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風に吹かれて

My Life & My Favorite things

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映画「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」と「ブルーに生まれついて」

イーサン・ホーク主演の映画を続けて観た。
「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」と「ブルーに生まれついて」の2本である。
いずれも実在の人物を題材にしており、「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」はカナダの画家モード・ルイスを、「ブルーに生まれついて」はジャズ・ミュージシャンのチェット・ベイカーを描いている。
「しあわせの絵の具」でイーサン・ホークが演じたのは、貧しい漁師でモード・ルイスの夫であるエベレットという男。
そして「ブルーに生まれついて」では、チェット・ベイカーを演じている。
まったく異なるふたつの役をイーサン・ホークは巧みに演じ、同じ人物が演じているとは思えないほど。
今更ながらイーサン・ホークの演技のうまさ、幅広さ、そして底知れぬ魅力に魅せられた。

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「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」は、カナダの画家モード・ルイスの半生を描いたもの。
モード・ルイスはカナダ・ノバスコシア州の海辺の街に住み、1970年に67歳で他界した画家である。
モード・ルイスを演じるのは、「シェイプ・オブ・ウォーター」で主人公イライザを演じたサリー・ホーキンス。
イライザは聾唖者だったが、こちらはリュウマチを患って手足が不自由という女性である。
いずれも障害者であるが、こうしたクセの強い人物を演じると彼女は俄然輝きを増す。
対してイーサン・ホーク演じるエベレットは孤児院育ちの漁師。
口数少なく人と交わることを嫌う偏屈者で、粗暴な男である。
その男の住む小さな家に家政婦としてモードは雇われることになる。
叔母の家で厄介者として扱われていたモードが、自力で生きていこうと決意して見つけた仕事である。
しかしそこでの扱いは家畜以下というひどさであった。
行き場のないモードは、過酷な酷使に必死で耐える。
そして時間の経過とともにふたりの関係が、次第に変化していくことになる。
そのなかでモードは唯一の慰みである絵を描くようになっていく。

とにかくサリー・ホーキンスとイーサン・ホークふたりの演技の見事さに目を奪われる。
粗暴な男と行き場のない女という設定は、フェリーニの映画「道」でのザンパノとジェルソミーナの関係を彷彿とさせる。
そしてその関係が次第に変化していく様を、大自然の雄大な美しさを背景にきめ細かく描かれていく。
何度も繰り返し観たくなる映画、「これぞ映画!」と叫び出したくなる作品であった。

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そしてもう1本は「ブルーに生まれついて」。
チェット・ベイカーは、1950年代に活躍した伝説のジャズトランペッターである。
一声を風靡したものの、麻薬に関するトラブルから暴行を受け、顎と前歯を砕かれるという重傷を負ってしまう。
ジャズトランペッターにとって命ともいえるものを失ったチェット・ベイカーは、どん底へと突き落とされる。
そこから立ち直り、再び栄光を手にするまでを描いたのがこの映画である。
チェット・ベイカーを演じるのが、イーサン・ホーク。
半年間かけて習得したというトランペットの演奏と歌を聴かせてくれる。
トランペットの演奏はおそらく吹き替えだろうが、歌は彼自身の歌声のようだ。
切々と歌う「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は、深く心に沁み込んでくる。
結局チェット・ベイカーは麻薬中毒から完全に立ち直ることなく、58歳で謎の転落死を遂げてしまうことになるのだが、そうした波乱に満ちた人生を送らざるをえなかった業のようなものをイーサン・ホークは説得力ある演技で演じ切っている。
ジャズ・ファンならずとも、魅せられる映画である。

こうしてイーサン・ホーク主演の映画を続けて観たわけだが、映画における俳優の存在の大きさをあらためて認識することになった。
やはり俳優の良し悪しは、映画の良さを大きく左右する。
そしてその俳優の魅力をどう映画の魅力につなげていくかということが、演出の大きな役割であるということも。
それを生かすも殺すも演出しだい。
そんな当たり前のことをあらためて強く思ったのであった。


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Tags: 戦争映画  

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映画「ヒトラーの忘れもの」

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第2次世界大戦終結後、デンマークにドイツ軍が埋設した地雷が大量に残された。
その数200万個ともいわれている。
それがこの映画の題名になった「ヒトラーの忘れもの」である。
その残された地雷を除去するために駆り出されたのが、ドイツ軍の捕虜たちである。
そしてその多くが少年兵であった。
そうした事実に基づいて作られたのが、この映画である。

