Category: 読書
大崎善生「アジアンタムブルー」

「優しい子よ」に続いて読んだ大崎善生の小説である。
「優しい子よ」はどちらかといえば、作者自身の体験をもとに描いたドキュメンタリー風の私小説だったが、こちらは純粋なフィクションである。
ただ共通して感じるのは、やはり「優しさ」であった。
「アジアンタムブルー」というのは、シダ科の観葉植物であるアジアンタムが元気をなくした状態のことを指している。
そうした状態に陥ると、いくら水や肥料を与えても効き目がなくなり、多くは枯れるのを待つだけになってしまう。
だがそうした状態をまれに乗り越えられたアジアンタムは、その後二度とブルーになることはなく、元気に育っていく。
小説の中の表現を借りると「憂鬱のなかから立ち上がったアジアンタムだけが、生き残っていく」のである。
そのアジアンタムを恋人の死という悲劇に直面した主人公の姿と重ね合わせ、そこからの再生を描いている。
しかしこう書くと、ごくありふれた難病ものを想像するかもしれないが、この小説はいささか趣を異にしている。
もっと深く、溢れるばかりの豊かさを内包した物語世界が綴られている。
それは作者の研ぎ澄まされた文章と、さまざまな道具立てのうまさ、そして人間を見る目の確かさに裏打ちされているからである。
道具立てで言えば、まずはアジアンタム、そして水溜り、熱帯魚の水槽、鳥図鑑、植物図鑑、ジグゾーパズル、スープ・ド・ポワゾン、ボルシチ、シャガール、そしてさまざまな音楽、それはたとえばエルトン・ジョンの「ユア・ソング」、キング・クリムゾンの「エピタフ」、ポリスの「ブリング・オン・ザ・ナイト」、キース・ジャレットの「フェイシング・ユー」といった曲、そうしたものに彩られて物語は静かに豊かに展開してゆく。
何度も胸を締めつけられ、打ちのめされ、そして主人公が次第に再生への道を歩き始めるのにつれて、熱い感動に胸を震わせられたのであった。
「憂鬱の中から生まれてくる優しさ」この言葉がいつまでも消えずに心の中に残っている。
人が生きること、そして死にゆくことの根源に触れるような小説であった。
最後に小説のなかで繰り返し登場し、そして恋人が死にゆくときにも流した曲、エルトン・ジョンの「ユア・ソング」の訳詞が書かれた映像があったので、載せておくことにした。
これを見たことで、またもういちど深い余韻に浸ることができたのであった。


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Category: SONGS
シクラメンのかほり

窓辺に置いたシクラメンがたくさんの花を咲かせている。
昨年の秋、長女の嫁ぎ先のお義母さんから戴いたものである。
手入れらしいことは何もしていないが、冬中花を咲かせ続け、そして今も花を絶やさない。
普段はほとんど気にもとめていないが、こうやってあらためて眺めてみると、その健気さに気づかされる。
シクラメンの花言葉は「はにかみ」「内気」「遠慮」。
その言葉通りの存在である。
シクラメンと云ってすぐに思い浮かべるのは、小椋佳作詞作曲の「シクラメンのかほり」である。
1975年に布施明が歌って大ヒット、その年のレコード大賞を受賞した。
ところでシクラメンという花には、実は香りはない。
それをあえて「シクラメンのかほり」としたのは、小椋佳のいたずら心から生まれたものだそうだ。
また詞のなかにある「うす紫のシクラメン」というのも、実際には存在しない色で、それも「シクラメンのかほり」と同様に小椋佳のいたずら心が生み出した架空の色なのである。
だが事実はそうだが、歌の中には間違いなく香りも色も何の違和感もなく存在している。
そしてそれらの言葉が効果的に使われることで、フィクショナルなイメージの世界をさらに豊かに膨らませる役割を担っているのである。
小椋佳の創作の秘密を垣間見るような、興味深いエピソードである。
久しぶりに「シクラメンのかほり」が聴きたくなって、YouTubeで探してみた。
布施明とふたりで歌う映像があったので、載せることにした。
どちらもそれぞれに味があっていい。
いい曲というのは、やはり何回聴いても心に沁みる。
しばし、しっとりとした気分に浸って歌を聴いた。


