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風に吹かれて

My Life & My Favorite things

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映画「ドント・ウォーリー Don't Worry He Won't Get Far on Foot.」

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アメリカの風刺漫画家ジョン・キャラハンの波乱に満ちた半生を描いた映画。
生まれてすぐ母親に捨てられたキャラハンは、里親のもとで育つが、13歳から酒を飲み始め、その結果アルコール依存症になってしまう。
そして21歳のとき、酔った友人が運転する車に同乗して事故に遭い、下半身麻痺となってしまう。
そんな彼がアルコール依存症から抜け出し、漫画家となって自立していくまでが描かれる。

原作はジョン・キャラハンが書いた自伝。
それを読んだロビン・ウィリアムズが映画化を熱望、だが彼の突然の死によって映画化は中断してしまう。
そして紆余曲折の後、その意思を継いだガス・ヴァン・サント監督により映画化が実現というのが経緯である。

ジョン・キャラハンを演じるのはホアキン・フェニックス。
ガス・ヴァン・サント監督の映画への出演は、「誘う女」以来23年ぶりのこと。
映画化に際し彼はキャラハンについての念入りなリサーチと準備を行った。
関連する書籍を読み、残されたインタビュー映像を見るのはもちろんのこと、キャラハンがリハビリを行ったセンターを訪ねて車椅子の訓練を行うなど、出来る限りの下準備を行っている。
その結果、一筋縄ではいかない複雑な内面をもつジョン・キャラハンという人物を見事に演じ切っている。
今話題の「ジョーカー」の演技にも負けず劣らずの名演だ。
こういう癖の多い個性的な人物を演じて精彩を放つのは、やはりホアキン・フェニックスならでは。
おそらくロビン・ウィリアムズも草葉の陰で満足しているにちがいない。
そう思わせる熱演であった。


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映画「ボーダーライン ソルジャーズ・デイ SICARIO: DAY OF THE SOLDADO」

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メキシコの麻薬カルテルとCIAの攻防戦を重厚なタッチで描いた前作「ボーダーライン」の続編。
CIA特別捜査官マットを演じるジョシュ・ブローリンと、元検事で暗殺者のアレハンドロを演じるベニチオ・デル・トロは前作と同じ、ともに男臭い魅力を発散している。
また「毒を以て毒を制す」仁義なき戦いは、続編でも引き継がれており、何が正義で何が悪か、まさにボーダーラインの見えない世界が国境地帯を挟んで繰り広げられる。

今回のミッションは麻薬王の娘を誘拐、それを敵対勢力の犯行と見せかけることで、カルテル同士を争わせるというもの。
だが協力するはずだったメキシコ警察から逆に攻撃を受けることになり、それがもとで計画は頓挫してしまう。
またその銃撃戦の最中に、誘拐した娘にも逃げられてしまう。
それを追ったアレハンドロが娘を確保するが、計画の中止を決めた上層部から、すべてを知った娘の抹殺を命じられる。
命令に従わなかったアレハンドロと娘は、CIA、カルテル両方から追われることになる。

監督は前回のドゥニ・ヴィルヌーヴから、イタリア人監督ステファノ・ソッリマに代わったが、そのパワーはいささかも衰えていない。
むしろ内容がシンプルになった分だけ、焦点が定まりより解かり易くなった。
これは前作に引き続き今作でもシナリオを担当したテイラー・シェリダンの力だろう。
テイラー・シェリダンといえば、昨年観た彼の初監督作「ウインド・リバー」を思い出す。
強く心に残る作品だったが、今作もそれに劣らぬ面白さで、見応えがある。
予測のつかない展開と、緊張感溢れる映像の連続に目が離せなかった。


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映画「ワイルドライフ WILDLIFE」

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先日観た「ブラック・クランズマン」と同じく1960年代が舞台の物語。
そういえばその前に観た「グリーンブック」も同じ時代の物語だった。
偶然かもしれないが、こうやって重なるとそこに何か共通した社会的志向があるのではないかと考えてしまう。
単なる回顧趣味といっただけではないものがあるにちがいないのだ。
考えてみると60年代という時代はベトナム戦争があり、公民権運動があり、アメリカ社会のみならず、全世界が激しく揺れた時代である。
エポックメイキングな時代であり、この時代を境に様々な価値観の変化があった。
今という時代を見直すためのヒントが、そこにはあるのではないかという意識が強く働いているのを感じる。
そんなことをふと考えた。

