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風に吹かれて

My Life & My Favorite things

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映画「ウインド・リバー」

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ミステリーの傑作、クライム・サスペンスの傑作である。
冒頭から結末まで、一時も目を離すことができない。
背景となる自然の厳しさ、そのなかで生きる置き去りにされた人々の逃れることのできない苦しみ。
それらが、強い緊張感を伴って迫ってくる。
息を詰めて見続けた。

雪深いなかでの犯罪ということで「ファーゴ」や「シンプル・プラン」といった映画を思わせるが、そこにあったブラックなユーモアはここにはない。
また異文化のなかに入り込んでの捜査という点では、「刑事ジョン・ブック」を想起させる。
そうした要素を併せ持った映画である。

題名になっている「ウインド・リバー」とは、アメリカ中西部に位置するワイオミング州の山岳地帯の地名である。
雪深い酷寒の地で、ネイティブ・アメリカンの保留地になっている。
部族独自の自治権が認められており、州の権限が及ばない地域である。
面積は鹿児島県と同じくらいあるが、そこを取り締まる警察官の数はたったの6人。
そのためすべてに手を回すことができず、なかば無法地帯と化しており、多くの犯罪が見過ごされている。
さらに保留地内で起きた犯罪には、市警や州警察は介入することができず、捜査を行えるのはFBIだけ。
そんな特殊な土地で起きた少女暴行致死事件の行方を追うというのが、この映画のストーリーである。
主人公はジェレミー・レナー演じるコリー・ランバートという男。
合衆国魚類野生生物局のハンターである。
ある日ハンティングの最中、少女の遺体を見つけたことから事件が始まる。
そこへ事件のために派遣されてきたのが、エリザベス・オルセン演じるもうひとりの主人公、FBIの女性捜査官ジェーンである。
このふたりを軸に事件の真相を探る捜査が開始される。
そしてその困難な捜査のなかで浮かび上がってくるネイティブ・アメリカンたちの逃れられない過酷な現実、生きることの困難さ、そうしたものが観る者に様々なことを問いかけてくる。
人間ドラマとしても一級品。
重く苦々しいが、同時にささやかな希望も残されている。
そしてそれに深く癒される。

「ここで生きるには運ではなく、強さと生き抜く意志があるかどうかだ」
そんなセリフとともに、忘れられない映画になった。


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映画「サーミの血」

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サーミとは北欧ラップランドに住む先住民族のこと。
トナカイの狩猟・放牧を主な生業にしている。
ラップランドはスカンジナビア半島北部にあり、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、ロシアの4カ国に渡っているが、映画ではスウェーデンが舞台になっている。

時代は1930年代、サーミ人は劣等民族とみなされ、差別的な扱いを受けていた。
サーミ人の少女エレ・マリャは、妹とともに寄宿学校で学んでいた。
彼女は成績も良く、上級の学校への進学を望んでいたが、人種的に劣っているとみなされるサーミ人の進学は認められていない。
諦めることができないエレ・マリャは家出を決行、身分を偽って忍び込んだ夏祭りで知り合った青年二クラスを頼って、彼が住む街を訪れる。
そこでスウェーデン人として生きるための、あらゆる手立てを講じていくのであった。

謂われなき差別を受けることへの、たったひとりの反乱である。
だがその道は容易ではなく、茨の道。
そしてその行き着いた先が、夢に描いたようなものではなかったということは、年老いたエレ・マリャの苦渋に満ちた表情から窺い知ることができる。
それでもその選択は、けっして間違ったものではなかったのだという強い意思も同時に伝わってくる。

監督のアマンダ・ケンネルはサーミ人とスウェーデン人を両親に持つ女性監督である。
「自らのルーツを深く知りたい」との思いから作ったこの映画が、彼女のデビュー作である。
声高に差別を告発するのではなく、ひとりの少女の成長を見守るなかで、スウェーデンの負の歴史を静かに紐解いていくのだという姿勢が、そこからは感じとれる。
静かに淡々と進んでいく物語は、だからこそ却って力強いものが伝わってくる。
そして北欧の雄大で美しい自然が、そこにさらなる力強さを生み出している。


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映画「ボヘミアン・ラプソディ BOHEMIAN RHAPSODY」

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一昨日の夜、今話題の映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観に行った。
クィーンのボーカリスト、フレディ・マーキュリーの短くも波瀾万丈の人生を描いた映画である。
この映画を知った当初は、勝手にドキュメンタリー映画なのだとばかり思い込んでいて、あまり興味を持たなかったが、実は劇映画なのだと知ると、俄然興味が湧いてきたのである。
また映画を観た人たちの高評価なコメントなどを読むうちに、これはぜひ映画館で観てみたいということになり、さっそく家内と連れ立って観に行ったというわけである。

