風に吹かれて

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Category: 暮らし

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当て逃げ

昨日の午後、青森の娘から電話があり、クルマが当て逃げされたという。
どうすればいいか、という電話だった。
詳しい事情を聞いてみると、
娘は仕事が休みで、ショッピング・センターに買い物に出かけ、駐車場からクルマを出そうとしたときに、バックしてきたクルマにあてられたとのこと。
危ないと思った瞬間、クラクションを鳴らしたが、相手には通じなかったようで、ぶつけられ、しかもそのまま逃げてしまった。
被害の状態を聞いてみると、ケガなどはなく、クルマが多少へこむ程度のキズがついたということだ。
このまま修理しなくても差支えがなさそうだという判断をしていたが、念のために保険会社と警察には連絡をしたほうがいいとアドバイスをして電話を切る。
ぶつけられた瞬間、娘はパニック状態になり、相手のクルマのナンバーを見る余裕はなかったようだ。
ただ駐車場の警備員がそれを見ていて、ナンバーの4ケタ部分だけは憶えていた。
また、高齢者マークがついていたとのこと。
そういった内容を警察に届けたが、はたしてそれだけで相手が特定できるかどうか。

しかしとにもかくにも、被害が少なかったことで一安心だ。
警察で聞いた話だと、最近は高齢者によるこの手の事故が増えているそうだ。
これも年々高齢化していく社会の新しい現象のひとつだということ。
眼、耳などの肉体の衰え、反射神経の衰えによる反応の遅れ、判断のミス、さらにはそうしたことへの自覚の欠如など、いろいろ原因はあるだろうが、考えてみればこういった危険な状況はこれからも増えていくのは間違いのないところ。
高齢者の世界に足を踏み入れつつあるこちらとしても、じゅうぶん心しなければと、あらためて考えるきっかけになった。


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Category: 外国映画

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映画「アストロノーツ・ファーマー/庭から昇ったロケット雲」

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元NASAの宇宙飛行士で、今は父親の農場を引き継いで農夫として働くチャーリー・ファーマー(ビリー・ボブ・ソーントン)が、自作のロケットで宇宙を目指すという物語。
現実にはありえないと思ういっぽうで、アメリカだとひょっとして起こり得ることかも、と思ってしまうところが、アメリカという国の懐の深さだ。
そんな特色を背景に発想された物語である。
荒唐無稽な話だが、細部をきめ細かく作ることで、けっしてあり得ない話ではないと思わせるリアリティーを獲得している。
そこにリアルさが感じられるかどうかが、この映画の評価の分かれ目になるわけで、それが感じられなければ単なるほら話、退屈きわまりない話になってしまう。

「子供の頃、何にでもなれると教わった。愚かかもしれないけれど、今でもそれを心から信じてる。」
チャーリー・ファーマーがしみじみと語るこのセリフが、この映画のすべてを物語っているようだ。
そしてその実践を通して子供たちに夢をあきらめないこと、夢を信じ続けることの大切さを伝えようとする。
今やしだいに影の薄くなっていく父親像復権のドラマでもあるのだ。
だが夢の実現は生易しいものではない。
いちどは挫折しそうになるが、それを支えて夢を復活させるのも、やはり家族なのである。
つまりこれは家族復権のドラマでもあるのだ。
その象徴であるロケットの発射シーンには、思わず胸が熱くなってしまった。
そして最後は、やはりアメリカ映画らしく「家へ帰ろう」というチャーリー・ファーマーの言葉でしめくくる。
宇宙飛行士も、英雄も、名もない兵士も、みな等しく「ホーム」目指して帰ってくる。
それこそがアメリカ映画の正統的な結末なのだ。
疲れた心を癒してくれる穏やかな「ホーム」、まるでそこに帰っていくためだけに宇宙へ飛び立ったのではないかとふと思ってしまう。

この映画を観ていて思い出したのが、アンソニー・ホプキンスの「世界最速のインディアン」や「遠い空の向こうに」そして「フィールド・オブ・ドリームス」といった映画。
そんな映画をいいと思う人は、ぜひこの映画を観て欲しいと思う。