映画はカナダ国境近く、北部モンタナ州の田舎町に引っ越してきたある家族の物語。
ゴルフ場で働く父親(ジェイク・ギレンホール)と専業主婦の母親(キャリー・マリガン)と14歳のひとり息子(エド・オクセンボールド)の3人家族。
ごく普通の家族だが、父親がゴルフ場を解雇されたことから夫婦の関係が軋み始める。
その変わりゆく様子を、息子の視点で描いてゆく。
無力な14歳の少年には何もできない。
ただ黙って成り行きを見つめるだけ。
その不安な眼差しが胸に迫る。
身につまされる話である。
似たような経験をしただけに特に身につまされる。
大なり小なりこうした経験をしたことのある者は、けっして少なくないはずだ。
そしてこうした経験を通して子供は大人になっていく。
切ないが、それが人生というもの。
そうした日々を様々なエピソードを通してきめ細かく描いてゆく。
なかでも少年が家計の助けのためにと、町の写真館で撮影助手のアルバイトをするエピソードが心に残る。
写真館の主人から告げられるひと言、「写真を撮るのは幸せなとき。 その幸せな思いを忘れないように願って写真を撮るのだ。」
そしてそれがラストに描かれる重要な場面へと繋がってゆく。

監督をしたのは俳優のポール・ダノ。
ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」や「プリズナーズ」、「スイス・アーミー・マン」などで強烈な印象を残した個性派俳優、これが初監督作である。
そういえば少年を演じたエド・オクセンボールドは、どこかポール・ダノに似ている。
原作は小説だが、ポール・ダノの自画像的な側面があるのかもしれない。


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映画「ブラック・クランズマン BLACKKKLANSMAN」

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この映画の監督であるスパイク・リーの映画を集中的に観た時期があった。
80年代から90年代にかけての頃。
「ドゥ・ザ・ライト・シング」、「モ・ベター・ブルース」、「ジャングル・フィーバー」、「マルコムX」といった作品。
さらに間を置いて「クロッカーズ」、「ゲット・オン・ザ・バス」、「サマー・オブ・サム」などを観た。
だが以後はあまり話題に上ることもなくなり、その存在は次第に薄れていった。
いわば過去の人であったわけだ。
ところがこの映画で昨年度のアカデミー作品賞にノミネート、同じく人種差別を扱った「グリーンブック」と賞争いをすることになり、再び脚光を浴びることになったのである。
残念ながら「グリーンブック」に敗れはしたが、それによってスパイク・リー復活を強く印象づけたのである。
(ちなみに同賞では脚色賞を受賞)

題名にある「クランズマン」とは、黒人排斥の過激組織KKK「Ku Klux Klan(クー クラックス クラン)」からの引用で、この組織のメンバーは「クランズマン」と呼ばれている。
すなわち黒人の「クランズマン」というわけだ。
しかし黒人が組織のメンバーになれるわけはなく、同僚の白人警官が身代わりとなって組織に加入、潜入捜査を行うというのが、この映画のストーリーである。

物語の舞台は70年代のコロラドスプリングス。
そこで初の黒人警官になった主人公を演じているのは、ジョン・デヴィッド・ワシントン。
初めて見た俳優だが、名優デンゼル・ワシントンの息子だそうだ。
そして彼の身代わりになって潜入捜査をする同僚の警官を演じるのがアダム・ドライバー。
最近の活躍ぶりが目覚ましい注目の俳優だ。
このふたりが、タッグを組んで危険な潜入捜査を行うが、それが時にユーモアを交えながらサスペンスフルに描かれていく。
そしてそれに並行して人種差別の根深い現実が様々な手法によってリアルに提示されていく。
エンターテインメントの枠を崩さず、そこに政治的なメッセージを絡ませるというスパイク・リー得意の手法はいささかも衰えていない。
いやむしろその描写は、いっそう鮮やかさを増している。
ぐいぐいとその世界へと引き込まれていく。
そしてそれによって単なる刑事ドラマの枠を超えた重みのある映画になっている。
移民や人種など複雑な問題で揺れる今の時代だからこそ、描かれるべくして描かれた映画ということになる。
描かれているものは、けっして昔だけの話ではないのだ。
その存在意義は大きい。
そしてそこから発せられるさまざまなメッセージは、確実に伝わってきたのである。


