風に吹かれて

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Category: 弘前

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30日、今日の弘前公園

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昨日の最高気温は25・3度で、今年初の夏日となった。
今日も同じく25度を越えるとの予報がでている。

この陽気に誘われて今日も弘前公園に桜を観に行ってきた。
昨年のさくら祭りは震災の影響で客足もまばらで閑散としていたが、今年はそれを盛り返すような数の人出で賑わっている。

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お馴染みの「おばけ屋敷」や「三忠食堂」も大賑わいであった。

公園前の煎餅屋の店先では津軽三味線のライブもやっていた。

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弘前の街は、今や祭り一色である。


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Category: 弘前

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29日、今日の弘前公園

今日からゴールデンウィークの始まりである。
昨日に引き続き、今日も弘前公園の様子を載せることにした。

昼過ぎに弘前公園に行ってきた。
園内の桜は場所によっては7、8分咲きのところもあり、またまったく咲いていないところもありで、平均すると5、6分咲きくらいになるのかな。
その見事な花を観ようと大勢の人出でごった返していた。

やはり弘前の桜は日本一である。

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5月の3、4、5日あたりが、一番の見頃になりそうだ。


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今日の弘前公園の桜

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ここ数日の暖かさで外堀の桜がようやく開き始めた。
かなり遅い開花のようであるが、昨年より1日遅く、平年より4日遅いだけの開花だそうだ。
園内の桜は今日にも開花宣言が出される模様。
今日も晴れたいい天気なので、この調子だと一気に開花が進みそうである。


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Category: 行事・記念日

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母の葬儀

22日午後6時25分、母が息をひきとった。
脳梗塞で入院して1週間後のことだった。
あっけないほどの最期だった。
看取ったのは、長年世話をしていた弟夫婦たちである。
グループ看護の養護施設に入所していた母は、心臓に疾患を抱えながらも、特別体調を崩すこともなく穏やかに過ごしていた。
だが、数日前に脳梗塞で意識を失い、救急車で病院に運ばれた。
その2日後には意識を取り戻し、左半身の自由は利かないものの、話ができるまでに回復をしていた。
そして徐々にではあるが、快方に向かっているとの知らせが弟からあった。
そういうわけで、幾分安心をしていたが、先週の土曜日、突然危篤状態に陥り、今夜が山だという連絡を受けたのである。
そして次の日、22日の夕方、ついに息をひきとった。
まさにあっという間の出来事であった。

翌日切符の手配をして、実家へと向かった。
弟からの連絡によると、23日午後6時半から通夜、24日午前11時から葬儀、告別式というスケジュールであった。
切符の手配をする前は、果たして通夜に間に合うかどうかと心配をしたが、何とか間に合わせることができた。
そればかりか、4時に手配していた納棺の儀式にも出ることができたのである。
こちらの到着に合わせて開始を30分遅らせてくれたからであった。

到着してすぐに遺体と対面した。
やつれた姿を想像していたが、顔はきれいに化粧が施されており、まるで今眠ったばかりといった印象であった。
姪が念を入れて丁寧に化粧をしてくれたからであった。
もともと若く見える母親だったが、それによってさらに若返って見えた。

さっそく集まった親類縁者たちの手で、足袋、手甲脚絆、白装束を遺体に着せる納棺の儀式が行なわれた。
そして予定通り6時半から通夜、その後は親戚一同が集まって夕食を共にした。
こうして第一日目の夜が、慌しいうちに更けていったのであった。


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Category: テニス

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テニスシーズン到来

昨日、今日と今シーズン初のテニスをやった。
今年は雪が多かったせいで、コートの貸し出しが大幅に遅れた。
例年なら4月の第一週からシーズンの始まりになるが、今年はその時点ではまだコートに大量の雪が残っており、結局2週間遅れの開始となってしまった。

待望のテニスシーズンの始まりと言いたいところだが、実はそうでもない。
というのもこの冬は体育館で行われていた練習には参加せず、ひたすら冬眠状態で過ごしたからであった。
また練習開始に合わせての準備は、まったく何もやっていなかった。
本来なら、筋力トレーニングやジョギングなどをやって、それなりにテニスができる身体を作っておくべきなのだが、何もやらずに過ごしていた。
それというのもスタートを少し遅らせて、暖かくなる5月に入ってからやろうとのんびりと構えていたからである。
なのに直前になって急に心変わりをして、思い切って初日から行くことにしたのである。
理由は何もない。ただ単に気が変わったというだけで、準備は何もやっていないけど、まあ顔だけ出してお茶を濁す程度に軽くやる分にはいいだろうと都合よく考えてのことであった。