映画を観てまず驚かされるのは、その歴史的事実である。
少年兵のほとんどが、まだあどけなさの残る10代の少年たち。
そんな兵士たちがいたことにまず驚かされる。
それは大戦末期に、追いつめられたドイツが、徴兵年齢を10代半ばにまで引き下げたことによる。
年端も行かない子供たちまで戦争に駆り出し、しかも戦争終結後は国に帰ることが許されず、こうした過酷な作業に従事させられたのである。
地雷除去に従事させられた捕虜の数は、2600名。
そのうち半数が死亡、もしくは重傷を負い、除去した地雷の数は、140万個にも及んだということである。

映画の舞台となっているのは、デンマークの西海岸の小さな村。
そこで11人の少年兵が、砂浜に埋められた地雷の除去を命じられる。
その数4万5千個。
それを3ヶ月かけてすべて取り除くというのである。
計算すると1日500個、ひとりあたり50個弱ということになる。
それをすべて手作業で行う。

地雷除去というのは、熟練した専門の人間が行う場合でも、慎重の上にも慎重を期して処理しなければいけない。
それをごく簡単な訓練を受けただけの、ほとんど素人同然の少年たちが行うのである。
しかもまともな食事も与えられないという劣悪な環境の中で。
毎日が死の恐怖との闘い。
地雷除去に失敗して犠牲になる者は後を絶たず、ひとり欠けふたり欠けと仲間は減ってゆく。
これはもうほとんど拷問に近い。
いつ爆発するかもしれない地雷除去のシーンの緊迫感は凄まじい。
見ているだけで、緊張が強いられる。

少年たちを管理するのは、デンマーク軍の屈強の古参兵であるラスムスン軍曹。
ドイツ兵に対して人一倍憎しみを抱いた軍人である。
それは少年兵といえども同様で、いっさい容赦はない。
戦争による憎しみの連鎖の激しさを思い知らされる。
そんなラスムスン軍曹が少年兵たちと過ごすなかで、少しづつ変化していく様子には、厳しさだけではない隠された人間性を垣間見ることができる。
そこにこの映画のわずかな救いがある。

戦争がもたらす悲劇の形は様々だが、いずれもわれわれの想像を遥かに超える。
そしてその痛ましさの形も様々だ。
この映画でまた新たな悲劇に出会ったわけだが、こうした隠された戦争の悲劇を掘り起し、映画として結実させた勇気と熱意には頭が下がる。
心揺さぶられる映画だった。


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映画「トンネル 闇に鎖(とざ)された男」

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題名どおり、崩落したトンネル内に閉じ込められた人間を、どうやって救出するかを描いた韓国映画である。
そのことだけに突出し、そして手を変え品を変えながら物語を展開させていく。
その工夫の利いたストーリーと迫力は、まさに一級品。
監督・脚本のキム・ソンフンは、この映画で初めて知ったが、なかなかの手腕である。

映画が始まるや、ほとんど何の前触れもなく一気にトンネル崩壊へと突入、閉じ込められた男がいかに生き延びるか、そしてそれをどのように救助するのか、そのことだけに焦点を合わせて力強く物語を進めていく。
そしてその深刻な話の中に、時にユーモアを交え、またマスコミや企業、政府などへの批判も込めながら、現場で起こり得るに違いないあらゆることを想定しながら話を組み立てていく。
そのひとつひとつが考え抜かれたものであり、しかもスケール感があってリアル。
それによってわれわれ観客を、混乱と緊張で張りつめた救出現場へと連れ去り、その臨場感に一喜一憂させる。

トンネル内に閉じ込められた男、その妻、そして救助隊の隊長、この3人を中心にストーリーは展開していく。
そしてそれぞれがけっして諦めないという強い意志をもって困難に立ち向かっていくが、そうした意志だけではどうにもならない壁が立ち塞がってくる。
お決まりの展開ではあるが、その描き方はソツがなく、納得がいく。
そこに生まれるドラマには思わず涙を誘われた。