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映画「希望の灯り IN THE AISLES」

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先月観た映画は3本。
この他には「マイ・ブックショップ」と「ローマ法王になる日まで」の2本。
何となく気ぜわしく、ゆっくりと映画を観る気にならなかったというのがその理由だが、たまたま観た3本はいずれも地味な内容ながら、いい映画だった。
さらに、「マイ・ブックショップ」はイギリス、スペイン、ドイツの合作、「ローマ法王になる日まで」はイタリア、そしてこの「希望の灯り」はドイツと、いずれもヨーロッパ映画ばかり。
別段意識して選んだわけではないが、結果的にそうなったということだ。
気ぜわしく、ゆとりのない気持ちが、そういったものを自然と選ばせたということなのかもしれない。
いずれにしてもその数少ない映画に癒された。
なかでも「希望の灯り」は、いちばん印象に残る映画だった。

旧東ドイツ、ライプツィヒ近郊のスーパーマーケットが舞台。
そこにいわくありげな青年クリスティアンが、見習い社員として入ってくる
そしてそこで出会った同僚たちとの交流を通し、内気で引きこもりがちなクリスティアンが次第に変わっていく様子が描かれる。
なかでも直属の上司であるブルーノと、菓子コーナーで働く年上の女性マリオンのふたりが重要な人物として登場する。
ブルーノは旧東ドイツ時代にはトラック運転手として働いていた中年男。
無骨でいかつい外見とは違って、何くれとなくクリスティアンの面倒を見てくれる。
そしていつしかクリスティアンにとっては父親のような存在になってゆく。
そしてもうひとりのマリオンは、クリスティアンが見染めた相手。
彼女の謎めいた魅力に引き込まれ、次第に親密になってゆく。
また彼らふたり以外の同僚たちも、素朴な人物ばかりで、新参者のクリスティアンを優しく受け入れてゆく。
実はクリスティアンは罪を犯して刑務所を出たばかりの人間だということが次第に明らかにされていくが、そんないわくつきのクリスティアンであっても同僚たちはごく自然な態度で接してくれる。
それは彼らが東ドイツ崩壊後の混乱の後に、社会から取り残されてしまった人間ばかりということが大きいのかもしれない。
クリスティアン同様、社会の片隅で複雑な思いを抱えながら生きる人間としての共感が、いわくつきのクリスティアンへの優しい眼差しとなっている。
そしてそんな環境が、クリスティアンの心に次第に温かいものを灯してていくようになる。

舞台となるのがほとんどがスーパーマーケットの倉庫の中。
そこに流れる「美しく青きドナウ」の音楽に合わせるようにフォークリフトが滑らかに動き回る映像を見ていると、殺風景な倉庫の中が急に特別な空間に見えてくる。
そしてその限られた空間のなかで懸命に働く人たちの姿が、切なくも親近感溢れる隣人として迫ってくる。
人生決して悪いことばかりじゃない。
ささやかだが歓びもあれば、希望もある。
そんな声なき声が聞こえてくるようだ。


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映画「グリーンブック GREEN BOOK」

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昨年度のアカデミー賞で、作品賞、脚本賞、助演男優賞(マハーシャラ・アリ)を受賞した作品。
主演はヴィゴ・モーテンセン(主演男優賞にノミネート)。
ファンとしてはぜひとも観たい映画だったが、地元の映画館での上映はなく、観ることは叶わなかった。
アカデミー賞3部門受賞の映画が上映されないなど、昔では考えられないこと。
確かに内容的には地味かもしれないが、それにしてもである。
そんなわけでDVD化されるのを首を長くして待っていた。
そしてようやくレンタルされることになったのである。

