風に吹かれて

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映画「涙するまで、生きる」

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ヴィゴ・モーテンセンの長年のファンである。
彼を知ったのは「インディアン・ランナー」を観てからのこと。
1991年の映画なので、もう30年近く前になる。
その強烈な印象に魅せられ、以来ファンとなり、彼の出演と云うだけで観るようになった。
この映画もそうしたことから何の予備知識もなく観たが、「インディアン・ランナー」に負けず劣らず重い手ごたえのある映画であった。

時はアルジェリアがフランスの支配から独立しようとの機運が高まった1954年。
戦争前夜の不穏な空気が漂うアトラス山脈の山岳地帯が舞台になっている。
そこで小学校の教師をしているのが、ヴィゴ・モーテンセン演じるダリュという男。
ある日彼のもとに殺人犯であるアラビア人の男を連れて憲兵が現れる。
そして彼に代わってその男をタンギーという町まで連れていけと強引に命じて置いてゆく。
だがその気のないダリュは男を逃がそうとするが、男には逃げる気配がなく、逆に男からタンギーまで連れて行って欲しいと懇願される。
なぜ男がそうした行動をとるのか、アラブの「掟」に絡んだ事情が男の口から語られる。
そしてそれを証明するかのように男を殺そうとする村人たちの一団が襲い掛かってくる。
抜き差しならない状況に追い込まれたダリュは、男を連れてタンギーを目指すことになるが、その行く手には様々な危険が待ち構えている。
そしてそれらの障害を命がけで躱しているうちに、ふたりの間に友情のような心の交流が芽生え始める。

原作はアルベール・カミュの短編小説「客」。
カミュといえば不条理小説を書く作家として知られているが、こうしたリアルなものも書くのだということを初めて知った。
彼の小説は昔「異邦人」を読んだだけなので、詳しくは知らないが、原作になった小説は「転落・追放と王国」という作品集のなかに収められたもの。
アルジェリア生まれのカミュが、独立戦争勃発前の1954年に書いた。
それを大幅に作り直して出来たのがこの映画である。

この世の果てのような荒涼とした風景が圧倒的なスケールで迫ってくる。
その不毛の土地のなかで問わず語りに交わされるふたりの言葉が重い。
その会話の中からそれぞれの人生が朧げに浮かび上がり、立場を越えた共感がふたりの間に生まれる。
そしてタンギーの町を目前にして最後の決断を迫られることになる。

ヴィゴ・モーテンセンの魅力炸裂の映画である。
「インディアン・ランナー」以後、「ヒストリー・オブ・バイオレンス」や「イースタン・プロミス」などで個性的で強烈なキャラクターを演じてきたモーテンセンだが、この映画の彼もそれに勝るとも劣らない。

ヴィゴ・モーテンセンはデンマーク人の父のもと、ニューヨーク州マンハッタンで生まれ、2歳の時にベネズエラに移住、さらに1年後にはアルゼンチンへと移り住んでいる。
また両親が離婚した11歳の時には母親の故郷であるカナダ国境沿いのウォータータウン市に移住、さらに毎年夏になると父親の故郷デンマークへ行くという生活であった。
そうした経験から、彼は英語のほかにスペイン語、デンマーク語、フランス語、イタリア語などを流暢に話すことができる。
そんな才能を生かして彼は、アメリカ映画に限らず、各国の映画に出演することが多い。
この映画もアメリカ映画ではなく、フランス映画である。
そして彼が演じるダリュという男はスペイン系のフランス人という設定。
セリフはほとんどがフランス語、そしてときたまアラビア語も使う。
多国語に堪能な彼ならではの役柄といえよう。
この映画を観たことで、また新たな一面を見ることができたのである。


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映画「ドリーム」

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1962年のマーキュリー打ち上げ(アメリカ初の有人宇宙飛行)計画という国家プロジェクトを描いた映画である。
映画「ライトスタッフ」でも描かれたプロジェクトである。
「ライトスタッフ」ではそれに挑んだ宇宙飛行士の姿が描かれたが、この映画ではそれを支えたスタッフたちを描いている。