最後に、こういった底抜けの楽天主義がアメリカの活力を大きく下支えしているのだと、あらためて思ったことを付け加えておきたい。

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オバマ演説集

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昨日のサラ・ブライトマンの続き。
娘が持ってきたもう一枚のCDが、「オバマ演説集」というCD。
大統領就任までにオバマが各地で演説したものを集めている。
その内容は
2004年民主党大会基調演説、ヒラリーとの指名争いの中で行った演説、指名受諾演説、そして勝利演説が収められている。

オバマ独特のリズミカルで情熱的な演説に思わず聞き惚れてしまう。
内容が分からなくても、その熱意のほどが伝わってくる。
名演説ばかりである。
彼は学生時代に、詩作に励んだことがあるということだが、その経験が演説のうまさに生かされているようだ。
同じ言葉が繰り返し語られるところは、韻を含んだ詩を聞いているような心地よさを感じる。
またリズミカルなところは、ラップにも通じるような音楽性を感じる。
そんな要素が作用して聴衆の心にダイレクトに響くのだと思う。
昔、ケネディーの大統領就任演説に感動し、それを丸暗記して英語の教材とした妻は、このCDにいたく感動したようで、涙を流しながら聞いている。
その気持ちはよく分かる。
これをきっかけに彼女の英語熱がまたまた再燃しそうである。

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サラ・ブライトマン

今日は雲ひとつない、いい天気。
光が差し込むなか、清々しい気分で朝食をとっている。
今朝は夕べ泊まった娘もいっしょの食卓だ。
そしてバックには、娘からもらったCDのサラ・ブライトマンの歌声が流れている。
昨年末にNHK-BShiで放送されたシュテファン大寺院でのコンサートを見て感動したばかりなので、サラ・ブライトマンの話題でひとしきり盛り上がる。
こうやって聴いていると、その時の感動がまた蘇ってくる。
とくに「ファントム・オブ・ジ・オペラ」「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」の素晴らしさには心底聞き入ってしまう。
天上から舞い降りた天使の歌声、と表現してもけっしておおげさではない。
サラ・ブライトマンの経歴をちょっと調べてみると、

1960年イギリス生まれ。
1981年にミュージカル「キャッツ」のオーディションを受けたことでミュージカル女優としてデビュー。
以後アンドルー・ロイド・ウェバーのミュージカルに数多く出演。
1986年の「オペラ座の怪人」で世界的に知られるようになる。
90年代以降はソロ歌手として活動、クラシックとポップスを融合したクラシカル・クロスオーバーと呼ばれる独自の音楽スタイルで世界的な隆盛を見せ初めている。

というもの。

今もCDを聴きながらこのブログを書いている。
どの曲もいい曲ばかり。センスのいい選曲が心憎い。
聴いているうちにしだいに気分が高揚していく。やがて心が浄化されていく。
ここしばらくの間は、こうやって繰り返し聴くことになるだろうナ。


sarah-brightman.jpg
輝けるディーヴァ ~ベスト・オブ・サラ・ブライトマン - Diva: The Singles Collection

01. ファントム・オブ・ジ・オペラ(オペラ座の怪人)
THE PHANTOM OF THE OPERA
02. ミュージック・オブ・ザ・ナイト
THE MUSIC OF THE NIGHT
03. ピエ・イエス(オリジナル・ヴァージョン)
PIE JESU
04. リヴ・フォーエヴァー
WHO WANTS TO LIVE FOREVER
05. テ・キエレス・ボルベール
TE QUIERES VOLVER
06. ジャスト・ショウ・ミー・ハウ・トゥ・ラヴ・ユー
JUST SHOW ME HOW TO LOVE YOU
07. デリヴァー・ミー
DELIVER ME
08. ネッラ・ファンタジア
NELLA FANTASIA
09. スカボロー・フェア
SCARBOROUGH FAIR
10. 青い影
A WHITER SHADE OF PALE
11. イッツ・ア・ビューティフル・デイ
IT'S A BEAUTIFUL DAY
12. ホワット・ユー・ネヴァー・ノウ
WHAT YOU NEVER KNOW
13. クエスチョン・オブ・オナー
A QUESTION OF HONOUR
14. タイム・トゥ・セイ・グッバイ
TIME TO SAY GOODBYE (CON TE PARTIRO)
15. イル・ミオ・クオーレ・ヴァ
(「タイタニック」~マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン イタリア語ヴァージョン)
IL MIO CUORE VA
16. サラバンド