クィーンに関してはまったくの無知である。
もちろん代表曲といわれる「ボヘミアン・ラプソディ」や「伝説のチャンピオン」や「ウィ・ウィル・ロック・ユー」などは耳にしたことはある。
ただそれがクィーンの曲だとは知らずにいたというくらいで、まったくの門外漢といっていい。
なのでクィーンのファンとして観たわけではなく、純粋にいち映画ファンとして話題の映画を観に行ったということになる。

映画はブライアン・メイとロジャー・テイラーが組んでいたバンドに、新しいボーカリストとしてフレディ・マーキュリーが加わるところから始まる。
そして次第に注目されるようになり、やがてメジャー・デビューを果たし、人気バンドとなり、そして解散、再結成へと至るまでが、様々なエピソードを積み重ねながら描かれていく。
そのなかでフレディ・マーキュリーの家族との確執、最愛の女性メアリーとの出会い、パキスタン人でゲイという二重のマイノリティだという苦悩などがドラマチックに描かれるが、やはりこの映画の最大の魅力は、ラストの21分に及ぶ「チャリティ・コンサート”ライヴ・エイド”」の圧倒的なライヴ・シーンである。
1985年にロンドン郊外のウェンブリー・スタジアムで開催されたチャリティーコンサートのライヴ・シーン。
それを忠実に再現したというシーンはまさに圧巻だった。
それまでのドラマはすべてこのシーンのために用意されたのではないかと思わせるほどの迫力。
また字幕で流れる歌詞が、それまでのドラマとリンクして迫ってくる。
それによって普通に聴く以上に曲の良さが伝わってくる。
まさに魂が揺さぶられるライヴ・シーンだ。
音楽が持つ力、そしてそこに映画が持つ力が加わることで、相乗効果が生まれ、さらに何倍もの魅力が生み出されたということである。
その圧倒的な音楽体験、そして映画体験に、知らず知らずに涙が流れてきたのである。


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映画「幸せなひとりぼっち」

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レンタルショップで何気なく目にし、その題名とパッケージの写真だけを手がかりに借りてみたが、これが予想以上の面白さ。
思わぬ拾い物。
こういう時は得した気分になる。
当たりくじを引き当てたようなうれしい気持ちである。

調べてみると、スウェーデンのアカデミー賞にあたるゴールデン・ビートル賞で主演男優賞と観客賞に輝いた映画で、さらに昨年の米国アカデミー賞ではスウェーデン代表として外国語映画賞にノミネートされた作品ということだ。
ついでに書くと先日観たデンマーク映画「ヒトラーの忘れもの」も、この時同時にノミネートされている。
なるほどと納得の話であった。

ところでスウェーデン映画といえばすぐに思い浮かぶのは、名匠イングマール・ベルイマン。
「第七の封印」、「野いちご」、「処女の泉」など映画史に残る名作を数多く生み出した監督だ。
ウディ・アレンが強く影響を受けた監督としても知られている。
「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」、「ギルバート・グレイブ」、「サイダーハウス・ルール」などのラッセ・ハルストレムも、スウェーデン映画出身の監督である。
また「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」、「ぼくのエリ 200歳の少女」といった最近のヒット作もスウェーデン映画であった。
しかし日本で公開されるスウェーデン映画は数が少なく、情報量も少ない。
馴染のないスウェーデン映画ではあるが、そうした豊かな伝統を踏まえて今でも多くの名作を生み出しているようだ。
「幸せなひとりぼっち」もそうした秀作のひとつなのである。

