Category: 弘前
映画看板のある居酒屋
市内土手町の一角にかくみ小路という小さな路地がある。
そこにちょっと風変わりな店構えの居酒屋がある。
「半兵エ」という名前の居酒屋で、店のファサードには古い映画の看板がたくさん貼り付けられている。
まず店の側面には、セーラー服姿の吉永小百合の大きな看板がある。
「青い山脈」出演時の姿である。
弘前と関りの深い作品という意味合いで、この絵が選ばれたのかもしれない。
さらに正面に回ると、10枚の古い映画のポスターが並んでいる。
右から順番に「月がとっても青いから」「東京危険地帯」「西銀座駅前」「男のブルース」「東海道非常警戒」「陽のあたる坂道」「銀座カンカン娘」「東京ドドンパ娘」「愛ちゃんはお嫁に」「ハワイの夜」。
戦後の日本映画全盛期のプログラムピクチャー中心のポスターだが、店主の好みなのか、なぜか歌謡映画が多い。
菅原都々子の「月がとっても青いから」、フランク永井の「西銀座駅前」、高峰秀子の「銀座カンカン娘」、渡辺マリの「東京ドドンパ娘」、鈴木三重子の「愛ちゃんはお嫁に」、鶴田浩二の「ハワイの夜」と6本が歌謡映画である。
歌謡曲のヒット曲が生まれればすぐに映画化され、また映画の主題歌として歌が歌われ、それがヒットするといったように、当時は今以上に歌謡曲と映画が密接な関係にあったということだ。
そうした時代の風潮が、こうした何気ないセレクトのなかにも自然と現れているということなのかもしれない。
ところでこの10枚のポスターのなかで、よく知られた映画は「陽のあたる坂道」1本だけで、これは田坂具隆監督の名作だが、後はほとんどが埋もれてしまった映画ばかりで、今や知る人も少ない。
そこでこの機会にそれぞれがどういった映画だったか、ちょっと調べてみることにした。
まずは「月がとっても青いから」は1955年の日活映画。森永健次郎が監督、出演者は南寿美子、中川晴彦となっているが、まったく知らない俳優たちである。
唯一知っている俳優としてはフランキー堺が出演している。
ちなみにこの歌を歌った菅原都々子は青森県十和田市生まれである。
「西銀座駅前」は1958年の日活映画。今村昌平監督のデビュー2作目の作品である。
上映時間52分という2本立て興行の添え物映画として作られたもの。
主演は柳沢真一、脇役として西村晃、小沢昭一、フランキー堺らが出演している。
「東京危険地帯」は1961年の日活映画。小杉勇監督、青山恭二主演の犯罪ドラマで、機動捜査班の活躍を描いた映画。
小杉勇は戦前は俳優として活躍した人で、戦後は俳優としてのかたわら映画の監督もやったという人である。
この10枚のポスターのなかでは、「陽のあたる坂道」と「ハワイの夜」にも出演をしている。
「男のブルース」は1958年の日活映画。三船浩のヒット曲「男のブルース」を映画化した作品。
森永健次郎が監督、青山恭二、沢本忠雄、南風夕子が出演、大型漁船を舞台に繰り広げられる海洋アクション映画である。
「東海道非常警戒」は1960年の新東宝映画。宇津井健主演のアクション映画である。
「銀座カンカン娘」は1949年の新東宝映画。監督は島耕二。高峰秀子、灰田勝彦、笠置シヅ子といった出演者に交じって古今亭志ん生が出演しているところが珍しい。
以前YouTubeで志ん生が出演しているシーンを見た事があるが、戦後数年ということもあってその後よく知られている、ふくよかな志ん生とは違ってずいぶん痩せた志ん生だった。
この映画での志ん生の役柄は引退した落語家というもので、そのために映画の中でも志ん生の一席が披露されている。
今となっては貴重な映像だ。機会があればぜひ見てみたい。
ちなみに「カンカン」とは山本嘉次郎の造語で、「カンカンに怒っている」という意味である。
「東京ドドンパ娘」は1961年の日活映画。監督は井田探、当時大ヒットした渡辺マリの歌「東京ドドンパ娘」を映画化したもの。
沢本忠雄と渡辺マリが主演、なぜか歌手の田代みどりも出演している。
「愛ちゃんはお嫁に」は1957年の日活映画。坪内美詠子、高田敏江、青山恭二が出演した歌謡メロドラマ。
「ハワイの夜」は1953年の新東宝映画で、鶴田浩二、岸恵子が主演するラブ・ロマンス。
三橋達也、小杉勇、水の江滝子らが共演をしている。
マキノ雅弘と松林宗恵のふたりが監督をするという珍しい映画で、大々的なハワイ・ロケを敢行している。
鶴田浩二が起こしたプロダクションと新東宝が提携して製作したもので、いわば鶴田浩二のための映画といった内容の映画であった。
以上「陽のあたる坂道」以外の9本の映画についての概略である。
ほとんどが、シスターピクチャーと呼ばれた2本立て興行の添え物映画であるが、こうした種類の映画が次々と作られて、大勢の人々を楽しませていたのである。
映画が娯楽の王様と言われた映画黄金時代の話である。
そうしたことを振り返るきっかけを、街角の居酒屋の看板がもたらせてくれた。
おかげで、興味深い時間を過ごすことができた。