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Category: 愛犬

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薪ストーブ犬

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ストーブのそばでリラックスしているロシェルです。

薪ストーブと犬の組み合わせはとっても絵になります。

思わず写真を撮ってしまいました。

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朝青龍優勝

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初場所は朝青龍が優勝。
誰も予想しなかった結末だけに、朝青龍の底知れない強さを再認識した。
引退という崖っぷちから這い上がっての優勝だけに、これまでのどの優勝よりも価値がある。
これは力や技だけではない、精神力の強さがあってのことだろう。
どんな逆境に追い込まれてもけっして諦めてはいけない、ということを朝青龍は身を持って教えてくれた。
パッシングの嵐を向こうに回し、孤軍奮闘、それをはねのけた今回の優勝で、これまで世間が朝青龍に対してもっていたヒールというイメージは、いくぶんかは払拭されたかもしれない。
まだまだ朝青龍の時代は終わっていない、ということを実感させられた優勝であった。

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久しぶりのテニス

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夕べは久しぶりにテニスをやったので、今日は筋肉痛で体の節々が痛い。
秋(11月)以来のテニスだ。
例年、12月から3月までの冬場は体育館を借りて、室内でテニスをやっている。
大体週1~2回くらいプレイをし、春に備えて体力を維持するというのが、毎年のペースだが、今年は手術した膝のことを考えて、まったくテニスをやっていなかった。
だが、たまには顔を見せようと、夕べはクラブの練習に参加した。
身体ならし程度のつもりだったが、出ればやはり目いっぱいやってしまう。
息を切らしながらも練習とゲームに2時間以上頑張った。
その結果、今日の筋肉痛だ。
でも、身体を動かすとやはり気分がいい。
これをきっかけに徐々に身体を慣らしていこうと思っている。

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映画「ミスト」

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ホラー映画か、それともパニック映画なのかと思っていたら、かなり深いものをもった人間ドラマであった。
しかも皮肉たっぷりな展開と絶望的なラストに、身が縮む思いがした。
原作スティーヴン・キング、監督フランク・ダラボンという組み合わせは「ショーシャンクの空に」「グリーンマイル」に続くもの。
このふたりのコンビにハズレはないと確信していたが、やはり予想に違わぬ面白さ。
迫ってくる死の恐怖の前で、人はそれをどう感じ、どう考え、そしてどう行動するか。
こういう状況の映画を見ると、いつも思うのは、自分ならどんな行動をするかということである。
主人公のような、的確な判断、勇気ある行動をしたいと思うものの、果たして自分にそれができるかと自問すれば、答えは否である。
間違いなく恐怖で冷静さを失ってしまうに違いない。
だからせめて愚かな行動だけはとらないようにしたいと念じるばかりだ。

といっても、この映画の主人公のように的確な判断、勇気ある行動をとったとしても、それがいつもいい結果に結びつくとは限らない。
人生はいたって皮肉なもの。
何もせず、恐怖に身をすくませていたほうが助かるということもアリなのだ。
「衝撃のラスト15分」の不条理さがそれを教えてくれる。

映画を見終わった後、結局ほんとうの恐怖の実体は外にあるのではなく、内側にこそあるのかもしれないという気が強くしてきた。

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オバマ氏、大統領就任

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今朝のニュースはオバマ新大統領就任のニュース一色だ。
テレビで19分間にわたる就任演説を聴いた。
演説の印象に残ったところを書き出してみる。