NASAがあるのは南部バージニア州。
アメリカの他の地域以上に黒人差別が激しいところ。
そして多くの天才たちが集められ、時代の最先端の科学技術を扱うNASAにあっても、それは例外ではなく、同様の差別が当たり前のように存在していた。
まず働く場所が白人と黒人(映画では非白人と表記)では厳然と分けられており、日常的に交流することはない。
また待遇面でも大きな隔たりがある。
そして仕事の内容は、ほとんどが雑用に等しいようなものばかり。
プロジェクトの重要な部分に携わることはけっしてない。
そうした差別をどのように乗り越え、いかにしてプロジェクトで大きな役割を果たすようになっていくか、それを描いたのがこの映画である。

主人公は数学の天才キャサリン、そして同僚のドロシーとメアリー。
黒人でしかも女性という二重のマイノリティである彼女たちの奮闘ぶりが、米ソ冷戦中の苛烈な宇宙開発競争の中で描かれる。

1961年、ソ連はガガーリンによる人類初の宇宙飛行に成功する。
先を越されたアメリカは、それに対抗するためにマーキュリー計画を立ち上げ、総力を上げてこの計画に取り組むことになる。
アメリカの威信がかかったこの計画は、何としても成功させなければならないが、難問山積、しかも特別研究本部では数式計算の間違いが続出、高度な計算をこなせるスタッフの必要性に迫られる。
そんな差し迫った状況のなか、優れた数学者であるキャサリンが新たなスタッフとして派遣されることになる。
しかしそこは黒人がけっして足を踏み入れることのできなかった特別な部署である。
黒人でしかも女性という二重のハンデを抱えたキャサリンの前に、様々な差別が待ち受けていた。
しかしそんな差別に挫けることなく、それと闘い、そして自分を磨くことで困難な壁を乗り越えていく。
そして同僚のドロシーとメアリーもそれに歩調を合わせるように困難な現実に立ち向かっていく。
そのプロセスは感動的、何度も胸が熱くなってしまった。

扱っているテーマは重いが、けっして暗くはならない。
というよりもひたすら前向きで明るいところがいかにもアメリカ的。
そしてそこがこの映画の魅力でもある。

先が読める展開、予定調和的といえばそのとおりだが、それをどう見せていくか、そこが腕の見せ所である。
そのために印象的なデティールを次々と積み重ね、リアルなものに仕立てていく。
それが無理なく伝わってきて、非常に説得力がある。
丁寧な映画作りをしているのが、よく分かる。

これは先日観た「フェンス」や「ラビング」と同じ時代である。
見比べながら観るとより興味深く観ることができる。

さらにつけ加えるならば、これは事実に基づいて作られた映画である。
しかしアメリカ初の有人宇宙飛行計画という華々しい歴史の陰にこうした事実があったということは、長い間日の目を見ることはなかった。
映画の原題は「Hidden Figures」。
Hiddenには「隠された」とか「知られざる」という意味があり、Figureには「数字」や「人物」といった意味がある。
すなわち「隠されていた人々」が、有人宇宙飛行を成功させるために「隠された数字」を探し求めるというのがこの映画である。
そしてその探し求める数字を見つけ出すのに大きな役割を果たしたのが、黒人女性のキャサリンたちというわけである。
そうした事実はタイトルロールで説明されるが、このように隠された事実が世紀を越えて掘り起されたことは非常に意義が深い。
こうした積み重ねによって時代は確実に変わっていく。
そのことをこの映画であらためて教えられた。
そして同時に大きな勇気と感動をもらったのである。


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映画「マリアンヌ」

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前半はカサブランカ、後半はロンドンへと場所を移して繰り広げられるサスペンス・ドラマ、そしてラブストーリーである。
時代に翻弄される男女の物語は、まさにハリウッド映画の王道、華麗で壮大なドラマである。