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当日はシーズン開始に合わせたような申し分のない上天気だった。
集まったメンバーは約20人、待ちかねたメンバーたちがきっと大勢集まるだろうと考えていたので、予想よりはちょっと少な目。
それでも全員張り切ってのゲームが始まった。
そんな雰囲気に影響されたせいか、いざゲームが始まると、軽くやろうなどといった考えはどこかに吹き飛んでしまい、結局目いっぱいやることになってしまったのである。
走れるだろうか、ボールがうまく打てるだろうか、といった心配もあったが、やり始めると思っていた以上に身体が動いた。
結局初日にもかかわらず、5ゲームを消化した。
そして今日も引き続き練習に参加、参加者は昨日よりも多く、30名近くが集まった。
筋肉痛のため昨日よりは動きが鈍かったが、それでもまた楽しくプレイすることができた。

こんなふうに今シーズンのテニスが始まったのである。
いずれにしてもケガだけはしないよう、じゅうぶんに注意を払いながらやっていこうと思っている。


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Category: 読書

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ボストン・テラン「音もなく少女は」

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1950年代から70年代にかけてのニューヨーク、ブロンクスを舞台に描かれた3人の女性の物語である。
ひとりは、イタリア系の貧しい女性クラリッサ、そしてその娘イヴ、彼女は生まれつきの聾者である。
そのふたりを親身になって助けようとするドイツ移民の女性フラン。
ナチスの迫害を受けたという忌まわしい過去をもった女性である。
この3人に襲い掛かる過酷で非情な運命が描かれていく。

物語の中心はイヴである。
彼女の誕生から始まり、次第に成長していく姿を追いながら、物語は展開していく。
そしてそれをよりよき道へと導いていくのが、フランである。
3人の前に立ちはだかるのは、クラリッサの夫であり、イヴの父親でもあるロメイン。
麻薬の売人であり、暴力的で残虐な男である。
彼の狂気じみた虐待によって家庭は崩壊、クラリッサとイヴを絶望の淵へと追いやっていく。
そしてもうひとりの男は、スペイン系の犯罪者ロペス、このふたりの男の悪意と暴力が彼女らを追い詰めていく。
それに対して女性たちがどう立ち向かい、運命を切り開いていくか、物語は緊迫のうちに展開していく。
そして追い詰められるにしたがって、女性たちの内に秘めた強さが次第に発揮されることになっていく。

「人生とは悲しみに耐えることよ。勇気とはその悲しみを克服することよ。」
イヴを励ますフランのこの言葉が、この小説のすべてを物語っているように思える。
女は強し、とくに持久戦に持ち込まれればまず男は敵わない。
あらためてそう思った。
また人との出会いが、人生をいかに大きく変えていくかということも。

これは2011年の「このミステリーがすごい!」で第2位になった小説である。
作者のボストン・テランは、1999年にデビューした小説家である。
そしてデビュー作「神は銃弾」はイギリス推理作家協会新人賞を受賞している。

翻訳ものを読むのは久しぶりであった。
最近読むのは、日本の作家のものばかり。
そのせいか最初は翻訳の文章に馴染めず、なかなか物語に没入することができなかったが、話が佳境に入るにつれて段々とリズムに乗ってきた。
そして後半はあっという間に読んでしまった。
この調子でまた何か翻訳ものを続けて読んでみようかなと考えている。


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Category: 読書

Tags: ミステリー  

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道尾秀介「水の柩」

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道尾秀介の小説を読むのはこれが2冊目である。
前回読んだのは、「光媒の花」、こちらは短篇集だったが、今回の「水の柩」は長篇小説。
これを選んだのは、以前テレビの「週間ブックレビュー」に作者の道尾秀介がゲストとして出演、この本について話していたのを見て、いつか読んでみようと思っていたからであった。
それがたまたま図書館の棚に並んでいた。
さっそく借りて読んだというわけである。