私たちは危機に瀕(ひん)している。
我が国は暴力と敵意のネットワークに対する戦争状態にあり、経済はひどく衰弱している。
この難問は現実のものだ。深刻で数も多い。短期間で簡単には対処できない。
しかし、アメリカよ、それは解決できる。

きょう、私たちは恐怖より希望を、対立と不和より目的を共有することを選び、集まった。
私たちは、つまらない愚痴と口約束を終わらせると宣言する。
政治を縛ってきた古びた教義を終わらせると宣言する。

私たちは今なお若い国だ。
しかし、不朽の魂を再確認し、よりよい歴史を選び、何世代にもわたって受け継がれてきた気高い理念を前進させる時が来たのだ。
米国の偉大さは決して神から与えられるものではなく、獲得するものなのだ。



政府はやれること、やらなければならないことをやるが、詰まるところ、わが国がよって立つのは国民の信念と決意である。
堤防が決壊した時、見知らぬ人をも助ける親切心であり、暗黒の時に友人が職を失うのを傍観するより、自らの労働時間を削る無私の心である。
我々の運命を最終的に決めるのは、煙に覆われた階段を突進する消防士の勇気であり、子どもを育てる親の意思である。

我々の挑戦は新しいものかもしれない。
我々がそれに立ち向かう手段も新しいものかもしれない。
しかし、我々の成功は、誠実や勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心、忠実、愛国心といった価値観にかかっている。
これらは、昔から変わらぬ真実である。
これらは、歴史を通じて進歩を遂げるため静かな力となってきた。
必要とされるのは、そうした真実に立ち返ることだ。

我々に求められているのは、新しい責任の時代に入ることだ。
米国人一人ひとりが自分自身と自国、世界に義務を負うことを認識し、その義務をいやいや引き受けるのではなく喜んで機会をとらえることだ。
困難な任務に我々のすべてを与えることこそ、心を満たし、我々の個性を示すのだ。

これが市民の代償であり約束なのだ。
これが我々の自信の源なのだ。
神が、我々に定かではない運命を形作るよう命じているのだ。

これが我々の自由と信条の意味なのだ。
なぜ、あらゆる人種や信条の男女、子どもたちが、この立派なモールの至る所で祝典のため集えるのか。
そして、なぜ60年足らず前に地元の食堂で食事することを許されなかったかもしれない父親を持つ男が今、最も神聖な宣誓を行うためにあなたの前に立つことができるのか。



この演説を聴いてアメリカ国民は勇気と希望をもったことだろう。
そう確信させられる内容だ。
この草稿をオバマ氏といっしょに作ったのが、27歳のジョン・ファブロという青年だ。
そのことに驚いてしまう。
そしてそのことにアメリカの懐の深さを感じる。
今後アメリカは確実に変わっていくに違いない。

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Category: 薪ストーブ

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薪ストーブ生活

makistove0901.jpg
1月に入って仕事が忙しく、ブログの更新もままならない日が続いている。
今日はようやく一息ついたので、久しぶりに何か書こうとパソコンに向かったが、何も浮かんでこない。
いろいろと思案するが、とりたてて書くものがない。
すると突然、窓の外で大きく雨の降る音が(この時期に雨というのも珍しい)。
風も強く吹いている。
そのせいか先ほど火をつけたばかりの薪ストーブの火に勢いがなくなった。
煙突から吹き込む風の逆流が原因だ。
こういう時は、油断をすると室内にまで煙が逆流することがある。
今は対処法を心得ているから心配はないが、薪ストーブ初心者の頃は部屋中に煙が充満して大変な目にあったこともある。
そんなことに考えが及んだので、今日はちょっと我が家のストーブのことについて書いてみようかと思う。