時代は1960年代のアメリカ。
題名になっている「グリーンブック」というのは、人種差別の激しい南部を黒人が旅行する際に必携だったガイドブックのこと。
この案内書にはトラブルにあわずに利用できる黒人専用の施設が紹介されていた。
有名な黒人ピアニストであるドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)が南部を演奏旅行することになり、その運転手兼用心棒として雇われたのがトニー・バレロンガ(ヴィゴ・モーテンセン)、そのふたりの道行を描いたのが、この映画である。
その際手渡されたのが「グリーン・ブック」で、ガイドに従ってできるだけトラブルを避けようとするが、それでも行く先々で様々な人種差別が待ち受けており、そのなかでふたりがどのように向き合い、どう対処するか、またそれによってふたりがどう変化していくかが描かれている。

ドクター・シャーリーは黒人でありながらも高い教育を受けた教養人である。
思索的で穏やかだが、いっぽうでは人を寄せつけない頑なものを秘めている。
そんな天才ピアニストをマハーシャラ・アリは品格豊かに演じている。
一方トニー・バレロンガは粗野で無教養なイタリア系白人で、黒人に対しては偏見に満ちた差別意識をもっている。
それでも愛する妻とふたりの幼い息子のために、懸命に働こうとするよき家庭人でもある。
旅先では妻と約束した手紙を熱心に書くという律義さを見せたりする。
その手紙が物語のなかで、重要な働きをすることになるエピソードが忘れ難い。
演じるのはヴィゴ・モーテンセン。
デンマーク系アメリカ人である彼が、体重を20キロ近く増やし、見事にイタリア系白人になり切っている。
その変身ぶりには驚かされる。
過去「レイジング・ブル」でデ・ニーロが増量して以来、様々な俳優たちが役作りのために増量することが盛んに行われるようになったが、これもそのひとつ。
ついでに書けば、この映画では食事のシーンが多く、そのひとつひとつが、まさにいい味付けになっている。

水と油のようなふたりが旅するなかで、反発や歩み寄りを繰り返し、互いに持ち合わせていないものを教え合い学び合うことで、垣根がひとつひとつ掃われてゆく。
そして旅が終わった時には、どちらも人間的にひとまわり大きくなり、歩み寄り、かけがえのない存在になっている。
そんな軌跡が印象的なエピソードを交えながら、きめ細かく描かれている。
時には笑いを、時には感動を誘われる。
そして8ケ月の長い旅を終え、「クリスマスには必ず帰ってくる」という家族との約束を果たした後にやってくる心温まる結末には、思わず泣かされてしまった。

首を長くして待っていたことが、無駄ではなかった。
その期待を超えるよさで、映画は応えてくれたのだ。
大満足である。


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映画「孤島の王 Kongen av Bastøy」

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「孤島」とは、ノルウェーのオスロ・フィヨルドにあるバストイ島のこと。
犯罪を犯した少年たちを収容して矯正するための施設があり、1915年に少年たちによる反乱事件が起きた。
その事実を基に映画化された物語である。

主人公は新入り収容者としてこの島に送り込まれたエーリングという少年。
彼に施設内での規則を教え込むように命じられたのが、同室のリーダーであるオーラヴ。
このふたりを中心に施設での生活が描かれていく。
当然自由はなく、過酷な労働に従事させられるという毎日。
エーリングは収容後すぐに脱走を企てるが失敗。
それによって生半な抵抗など簡単に拒絶してしまう「孤島」の厳しさが示される。
そんな希望のない生活のなか、寮長による性的虐待に耐えられなくなった同室の少年の自殺事件が起きる。
それが引き金となって少年たちの反乱が起きる。

脱獄ものと青春ものとふたつの側面を持った物語が、北欧の厳しい自然の中で描かれているのを見ているうちに、以前観た「サーミの血」を思い出した。
「サーミの血」は脱獄ものではないが、自由を求めて生まれ故郷から逃げ出すという意味では、共通するものを感じるからだ。
ただし「孤島の王」の厳しさは、「サーミの血」の比ではない。
少年用施設とはいえ、これまで数々の脱獄もので繰り返し描かれてきた過酷さに負けず劣らずの厳しい生活である。
それを社会経験の少ない感受性豊かな少年たちが強制されるわけで、そうしたことを考えると大人以上の悲惨さといえるかもしれない。
自由を希求する気持ちは、さらなる強さを秘めているに違いない。
そうした背景を含みながら物語は進行していき、ついにそれが暴発する。
まさに北欧少年版「カッコーの巣の上で」である。
そして最後に悲劇と希望の両方を残して幕を閉じるところも、「カッコーの巣の上で」と同様である。
自由と抑圧の激しいせめぎ合いに、深い余韻が残った。