<私たちがあの場所に沈めたものは、いったい何だったのだろう。 五十数年前、湖の底に消えた村。少年が知らない、少女の決意と家族の秘密。 誰もが生きていくため、必死に「嘘」をついている。 いま最もまぶしい作家が描く、成長と再生の物語。 老舗旅館の長男、中学校二年生の逸夫は、自分が“普通”で退屈なことを嘆いていた。同級生の敦子は両親が離婚、級友からいじめを受け、誰より“普通”を欲していた。文化祭をきっかけに、二人は言葉を交わすようになる。「タイムカプセルの手紙、いっしょに取り替えない?」敦子の頼みが、逸夫の世界を急に色付け始める。だが、少女には秘めた決意があった。逸夫の家族が抱える、湖に沈んだ秘密とは。大切な人たちの中で、少年には何ができるのか。絶望と希望を照らす作家・道尾秀介がおくる、心に染みる人間ドラマ!>
これがこの本について書かれた惹句である。

事件というほどのものは特何も別起こらないが、体裁はいちおうミステリー仕立てになっており、謎めいた過去や現在が交錯しながら物語は展開していく。
そうした興味に惹かれながら読み進んでいったが、いまひとつ盛り上がらないままに終わってしまった。
もうひと捻り欲しかった、そしてもう少し人間ドラマとしての深さが欲しかったというのが読後の感想であった。

人は忌まわしい過去の記憶をどうやって乗り越えていけばいいのか、また果たして乗り越えることができるのだろうか、そうしたことがこの作品の大きなテーマである。
人は多かれ少なかれ過去に捉われ、そして過去を引きずって生きている。
そしてそれが忌まわしいほど、そこから逃れようともがく。
だが、却ってその過去に捉われてしまうことになる。
消し去りたいと思いながらも消すことの出来ない過去、この物語では敦子という少女と、いくという少年の祖母のふたりがそうしたことを抱えて生きる人物として登場する。
それを逸夫という少年の目で捉えて描いていく。
「水の柩」という題名に因むように、雨やダム、川の水などの情景が印象的に描かれている。
そしてそこに射すさまざまな光が、人間の意志を超えた何ものかを象徴するように描かれている。
非常に映像的なものを感じさせる描写である。印象に残る描写である。

また蓑虫(みのむし)が効果的な小道具として使われているのにも興味を覚えた。
それについて次のような記述がある。

<昔、鬼は自分の子供を見て、この子も親に似て恐ろしい心を持っているのではないかと考えた。だからその子供をいっそ捨ててしまうことにした。秋風が吹く頃に帰ってくると言い残し、鬼は子供に、持っている中でいちばん粗末な着物だけを渡して出ていった。子供は親に言われた言葉を信じ、着物にくるまって帰りを待った。しかし父親は、いつまで経っても帰ってこなかった。
 だからいまでも蓑虫は、秋がくると、「父よ、父よ」と親恋しさに泣くのだという。>

そんな蓑虫を祖母のいくが飼っている。
そして色とりどりの毛糸や色紙を与えてカラフルな蓑虫を作らせている。
実際の蓑虫は蓑の中に入っている黒い芋虫である。
しかし人は外見である蓑を見て、それを蓑虫と呼ぶ。
しかもそれがカラフルな蓑虫だときれいだと言う。
だがほんとうの姿は黒く醜い芋虫でしかない。
人も同じで、中身が見られることがなく、外見ばかりで見られてしまう。
そうしたことが祖母の口から語られる。

「水の柩」の「柩」は「棺」ではなく「柩」にした理由を、「閉じたものではなく開いたイメージにしたかったから」と、「週間ブックレビュー」出演の際に語っていた。
その作者の言葉通り、小説の最後では開かれた空間を感じることができたのであった。


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Category: 読書

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宮本輝「五千回の生死」

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先日「骸骨ビルの庭」を読んだ後、宮本輝の小説をまた読みたくなった。
それも最近の小説よりも昔の小説を。
そこで図書館で探したところ「五千回の生死」という短篇集があったので、それを借りてきた。
これは1981年から87年までの7年間に書かれた短篇をまとめたものである。
あとがきには次のように書いている。