この映画で、また韓国映画のレベルの高さを、思い知らされた。


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Tags: ウディ・アレン  

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映画「カフェ・ソサイエティ Cafe Society」

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ウディ・アレンの自画像。
主人公の青年ボビーを演じるジェシー・アイゼンバーグは、ウディ・アレンそのもの。
チビで猫背のユダヤ人。
それなのに、美人にはモテるし成功も手にする。
しかしそれでいてけっしてそこで満足することはなく、さらなるアバンチュールを求めてしまう。
これはもうどう見たって、ウディ・アレン以外にはありえない。
そんな人物を主人公にしたラブ・コメディである。

1930年代のハリウッドとニューヨークが舞台である
ハリウッドでは華やかな映画産業の舞台裏が、虚実入り混じって皮肉に描かれる。
誰もが知る有名俳優やプロデューサーそして監督たちの名前が数多く連発されるが、誰ひとり登場することはない。
そこは多くの有名作家たちを登場させた「ミッドナイト・イン・パリ」とは対照的。
その華やかな世界に憧れて、主人公ボビーがハリウッドにやってくる。
そしてそこで成功している叔父フィルの使い走りをやることで、次第にハリウッドの水に染まってゆく。
そのなかで秘書のヴォニーと恋に落ち、結婚間近というところまでいくものの、思わぬ障害が現れて破局を迎えることになる。
傷心のボニーはハリウッドでの生活を諦めて、ニューヨークに戻っていく。
そこでギャングとなって勢力を伸ばしている兄ベンが経営するナイトクラブを手伝うことになる。
そして次第に手腕を発揮、とうとう支配人となって成功を手にすることになる。
同時に洗練された美人のヴェロニカという女性と出会って結婚、公私ともに絶頂期にある彼の前に、昔の恋人ヴォニーが現れる。

こうした物語が洗練された音楽と美術、そしてウイットに富んだ会話の積み重ねで、いつも通りテンポよく描かれていく。
その軽やかなフットワークは、ますます円熟味を増したように感じられる。
いつの間にかアレン的世界に心地よく引き込まれていった。
そして気がつけば、おかしくてほろ苦い結末へと導かれていく。

人生はなかなかうまくいかないもの。
それでも人生は限りなく素晴らしい。
ここでもそんなウディ・アレンの切ない呟きが聞こえてくるのである。


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映画「パターソン PATERSON」

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愛すべき小品。
繰り返される単調な日常を淡々と描いただけの映画なのに、なぜか愛おしくなってしまう。
朝決まった時間になるとベッドから起き出して、キッチンでシリアルだけの朝食をとる。
弁当箱ひとつを下げてバス会社まで歩いて出勤、定時になるとバスを発車させる。
そして運転中のバスの中で交わされる乗客たちのたわいない会話に耳を傾ける。
仕事が終わると定時に帰宅、夕食の後は、愛犬マーヴィンを連れて夜の散歩に出かける。
そして行きつけのバーで1杯だけビールを飲む。
そんな判で押したような日常が、淡々と繰り返されていく。
たったそれだけの映画が、何とも愛おしくて心温まる。

主人公はパターソンに住むパターソンという名前の男。
年齢は30代半ば、もしくは後半くらいか。
市バスの運転手をしており、イスラム系の妻ローラと小さな家で暮している。
子供はいないが、マーヴィンという名のブルドッグを飼っている。

パターソンはバスの運転手だが、詩人でもある。
一冊のノートを常に携帯しており、時間を見つけてはノートに詩を書きつけていく。
その詩が町の風景とダブって時々画面に挿入される。
日本でいえば、俳句や短歌をものにするシロート詩人といったところ。
それが判で押したような日常の、鮮やかな句読点になっている。
彼は自分が書く詩で有名になりたいとか、誰かに認められたいといった野心を持って書いているわけではない。
どこかに発表しようといった気持ちなどはなく、唯一妻に読んで聴かせるだけ。
一方妻は対照的に野心満々で、カップケーキを焼いて近く開かれるバザーに出品、それを契機にいずれ店を開いて成功させたいと考えている。
またデザイン好きで、服やカーテンを自作したり、室内を塗り替えるなど、まことに行動的というか衝動的。
パターソンの弁当も彼女が作っているが、そのユニークさもなかなかのもの。
さらに通販でギターと教則本を買って、歌手として成功したいとも考えているが、どこまで本気なのか判然としない。
無邪気な夢見る少女と変わりがないようにも見える。
そんな陽気で楽天的な妻と、穏やかで感情を露わにしないパターソンとの取り合わせが微笑ましい。