まずはストーブの紹介から。

我が家の薪ストーブはアイルランドの「ウォーターフォード/Waterford」社製で、「アッシリング/Ashling」という名前のストーブ。
アッシリングは、ケルト語で「夢」のこと。
クリーンバーン方式による再燃焼構造をもった薪ストーブである。
再燃焼構造というのは、薪をよりよく燃焼させるために考えられた構造で、いちど燃えた煙をそのまま放出せずに、もういちど循環させて燃焼させるというシステムである。
この方法で薪を完全燃焼にできるだけ近づけようとするもの。
ふつう薪を燃やした場合、その薪が本来もつエネルギーの50%くらいしか使っていない。
それを再燃焼という方法によって70%以上に高めることができるのである。
資源をムダにしない効率のいい方法というわけである。
さらに、この方法にはキャタリティック・コンバスターという触媒を使用するやり方と、それを使用しないクリーンバーンという方式がある.
我が家の「アッシリング/Ashling」は後者のクリーンバーン方式のストーブである。
コンバスターを使用する方式は構造が幾分複雑で、使用する薪の種類にも気配りが必要だが、クリーンバーン方式のほうはそれほど神経質になることはない。
どちらにするかは、使用する環境、頻度、生活条件などから判断するしかないのだが、これといった決め手になるものは特にない。
我が家の場合は、単純な構造で、あまり薪の種類を気にすることなく使えるということでクリーンバーン方式のストーブを選んだ。
燃焼時間8時間、最大出力13,200kcalという能力は、吹き抜けになった19畳のリビングで使用するにはじゅうぶんなものであり、今のところ何の問題も起きず、快適に使用しているので、この選択は間違っていなかったということになるだろう。

3回目の冬を迎えたが、振り返ってみると、やはり薪ストーブにしてよかったというのが実感である。
その理由としてまず挙げられるのが快適な暖かさ。
ストーブの傍にいると、体の芯まで温まる。
石油やガスでの暖かさとは明らかに違う暖かさである。
入浴に例えると、普通のお湯と温泉の違いのようなもの。
また家全体が温まるので、すべての部屋の暖房が薪ストーブひとつで賄えるというのもいい。
さらにストーブの炎を眺めていると、豊かな気持ちになれる。
原始の時代にも、こうやって炎を見つめながら心が癒されていたのかもしれない、などと想像を膨らませてみたりする。
炎というのは、人間を思索的にしてくれるのかもしれない。

だが、いいことばかりというわけでもない。
薪集めの苦労、薪割りの大変さ、そして薪運び、など手間のかかることも多い。
いいこと、快適なものは、そう簡単には手に入れられるものではないということ。
また簡単に手に入れられるものに、奥深い喜びはない、ということも事実である。

「薪ストーブは3度汗を流す」という言葉があるが、まず木を伐採するときに流す汗、つぎは薪を割るとき、そして最後は薪を燃やすとき。
なるほどうまいことを言うものだと、思う。
でもそんな手間隙をかけるからこそ、なおさら薪ストーブの暖かさのありがたみが増すというものだ。
苦労して集め、時間をかけて(半年から1年)乾燥した薪には自然と愛着がわいてくる。
あだやおろそかには燃やせないという気になってくる。
こうした気持ちも、薪ストーブの暖かさのなかには含まれるわけで、そういったことも薪ストーブの魅力を大きく底上げしているように思う。

と、とりとめもなく薪ストーブについて書いてみたが、そのよさが少しは分かっていただけただろうか。

雪が降り、寒さが厳しい北国の生活のなかで、冬という季節はどうしても敬遠しがちなもの。
そんな暗い冬に、明るい彩りを与えてくれるのが薪ストーブである。
そんなわけで薪ストーブを使うようになってからというものは、冬がちょっと待ち遠しくなってきた。
冬の大きな楽しみのひとつ、趣味と実益の両方を兼ね備えた、今やなくてはならないものになっている。

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Category: 心に残る言葉

Tags: 五木寛之  

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わが人生の歌語り

NHK「ラジオ深夜便」のなかで五木寛之が語った言葉。

五木 「ああ上野駅」というカラリと明るい勤労少年の歌があった。その対極にあるのがこの「昭和枯れすすき」で、日本の勤労者というのはこの二つの間を行ったり来たりしながら生きてきたんだと思います。