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Tags: ウディ・アレン  

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映画「女と男の観覧車 WONDER WHEEL」

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原題は「WONDER WHEEL」。
コニーアイランドにある観覧車の名前である。
回り続ける観覧車は一見華やかで楽しげだが、結局は同じところを回るだけで、どこか別な場所に行けるわけではない。
それをこの映画のヒロインの悲喜劇の象徴として使っている。

舞台は50年代のコニーアイランド。
そこで働くウエイトレスが主人公。
駆け出し女優時代に、ドラマーだった男と結婚をしたが、舞台の共演者と不倫、それが原因で夫は自殺をしたという過去がある。
そして今はコニーアイランドの回転木馬の管理をしている男に拾われて再婚、遊園地のレストランでウエイトレスをしながら前夫との間に出来た息子の3人で暮らしている。
だが、息子は火遊びの常習犯で手を焼いており、夫は稼ぎがなく貧乏から抜け出すことができない。
八方ふさがりの彼女だが、ある日ビーチの若い監視員と不倫関係になる。
そこに夫の前妻の娘が、ギャングの夫から逃げてくる。
そしてその娘がヒロインの不倫相手と恋に落ちたことで、絡んだ糸がどんどん複雑に縺れていくことになる。
いかにもウディ・アレンらしい展開である。

ヒロインを演じるのはケイト・ウィンスレット。
「タイタニック」のヒロインが、ここではくたびれた中年女性を演じている。
しかもかつては女優を目指していたという設定なのだから、それだけでこのキャスティングに、ウディ・アレンの皮肉な目がこめられているのを感じてしまう。
「私はウェイトレスという役を演じているだけ。」という妄想を抱くヒロインは、不倫相手とともに八方ふさがりの生活から抜け出そうと甘い夢を見ている。
だが事はそう簡単には運ばない。
目論見はことごとく外れ、それにつてれてヒロインの情緒はますます混乱、追いつめられていく。
そのヒステリックな様は、まさに「ブルージャスミン」でケイト・ブランシェットが演じたものと対をなす。
幸せを手に入れたと思っていたのは一時の幻想でしかなく、そんなものはいつまでも続くものではない。
あっという間に手から滑り落ちて、どこかへ行ってしまう。
一発逆転なんて、ただの夢物語にすぎない。
結局は観覧車のように元の場所に戻ってくるしかない。
それが人生さ、というウディ・アレンのシニカルで突き放した呟きが聞こえてくる。


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テーマ : DVDで見た映画  ジャンル : 映画


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映画「ラッキー LUKCY」

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世界的に高齢化社会が拡がりつつある今、高齢者問題を扱った映画は数多いが、主人公が90歳の老人となると、これはもうかなり稀な映画となる。
演じるのはハリー・ディーン・スタントン。
彼が彼自身を思わせるような老人を演じている。
実際この映画は彼のために作られた映画であり、スタントン自身の実体験に基づいたセリフやエピソードが随所に散りばめられている。
なかでも終盤に語られる沖縄での戦争体験は、そのままスタントン自身が体験したことであり、これが物語の重要なキーポイントになっている。