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Category: 弘前
開花宣言

今日弘前公園の桜の開花宣言が出た。
昨年よりも1日早く、平年より2日遅い開花である。
しかし相変わらず花見客が少ない。
例年だと、この時期はバスが数珠繋ぎになって、あちこちに渋滞が見られるのが普通だが、今年は未だにそういう光景には出合っていない。
これほど閑散としたさくら祭りは初めてだ。
地震の影響がこれほどとは。
満開が30日ということなので、ゴールデンウィークには何とか盛り返してもらいたいものである。


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Category: 日本映画
映画「若者たち」

昨晩のBSプレミアムで観た映画「若者たち」。
懐かしい映画である。
この作品はもともとはフジテレビの連続ドラマとして始まったものであった。
第一回放送は、1966年2月7日。
ちょうどその日、私は大学受験のために上京しており、泊めてもらった知り合いのアパートで何気なくテレビを見ていて、このドラマと出合ったのであった。
受験で東京に出て来たものの、右も左も分からず、アパートの住人も仕事で出かけてしまい、ひとり取り残され、心細い思いをしながらこのドラマを観たのであった。
それだけに、ドラマの熱い内容がよりいっそう心に沁みこみ、観終わった後は心底勇気づけられたのであった。
そして忘れがたい思い出となったのである。
主演は山本圭、佐藤オリエ、 松山省二、橋本功、そして田中邦衛。
彼らは両親を亡くした兄弟たちで、5人が肩を寄せ合うようにして暮らしている。
長男の田中邦衛は建設会社に勤める労働者、次男の橋本功はダンプの運転手、そして三男の山本圭は大学生で、アルバイトをしながら大学に通っている。
そして四男の 松山省二は大学入学を目指す受験生である。
そんな男4人に交じって佐藤オリエはかいがいしく家事をこなす。
物語は彼ら5人の家族を中心に、彼らを取り囲む人たちとの触れ合いのなかで、受験や就職、労働、恋愛、結婚、そしてその他さまざまな社会問題を浮かび上がらせるというものだった。
放送当初は地味で深刻な内容からか、あまり視聴率は上がらず、早期終了も検討されたが、それを知った熱心な視聴者からの抗議が相次ぎ、結局放送は継続されることになった。
そして次第に視聴率も上がり始め、翌年の9月まで続けられることになったのである。
さらにこのドラマは映画化もされることになった。
それが今回放映された作品であった。
しかしこの映画化でも、つぎつぎと問題が持ち上がってくることになる。
まず撮影は始まったものの、途中で製作資金が底をつき、撮影がストップしてしまう。
そこでこの映画に多くの所属俳優が出演している俳優座が、資金のバックアップをすることになった。
それでようやく撮影の続行が可能になり、無事完成まで漕ぎつける。
しかしそこでもまた問題が持ち上がってくる。
どの映画会社も地味で生真面目すぎる内容を敬遠して、配給ルートに乗ることがないまま、半年間のお蔵入りとなってしまう。
そこで仕方なく自主上映という方法での上映運動を起こすことになるが、その結果は、またもや熱心なファンが大勢つめかけることとなり、予想外の大ヒットとなるのであった。
そんなさまざまな紆余曲折を経ることになった作品であった。
また大勢のファンに支え続けられることで、広く知られることになった作品でもあった。
懐かしく観たが、とにかく出演者みんなが若い。
主役の5人以外にも、石立鉄男、栗原小巻、そして江守徹、みんな若く溌剌としている。
そしてこの時代、若者たちはこんなにも真剣に、そして熱く社会や人間たちについて考えていたんだ、ということをあらためて思ったのであった。
おそらく今の若者たちから見れば、彼らはこの上なくダサい姿に写ることだろう。
しかし反面これほど熱く真剣に物事を考える彼らの姿に、きっとある種の羨望のようなものも感じるに違いない。
いや、というかそうしたものをこの映画から感じ取ってほしいと強く思うのである。
一生懸命なこと、真剣なことというのは、一方ではかっこ悪いことなのかもしれない。
そうしたことを敬遠するのが、今の風潮ではあるが、果たしてそれでいいのだろうか。
そう遠くない過去にこうした若者たちがおり、こんな風に真剣に考え、本気でぶつかり合っていたのだということをこの映画を観ることで、ぜひとも知ってほしいと思うのである。
映画は時代を写す鏡、ということがよく言われるが、この映画こそまさにその言葉通りの映画である。
今回この映画を観て、そのことをいちばん痛切に感じたのであった。
当時のテレビの映像があったので、参考までに載せておくことにした。
作曲・佐藤勝、作詞・藤田敏雄、そしてザ・ブロードサイド・フォーが歌う主題歌は、永遠の青春の歌だと思う。