主人公はひとり暮しの初老の男オーヴェ。
偏屈で規律に厳しく、相手構わず口うるさく注意をするなど、町内の人たちからは煙たがれる存在である。
実は彼は最愛の妻に先立たれ、長年勤務していた鉄道会社からリストラを宣言されて絶望の淵に立たされており、前途を悲観して自殺を試みるが、その都度失敗を繰り返して死ぬこともかなわないという日々を送っている。
ある日隣りにイラン人家族が引っ越してくるが、移民としてやってきた彼らは地域社会の規則が分からず、なにかとトラブルの種になってしまう。
そんなイラン人家族を当初は毛嫌いしていたオーヴェだったが、彼の気持ちに頓着せず、次から次へとイラン人家族が持ち込む厄介事に関わっているうちに、次第にオーヴェの心に変化が現れていく。
さらそこに重ねて若かりし頃のオーヴェと妻ソーニャとの生活が回想されていくにしたがって、オーヴェの人間像が鮮やかに浮かび上がってくることになる。
それによって偏屈で口うるさい頑固老人オーヴェが、ほんとうは心優しく、人の温かさを誰よりも求めている男なのだということを知ることになる。
同時に嫌味でいけ好かない男だと思っていたわれわれの心も変化、オーヴェへの親しみと共感が生まれるようになっていく。
名もない老人の過去にも、こんなに豊かで充実した生活がかってあったのだということを教えてくれる。
そしていつの間にかこの映画の世界に心奪われていく。

超高齢化社会を迎え、老人問題がいろいろと取り沙汰される時代である。
そんななかにあってこの映画は、ひとつのヒントを与えてくれる。
同時に勇気や希望も。
笑いあり、涙ありの素晴らしい映画だった。
心地いい余韻をじっくりと味わったのである。


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映画「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」と「ブルーに生まれついて」

イーサン・ホーク主演の映画を続けて観た。
「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」と「ブルーに生まれついて」の2本である。
いずれも実在の人物を題材にしており、「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」はカナダの画家モード・ルイスを、「ブルーに生まれついて」はジャズ・ミュージシャンのチェット・ベイカーを描いている。
「しあわせの絵の具」でイーサン・ホークが演じたのは、貧しい漁師でモード・ルイスの夫であるエベレットという男。
そして「ブルーに生まれついて」では、チェット・ベイカーを演じている。
まったく異なるふたつの役をイーサン・ホークは巧みに演じ、同じ人物が演じているとは思えないほど。
今更ながらイーサン・ホークの演技のうまさ、幅広さ、そして底知れぬ魅力に魅せられた。

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「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」は、カナダの画家モード・ルイスの半生を描いたもの。
モード・ルイスはカナダ・ノバスコシア州の海辺の街に住み、1970年に67歳で他界した画家である。
モード・ルイスを演じるのは、「シェイプ・オブ・ウォーター」で主人公イライザを演じたサリー・ホーキンス。
イライザは聾唖者だったが、こちらはリュウマチを患って手足が不自由という女性である。
いずれも障害者であるが、こうしたクセの強い人物を演じると彼女は俄然輝きを増す。
対してイーサン・ホーク演じるエベレットは孤児院育ちの漁師。
口数少なく人と交わることを嫌う偏屈者で、粗暴な男である。
その男の住む小さな家に家政婦としてモードは雇われることになる。
叔母の家で厄介者として扱われていたモードが、自力で生きていこうと決意して見つけた仕事である。
しかしそこでの扱いは家畜以下というひどさであった。
行き場のないモードは、過酷な酷使に必死で耐える。
そして時間の経過とともにふたりの関係が、次第に変化していくことになる。
そのなかでモードは唯一の慰みである絵を描くようになっていく。

とにかくサリー・ホーキンスとイーサン・ホークふたりの演技の見事さに目を奪われる。
粗暴な男と行き場のない女という設定は、フェリーニの映画「道」でのザンパノとジェルソミーナの関係を彷彿とさせる。
そしてその関係が次第に変化していく様を、大自然の雄大な美しさを背景にきめ細かく描かれていく。
何度も繰り返し観たくなる映画、「これぞ映画!」と叫び出したくなる作品であった。

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そしてもう1本は「ブルーに生まれついて」。
チェット・ベイカーは、1950年代に活躍した伝説のジャズトランペッターである。
一声を風靡したものの、麻薬に関するトラブルから暴行を受け、顎と前歯を砕かれるという重傷を負ってしまう。
ジャズトランペッターにとって命ともいえるものを失ったチェット・ベイカーは、どん底へと突き落とされる。
そこから立ち直り、再び栄光を手にするまでを描いたのがこの映画である。
チェット・ベイカーを演じるのが、イーサン・ホーク。
半年間かけて習得したというトランペットの演奏と歌を聴かせてくれる。
トランペットの演奏はおそらく吹き替えだろうが、歌は彼自身の歌声のようだ。
切々と歌う「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は、深く心に沁み込んでくる。
結局チェット・ベイカーは麻薬中毒から完全に立ち直ることなく、58歳で謎の転落死を遂げてしまうことになるのだが、そうした波乱に満ちた人生を送らざるをえなかった業のようなものをイーサン・ホークは説得力ある演技で演じ切っている。
ジャズ・ファンならずとも、魅せられる映画である。