パターソンは、ニュージャージー州にある人口15万人ほどの町。
古い町で、静かで寂れた街並みが、イギリスの古い炭鉱町のように見える。
町の中にグレートフォールズという雄大な滝が流れていて、主人公パターソンはこの滝を見るため、しばしばそこを訪れる。
そしてそこで静かに詩作をする。
古びて薄汚れた町だが、いかにも住み易そうだ。
またこの町は様々な有名人を輩出しており、行きつけのバーではパターソンに関連した人物たちの写真や雑誌や新聞記事の切り抜きが、「殿堂の壁」と名づけられた壁に貼られている。
たとえば凸凹コンビで有名なアボット・コステロのひとり、ルー・コステロ。
パターソンと妻が観に行く映画も、彼が出演している「凸凹フランケンシュタインの巻」である。
さらに黒人ボクサーのルービン・ハリケーン・カーター。
殺人の冤罪で逮捕されたという人物で、そういえば、以前観た「ハリケーン」という映画では、デンゼル・ワシントンが演じていたことを思い出した。
また詩人のアレン・ギンズバーグもこの町の出身。
さらに詩人のウィリアム・カーロス・ウィリアムズが、この町を題材に「パターソン」という詩集を出しているが、主人公パターソンは、その詩集を座右の書として大切にしている。

こうした背景の中で月曜から始まって月曜に終わるパターソンの単調な生活が描かれていくわけだが、これといって大きな事件が起きるわけでも、ドラマチックなことが起きるわけでもない。
それでいて目が離せないのは、彼が代わり映えのしない毎日をけっして不満に思っているわけではなく、いやむしろそんなささやかな生活を愛おしくさえ思っていることが伝わってくるからである。
詩人としての目を通して見れば何もないと思える日常が、別な輝きをもって見えてくるのだろう。
たとえば映画の冒頭で語られる詩は、彼が集めているマッチの中の「オハイオ印のブルーチップ」というどこにでも転がっているようなマッチについて書くことから始まっているが、それが次第に「愛の詩」という詩に結実されていく。
また朝ベッドで目が醒めた奥さんが「双子の夢を見た」と呟けば、町のあちこちでいろんな双子たちと出会うようになる。
それが幻想なのか、妄想なのか、あるいは現実なのか、判然とはしないが、ついつい笑いを誘われる。
そしてそのなかでいちばん印象に残るのが、詩を書く少女との出会い。
エミリー・ディキンソンの詩が好きだというこの少女が、自作の詩を読んで聴かせる。
その詩にパターソンは強い印象を受け、触発される。
そこに現れたのが少女の母親と姉、すると姉妹はなんと双子であった。
ここでもつい笑いを誘われる。
こうした微苦笑は、映画のあちこちに散見され、いい味付けになっている。
そして心優しい人たちとの交流。
バーのマスターであるドク、別れ話でもつれているマリーとエヴェレット、コインランドリーで自作のラップを唄う男、皆アフリカ系アメリカ人ばかり。
そしていつも不平不満ばかりを口にする同僚のインド系アメリカ人。
静かな日常のなかで、彼らとの交流だけが小さなさざ波のような変化をもたらしている。

パターソンを演じているのは、アダム・ドライヴァー。
今いちばん気になる俳優である。
最近映画でよく見かけるが、いちばん最初に彼を見たのは、「フランシス・ハ」という映画だった。
以来気になる俳優のひとりになった。
そして最近では「ヤング・アダルト・イン・ニューヨーク」や「沈黙」といった映画で出会い、そして今回のこの映画である。
パターソンはまさに適役。
そして妻のローラを演じているのが、イラン人女優のゴルシフテ・ファラハニ。
調べてみると、パターソンという町はイスラム系の人が多く住む町として知られている。
そんなところから、イラン人女優の彼女が起用されたのだろうが、この映画に登場する人たちが全員マイノリティというところは、パターソンの偏見をもたない人間性を表していて好感が持てる。
そして特筆すべきは、愛犬マーヴィンを演じたブルドック。
何とも愛らしく、何度も笑いを誘われた。
主役のふたりに次ぐ存在、いやそれ以上の存在感を示した演技であった。
この映画には欠かせない重要なキャラクターになっている。
こんな可愛い犬と過ごせるのであれば、やはりそれは何物にも代えがたい生活ということになるだろう。
そう思わせる存在であった。