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Category: 弘前
サエラ「恋して青森」
園内の桜はまだほとんど開いていない。
昨日出た開花予想では26日ということだ。

花が咲いていないということもあるが、人出はごくわずか。
いつもの祭りに比べると今ひとつ盛り上がりに欠ける。
やはり地震の影響で、遠方からの団体客のキャンセルが相次いだことが大きいようだ。
花見客のほとんどが地元の人間ばかりのように見える。
今後は花が咲き、新幹線が復旧することで、花見客が大勢訪れるようになることを祈るばかりである。
しばらく歩いていると四の丸の演芸場で、「サエラ」がライブ・コンサートをやっていた。
「サエラ」というのは青森を中心に活動しているピアノとヴォーカルの女性ユニットである。
結成が1993年というから、もう20年近いキャリアがある。

これまでは主に東北地方が活動の中心だったが、昨年メジャーデビューを果たし、活動の場を全国へと広げている。
またサエラのオリジナル曲「恋して青森」が東北新幹線新青森駅開業応援ソングになるなど、最近の活躍は目覚しい。
ライブはまだ始まったばかりのようであった。
ちょっと見てみることにした。
聴き始めて2曲目がちょうど「恋して青森」であった。
以前にもラジオなどで何回か聴いたことがある。
軽快でなかなかいい曲である。
YouTubeで探してみると、東京・サンケイビルで行われたライブの映像があったので、載せてみることにした。
こんな曲である。
歌の合間のMCでは、紅白を目指しているとのこと。
頑張って夢を実現してほしい。
今日はたまたま公園の祭の様子を見にきて、偶然にも「サエラ」のコンサートに出会えた。
ラッキーだった。
今度は桜が満開になった時に、またもういちど来てみようかなと思っている。


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Category: 薪ストーブ
薪ストーブ用の木材をもらった

近所の人から古い小屋を解体した木材をもらった。
わが家で薪ストーブを使っていることを知っている人が、こうした古い木材が出ると、声をかけてくれるのである。
もらう量の多少はあるが、「チリも積もれば山となる」で、気がつくとかなりの量になっている。ありがたい。
今年はもうそろそろ薪ストーブのシーズンも終わりなので、来年用の薪になる。
あとは時間をみつけて少しづつカットしていくだけである。


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Category: 弘前
明日から弘前さくらまつり

明日から弘前さくらまつりが始まる。
桜の開花予想は外堀が25日、園内が26日となっているが、まだ蕾は小さい。
またここ数日は気温も上がらず、寒い日が続いているので、果たして予想どおりに咲くかどうか。
それでも明日の開幕に合わせて、祭りの準備はほぼ終わったようである。
毎年のことながら何となくウキウキとした気分になってくる。
毎日通る外堀の通りで写真を撮ってみた。
これが祭り前日の様子である。
ところで今年は震災の影響で、全国各地の祭りが自粛で中止になるケースが多いが、そんななか弘前の祭りは早々と開催を決めた。
これは祭り開催によって、少しでも被災地に元気を贈ることができれば、という趣旨のもとに決めたことである。
いつまでも自粛ムードだけでは駄目だ、そうやって沈んでばかりいては却って復興のさまたげになってしまうといった意図のもとに決められた開催である。
それだけに今年は、例年以上の盛り上がりをみせてほしいと願っている。
また桜の花も、いつも以上に見事な花を咲かせてくれることを願っている。
弘前市さくらまつりのHPはこちら