時は1942年、仏領モロッコのカサブランカ。
カナダ空軍のパイロットで、英国情報部の工作員として働くブラッド・ピット演じるマックスと、フランス人のレジスタンスであるマリオン・コティヤール演じるマリアンヌが、フランス人夫婦に偽装、ドイツ軍のパーティに潜入して大使暗殺を謀る。
生きて帰ることは叶わないと覚悟して臨んだ作戦だったが、無事生還、作戦遂行のなかで心を通わせたふたりは、ロンドン帰還後に結婚、やがて娘も生まれ、満ち足りた生活を送っていたが、マリアンヌにドイツ軍の二重スパイとしての疑いが浮上する。

前半のカサブランカの部分は、まさに映画「カサブランカ」と時も場所も同じである。
モロッコ最大の都市カサブランカは、当時フランス領であったが、ドイツ軍が占領、その支配下に置かれていた。
そのため、連合国側とドイツ軍の間では様々な暗闘が繰り広げられていた。
この物語もそんな背景の中で描かれるが、スパイ映画の王道を行く展開は、ハラハラドキドキの連続である。
もうそれだけで堪能してしまうが、続くロンドン篇では、それをさらに上回るサスペンスが待ち構えている。
二転三転するストーリー展開、美しく自在な撮影、当時を再現したゴージャスな美術や衣装、主役二人の息の合った演技、そしてそれらを巧みに生かした演出の冴えと、すべてがハリウッドの王道を行く一級品の味わいである。
こういう映画には安心して身を任せられる。
監督は名匠ロバート・ゼメキス。
「フォレスト・ガンプ/一期一会」、「コンタクト」、「キャスト・アウェイ」、「ザ・ウォーク」など秀作が多いが、この映画もそれらの代表作に連なるものだ。
また戦争を背景にした恋愛映画に名作は多いが、この映画もそうした系列に名を連ねることができる。
久しぶりにハリウッド映画の王道を、心ゆくまで堪能した。


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映画「フェンス」

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原作はピュリッツァー賞を受賞したオーガスト・ウィルソンの同名の戯曲。
それを2010年に再演した舞台で主役を務めたデンゼル・ワシントンが、監督・主演で映画化した。
物語の舞台は1950年代のピッツバーグ。
主人公であるアフリカ系アメリカ人のトロイは、清掃作業の仕事をしている元野球選手。
かつて「ニグロ・リーグ」で活躍したことがあるが、メジャーリーガーという夢は叶わなないまま野球人生を終えている。
自分には実力があったにもかかわらず、差別によって道を閉ざされてしまったからだ。
その結果、清掃作業という仕事をせざるをえなかったと固く信じている。
そうした過去から、ふたりの息子には自分と同じような道を歩ませたくはないと考えている。
だがそんな思惑とは裏腹に、長男はジャズミュージシャンとしての成功を夢見、次男はプロフットボール選手となることを夢見ている。
それに対して「お前たちがいくら頑張っても、白人優位の世界で成功するなんてできるわけない。」「そんな夢みたいなことを考えていないで、俺のように汗水たらして地道に働け」と、息子たちの前に立ちはだかる。
けっして自説を曲げないデンゼル・ワシントンから、速射砲のような言葉が次々と繰り出されていく。
それによって有無を言わさず家族たちを捻じ伏せようとする。
その独断と偏見に満ちたセリフが圧倒的な迫力で迫って来る。
家庭内では独裁者のように絶対的力をもつトロイだが、いったん外に出れば地位が低く、けっして這い上がることのできない黒人の清掃員でしかない。
そうしたギャップが家庭内帝王としての力をますます強力なものにしてしまう。
出口の見えないスパイラルに陥ったまま、目に見えない敵にひとり立ち向かおうとするデンゼル・ワシントンの鬼気迫る姿が強く印象に残る。
そして最後は深い余韻に包まれる。
差別だけではない根の深さを感じさせる映画である。

この映画は昨年度のアカデミー賞で主要4部門にノミネート。
ヴィオラ・デイヴィスが助演女優賞を受賞している。
それにもかかわらず、この映画は日本未公開である。
内容は地味かもしれないが、それにしてもなぜにこれほどの秀作がと疑問に思ってしまう。