<「眉墨」は、昭和五十六年八月号の「新潮」に発表している。この短篇集を編むことが決まったのは昭和六十二年の正月だったから、わずか九篇の短い小説を書くために、七年間かかったことになる。その間、長篇小説に没頭し、十篇の長い小説を書いた。小説家の多くは、長篇に取り組んでいると、ふと、そのあいまに、極く短い小説の発端とか結末とか部分とかに魅かれるという事態が生じるらしい。それは俗に言う「口直し」とは、かなり異なった精神の枝葉の刈り込み、あるいは一輪差しを欲する心の移ろいだと思う。けれども、枝葉の刈り込みも、一輪差しの手ぎわも、思いのほか難しくて、やりだした途端に投げ出したくなる。投げ出さなかったのは、ひとえに、執念深い編集者諸氏の熱意のお陰だと感謝している。
 私にとっては三冊目の短篇集になるが、なぜか短篇小説というものに今後の意欲をもたらしてくれる一冊となった。>

表題作の「五千回の生死」以下、「トマトの話」「眉墨」「力」「アルコール兄弟」「復讐」「バケツの底」「紫頭巾」「昆明・円通寺街」の九篇からなる。
どれも物語というほどのストーリーがあるわけではなく、日常のなかでふと出合ったちょっと心に残る出来事をさり気なく書いたものばかりである。
なかでも好きなのは、表題作である「五千回の生死」と「トマトの話」。

「五千回の生死」は、死んだ父親が残した借金に苦しむ大学生が、遺品のライターを友人に買ってもらおうと出かけるが、あいにく友人は家族旅行に出た後で会うことができず、しかも帰りの電車賃がないために、仕方なく夜の道を歩いて帰ることになる。
その途中、自転車に乗った奇妙な男と遭遇するという話。
その男は自転車に乗れと言うが、見ず知らずの男の自転車に乗る気にはならず、いちどは断るが、それでもなおもしつこくつきまとう。
そして男の笑顔に誘われるように、とうとう自転車に乗ることになる。
すると男はこんなことを言う。
「俺、一日に五千回ぐらい、死にとうなったり、生きとうなったりするんや。兄貴も病院の医者も、それがお前の病気やて言いよるんやけど、俺はなんぼ考えても、病気とは思われへん。みんなそうと違うんか? お前はどうや?」
こいつ頭がおかしいのかと大学生は思う。
しかし男はさらに
「お前かて、死にたなったり、生きたなったりするやろ?そんな事思うの人間だけやろ?俺が正常な人間やという証拠やないか」
歩き疲れて、もうどうにでもなれと居直った大学生は
「俺はもう歩いて帰る気力がないんや。そやけど、もし死にたなったら教えてくれよ。そしたら俺は荷台から飛び降りるからな。」
その後男は何回も「死にとうなった」「生きとうなった」と叫び、そのたびに自転車から飛び降りたり、乗ったりと忙しくなる。
そしてそんなことを繰り返しているうちに、だんだんと男に親しみを感じるようになっていく。
さらに男は
「死んでも死んでも生まれてくるんや。それさえ知っとったらこの世の中、なんにも怖いもんなんかあるかいな。」と叫ぶのであった。
絶望的な気持ちに沈んでいた大学生だったが、その男と奇妙なやりとりをするうちに、だんだんと心が癒されていった。
そして最後は・・・・、という話である。

寒々しい夜道を疲れ切って帰ってきた主人公が、最後には心の中に小さな火が灯ったように、読んでいるこちらもほのぼのとした気持ちになる小説であった。
こういう話はやはり大阪弁で書かれると、説得力が増す。
大阪弁のもつリアルな力が効果的に使われているなあと思う。

「トマトの話」も「五千回の生死」と同じく死んだ父親が残した借金に苦しむ大学生が主人公である。
そのため彼は数多くのアルバイトを経験したが、そのなかの道路工事現場のアルバイトをしたときの話である。

ある日飯場の奥の部屋に、中年の痩せた男が床に就いているのに気づく。
賄いの女に頼まれてその男に麦茶を持っていくと、男から「トマトを買ってきてくれないか」と頼まれる。
よく見るとその男には死期の迫った病人特有の翳りがあった。
現場の責任者に男のことを尋ねると、数日前に手配師に連れられてやってきた日雇い労働者で、氏素性も分からない男だと言う。
頼まれるままにトマトを買ってきたが、男はいつまでもトマトを食べずにいる。
そしてトマトを胸に抱いて目にいっぱい涙をためている様子をふと目にしてしまう。
その後また男から一通の手紙を投函するように頼まれるが、その直後男は血を吐いて死んでしまう。
その顛末を描いた話である。ちょっと身につまされる話であった。
どちらも、宮本輝が繰り返し書く、死のモチーフが描かれた小説である。
失意のなかにある主人公にとって、それらの死はけっして無縁のものではない。自らの将来を暗示しているかのようにも思えてくる。
そうした死と遭遇したことで、これからの人生を考えるきっかけにもなったであろう。
あるいは生きていくための手がかりを手にすることができたかもしれない。
いずれにしても、主人公のその後の人生に色濃く影を落としたことは間違いない。
そんなことを想像しながら読んだのであった。