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Category: 地域情報
冬に逆戻り

今日は朝から気温が上がらず、寒い一日である。
つい先ほどもクルマのなかの温度計を見ると7度しかなかった。
しかもそれ以上は上がる気配がない。
天気予報では、場所によっては雪が降るという。
先週の土曜日には、今シーズン初めて20度を越えたというのに、この寒さだ。
例年春先には、こういった天候の急変はよくあることだが、それにしても調子が狂ってしまう。
おまけについ先ほどから雨が降り始めた。
ひょっとすると、この雨が夜になると雪に変わるのかもしれない。
昨日クルマのタイヤをノーマルに変えたというのに、何と云う間の悪さ。
まったく出てくるのは愚痴ばかり。
これではまだまだストーブとは縁が切れそうもない。
薪はまだ十分に残っているので、その心配はないが、このぶんだと当分はお世話になりそうだ。


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Category: 弘前
今日の岩木山
久しぶりの遠出であった。
クルマの窓から岩木山が見える。
朝の光を浴びて美しく輝いている。
標高1625メートル、けっして高い山ではないが、まわりに山がないことや、なだらかな稜線が、よりいっそう雄大な山に見せている。
こうやっていつもと違う場所から眺めていると、津軽人にとってやはり岩木山は特別な山なのだということを、あらためて思うのである。
クルマを停めて岩木山の写真を撮った。



毎日見ている岩木山だが、見飽きるということがない。


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藤原新也「なにも願わない手を合わせる」

藤原新也の著書を読むのは、これが2冊目になる。
最初に読んだのは「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」という短編集であった。
それを読んで感銘を受けたので、彼の書いたものをまた読んでみたいと思い、見つけたのがこの本であった。
藤原新也といえば「メメント・モリ」や「東京漂流」が代表作としてよく知られているが、そうした本は今は手に取る気にはならない。
20数年前、「メメント・モリ」が出版された時、その本を書店で見つけ、パラパラっと中身を見たときに一枚の写真に釘付けになった。
それは、ガンジス川の畔に打ち捨てられた死体の足を野犬が咥えている写真であった。
そしてそこには、こう書かれてあった。
「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」
その即物的なおおらかさと、それを見る冷徹な視線に衝撃を受け、しばらく呆然としていたことを思い出す。
以来、藤原新也という人物は記憶のなかにしっかりと刻まれることになったが、彼の著作を読むことはなかった。
それはおそらく「啓して遠ざける」といった気持ちや、これほど衝撃的な写真を撮る作家のものを読むには、かなりのエネルギーが必要だろう、きっと骨が折れるに違いない、そういった思い込みがあったからである。
しかし最近偶然手に取った「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」は、そうした印象とはいささか違っていた。
それは物事を厳しく見つめるがゆえの、優しさや暖かさを感じさせられるものであった。
同時にその詩的な文体、文章のうまさにも魅了されてしまった。
それは、今回読んだ「なにも願わない手を合わせる」でも同様であった。
さらに、そこで語られる深い死生観にも、魅了されたのである。
このエッセイは彼の兄が食道癌に冒され、苦しみ抜いた末に亡くなったことをきっかけに、その供養と自らの気持ちを浄化しようとの思いから四国霊場巡りをした際に書かれたものである。
そこには、その道中で巡り合ったさまざまな人との出会いや別れ、また印象に残った光景などが綴られており、そのなかで人間の死や生についての思いが語られていく。
そのひとつひとつに、まるで上質の短編小説を読んでいるようなおもしろさや感動があった。
「顔施」「童眼」「老い歌」「なにも願わない手を合わせる」「古い時計」(これはまるでつげ義春の世界のようだ)「安らかなり」「犬影」「人生のオウンゴール」「春花考」など、いずれも印象深いエピソードばかりだったが、なかでも「菜の花電車」がとくに心に残った。
それは高校時代の同級生との出会いと別れを描いたもので、その切なく寂しい話を読んだ後、次のページをめくると斜面いっぱいに咲きほこる菜の花の写真があった。
それを見たとき、言い知れぬ感動で胸がいっぱいになってしまった。
彼はその風景を「まるで天国からの贈りものみたいじゃないか」といった言葉で表している。
続いてつぎのように書く。
「黄色い輝きは、瞬く間にすれ違い、過去の方に向かって走る。
生きとし生けるものは皆、
その早春の風にゆれる菜の花の淡い哀しみを心に秘めているものだと暗喩するかのように、
黄色い光は、窓際に座る筑豊の人々の横顔をリズミカルに染めて行きながら、
遠く、
遠く、
・・・遠ざかる」
なんと詩的な表現であろう。
そしてなんと深い余韻を残す言葉であることか。
こうした出会いや光景が藤原新也というファインダーを通すことで、かくも詩的に語られるのである。
そしてそれらを読むことで、著者自身の心が浄化されるのと同じように、読む側の心も静かに浄化されていくのである。
この本は「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」とともに今後も繰り返し読むことになるにちがいない。
そんなふうに思わせる、味わいのある本であった。