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2017年洋画ベスト9

1位:手紙は憶えている
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2位:マンチェスター・バイ・ザ・シー
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3位:最愛の子
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4位:ハドソン川の奇跡
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5位:ラ・ラ・ランド
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6位:フランス組曲
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7位:ラビング 愛という名のふたり
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8位:ライオン 25年目のただいま
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9位:わたしは、ダニエル・ブレイク
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10位:たかが世界の終わり
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映画「ザ・コンサルタント」

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数多くの伏線が張られており、そのすべてがユニークで面白い。
そしてその伏線のひとつひとつが丁寧に解き明かされていくたびに、カタルシスが味わえる。
また主人公の人物設定もユニークで、斬新だ。
自閉症ゆえに備わった天才的能力を生かし、会計士という表の顔と、スナイパーという裏の顔をもつ謎の男。
映画「レインマン」でダスティン・ホフマンが見せた、あの驚きの能力と共通するものだ。
そこに映画的な誇張はあるものの、アイデアはこれまでにはなかったもの。
しかも主人公がどうやって現在の姿に至ったのかを、過去に遡って詳しく解き明かしていくなど、説明は抜かりがない。
映画「ベスト・キッド」を思わせるようなエピソードもあって、思わずニヤリとさせられる。
そして映画そのものが、複雑なジグゾーパズルになっており、ラストで最後のワンピースが収まると、それで全ての謎が解けるという形態になっている。
見事な仕掛けである。
こうした緻密な脚本を書いたのが、ビル・ドゥビュークというシナリオライター。
以前観た「ジャッジ 裁かれる判事」を書いた、ライターだ。
この映画を含めまだ3本の作品しか書いていないというから驚きだ。
これからどんな作品を生み出すか、大いに楽しみだ。
そして監督はこちらも最近注目している「ウォーリアー」の監督、ギャヴィン・オコナー。
父親と兄弟というシチュエーションが「ウォーリアー」と共通するものがあるのはそのためだろう。
さらに主人公を演じたベン・アフレックが、このユニークな主人公を思い入れたっぷりに演じている。
その陰影ある姿はなかなか魅力的で、新しいヒーローの誕生を感じさせられた。
盟友・マット・デイモンの当たり役ジェイソン・ボーンに匹敵するヒーロー像である。
映画の最後は、続編を予感させるような終わり方。
おそらく続編が作られるにちがいない。
それを楽しみに待ちたいと思う。


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映画「日の名残り」

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何か映画でも観ようかと家内とふたりでレンタルショップに行った。
その時たまたま目にしたのがこの作品である。
カズオ・イシグロ原作のイギリス映画である。
家内はこれは観ていないと言う。
ならばカズオ・イシグロがノーベル賞を受賞したことでもあるし、この機会にもういちど観てみようと、借りることにした。

最初にこの映画を観たのは1995年のこと。
今から20年以上前である。
この映画を観て初めてカズオ・イシグロという作家の存在を知った。
そして日系二世の作家が、イギリスの伝統的な世界を舞台にこのような小説を書いたことに、不思議な思いを抱いたものだ。
調べてみるとその年に観た洋画のベストテンに選んでいる。
面白かったということになるのだろうが、ほとんど記憶に残っていない。
なので初めて観るようなもの。
実際、観て分かったことだが、憶えていたのはごくわずか。
主演がアンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソンのふたりだということ。
そしてふたりがお互いに好意を持ちながらも、いっしょになることなく、別々の人生を歩まざるをえなかったということ。
そのくらいのことしか憶えていなかった。
そういうことは何もこの映画に限ったことではなく、どんな映画でも、また小説でもいえることで、よほど印象に残った作品でない限り、記憶は時間とともに薄れていくものだ。
いいものはやはり繰り返し読み観るべきだとつくづく思う。
そうすることで、そこにまた新たな発見がある。
そしてさらに深く理解することになる。
そのことをこの映画を観直してみて、またあらためて実感したのである。


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映画「ライオン 25年目のただいま」

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副題に「25年目のただいま」とあるように、この映画は迷子になった5歳の少年が、25年後に家族を捜し出し、再会を果たすという物語である。
事実をもとに作られた映画ということだが、そのことにまず驚かされる。
そしてそこにどのような経緯があったのか、詳しく知りたいという好奇心が大いに掻き立てられる。