こうしてイーサン・ホーク主演の映画を続けて観たわけだが、映画における俳優の存在の大きさをあらためて認識することになった。
やはり俳優の良し悪しは、映画の良さを大きく左右する。
そしてその俳優の魅力をどう映画の魅力につなげていくかということが、演出の大きな役割であるということも。
それを生かすも殺すも演出しだい。
そんな当たり前のことをあらためて強く思ったのであった。


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Category: 外国映画

Tags: 戦争映画  

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映画「ヒトラーの忘れもの」

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第2次世界大戦終結後、デンマークにドイツ軍が埋設した地雷が大量に残された。
その数200万個ともいわれている。
それがこの映画の題名になった「ヒトラーの忘れもの」である。
その残された地雷を除去するために駆り出されたのが、ドイツ軍の捕虜たちである。
そしてその多くが少年兵であった。
そうした事実に基づいて作られたのが、この映画である。

映画を観てまず驚かされるのは、その歴史的事実である。
少年兵のほとんどが、まだあどけなさの残る10代の少年たち。
そんな兵士たちがいたことにまず驚かされる。
それは大戦末期に、追いつめられたドイツが、徴兵年齢を10代半ばにまで引き下げたことによる。
年端も行かない子供たちまで戦争に駆り出し、しかも戦争終結後は国に帰ることが許されず、こうした過酷な作業に従事させられたのである。
地雷除去に従事させられた捕虜の数は、2600名。
そのうち半数が死亡、もしくは重傷を負い、除去した地雷の数は、140万個にも及んだということである。

映画の舞台となっているのは、デンマークの西海岸の小さな村。
そこで11人の少年兵が、砂浜に埋められた地雷の除去を命じられる。
その数4万5千個。
それを3ヶ月かけてすべて取り除くというのである。
計算すると1日500個、ひとりあたり50個弱ということになる。
それをすべて手作業で行う。

地雷除去というのは、熟練した専門の人間が行う場合でも、慎重の上にも慎重を期して処理しなければいけない。
それをごく簡単な訓練を受けただけの、ほとんど素人同然の少年たちが行うのである。
しかもまともな食事も与えられないという劣悪な環境の中で。
毎日が死の恐怖との闘い。
地雷除去に失敗して犠牲になる者は後を絶たず、ひとり欠けふたり欠けと仲間は減ってゆく。
これはもうほとんど拷問に近い。
いつ爆発するかもしれない地雷除去のシーンの緊迫感は凄まじい。
見ているだけで、緊張が強いられる。

少年たちを管理するのは、デンマーク軍の屈強の古参兵であるラスムスン軍曹。
ドイツ兵に対して人一倍憎しみを抱いた軍人である。
それは少年兵といえども同様で、いっさい容赦はない。
戦争による憎しみの連鎖の激しさを思い知らされる。
そんなラスムスン軍曹が少年兵たちと過ごすなかで、少しづつ変化していく様子には、厳しさだけではない隠された人間性を垣間見ることができる。
そこにこの映画のわずかな救いがある。

戦争がもたらす悲劇の形は様々だが、いずれもわれわれの想像を遥かに超える。
そしてその痛ましさの形も様々だ。
この映画でまた新たな悲劇に出会ったわけだが、こうした隠された戦争の悲劇を掘り起し、映画として結実させた勇気と熱意には頭が下がる。
心揺さぶられる映画だった。


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映画「トンネル 闇に鎖(とざ)された男」

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題名どおり、崩落したトンネル内に閉じ込められた人間を、どうやって救出するかを描いた韓国映画である。
そのことだけに突出し、そして手を変え品を変えながら物語を展開させていく。
その工夫の利いたストーリーと迫力は、まさに一級品。
監督・脚本のキム・ソンフンは、この映画で初めて知ったが、なかなかの手腕である。

映画が始まるや、ほとんど何の前触れもなく一気にトンネル崩壊へと突入、閉じ込められた男がいかに生き延びるか、そしてそれをどのように救助するのか、そのことだけに焦点を合わせて力強く物語を進めていく。
そしてその深刻な話の中に、時にユーモアを交え、またマスコミや企業、政府などへの批判も込めながら、現場で起こり得るに違いないあらゆることを想定しながら話を組み立てていく。
そのひとつひとつが考え抜かれたものであり、しかもスケール感があってリアル。
それによってわれわれ観客を、混乱と緊張で張りつめた救出現場へと連れ去り、その臨場感に一喜一憂させる。