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Category: テニス
今シーズン初のテニス

今朝は今シーズン初のテニスに行ってきた。
先週の土、日からクラブの練習は始まっていたが、ひざや腕に痛みがあったので、無理をしないで休むことにした。
今日も体調は万全ではないが、いつまでも様子を見ていても仕方がないと思い、また天気のよさにも誘われて、思い切って行くことにした。
昨年の11月以来のテニスである。
しばらくは思うように動けなかったが、体が温まってくるにしたがって、しだいに勘を取り戻してきた。
結局3ゲームをこなし、まだもう少しやりたい気持ちもあったが、それを抑えて今日は終了。
久しぶりにいい汗をかいた。
気分がいい。
今後は無理をしない程度に身体を動かしながら、徐々に体力アップを図っていこうと思っている。


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Category: 地域情報
まるで初夏のような天気
今年初めての20度越えであった。
日差しも強く、まるで初夏を思わせるような陽気であった。
この暖かさに、公園の桜や庭の草花も目に見えて芽を膨らませ始めた。
桜の開花予想は25日であるが、この調子だと少々早まりそうな勢いである。


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Category: SONGS
反原発ソング、その2
それの福島バージョンである。
追加でこちらの動画も載せておくことにした。
それにしても忌野清志郎が反原発ソングを2曲も歌っていたとは知らなかった。
よほど関心が深かったのだろう。
そして今回の原発事故のようなことが遠からず起きるのではないかと、危惧していたのであろう。
まさに予言の歌である。


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Category: 読書
佐々木譲「警官の血」

佐々木譲の小説「警官の血」上・下巻を読み終わった。
昭和23年(1948年)から平成19年(2007年)までの60年間にわたる親子3代の物語である。
この小説は2007年日本冒険小説協会大賞を受賞、第138回直木賞の候補にもなった。
また2008年の「このミステリーがすごい!」では第1位になっている。
そうした事実が示すように、これは上質のエンターテインメントであり、上下巻で800ページほどになる長編小説だったが、その面白さに一気に読み終えた。
戦後の混乱期に警察官になり、ある事件に関ったために謎の死を遂げた祖父、その死の真相を探ろうと警察官になった父親はスパイとなって赤軍派に潜入、過酷な捜査によって精神を冒されてしまう。
しかしそれを克服して警察官として復帰するが、結局最後は後遺症が引き金となって、事件の中で犯人に撃たれ殉職してしまう。
また息子も父親の意思を継ぎ、祖父の汚名を晴らそうと警官になる。
そして警察内部の犯罪捜査を命じられることになる。
そうした3代にわたる警察官としての物語が、それぞれの時代背景を映し出しながら語られていく。
昭和23年といえば、私の生まれた年である。
まだ戦後の混乱が続くその年から始まるという物語は、まさに自分がこれまで歩んできた人生の時間軸と重なるものであった。
物語の舞台が上野、下谷といった環境の違いはあるものの、自分の歩いてきた時代が、どういったものであったか、そうしたことの一端が、この小説を読むことでおぼろげに浮かび上がってきたのである。
そうしたことも手伝って、面白さはさらに興味深いものになっていった。
作者の佐々木譲は昭和25年(1950年)生まれの61歳、同世代である。
北海道、札幌市出身、高校卒業後、地元の広告代理店に勤務、その後、京都や東京などでフリーターをしていたが、1979年「鉄騎兵、跳んだ」でオール讀物新人賞を受賞し、作家デビューを果たしている。
ミステリー、サスペンス、冒険小説、歴史時代物、現代小説とあらゆるジャンルの小説を書く作家である。
なかでも警察小説の分野では代表的な小説家ということである。
この「警官の血」以外にも「笑う警官」などの「道警」シリーズ、「制服捜査」などの「駐在警官・川久保篤」シリーズを持っている。
彼の小説を読むのはこれが初めてだが、警察内部のことがかなり詳しく書かれているのも、これで納得、彼の得意分野であったというわけである。
時代の闇、人間の闇に深く踏み込み、そこで悪戦苦闘しながらも正義を貫こうとする主人公たちの姿を描くのが佐々木譲の基本姿勢のようである。
その弱さと強さをあわせ持つ人間くさい姿に、深い共感を覚えた。
こころに残る小説であった。
佐々木譲の公式HP「佐々木譲資料館」はこちら