映画は前半と後半に分かれており、前半は主人公の子供時代のインドが舞台、後半は成人した後のオーストラリアが舞台になっている。
主人公は5歳の少年サルー。
インドの田舎町で母、兄、妹と暮らしている。
ある日、兄のグドゥが働く町まで着いていくが、そこで兄とはぐれてしまう。
そして間違って乗った回送列車によって、1000キロ以上離れたカルカッタの街まで連れて行かれる。
そこで降り立ったサルーは、ストリートチルドレンになるが、後に孤児院に収容され、そこでオーストラリア人夫婦の養子として引き取られることになる。
これが前半のストーリー。
そして後半は成人したサルーが、苦労の末、家族を捜し出すまでが描かれる。
そのプロセスも見応えあるが、やはりこの映画のいちばんの見どころは、前半のインドでの少年時代の話である。
貧しい生活のなかで、母親を少しでも助けようと幼いサルーが兄と一緒になって懸命に働く。
またサルーがストリートチルドレンとなっての路上生活や、孤児院に収容されるまでの数々のエピソード。
わずか5歳の少年にとって、それは想像をはるかに超える過酷さである。
次々と襲ってくる不安と恐怖のなか、子供なりの直観と懸命さで何とか生き抜こうとする。
そんなサルーの健気な姿が胸に迫る。

この前半のくだりを観ていて、思い出したのが「冬の小鳥」という韓国映画である。
こちらも孤児院に収容された孤児の話だが、そのなかで主人公の少女に先輩格の少女があることを教える。
それはアメリカ人家庭に養子として迎えられるためには、英語を身に着けることが一番の近道であり、自分はそれを秘かに実践しているのだと話す。
逆境から脱け出すために、子供は子供なりの知恵を働かせ、わずかな希望に縋ろうとするのである。
それはこの映画でも同じである。
そして幸運は、はるか彼方からやってくる。
オーストラリアの裕福な夫婦の養子となって引き取られることになる。
数少ない幸運な子供となるが、忘れてならないのは、その陰に何万という不運な子供たちがいるということである。
さらに幸運な子供となっても、必ずしも幸せを掴むことができるとは限らない。
サルーの後に、もうひとりの養子となり、サルーの義理の兄となったマントッシュの場合がそれである。
彼はそれ以前の生活で受けた傷が、いつまでもトラウマとなって消えず、成人した後は家族から離れ、世間との交渉も断って世捨て人のように暮らしている。
養子となり貧しさから解放されても、それは彼にとっての救済にはなっていない。
こうした問題にはそんな側面もあり、一筋縄ではいかない根深さを抱えているのだということがさりげなく示されるが、それによってこの映画が単なるヒューマンなドラマというだけではない奥の深さをもったものになっている。
そうしたことを考えながら観ると、この映画の感動は、さらに深いものになるにちがいない。


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映画「たかが世界の終わり」

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「家庭の幸福は諸悪の根源」とは、太宰治の言葉である。
家族とはやっかいなもの。
時に優しく、時に苦しく、時に淋しい。
そして時に暖かく、時に冷たい。
そんな複雑な家族の姿を描こうとしたのが、この映画である。

物語は、12年ぶりに故郷に帰ってきた主人公と、それを迎える家族の話。
その再会の数時間が描かれていく。
主人公はゲイの作家。
死期が迫っていることを家族に伝えるために帰ってきたが、なかなかその機会が訪れない。
迎える家族は、母、兄、妹、そして兄の妻の4人、それぞれが屈折したものを抱えており、素直になれず、かみ合わないまま気まずい空気が流れていく。
とくに兄は弟に対して複雑な感情を持っており、口調は刺々しく、トラブルメーカーである。
過去に様々な問題があり、それを未だに引き摺っているのだろうことは容易に想像がつくが、そうした過去は明かされることはない。
ただ観る者の想像に委ねるのみ。
そして家族は最後まで歩み寄ることなく、苦い結末を迎えることになるのである。

