみに待っていようと思う。


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桜三昧

昨日の弘前市の最高気温は26・7度、これで3日連続の夏日になった。
これは7月上旬くらいの気温だということだ。
春を飛び越えて、いっきに夏が訪れたのである。

朝の散歩の後は、弘前公園の西堀まで行ってみた。
満開であった。

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西堀は園内では、いちばん開花が遅い場所なので、これで公園内の桜はすべて満開ということになる。
今年は雪と寒さの影響で開花が遅れたが、ここ数日の暑さで開花がいっきに進んだ。
祭り期間は当初5日までだったが、開花の遅れを予想して2日延長、7日までに変更になった。
結果的には延長の必要はなかったわけだが、それでも7日まではじゅうぶん桜を楽しめそうである。

午後にまたもういちど公園に行き、今度は西堀の反対側から写真を撮った。
その後市内の桜の名所をいくつか自転車で回ってみることにした。

まず最初は藤代の革秀寺。ここは曹洞宗の寺で、門前の蓮池に沿って桜の木が並んでいる。
ここの桜も満開であった。

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つぎは禅林街にある「忠霊塔」の建つ広場。
ここの桜も見事であるが、訪れる人はほとんどいない。
あまり知られていない隠れた名所である。

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そして次に訪れたのは銅屋町の最勝院。
真言宗智山派の寺院で、境内には重要文化財としては日本最北になる五重塔が聳えている。
その周りを囲む桜の木との調和は見事である。
こちらもちょうど今が見頃であった。

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そして夜は家内とふたりで弘前公園に行き、夜桜を楽しんだ。
薄明かりに浮かぶ満開の桜は幻想的で美しかった。

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というわけで昨日は、一日中たっぷりと桜を堪能した、桜三昧の日であった。


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Category: 愛犬

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朝の散歩

今日の朝の散歩は家内とふたりで出かけた。
いつもはどちらかひとりがロシェルを連れて行くのだが、久しぶりにふたりで出かけた。
せっかくだから、これまで行ったことのない所へ行こうということになり、ちょっと脚を伸ばして曙橋下の河原に出かけることにした。

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ビーグル犬を連れたお年寄りがひとりだけ散歩をしていたが、ほぼ散歩が終わったようで、すぐにいなくなった。
後はわれわれだけになったので、さっそくロシェルを放して、ボール投げで遊んだ。

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今日の岩木川は水量が多く、流れもいつもより急であった。
上流のダムの放水があったのかもしれない。

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この場所から見る岩木山はいつもより近くに見える。

爽やかな朝でした。


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