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Category: SONGS
反原発ソング
チェルノブイリと同じレベルの評価となってしまった。
東電や政府はしきりとチェルノブイリとの違いをアピールしているが、依然先の見えない状態が長く続くのは間違いがない。
そうしたなかで、さらに悪化することも考えられるわけである。
そうなると限りなくチェルノブイリへと近づいていくことになってしまう。
予測不能の不気味なゾーンへと、沈みこんでいくのを誰もが息をひそめるように見つめている。
こうした状況の中、ふたつの反原発ソングを見つけたので、載せることにした。
ひとつは忌野清志郎の「SUMMER TIME BLUES 」、もうひとつは斉藤和義の「ずっとウソだった」
忌野清志郎の「SUMMER TIME BLUES 」は1987年に作られた歌だから、結果としては今回の事故を警告、予言していた歌ということになる。
そして斉藤和義の「ずっとウソだった」は原発事故後に彼のヒット曲「ずっと好きだった」の替え歌として作られたもの。
反原発が100%正しいというわけでもなく、原発の必要性も分からなくはない。
非常に難しい問題ではあるが、現にいま目の前では未曾有の原発事故が不気味に進行しているわけである。
だからこそこうした歌を聴くことも必要なことなのではなかろうかという気がしている。
賛否いろいろあるだろうが、こうした歌を聴くことで、もういちどじっくりと原発について考えてみるきっかけになればと思っている。
それが忌野清志郎や斉藤和義の意図することのひとつでもあるのだろうと思っている。


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Category: 暮らし
キジが出没
最近しきりにキジの鳴き声が聞こえていたが、その姿はまだ見た事がなかった。
それが姿を現したのである。
逃げないうちに写真を撮ろうと急いでカメラを取りに行った。
あまり近づくと逃げてしまうので、近づけない。

こんな写真しか撮れなかった。

拡大すると、こんな感じ。
近くに流れている岩木川に生息しているキジがこうやって時々姿を現すのである。
これも春の訪れを告げる出来事のひとつなのである。


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Category: SONGS
北国の春
被災地では初の入居になるが、しかしこれは30倍を超える抽選で当選したごく一部の人たちに限ったもので、まだまだ仮設住宅の絶対数が足りないのが現状だ。
いまだ足踏み状態のような仮設住宅の建設だが、一日も早い全員入居を願ってやまない。
ところで陸前高田市といえば千昌夫の出身地である。
そして千昌夫といえば「北国の春」である。
しかし今年の北国には、ほんとうの春はなくなってしまった。
震災後に流れたニュースのなかで、被災者が「津波が春まで持っていってしまった。」と涙ながらに話しているのを聞いて、胸がつぶれるような思いがしたが、ほんとうにそのとおりだ。
しかしいつかきっとほんとうの春はやってくるにちがいない。
そう祈りつつ、千昌夫の「北国の春」を聴くことにした。
この歌にあるような穏やかで懐かしい故郷が、一日も早く戻ってくることを、ほんとうに心の底から願ってやまないのである。


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Category: 地域情報
大震災後最大の余震
震源地は宮城県沖、マグニチュード7・4、最大震度は6強、3・11大震災以後最大規模の余震であった。
この地震による津軽地域の震度は3だった。
それほど大きい揺れではなかったが、その影響で県内全域が停電になった。
3・11のときと同じことがまた起きたのである。
今回も震災時同様に数日の停電を覚悟したが、今日の11時近くになって停電が解除、予想以上に早い復旧にひと安心であった。
しかしこの復旧もまだ市内の一部だけで、今も信号が消えているところが多くあり、依然まだ混乱は続いているようである。
またガソリンスタンドでの長蛇の列も、今回もあちこちで見受けられる。
3・11の震災から約1ヶ月、ようやく平穏な日常に戻ったかと思われた矢先の余震であった。
今後もまだまだ余震の起きる可能性があるという。
油断はできないようだ。