  こういう歌を口ずさむことで、その不満をいくぶんでも解消させるような気持ちもあったということでしょうか。

五木 そういうのはマイナス思考だと非難する人がいます。しかし本居宣長という江戸時代の国学者が、こういう意味のことを書いているのです。
 悲しいときには悲しいとつぶやけ、声に出して言え、悲しいと人にも語れ。悲しいというその声が、ひとつの歌になる。悲しみを歌に詠んで、大きな声で歌って、人がそれを聞いて「ああ、いい歌だね」と言ってくれれば、自分の悲しみはそこで客体化されて、そして乗り越えていくことができるんだと。

  つらい思いは、内に閉じ込めるなと。

五木 前向きに励ます「ああ上野駅」のような歌もあり、傷んだ心をなぐさめる「昭和枯れすすき」もある。これは仏教でいうと、<慈>と<悲>なんです。<慈>の心と<悲>の心、二つの心があって、片方が「がんばれ」と励まし、片方は「がんばらなくてもいいよ」という、「お前は十分に生きたんだよ」と慰める言葉の、両方ないとだめなんですね。


思わず納得してしまいました。


昭和枯れすすき


ああ上野駅


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Category: 落語

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立川談志「芝浜」

dansi.jpg
ここ数日、夜中になると必ず目が覚める。
いったん目覚めると、その後なかなか眠れなくなってしまう。
そこでテレビでも見ようということになるのだが、なかなかいい番組はやっていない。
そんな時は、録画しておいた番組を見ることにする。

最近続けて見ているのが、昨年3月に放送された「まるごと立川談志」という番組。
これはNHKが立川談志を追い続けた番組で、密着したドキュメンタリーと落語によって構成された番組である。
都合10時間という長時間の番組だったが、そのうちの前半部分(それでも6時間)を録画してあった。
それを細切れに見続けているというわけだ。

立川談志、73歳、「落語界の反逆児」と呼ばれ、反骨精神旺盛な彼も老境を迎え、次第に体力、気力の衰えを実感している。
そんな日常を追っているのだが、反骨精神は依然健在、辛口な物言いも変わらないものの、それは自分自身に対しても同様で、厳しく己を見据えている。
衰えに対する戸惑いやジレンマ、死に対する憧れと恐れといった矛盾した内面を時には弱気になったり、時には洒落のめしといったぐあいに、揺れ動く姿を見せる。
「もう、自殺寸前ですよ。」と冗談めかしたりもするが、どこまでが本音なのかは、窺い知れないところもある。
一筋縄ではいかない人物だという前提を、忘れずに見なければいけないだろうというふうに思ったりもする。
「落語とは、人間の業の肯定である。」という彼の言葉が繰り返し出てくるが、穿った見方をすれば、自ら業にのたうち回る姿をさらけ出すことで、何かを伝えようとしているのだ、というふうに考えられなくもないが、果たしてどうだろう。
才能ある人間であるがゆえの戸惑いと苦しみ、強気で生きてきたがゆえのもろさ、強気と弱気が交互に顔を出す日常の連続。
とにかく人間ドキュメンタリーとしては無類のおもしろさなのである。

そして十八番の「芝浜」である。
これは絶品であった。
談志自ら「不思議なくらい旨くできた。」と言っているように、掛け値なしのよさであった。
「芝浜」は桂三木助の十八番で、江戸っ子の粋や情景描写のよさを感じさせるという内容だったが、談志が語る「芝浜」では談志独自の工夫がしてあり、同じ噺でもかなり印象の違ったものであった。
どちらがいいとかの問題ではなく、やはりこれは好みのものだが、感動ということからすれば談志の「芝浜」は圧倒的に感動ものであった。
夫婦ふたりのやりとりだけの都合40数分間の噺に、見事に引き込まれてしまい、終盤の大晦日の場面では胸が熱くなってしまった。
立派なおかみさんという通り一遍な人物像にしなかった談志ならではの工夫に、人と同じ噺にはしないという反骨精神と矜持の一端が表れているように思う。
「あれは神様がやらせてくれた最後の噺だったのかも知れない」という談志の言葉どおりの内容に心底満足した。