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映画「新感染 ファイナル・エクスプレス」

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韓国初のゾンビ映画である。
そして舞台となるのが、ソウルからプサンへと走る高速鉄道の車内という、これまでになかった設定で、それによってパニック映画、サバイバル映画に加えて密室劇の面白さも味わえるという仕掛けになっている。
どちらかといえば苦手なゾンビ映画だが、それでも韓国映画歴代第12位、1,000万人以上の観客動員を果たした人気の映画ということで、観ることにした。
そして評判通りの面白いエンターテインメントであった。

特筆すべきはそのスピード感。
ゾンビといえば、足を引きづりながら覚束なく歩くというのが、お決まりだが、この映画はそこが違う。
確かに普段はゆっくりと動いているが、それでもいったん獲物を見つけると突然動きを速め集団で雪崩をうつように襲ってくる。
そしてその素早い動きが新幹線のスピードと連動、映画全体がまさにジェットコースターのようなスピード感で疾走、息つく暇もなくこれでもかと予想外の展開をみせて飽きることがない。
そうしたアクションに加え、登場人物たちに魅力的な人物を配し、さまざまな人間ドラマを見せていく。
パニック映画、サバイバル映画などではよくあるお決まりの手法ではあるが、その手際よさ、演出のうまさはなかなかのもの。
そのうまさに乗せられ、何度も胸を熱くさせられたのである。
それほど多くのゾンビ映画を観ているわけではないが、(最近では日本映画の「アイアムアヒーロー」やアメリカ映画の「ワールド・ウォー・Z」など)まさかゾンビ映画で泣かされるとは。
そんなわけで予想以上の面白さに大満足の映画であった。


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映画「スリー・ビルボード Three Billboards Outside Ebbing, Missouri」

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フランシス・マクドーマンド、サム・ロックウェル、ウディ・ハレルソンと、好きな俳優3人が揃って出演、さらにスモールタウンを舞台にした物語とあって、観る前から期待大であった。
そしてその期待を上回る映画であった。

原題は「Three Billboards Outside Ebbing, Missouri」。
訳すと「ミズーリ州エビングの3つの野外広告看板」となる。
その題名が示すように、ミズーリ州の架空の町エビングの郊外に、ある日、野外広告看板が建てられたことからこの映画の物語が始まる。
そこに書かれているのは、警察の捜査に対する抗議文である。
7か月前、娘が強姦のうえ殺された。
その捜査が進展しないことに苛立った母親が、抗議のために建てたのである。
看板のベースに使われた赤い色には、母親の怒りと悲しみが込められているように見える。
そしてそれがきっかけで小さな町に様々なトラブルが巻き起こる。

常軌を逸した強気の女性を演じるのは、フランシス・マクドーマンド。
作業用のつなぎを着て頭にバンダナを巻いた姿は、まるで戦闘服を着た兵士のようだ。
警察をはじめ町の人間たちを相手に、たったひとりで立ち向かう。
その展開には西部劇の匂いも感じさせる。

対する警察署長を演じるのがウディ・ハレルソン。
有能な署長で人望があるが、癌を患っている。
そしてその部下である警察官がサム・ロックウェル。
粗暴な差別主義者である。
この3人を中心に憎しみの連鎖が巻き起こり、怒りや哀しみ、不安や絶望、誤解や偏見が交錯する人間喜劇が繰り広げられる。
そしてその狂気に満ちたおぞましい騒動の末に現れる人間の善なる部分に、少なからぬ救いを感じることができるのが、この映画最大の魅力である。

閉じられたスモールタウンでの犯罪、スリラー、そしてコメディを交えたドラマということですぐに「ファーゴ」を連想した。
もちろんそれはフランシス・マクドーマンドがどちらも主演という共通性から浮かんだ連想ではあるが、監督の考えの中にこの映画の存在があったのは間違いないだろう。
そんな想像が働く内容である。