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Category: 日本映画
山田洋次監督が選んだ日本の名作100本
これまでのBS1、BS2、BS3がBS1とBSプレミアムの2局になった。
その新装なったBSプレミアムで「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本」という番組が4日から始まった。
この番組の特徴としては、まず映画は監督がつくるものといった視点から、できるだけ多くの監督を選んだということ、そしてもうひとつは、「家族」、「喜劇」というテーマで各50本づつを選んだということである。


その第1回が小津安二郎監督の「東京物語」、そして第2回が木下恵介監督の「二十四の瞳」であった。
両作品ともにデジタル・リマスター版であった。
デジタル・リマスターというのは、長年のうちに傷つき劣化したフィルムを、デジタル処理によって封切当時のオリジナルに限りなく近づけるというものである。
そうした処理を施した映画がどんなふうに変化しているのか、興味深々で見たが、なるほどその効果は大きかった。
まず映像は陰影が深く、明るく観やすい。
しかも奥行きの感じられる重厚な画面である。
上映当時にはこうした鮮明な映像で見ていたのだと、これは新しい発見であった。
また音声も非常に聞き取りやすかった。
これまでのものだと、こもったような音声で、台詞が分かりにくく、注意深く聞いていないと何を言っているのかわからないということが多かったが、そうしたことはいっさいなかった。
それだけでもデジタル・リマスターの恩恵は大きく、ゆったりとした気分で見ることができたのである。
ところでこのシリーズのうち前半の「家族」をテーマとした作品50本のうち、未見の作品はと云うと、「風の中の子供」(清水宏監督)、「愛染かつら」(野村浩将監督)、「兄とその妹」(島津保次郎監督)、「安城家の舞踏會」(吉村公三郎監督)、「眞実一路」(川島雄三監督)、「姉妹」(家城巳代治監督)、「暖流」(増村保造監督)、「私は二歳」(市川監督)、「恍惚の人」(豊田四郎監督)の9本。
一番古いのは1937年の「風の中の子供」、そして1938年の「愛染かつら」、1939年の「兄とその妹」と続く。この3本はいずれも戦前の作品である。
とくに清水宏監督の作品はこれまでにまだ一本も観たことがないので、「風の中の子供」はいちばんの楽しみである。
小津安二郎とは親友であり、子供を使った映画を数多く撮った清水宏という監督が、どんな映画を撮ったのか、この機会にじっくりと見てみたいと思っている。

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Category: 心に残る言葉
kizuna311
<エンターテインメントに携わる人間として、「自分に出来ること」を「全力でしよう」>という決意のもとに立ち上げたサイトである。
そこに参加したそれぞれが朗読や手紙や絵画に託して自分たちの思いを届けようとしている。
今、日本列島を負のスパイラルが覆っている。
しかしそうしたなかからも、立ち上り、わずかでも前へ進もうとする人たちがいる。
そうした人がひとりでも多く増えることを願う切実な思いが、それぞれのメッセージから伝わってくる。
無力でも今「自分に出来ること」を「全力で」するしかないのである。
そのことをあらためて確認するためにも、このサイトを見ていただきたいと思う。
こちらです。→ kizuna311


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Category: 暮らし
システム障害によるデータ消失
昨晩そのことで相談の電話があったが、そういうこともあるのだと驚いた。
1年半にわたって毎日こつこつと書き溜めたものが、一瞬にして消失するのだから、ほんとうに怖い。
いかにシロートが書いたものとは云え、このくらいまとまればもう財産といってもいい。
それがサーバーの障害ですべて失われてしまうのだ。
弟でなくとも、パニックになってしまう。
それでも電話での話によると、パソコンに詳しい息子がラッキーなことにデータのバックアップをしてくれていてくれたそうだ。
それを聞いてひと安心、親孝行な息子である。
あとはそのデータをインポートすればいいわけだ。
ほんとうに不幸中の幸いである。
人ごととは思えない出来事に、さっそくブログのバックアップをすることにした。
これまでは、そうしたアクシデントを考えたこともなかったので、バックアップしたことがなく、これが初めてであったが、案外簡単にできるものである。
今後は定期的にバックアップをしていくことにした。
ブログをやっている皆さん、こうした不測の事態に備えて、念のためにバックアップすることをおすすめします。


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