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Category: 読書

Tags: 藤沢周平  時代小説  短編小説集  

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藤沢周平「海坂藩大全・下」

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藤沢周平の武家小説のなかで「海坂藩」が舞台になった、いわゆる「海坂もの」と呼ばれる小説を集めた作品集である。
「海坂藩」は、藤沢周平の読者には馴染み深い名前で、いまさら説明の必要もなさそうだが、おさらいの意味もこめて書いてみることにする。
まず「海坂藩」という名称だが、藤沢周平が結核療養所時代に、たびたび投稿していた俳誌の名前から借りたものである。
故郷である山形県鶴岡市の風景をもとにした架空の城下町に、結核療養の支えになった俳誌の名前をつけたことに、藤沢周平の限りない愛着を読み取ることができる。

この名前がはじめて登場したのは、第六作目の「暗殺の年輪」のなかであった。
その描写はつぎのようなもの。

丘というには幅が膨大な台地が、町の西方にひろがっていて、その緩慢な傾斜の途中が足軽屋敷が密集している町に入り、そこから七万石海坂藩の城下町がひろがっている。城は町の真中を貫いて流れる五間川の西岸にあって、美しい五層の天守閣が町の四方から眺められる。

まずこのような情景描写から始まった「海坂藩」はその後、作品の舞台としてくりかえし使われることでしだいにその姿が固まっていった。
そして読者それぞれがイメージする「海坂藩」が形作られていったのである。
この美しい城下町を舞台に、武士や武家の女たちがそれぞれの人生を懸命に生きようとする姿を、この本のなかに見ることが出来る。

ここで取り上げられた作品のうち「梅薫る」と「泣くな、けい」は先日読んだ短編集「夜の橋」にも掲載されていた作品である。
このほかには「泣く母」「山桜」「報復」「切腹」「花のあと」など計11篇が収録されており、それぞれに曰く言いがたい味わいがある。
親と子、男と女、主と従者、友人同志、さまざまな情愛の形が描かれている。
その読後感は爽やかである。
ここ数日、一日一、二篇づつを惜しむようにして読んでいる。
一気に読んでしまうのが惜しいような、そんな気持ちで、ひとつひとつをじっくりと噛み締めながら読んでいる。

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藤沢周平「夜の橋」

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先日、藤沢周平原作の映画「山桜」を観て、藤沢作品をまた読み返してみたくなった。
そこで図書館から何冊かの小説本を借りてきて、年末から年始にかけて読んでいる。
まず最初に読み始めたのは短編集「夜の橋」。
藤沢周平が49~51歳の頃に書いた短編を集めたもので、表題作「夜の橋」のほか「鬼気」「裏切り」「一夢の敗北」「冬の足音」「梅薫る」「孫十の逆襲」「泣くな、けい」「暗い鏡」の9編が収められている。
ひさしぶりに読んだ藤沢作品は、妙に懐かしく、そして以前と変わらぬ感動を味わった。
というか、以前読んだ時から、かなりの時間が経過しているために、内容はほとんど忘れていて、そのために、初めて読む作品のような気分で読むことができたのである。
もしかりに内容を憶えていたとしても、藤沢作品は変わらぬ感動を与えてくれたはずである。
再読に耐える小説、さらには繰り返し読むことで新しい発見をすることができるのが、藤沢作品なのだと思う。

なかでも「泣くな、けい」の女主人公、けいの献身ぶりには泣かされた。
ハラハラ、ドキドキさせられて、最後に奇跡のような結末を用意する藤沢周平の物語作家としての巧みさには、毎度の事ながら感嘆してしまう。
けいの姿には「山桜」の野江に通じる一途さがある。
人間とは、なんていいものなんだろう、信じるに足るものだ、と暖かな気持ちにさせられた。