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Category: 暮らし

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春らしい天気に誘われて

昨日は孫のすずの子守の日だった。
一昨日の夜は孫の瑚太郎を連れて次女が泊まっていたので、朝は孫ふたりが揃って賑やかだった。

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晴れて気温が上がったので、すずと近所をひと回り。

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その後は庭で遊ばせた。
スコップを持って熱心に土いじりである。

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あれほどあった庭の雪もようやく消えた。
庭木の枝折れが目立つ。
やらなければいけない庭仕事がたくさん待っている。

昼食と買い物をするためにすずを連れて出かけた。
近くのホームセンターで鉢植えを買った後、スーパーで夜の買い物、その後はレストランで昼食を摂った。

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天気がいいので気持ちがいい。
すずもいつもよりテンションが上がって楽しそうであった。
今後は出来るだけすずを連れて外に出かけようと思っている。


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Category: 読書

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宮本輝「骸骨ビルの庭」

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宮本輝の小説を読むのは30数年ぶりのことである。
最初に読んだ小説は、「泥の河」だった。
映画化された「泥の河」を観て、その原作である小説を読んでみたいと思ったからであった。
映画もよかったが、小説はさらによかった。
それがきっかけで宮本輝の著書を短期間のうちに集中的に読むことになったのである。
「泥の河」に続いて読んだのが、川三部作といわれる「蛍川」と「道頓堀川」、さらに「青が散る」「幻の光」「星々の悲しみ」など、そしてエッセイ集「二十歳の火影」。
また映画化された「幻の光」「蛍川」「道頓堀川」「流転の海」なども観た。
そして急速に宮本輝のファンになっていったのである。
ただ、それ以上作品を追うことはなく遠ざかってしまったが、宮本輝は気になる存在として、いつも心の片隅にあった。
そして30数年ぶりに読んだのが「骸骨ビルの庭」であった。
上下2巻からなる長編だが、いっきに読んでしまった。
やはり話のうまさは、今なお健在であった。

大阪・十三(じゅうそう)、その一角に建つ「骸骨ビル」と呼ばれる3階建ての古いビルが舞台である。
大手電気メーカーをリストラされ、不動産管理会社に再就職した八木沢省三郎という人物が、取り壊すことになっている「骸骨ビル」に居座る住民達と、立ち退き交渉をするためにビルを訪れる。
そしてその交渉を穏便に進めるために長期戦を覚悟、彼も管理人として「骸骨ビル」に住むことになる。
立ち退き交渉での住人それぞれのインタビューのなかからモザイクのように浮かび上がってくる阿部轍正と茂木泰造というふたりの青年の姿、彼らは戦後のどさくさの中でこのビルで戦災孤児数十人を育てたのであった。
その苦難に満ちた戦後の時間が、ジグゾーパズルのピースをひとつひとつ丹念に埋めていくように明らかになっていく。
そして彼らがどうしてビルを立ち退かないのかということも。
展開はスリルに満ちていてこちらの心を掴んで放さない。
また出てくる住人たちは、全員阿部と茂木に育てられた孤児たちである。
今はそれぞれに独立し、私立探偵、人材派遣会社社長、業界新聞社の社主、彫金師、長距離トラックの運転手、SM雑誌の発行人、そしてゲイ・バーのホステスなどになっている。
全員得体の知れないような人物ばかりだが、その個性的でバイタリティあふれるキャラクターは、人を惹きつけてやまない。
阿部と茂木のふたりの教えと導きによって、自分ひとりで生きる力を植えつけられているからだということが次第に見えてくる。
そのことについては、V・E・フランクルの『意味への意志』からの次のような一節が引用されている。