監督はマーティン・マクドナー、アイルランド系のイギリス人である。
映画を手がける前は舞台で活躍しており、劇作家として高い評価を受けている。
緻密で意表を突く展開、人間を見つめる確かな目など、脚本の巧みさは、劇作家として培った経験を反映したものだろう。
類まれなる才能を感じる。
そうした脚本の佳さをさらに高めるのが、曲者ぞろいの出演者たち。
フランシス・マクドーマンド、サム・ロックウェル、ウディ・ハレルソンといった主要俳優はもちろんのこと、彼らを取り巻く脇役陣たちも忘れ難い。
広告会社の若き社長レッド、サム・ロックウェルの酒浸りの老母、マクドーマンドの元夫と19歳のガールフレンド、小男のジェームスなど、いずれも個性豊かな俳優ばかり。
そうした配役の妙には、監督のセンスの良さが窺える。
さらにそうした気配りは、映画の細部にも見ることができるが、それを確認するためにも、またもういちどこの映画を見直してみたいなどと考えている。
そう思わせる力を持った映画なのである。


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映画「シェイプ・オブ・ウォーター Shape of Water」

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昨年度のアカデミー賞で13部門でノミネート、作品賞、監督賞、音楽賞、美術賞の4部門で最優秀賞を獲得した話題の映画である。
それが新作レンタルで登場、さっそく借りてきた。

米ソ冷戦時代のアメリカを舞台に、主人公イライザと半魚人の恋を描いたファンタジーである。
いわゆる異類婚姻譚の一種であるが、こうした話は神話や説話によって昔から語られてきた物語である。
映画でいえば「キングコング」や「美女と野獣」などがそれにあたる。
それらの映画では怪獣たちが人間の女性に魅せられるが、この映画では女性の側から怪獣に惹かれていく。
そこが大きく違うが、それは主人公イライザが幼い頃のトラウマがもとで声を出すことができないという設定に基づいている。
孤独な魂がもうひとつの孤独と出会って心を通わせる。
囚われて自由を奪われた半魚人に惹かれていくのは当然というわけだ。
外見の異様さは彼女にとって障害とはならない。
それをたやすく飛び越える資質を彼女は持っている。
それは彼女の生活を見れば一目瞭然。
親友であるアパートの隣人ジャイルズはゲイの老画家、また同僚で友人の掃除婦ゼルダは黒人の女性と、いずれも社会の片隅で生きるマイノリティである。
そして彼女自身は言葉が話せない。
半魚人はけっして遠い存在ではない。
恐怖の対象とは見ていない。
まるで子犬に近づくような優しさで半魚人と触れ合おうとする。
何と純粋で無垢で愛らしい姿であろうか。
その好奇心に満ちた眼差しを見ていると、昔観た映画「ミツバチのささやき」の純真無垢な少女の姿を思い出す。

そして物語の中盤、事態は一気に動き出し、米ソのスパイ合戦を絡ませた半魚人の救出劇で大いに楽しませてくれる。
またイライザの日常の描き方にも楽しみの要素が様々散りばめられている。
まず彼女が住むアパートは映画館の上にあるという設定である。
そこで上映されているのが史劇「砂漠の女王」。
そのストーリーが、この映画の物語ともリンクしている。
また隣人ジャイルズは古い映画が好きで、テレビで放映される昔の映画ばかり観ている。
その映画に合わせてふたりでタップを踏む場面が楽しい。
そしてそれがイライザと半魚人がダンスを踊る幻想シーンへと繋がっていく。
SFがあり、ホラーがあり、活劇がある。
さらにそこにミュージカルまでが加わるという、まるでオモチャ箱をひっくり返したような賑やかさ。
そうしたすべてが混乱することなく、イライザと半魚人のロマンスをしっかりと支えているのである。
映画好きには堪らないシーンが満載である。

監督はメキシコ出身のギレルモ・デル・トロ。
特殊メイクから映画の世界に入ったという変わり種。
少年時代に日本のアニメやマンガ、特撮映画に夢中になり、その影響を大きく受けたという。
いわゆりオタク精神の持ち主である。
そんな少年時代にテレビで映画「大アマゾンの半魚人」を観た。
映画では「半魚人は探検隊の女性に恋するけど、殺されてしまう。」
だが「半魚人があまりに可哀そうで、僕は、半魚人が彼女と仲良くデートする絵を描いた。それからずっと2人を幸せにしたいと思い続けて、40年以上かけて夢をかなえたんだ」
古い革袋に新しい酒を入れたというわけである。
そうやって生み出された「シェイプ・オブ・ウォーター」の半魚人は、異形の姿をしているが、人間に危害を加える怪物ではなく、柔らかな心を持った存在として描かれる。
そしてそこに自らを含めたマイノリティたちの怒りや悲しみを付与することで、確かな今日性を獲得しているのである。
さらに言えば、囚われ虐待され傷ついた半魚人の姿には、殉教者のイメージを重ねるて見ることもできる。
そうした読み解きができるのも、この映画がもつ豊かさである。