また表題作「夜の橋」の賭博に溺れた男の立ち直ろうとする姿に、生きることの苦さや希望を、「暗い鏡」の不運な女の姿に、人生の皮肉と哀れさを感じた。

この本のあとがきに藤沢周平は、短編には「神の助けが必要」と書いている。
そして続けて「神の力を必要とする仕事といえば、即座に思い出されるのは牧師だが、一方で賭博師も神の助けを必要としているだろう。罪深い小説書きである私が牧師に似ることはあるまいから、ひとまず賭博師に似たとして、この短編集の中に、はたして神の加護によってうまいカードを引きあてたものがあるかどうかは、お読みになる方に判断していただきたい。」と書いているが、いいカードを引きあてているのは、もちろん言うまでもないことだ。

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Category: テレビ・ラジオ番組

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日本ナンダコリャこれくしょん 今度は俳句だ!

元日はテレビ三昧。
しかしほとんどは、やっつけ仕事で作ったとしか思われないような退屈な番組ばかり。
そんななかで、NHK BS2で放送していた「日本ナンダコリャこれくしょん 今度は俳句だ!」は面白かった。
折り目正しい正統派の俳句ではなく、「ナンダコリャ!?」と頭をひねってしまうような奇想天外な俳句を探し出し、それを面白おかしく紹介し、最後に全員で採点するというもの。
出演者は、司会のいとうせいこうをはじめ、假屋崎省吾、高橋源一郎、冨士眞奈美、吉行和子、明川哲也、大宮エリー、なぎら健壱、南海キャンディーズ(山里亮太、山崎静代)、箭内道彦といった顔ぶれ。
そして宗匠として俳人の金子兜太が出演。
ふつうの句会と違って自分で句作するのではなく、他人の句を肴にするというところがミソで、喧々諤々と大いに盛り上がりました。
軽い知的遊びといったリラックスしたゲーム感覚が心地よく、次から次へと繰り出される迷句、珍句の数々に、普段はあまり親しみのない俳句が非常に身近なものに感じられました。
2時間という長丁場でしたが、あっという間に過ぎた2時間でした。
持ち寄った俳句は全部で20句。
そのなかで最高点を獲得したのが、下の2句。

「露人ワシコフ叫びて柘榴(ざくろ)打ち落とす」 西東三鬼(さいとうさんき) 高橋源一郎・選

「戦争が廊下の奥に立ってゐた」 渡辺白泉(わたなべはくせん) なぎら健壱・選

見ただけではなかなか理解しがたい句ですが、選者の解釈や推薦の弁を聞いていると、想像が広がっていき、次第に全体像が浮かび上がってきます。
なるほどそういうことなのか、そういう解釈もあるのかと、目を開かせられることもしばしばで、俳句の奥深さを実感させられました。
そして「ナンダコリャ!?」と思っていた句が、実は奥が深く、さまざまな思い、人生、そして時代というものを含み持っているのだということに気づかされました。
その他にも、次のような句も

「青蛙おぬしもペンキ塗りたてか」 芥川龍之介

「法医学・桜・暗黒・父・自涜(じとく)」 寺山修司

「まつすぐな道でさみしい」 種田山頭火

「粉屋が哭く山を駈けおりてきた俺に」 金子兜太

「夏みかん酢っぱし今さら純潔など」 鈴木しづ子

「魔がさして糸瓜(へちま)となりぬどうもどうも」 正木ゆう子

「鞦韆(ぶらんこ)は漕ぐべし愛は奪うべし」 三橋鷹女

なかでも鈴木しづ子という俳人は戦後ダンスホールで働き、黒人米兵とつきあうなど自由奔放に生きた女性で、句集を発表した後、「ごきげんよう、さようなら」という言葉を残して忽然と姿を消してしまい、未だに生死もはっきりしないという伝説の人だそうで、非常に興味をそそられました。
番組最後の金子兜太の言葉
「(ナンダコリャ!?)というのは常識が決めていること。ところがその句を掘っていくと非常識の喜びが出てきて、みんな名句になる。常識なんかに負けちゃあいられないと思いました。」

この番組を見ているうちに、ひとつ俳句でも書いてみるかという気になってきました。

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