主人公のラッキーは90歳の老人である。
これまで結婚したことがなく家族はいない。
朝起きると、まずはタバコをふかしてコーヒーを飲む。
ヨガで体をほぐし、身体を丁寧にぬぐい、身支度をすると町へ出かける。
そして馴染のダイナーへ行くと甘めのコーヒーをたのみ、クロスワードパズルに熱中する。
合間に店主と無駄話に耽る。
頑固で憎まれ口をたたくが、人々に愛されていることがよく分かる。
そして日が暮れるとバーでブラッディ・マリアを飲みながら馴染みの客たちと過ごす。
そうしたラッキーの判で押したような生活が繰り返し描かれる。
これといった事件が起きるわけではない。
そんなところから昨年観た映画「パターソン」を思い出した。
パターソンは30代の青年だったが、ラッキーは90歳の老人。
パターソンは詩を書くのが趣味だったが、ラッキーはクロスワードパズルとテレビのクイズ番組を見るのが趣味。
そしてそれが重要な小道具として使われているのも共通するところ。
またこうした波風のたたない静かな生活に満ち足りているのも同じ。
さらにマイノリティに偏見を持たず親しくしているところも同じである。
そんな共通点からの連想であった。

ある日ラッキーはめまいを起こして倒れてしまう。
病院で診察を受けるが、悪いところは見つからない。
だがそこから死について考えざるをえない日々が始まった。
死は決して遠くないもの、差し迫った現実としてラッキーの前にその姿を大きく晒す。
平穏な日常は突如変わり、惑いと不安の中でラッキーが行き着いたのが「nothing」という言葉。
そしてその「nothing」に対してとるべきことは、ただ「微笑む」だけ。
そんな心境に至るまでが、様々な友人たちとの何気ない会話やエピソードのなかで描かれていく。

そして自分自身を演じたようなこの飄々とした映画を最後に、ハリー・ディーン・スタントンは2017年9月に91歳の生涯を閉じた。
羨むべき幕引き、なんと素晴らしい人生であることか。
表に出ることのない長い脇役人生の末の、生涯2本目となる主演作が最後の映画であったということは、いかにもハリー・ディーン・スタントンらしい。
老後を生きる身としては勇気づけられ、そして学ぶべきところの多い映画だった。


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映画「ある女流作家の罪と罰 CAN YOU EVER FORGIVE ME?」

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生活費もままならないほど落ちぶれてしまった女流作家が、窮余の策として思いついたのが、有名作家たちの手紙の偽造。
作家としての文才と知識を生かして偽造した手紙は、鑑定家の眼も欺くほどの出来栄えで、思わぬ高値で取引されることになる。
それに味をしめた彼女は、次々と偽造を繰り返す。
だが次第に疑われるようになり、ついには逮捕されてしまう。

この映画は、女流作家のリー・イスラエルが、自らの犯罪について書いた自伝『Can You Ever Forgive Me?』を原作としたもの。
そして主人公を演じたメリッサ・マッカーシーと、偽造手紙の売買に手を貸すことになった相棒役のリチャード・E・グラントが、この映画でともにアカデミー賞にノミネートされている。
それでいて、日本では劇場未公開である。
内容が地味なせいと、主役ふたりの知名度の低さがその理由かと思われるが、そのDVDが先日レンタルされた。
さっそく借りてみた。

観始めると確かに地味な内容で、幾分退屈を覚えて眠気を催すが、それでも相棒となる中年ゲイ男のリチャード・E・グラントが登場するや、俄然面白くなってくる。
ダメ人間同士のふたりの日常と奇妙な付き合いが、ディテール豊かに描かれて、まことに興味深い。
彼らふたりは似た者同士、人生の落伍者であり、世間の嫌われ者、だがけっして弱音を吐かない。
いやむしろ世間に対して鋭い刃を向けながら生きている。
その図太さ、厭らしさ、罪深さに次第に惹きつけられていく。
それにつれて、嫌悪すべき存在であった彼らが、いつしか身近で愛すべき人間となって見えてくる。
そして手紙偽造の顛末やふたりの関係がどのように推移していくのか、目が離せなくなってしまったのである。

結末は苦い。
だがそれでいて最後はまことに清々しい。
こんな人間関係もあるのだと、思わず胸が熱くなってしまった。
忘れられない結末である。


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Author:cooldaddy
住んでいるところ:青森県弘前市
出身地:香川県
年齢:今年(2018年)70歳です。
性別:男

還暦(10年前)という節目を迎え、何か新しいことを始めようとブログを開設しました。
趣味のこと、生活のこと、心に残ったことなど、My Favorite thingsを、気ままに書いていこうと思います。
末永くおつき合いください。

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