<われわれは他者の人生に意味を与えることはできません。われわれが彼に与えることができるもの。人生の餞(はなむけ)として彼に与えることのできるもの、それはただひとつ、実例、つまりわれわれのまるごとの存在という実例だけであります。
 というのは、人間の苦悩、人間の人生の究極の意味への問いに対しては、もはや知的な答えはあり得ず、ただ実存的な答えしかあり得ないからであります。われわれは言葉で答えるのではなく、われわれの現存在そのものが答えなのです。>

人を教え導くことの本質がここにはある。そして阿部と茂木はそれを自ら実践し、その結果が現在の彼らの姿なのである。

宮本輝は1947年生まれの作家である。
この小説の語り手である八木沢は舞台となっている1994年の時点で47歳である。
すなわち、宮本輝と同じ年齢である。
つまり宮本輝自身が色濃く投影された人物といってもいいかもしれない。
そしてこの物語は八木沢の日記という形でられていく。
読んでいるうちに、宮本輝自身が語っているような錯覚に囚われることが何度かあった。
行間から彼の実生活の一部が垣間見えてくるような気がするのであった。

この小説は、けっしてすべてのことが丸く収まって終わるといった終わり方ではない。
この後果たしてどうなっていくのだろうと思わせる終わり方なのである。
言い換えれば、突き放したような終わり方。これは宮本輝の他の小説でもしばしば使われている手法である。
彼の小説がもつひとつの特徴といえるものである。
こうした終わり方は読者を置いてきぼりにさせるが、それだけに却って後を引きずることになり、余韻が残る。
読後しばらくの間、いろいろと考えさせられることになる。

宮本輝はこの小説について次のように語っている。
「現在、自分のことで精いっぱいという人が増えている。阿部は飢えた子供らを育て上げたものの報われずに死ぬ。お人よしか、頭がおかしいと言われるような行為をやり抜いた男を描きたかった」
それによって豊かさのなかでわれわれ日本人が失っていったもの、そのことについてもういちど原点に立ち返って考え直すきっかけを示そうとしているのではなかろうか。
生死を分かつ戦場から生き帰り、戦後の混乱の中で孤児たちを育て上げた阿部と茂木というふたりの人間を描くことによって、人が真に生きるということ、人と人とのつながりとは何かということ、そうしたことを静かに謳いあげようとしたのである。

最後に小説のなかに次のような言葉があったので、書いておく。
<雑木林がなんであんなにきれいなのか。それはさまざまな種類の木がはえてるからや。それぞれ種類の違う木は、お互いに生きるために闘争をしてるそうや。 日本の植林山が脆弱なのは、そこに異種闘争がないために、木自身が強靭な根を地中深く伸ばそうとせんからやって、ある植物学者が言うとった。檜なら檜ばっかり、杉ならば杉ばっかりが整然と山の斜面に人工的に植えられているやろ? そこに植えられた木は、生き抜くための闘いの必要性がない。
しかし、雑木林にいったん根を張ったら、樫もくぬぎもナラもブナもカエデも楠(くす)も、他の木と争って生き抜こうとする。雑木林には、その生き抜こうとする命の美しさがみちてるんやと思う。>


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孫の入園式

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昨日は孫の瑚太郎の入園式だった。
また偶然ながら、昨日で生まれてちょうど100日目でもあった。
二重の意味でめでたい日であった。

娘から入園式の写真を撮るように頼まれたのでいっしょに出席した。
「みどり保育園」という保育園である。
この保育園は創立60年以上という、歴史ある保育園で、母体が医療法人ということもあって、乳幼児の健康についてはとくに気を配っている。
また「弘前厚生学院」という「保育士」と「介護福祉士」を養成する学校も併設していることから、保育の内容が充実していることでも知られている。
昨年までは「弘前偕行社」という旧陸軍の社交場として建てられた歴史的建造物が保育園として使われていたが、今年から場所を吉野町に移して新しい園舎になった。
隣には同じ系列の弘前中央病院があり、向かい側には奈良美智作「AtoZ MemorialDog」が立つ吉井倉庫と吉野町緑地がある。
また保育園の庭の向こうには弘前中央電鉄の線路が通っており、電車が通るたびに園児たちの歓声があがるそうだ。
そんな恵まれた環境の保育園に通うことになったのである。
だがほんの少しの間でもいいから「弘前偕行社」のほうにも通ってみたかったというのが本音である。
が、あまり欲を言っても仕方がない。
しかし新しい保育園のほうが距離的には近い。
毎日の利便性から言えばこちらのほうがいいのは間違いがない。
しかも新築の建物なのだからこれ以上のことはない。
いずれにしてもこの保育園に入園できたことはほんとうに幸運であった。
安心して瑚太郎を預けることができる。
まだ3ヶ月になったばかりなので、心が痛むと娘は言うが、長い目で見ればきっと孫のためになるのではなかろうか。
そんなふうに考えている。