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そこにちょっと風変わりな店構えの居酒屋がある。
「半兵エ」という名前の居酒屋で、店のファサードには古い映画の看板がたくさん貼り付けられている。
まず店の側面には、セーラー服姿の吉永小百合の大きな看板がある。
「青い山脈」出演時の姿である。
弘前と関りの深い作品という意味合いで、この絵が選ばれたのかもしれない。
さらに正面に回ると、10枚の古い映画のポスターが並んでいる。
右から順番に「月がとっても青いから」「東京危険地帯」「西銀座駅前」「男のブルース」「東海道非常警戒」「陽のあたる坂道」「銀座カンカン娘」「東京ドドンパ娘」「愛ちゃんはお嫁に」「ハワイの夜」。
戦後の日本映画全盛期のプログラムピクチャー中心のポスターだが、店主の好みなのか、なぜか歌謡映画が多い。
菅原都々子の「月がとっても青いから」、フランク永井の「西銀座駅前」、高峰秀子の「銀座カンカン娘」、渡辺マリの「東京ドドンパ娘」、鈴木三重子の「愛ちゃんはお嫁に」、鶴田浩二の「ハワイの夜」と6本が歌謡映画である。
歌謡曲のヒット曲が生まれればすぐに映画化され、また映画の主題歌として歌が歌われ、それがヒットするといったように、当時は今以上に歌謡曲と映画が密接な関係にあったということだ。
そうした時代の風潮が、こうした何気ないセレクトのなかにも自然と現れているということなのかもしれない。
ところでこの10枚のポスターのなかで、よく知られた映画は「陽のあたる坂道」1本だけで、これは田坂具隆監督の名作だが、後はほとんどが埋もれてしまった映画ばかりで、今や知る人も少ない。
そこでこの機会にそれぞれがどういった映画だったか、ちょっと調べてみることにした。
まずは「月がとっても青いから」は1955年の日活映画。森永健次郎が監督、出演者は南寿美子、中川晴彦となっているが、まったく知らない俳優たちである。
唯一知っている俳優としてはフランキー堺が出演している。
ちなみにこの歌を歌った菅原都々子は青森県十和田市生まれである。
「西銀座駅前」は1958年の日活映画。今村昌平監督のデビュー2作目の作品である。
上映時間52分という2本立て興行の添え物映画として作られたもの。
主演は柳沢真一、脇役として西村晃、小沢昭一、フランキー堺らが出演している。
「東京危険地帯」は1961年の日活映画。小杉勇監督、青山恭二主演の犯罪ドラマで、機動捜査班の活躍を描いた映画。
小杉勇は戦前は俳優として活躍した人で、戦後は俳優としてのかたわら映画の監督もやったという人である。
この10枚のポスターのなかでは、「陽のあたる坂道」と「ハワイの夜」にも出演をしている。
「男のブルース」は1958年の日活映画。三船浩のヒット曲「男のブルース」を映画化した作品。
森永健次郎が監督、青山恭二、沢本忠雄、南風夕子が出演、大型漁船を舞台に繰り広げられる海洋アクション映画である。
「東海道非常警戒」は1960年の新東宝映画。宇津井健主演のアクション映画である。
「銀座カンカン娘」は1949年の新東宝映画。監督は島耕二。高峰秀子、灰田勝彦、笠置シヅ子といった出演者に交じって古今亭志ん生が出演しているところが珍しい。
以前YouTubeで志ん生が出演しているシーンを見た事があるが、戦後数年ということもあってその後よく知られている、ふくよかな志ん生とは違ってずいぶん痩せた志ん生だった。
この映画での志ん生の役柄は引退した落語家というもので、そのために映画の中でも志ん生の一席が披露されている。
今となっては貴重な映像だ。機会があればぜひ見てみたい。
ちなみに「カンカン」とは山本嘉次郎の造語で、「カンカンに怒っている」という意味である。
「東京ドドンパ娘」は1961年の日活映画。監督は井田探、当時大ヒットした渡辺マリの歌「東京ドドンパ娘」を映画化したもの。
沢本忠雄と渡辺マリが主演、なぜか歌手の田代みどりも出演している。
「愛ちゃんはお嫁に」は1957年の日活映画。坪内美詠子、高田敏江、青山恭二が出演した歌謡メロドラマ。
「ハワイの夜」は1953年の新東宝映画で、鶴田浩二、岸恵子が主演するラブ・ロマンス。
三橋達也、小杉勇、水の江滝子らが共演をしている。
マキノ雅弘と松林宗恵のふたりが監督をするという珍しい映画で、大々的なハワイ・ロケを敢行している。
鶴田浩二が起こしたプロダクションと新東宝が提携して製作したもので、いわば鶴田浩二のための映画といった内容の映画であった。
以上「陽のあたる坂道」以外の9本の映画についての概略である。
ほとんどが、シスターピクチャーと呼ばれた2本立て興行の添え物映画であるが、こうした種類の映画が次々と作られて、大勢の人々を楽しませていたのである。
映画が娯楽の王様と言われた映画黄金時代の話である。
そうしたことを振り返るきっかけを、街角の居酒屋の看板がもたらせてくれた。
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