映画は会話主体で進行していく。
そしてそれをカメラはクローズアップで捉えていく。
そうしたクローズアップの多用は、家族というものの近すぎる関係を表しているかのようだ。
「ハリネズミの理論」というのがあるが、近づき過ぎるとお互いが傷つけあうばかり。
人間関係を良好に保つには、適度な距離が必要である。
しかし家族同士では、その距離のとり方がなかなか難しい。
近づきたいのに近づけない、離れたいのに離れられない、家族にはそうしたジレンマが常につきまとう。
そんなことをふと考えた。

セリフはすべてフランス語であるが、これはカナダ映画である。
カナダの公用語の大部分は英語であるが、一部の地域ではフランス語も話されている。
特にグザヴィエ・ドラン監督の出身地であるカナダ・ケベックは、フランス語が公用語になっている。
そのことからこの映画はフランス語を使っており、ヴァンサン・カッセル、マリオン・コティヤールをはじめ多くはフランスの俳優である。

監督のグザヴィエ・ドランは、1989年生まれ、この映画を撮影した時点では27歳である。
その若さでこの映画である。
豊かな才能というべきか。

先日の映画「ラビング 愛という名前のふたり」のジェフ・ニコラズは39歳、さらに「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼルは32歳。
グザヴィエ・ドランは、それよりもさらに若い。
こうした才能あふれる若手の台頭を数多く目にすることは、映画ファンとしてはうれしい限りである。


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映画「ラビング 愛という名前のふたり」

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1950年代のバージニア州では、黒人と白人の結婚は法律で禁じられていた。
それが憲法違反であるという判決を勝ち取り、法律改正へのきっかけとなったのが、実在の人物、ラビング夫妻である。
その実話をモデルにしたのが、この映画である。

そうした法律が、わずか60年ほど前に存在していたことに、まず驚かされる。
さらにそれに違反したふたりが逮捕拘留、25年間の州外追放という罰則で裁かれる理不尽さにも怒りを覚える。
リチャードとミルドレッドのふたりは、将来の夢をすべて諦め、両親姉弟と別れてワシントンへと移り住む。
そして数年の後、公民権運動が盛り上がるなか、ミルドレッドがケネディ司法長官に宛てて、自分達の現状を訴える手紙を書く。
それがきかけとなって、事態は少しづつ動き出していく。

ドラマは激しい起伏はなく、ただ淡々とふたりの生活だけを追っていく。
それでいて映画は、終始緊張感に包まれている。
それは悪法によって自分たちの人生を捻じ曲げられてしまったラビング夫妻の身に、目に見えない不安の影が常につきまとっているからである。
そうした影に怯えながら、世間から身を隠し、声を潜めて生きていく。
ただ家族の幸せだけを願いながら。
大工であるリチャードの、黙々とブロックやレンガを積み重ねていく姿が、そうした態度の象徴のように思える。
その繰り返しの中から、彼らの言葉に出来ない複雑な感情が滲み出てくる。
そしてそうした迫害が、ふたりの愛をさらに深めていくことになる。

夫役のジョエル・エドガートンと妻役のルース・ネッガの演技が秀逸。
とくにジョエル・エドガートンの感情を押し殺した表情は印象的。
物言わぬ堅い表情だからこそ、却って苦しみや歓びの深さが、強く伝わってくる。
調べてみると、以前観た「ウォーリアー」で、主役の総合格闘家を演じた俳優であった。
印象がまったく違っていたので、同一人物とは思えなかったのだ。
幅広い演技の持ち主だと、あらためて思った。

監督のジェフ・ニコルズは、以前観た「テイク・シェルター」や「MUD マッド」の監督である。
いずれも南部の田舎町が舞台である。
そこに監督のこだわりを感じる。
まだ若干39歳の若さである。
注目度大の監督である。


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プロフィール

cooldaddy

Author:cooldaddy
住んでいるところ:青森県弘前市
出身地:香川県
年齢:今年(2018年)70歳です。
性別:男

還暦(10年前)という節目を迎え、何か新しいことを始めようとブログを開設しました。
趣味のこと、生活のこと、心に残ったことなど、My Favorite thingsを、気ままに書いていこうと思います。
末永くおつき合いください。

映画サイト「マイ・シネマ館」もやっています。
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