題名の「シェイプ・オブ・ウォーター」は日本語に訳すると「水の形」。
だが水に形などはない。
これについて監督は次のように語っている。
「愛と水には形はない。だがそれはどこへでも流れ込んでいける。そしてその入れ物に合わせて形を作る。愛と水はこの世で最も強い力なのだ。」
その言葉通り場所を変え、形を変えるたびに愛も水も変化していく。
その行きつく先が果たしてどんなものになるか、それは映画を観てのお楽しみ。
映画愛、モンスター愛に溢れたラブ・ロマンスを心ゆくまで堪能してほしい。


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映画「弁護人」

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韓国は映画作りが盛んな国だ。
そしてその質も高い。
かつては日本に追いつけ追い越せという時代もあったが、今やそのレベルを超えて独自の道を歩んでいる。
そして数々の名作秀作を生み出している。

韓国映画の質の高さを初めて認識させられたのは、「韓流」ブームが起きる以前の2000年。
映画「風の丘を越えて 西便制(ソピョンジェ)」と「シュリ」を観たことがきっかけであった。
「風の丘を越えて 西便制(ソピョンジェ)」は韓国の伝統的な民俗芸能であるパンソリを唄いながら各地を流れ歩く旅芸人親子の物語。
「シュリ」は韓国の情報部員と北朝鮮の女工作員の悲恋を描いたスパイ映画である。
そしてこのふたつの映画の上映を契機に、多くの韓国映画が日本に進出するようになったのである。

この時のインパクトが強く、以来、話題になった韓国映画などを観るようになったが、といって特別熱心な韓国映画ファンというわけではない。
だが気になる存在としていつもあり続けている。
そんななかから印象に残った作品をあげてみると
「八月のクリスマス」、「ペパーミント・キャンディー」、「JAS」、「グリーンフィッシュ 」、「殺人の追憶」、「グエムル 漢江の怪物」、「チェイサー」、「息もできない」、「大統領の理髪師」、「ブラザーフッド」、「オアシス」、「母なる証明」など。
いずれも個性豊かな作品ばかり。
そしてそれらに続いて今回はこの「弁護人」である。

主演はソン・ガンホ。
先にあげた映画の中でも「シュリ」、「JAS」「グリーンフィッシュ 」「殺人の追憶」、「グエムル 漢江の怪物」、「大統領の理髪師」に出演しており、韓国映画を代表する名優である。
そして私にとっても馴染のある俳優である。

物語は80年代の韓国で実際に起きた国家保安法違反事件を扱っている。
国家保安法とは、反国家的な活動を取締る法律で、北朝鮮を念頭に置いて作られた法律である。

この映画では民主化運動に関わった学生たちが、司法の捏造によって国家保安法違反に問われる。
その暴挙に対して、たったひとりで立ち向かったのが、ソン・ガンホ演じるウンソクという弁護士。
ウンソクは高卒ながらも苦学して弁護士となった人物である。
ところが高学歴やコネがものを言う法曹界にあって、ウンソクはのけ者的な存在になっている。
そんな連中を何とか見返したいと考えたウンソクは、法律改正をきっかけに土地登記や税務の分野に進出、それが功を奏して売れっ子弁護士となった。
成功を収めたウンソクは、苦学時代に無銭飲食をした飲食店のことを思い出す。
そこで食堂を訪ね、かつての非を詫びるが、女店主のスネは過去のことは問わず、成功したウンソクのことをともに喜んでくれたのである。
以来、客として頻繁に店を訪れるようになったが、ある時、スネの一人息子が国家保安法違反容疑で検察公安に逮捕されてしまう。
スネは息子のための弁護人として法廷に立つようウンソクに頼むが、政治に関心を持たず、金儲けだけに奔走するウンソクは躊躇する。
だがスネの必死な訴えに折れて息子の弁護人となることを決意、裁判に関わることになる。
そのなかで国家権力の闇の深さを知ることになり、それが正義感の強いウンソクの心に火をつける。
そして「国家を敵に回しても無罪を勝ち取る」と猛然と立ち向かっていくことなる。

