Category: 懐かしいもの
名曲喫茶「クラシック」
ネットで調べものをしていて偶然目にした記事。
「先代美作七郎が戦後まもなく喫茶店クラシックを開いて以来、長年にわたりご愛顧いただきましたが、当店は1月31日をもちまして閉店いたしました。
先代以来のご愛顧に感謝の気持をこめお知らせします。
平成17年2月15日 喫茶店クラシック」
という名曲喫茶「クラシック」閉店のお知らせ。
懐かしさと同時に一抹の寂しさを感じながら記事を読んだ。
「クラシック」は昭和初期に画家である店主、美作七郎氏が自身のアトリエを改装、クラシック音楽を聴かせる店として創められた喫茶店である。
東京の中野にある建物は創業当時そのまま、ほとんど手をつけられていない状態で営業しており、その古さがこの店の「売り」でもあった。
70年以上変わらぬ姿は、懐かしさを感じさせると同時に、店のドアを開けて中に入るにはちょっとした勇気をふりしぼらなければならないような近寄りがたい雰囲気を醸しだしていた。
薄暗い店内は真ん中が吹き抜けになっていて、壁際を回廊式に囲んだ形に2階席がある。
埃をかぶった蓄音機、古い柱時計、壁にかけられた店主の描いた油絵、その他雑多な置物が70年以上同じ状態で存在しており、その古色蒼然とした姿はちょっとした感動ものである。
私がこの店に通っていたのは、昭和42、3年頃のことで、中野に住んでいた友人たちと連れ立っては通いつめていた。
安いコーヒーを飲ませる「クラシック」は金のないわれわれ学生にとってはありがたい存在で、しかも飲み物や食べ物を持ち込んでもうるさく言われないことも好都合であった。
その気軽さに甘えて安いウイスキーを持ち込んでは何時間もねばるということも、たびたびであった。
後に、五木寛之のエッセイ集「風に吹かれて」を読んでいて、「私たちの夜の大学」というエッセイのなかに「クラシック」について書かれた一文をみつけた。
その一部をちょっと引用してみよう。
「美観街をさらに進むと、左に数本のせまい小路が走っており、その一本に風変わりな喫茶店があった。いや現在も残っているから、ある、と書くべきだろう。<クラシック>という名のその店は、私たち中野コミューンの昼間の議場のようなものだった。
その店は九州出身の画家が経営する喫茶店で、店に一歩ふみ込むと、最初の客は一瞬ぎょっとする。店内の構造は一種の木造の蜂の巣城であり、ブンブン言う羽音のかわりに、バルトークやバッハの音楽が響いていた。雑然というか、整然というか、とにかく様々なガラクタや古色蒼然たる蓄音器の砲列が客席をとりかこんでいる。回廊式の二階席は、歩くたびにきしみ、手すりにもたれかかるのは危険だった。」
これを読んで、彼もわれわれと同じように、この店でたむろしていた時代があったということを知り、急に身近な人間になったような気がした。
「クラシック」という店は近寄りがたい一面をもっていたものの、いちどその気安さにふれると、虜になってしまう不思議な魅力をもった空間であった。
クラシック音楽のファンというわけではないが、ここで聴くクラシック音楽は魅力に満ちていた。
そんな音楽が流れるなか、安ウイスキーに酔って過ごす無為な時間は、とても居心地のいいものだったのだ。
20年近く経ち、上京のおりに、いちど訪ねてみたことがあったが、まだ店は健在で、昔のままの姿で営業していることを頼もしく思ったものだ。
いつまでもこの形で残ってほしいと思う反面、果たしていつまで続けることができるのだろうかと、他人事ながらちょっと危惧をおぼえたものだったが、とうとう幕を引くことになってしまったのである。
あの時代にわずかに触れ、ともにあったものが、またひとつその姿を消してしまった。
思い出とともにいささか苦い感傷をおぼえた。
●泉麻人「散歩のススメ」(新潮文庫)のなかにある”中野ブロードウエイ「廃墟の町」”というエッセイにも「クラシック」について書かれたくだりがあるので、興味のある方は、参考のために読んでみてください。
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