明後日から瑚太郎の保育園生活が始まる。
どんな保育園生活になるか、楽しみである。

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左上がみどり保育園の建物。園の駐車場からは大円寺(最勝院)の五重塔や、中三デパートのUFOが乗ったようなデザインのビルが見える。


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娘の誕生日

昨日は長女の(?)回目の誕生日だった。
一昨日はわが家に泊まったので、一日早い誕生祝をした。
というよりもそれに託けて、おいしいケーキを食べようというのがほんとうのところかもしれない。

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(昨日これを投稿した際、写真をアップしようとしたが、調子が悪く、いくらやってもダメだった。今日写真を変えてやってみると何とかできたが、原因が何だったのかは不明のままである。)

「Zilch」に頼んで作ってもらったバースデー・ケーキが食卓に並ぶ。
最近は家内のこだわりでケーキはすべて「Zilch」のものしか買わなくなった。
「Zilch」は喫茶店なので、ケーキがメインというわけではないが、注文すれば快く応じてくれる。
「Zilch」で作るケーキは生クリームでデコレートしていないケーキがほとんどである。
こういうケーキを何て呼ぶんだろう。生地がしっかりしていて、なかには木の実などが入っている。
いちど口にすると、くせになってしまう味である。
娘も家内もこういったものには目がないので、何かと理由をつけてはケーキを注文している。
それが日常のささやかな楽しみになっている。
甘さ控えめに作ってもらったケーキがおいしかった。


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近藤史恵「サクリファイス」

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自転車のロードレースが盛んなのはヨーロッパである。
世界最大のレース、ツール・ド・フランスをはじめ、ジロ・デ・イタリア、ブエルタ・ア・エスパーニャなど、名だたるロードレースが目白押しである。
いずれも長い歴史をもつヨーロッパ伝統のスポーツである。
しかし、日本でのロードレースはまだまだ認知度が低く、一般にはほとんど知られることなく行われているというのが実情である。
そんなマイナーなスポーツであるロードレースの世界を舞台に描いたのが、「サクリファイス」という小説である。

作者は近藤史恵、この小説で初めて知った女流作家である。
大阪府出身、大阪芸術大学文芸学科卒業後、1993年に小説家デビュー、主にミステリーを書いているが、歌舞伎にも造詣が深く、歌舞伎を題材にした作品も数多く書いている。
果たして女性がロードレースの世界をどんな風に描くのだろうと、読む前には幾分危惧する気持ちもあったが、読み始めると、作者が女性などということは、どこかに行ってしまい、どんどんと物語の世界に引き込まれていった。

ロードレースという競技はチームを組んで走る団体競技ではあるが、また個人競技でもある。
チームのなかにはエースと、それをサポートするアシストがおり、アシストはあくまでもエースを勝たせるために走る陰の存在である。
自分の成績を犠牲にしても、エースをサポートする。
それがアシストとしての役割である。
主人公白石誓はそんなアシストとしての役割を忠実に守る新人レーサーである。
そして「アシスト」として走ることに生きがいと充実感を感じている青年である。
彼は高校時代は陸上の中距離の選手であった。
インターハイで優勝し、将来はオリンピックも夢ではないと期待されていた。
しかしそうした期待に次第に重圧を感じるようになっていく。
そんなときに出合ったのが、ロードレースであった。
そしてエースとアシストという立場を守りながらレースを展開していくロードレースという競技に言い知れぬ魅力を感じ、陸上競技からの転向を決意したのであった。

「サクリファイスsacrifice」とは「 いけにえ、犠牲」という意味である。
この小説ではエースとアシストとの関係を表している。
そのエースとアシストとの間に生まれるさまざまな確執と葛藤を軸に、物語は意外な結末へと進んでいく。