この事件のモデルとなったのは、1981年の「釜林(プリム)事件」。
軍事クーデターで大統領となった全斗煥が、「北朝鮮のスパイや不満分子たちが政府転覆を画策している」として全国的に取り締まりを強化したなかで起きた事件。
社会活動家たちが捕えられて不法に監禁拘束、拷問による自白をもとに裁かれたのである。
それを当時税務弁護士であった盧武鉉(ノ・ムヒョン)が、被告となった学生たちの弁護人となって活動した事実をもとに映画化した。
盧武鉉は後に第16代大統領となったが、収賄容疑に関わったとして弾劾、それがもとで投身自殺をした。
そうした背景を持つ難しい役をソン・ガンホは果敢に演じたのである。

ソン・ガンホは、特別容貌が目立つというような俳優ではなく、むしろ外見的にはごく普通で、どこにでもいそうな地味な人物である。
ところがそんな彼が、いったん役を演じると、とたんに強烈な熱気を発散する。
地味であるだけに、どんな役にも染まやすく、その役になり切り、目を見張るような演技を見せてくれる。
「弁護人」での弁護士役も、そうしたソン・ガンホの持ち味を充分に生かした適役である。
その熱演がこの映画の第一の見どころである。

これまで観てきた韓国映画で感じることは、やはり国が南北に分断されたという特殊な事実である。
そのことがどんな映画にも影のように付き纏って離れない。
だがそうした事実が、映画に大きな力を与えていることも確かで、そこが他の国、とくに日本映画と大きく異なるところだろう。

さらに韓国映画のもうひとつの特徴に、けっして観客を飽きさせないサービス精神がある。
その貪欲で過剰なまでのサービス精神が、時に空回りをすることもあるが、いったんツボにはまると予想を上回るエネルギーを発揮することになる。
韓流ブームが起きたのも、そうしたサービス精神に魅せられたところがあるのかもしれない。
この映画にもそうした特徴が随所に見られる。
それがこの映画の大きな力になっている。

しばらく遠ざかっていた韓国映画だが、これでまた韓国映画をいろいろと観てみたいという気持ちになってきた。


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Category: 外国映画

Tags: 戦争映画  

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映画「プライベート・ライアン」

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一昨日の夜中である。
目が醒めたのでいつものようにテレビをつけ、何気なく見ていたところ、映画「プライベート・ライアン」が始まった。
いちど観た映画なので、観ないでおこうかと思ったが、冒頭の上陸の場面が始まると少しだけ見てみようという気になり、そのまま観続けたところ、すぐに目が離せなくなってしまった。
そして結局は最後まで観てしまうことになったのである。

この映画を最初に観たのは、1998年の公開時。
映画はノルマンディーのオマハビーチ上陸の場面から始まる。
上陸艇がオマハビーチに到達すると、乗り込んだ兵士たちが、次々と上陸していく。
その兵士たちに、ドイツ軍の銃撃が雨嵐のごとく襲いかかってくる。
兵士たちは成すべくもなく次々と倒れていく。
ある者は上陸することもなく海に沈む。
またある者は敵前に辿りつく前に倒れてしまう。
海岸は次第に兵士たちの死体で埋まってゆき、海は見る見る血の色に染まっていく。
まるで本物の戦争を見ているような凄惨な場面である。
それが延々と20分間にわたって繰り広げられていく。

private-ryan3.jpg

これほどリアルな戦闘場面はそれまで見たことがなかった。
思わず目を背けたくなるほどだが、それでいて目を反らすことができない。
迫力ある映像が怒涛のごとく押し寄せてくる。
心底圧倒されてしまった。
そしてこの場面の衝撃があまりに大きく、その余韻を引き摺ったため、その後のドラマは表面的な進行を追っただけで終わってしまったのである。

ところが今回見直してみると、初見の時とは違って、その後に展開されるドラマのほうに強く惹きつけられるものがあった。
確かにオマハビーチ上陸の場面は今見ても凄く、その迫力はいささかも衰えてはいなかったが、それでもやはりいちど見ているということもあって、かなり冷静に見ることができた。
そのため続くドラマも以前とは違い冷静な状態で観ることができ、以前気づかなかったことに気づかされ、深くドラマに入りこむことができた。
そこには新たな発見があり、この映画の良さをより深く理解することができたのである。
名作はやはり繰り返し観るべきだ。
つくづくそう思う。

そういうわけで寝不足にはなったが、そのことはまったく苦にならなかったのである。


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