ロードレーサーに乗り、自転車を趣味としている自分にとって、実に興味深い小説であった。
特別心躍らせて読み進んでいった。
(昨晩の強風で夜中に目が醒めたので、そのまま朝まで一気に読んでしまった。)
しかしロードレースに関心のない人が読んでも、じゅうぶんに楽しめる内容である。
青春小説としての側面とミステリーとしての側面をもっているので、そうした小説好きにはおススメの一冊である。
なお続編に「エデン」という小説もあるとのこと。
こちらもいずれ読んでみたいと思っている。

またアニメ「茄子 アンダルシアの夏」などをいっしょに観るのも、いいかもしれない。
よりロードレースの世界が分かって参考になるだろう。


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Category: 読書

Tags: 時代小説  

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冲方丁(うぶかた・とう)「天地明察」

tenchimeisatu.jpg

2010年の本屋大賞を受賞した小説である。
以前から読みたいと思いながら、人気作品ということで、図書館ではいつも貸し出し中で、なかなかこちらには回ってこなかった小説である。
ところが先日図書館に行ってみると、書棚にこれが並んでいるのを発見、さっそく借りてきた。

江戸時代、4代将軍徳川家綱の時代、幕府に仕える囲碁の棋士であり、算術と天文学にも強い関心をもつ青年・安井算哲こと渋川春海が、家綱の輔佐役である会津藩藩主、保科正之の命を受けて、日本初の暦「大和暦」を生み出すまでの苦闘の歳月を描いた物語である。
囲碁、算術、天文学という、自分にとってはあまり縁のない世界を描いているので、その世界を覗き見る面白さにつられて読み進むうち、次第にその面白さに夢中になってしまった。
そして江戸時代のこうした学問の世界のレベルの高さやその奥の深さにあらためて感心したのであった。

この小説ではさまざまな「勝負」が描かれる。
囲碁、算術そして暦の世界での勝負である。
まず囲碁では御城碁(おしろご)の世界が描かれる。
御城碁とは、囲碁の家元四家(本因坊家、井上家、安井家、林家)の棋士による、徳川将軍上覧の対局のことである。
なかでも本因坊家と安井家の争いは熾烈を極めており、本因坊家の天才棋士本因坊道策が安井算哲(渋川春海)のライバルとして描かれている。
さらに算術の世界では、数学の天才関孝和が渋川春海の前に大きな壁となって現れる。
そんなライバルたちとの交流によって鍛えられていく渋川春海の姿が瑞々しく描かれていく。
成長物語、青春小説としての面白さが前半のメインである。
そして後半はそうした研鑽のなかから得た知識を総合して天文の世界、そして新しい暦を生み出す苦闘の歳月へと続いていく。

道を究めるということの面白さがこの小説の醍醐味である。
大事業というのはひとりの力ではどうしようもない、また一朝一夕には叶わぬものである。
多くの人間たちの助けを借り、また影響や刺激を受けながら、長い年月をかけて忍耐強く積み重ねていくことで成し遂げられるものである。
そのことを、あらためて感じた。
渋川春海に刺激を与え影響を与えた人物としては、先に挙げた天才棋士本因坊道策や天才数学者・関孝和のほかにも、数学者・村瀬義益、天文学者・伊藤重孝と伊藤重孝、会津藩藩主・保科正之、老中・酒井忠清、そして儒者・山崎闇齋などが登場、それぞれが魅力的な人物として描かれている。
さらに数学者・荒木家の娘で、後に渋川春海の妻になる、えんの励ましもこの大事業の力強い後押しとして描かれている。

渋川春海という人物はけっして天才的な人物としては描かれていない。
というよりもむしろ、ちょっとしたことにもすぐに動揺を見せてしまう弱々しい面をもった人物として描かれている。
しかし算術や天文学への限りない情熱や探究心は生涯失うことはなかった。
そして数々の挫折を繰り返しながらも、けっして諦めることなく、前へ進んだ結果が、大事業への成功へと結びついたのであった。
そうした努力や執念は、やはり人を感動させるものがある。
彼を支え、励まし続けた人たちも、そうした姿に感動したからこそ彼を認め支え続けたのであろう。
あっぱれな人生を清々しい思いで読み終えたのであった。

ところでこれを読み終えた後で、知ったのだが、この小説が映画化されたそうだ。
監督は「おくりびと」の滝田洋二郎、渋川春海役は岡田准一、今年の秋(9月)に全国上映されるそうだ。
どんな映画になっているか、楽しみである。


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