トンネル内に閉じ込められた男、その妻、そして救助隊の隊長、この3人を中心にストーリーは展開していく。
そしてそれぞれがけっして諦めないという強い意志をもって困難に立ち向かっていくが、そうした意志だけではどうにもならない壁が立ち塞がってくる。
お決まりの展開ではあるが、その描き方はソツがなく、納得がいく。
そこに生まれるドラマには思わず涙を誘われた。

この映画で、また韓国映画のレベルの高さを、思い知らされた。


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Tags: ウディ・アレン  

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映画「カフェ・ソサイエティ Cafe Society」

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ウディ・アレンの自画像。
主人公の青年ボビーを演じるジェシー・アイゼンバーグは、ウディ・アレンそのもの。
チビで猫背のユダヤ人。
それなのに、美人にはモテるし成功も手にする。
しかしそれでいてけっしてそこで満足することはなく、さらなるアバンチュールを求めてしまう。
これはもうどう見たって、ウディ・アレン以外にはありえない。
そんな人物を主人公にしたラブ・コメディである。

1930年代のハリウッドとニューヨークが舞台である
ハリウッドでは華やかな映画産業の舞台裏が、虚実入り混じって皮肉に描かれる。
誰もが知る有名俳優やプロデューサーそして監督たちの名前が数多く連発されるが、誰ひとり登場することはない。
そこは多くの有名作家たちを登場させた「ミッドナイト・イン・パリ」とは対照的。
その華やかな世界に憧れて、主人公ボビーがハリウッドにやってくる。
そしてそこで成功している叔父フィルの使い走りをやることで、次第にハリウッドの水に染まってゆく。
そのなかで秘書のヴォニーと恋に落ち、結婚間近というところまでいくものの、思わぬ障害が現れて破局を迎えることになる。
傷心のボニーはハリウッドでの生活を諦めて、ニューヨークに戻っていく。
そこでギャングとなって勢力を伸ばしている兄ベンが経営するナイトクラブを手伝うことになる。
そして次第に手腕を発揮、とうとう支配人となって成功を手にすることになる。
同時に洗練された美人のヴェロニカという女性と出会って結婚、公私ともに絶頂期にある彼の前に、昔の恋人ヴォニーが現れる。

こうした物語が洗練された音楽と美術、そしてウイットに富んだ会話の積み重ねで、いつも通りテンポよく描かれていく。
その軽やかなフットワークは、ますます円熟味を増したように感じられる。
いつの間にかアレン的世界に心地よく引き込まれていった。
そして気がつけば、おかしくてほろ苦い結末へと導かれていく。

人生はなかなかうまくいかないもの。
それでも人生は限りなく素晴らしい。
ここでもそんなウディ・アレンの切ない呟きが聞こえてくるのである。


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映画「パターソン PATERSON」

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愛すべき小品。
繰り返される単調な日常を淡々と描いただけの映画なのに、なぜか愛おしくなってしまう。
朝決まった時間になるとベッドから起き出して、キッチンでシリアルだけの朝食をとる。
弁当箱ひとつを下げてバス会社まで歩いて出勤、定時になるとバスを発車させる。
そして運転中のバスの中で交わされる乗客たちのたわいない会話に耳を傾ける。
仕事が終わると定時に帰宅、夕食の後は、愛犬マーヴィンを連れて夜の散歩に出かける。
そして行きつけのバーで1杯だけビールを飲む。
そんな判で押したような日常が、淡々と繰り返されていく。
たったそれだけの映画が、何とも愛おしくて心温まる。

主人公はパターソンに住むパターソンという名前の男。
年齢は30代半ば、もしくは後半くらいか。
市バスの運転手をしており、イスラム系の妻ローラと小さな家で暮している。
子供はいないが、マーヴィンという名のブルドッグを飼っている。

パターソンはバスの運転手だが、詩人でもある。
一冊のノートを常に携帯しており、時間を見つけてはノートに詩を書きつけていく。
その詩が町の風景とダブって時々画面に挿入される。
日本でいえば、俳句や短歌をものにするシロート詩人といったところ。
それが判で押したような日常の、鮮やかな句読点になっている。
彼は自分が書く詩で有名になりたいとか、誰かに認められたいといった野心を持って書いているわけではない。
どこかに発表しようといった気持ちなどはなく、唯一妻に読んで聴かせるだけ。
一方妻は対照的に野心満々で、カップケーキを焼いて近く開かれるバザーに出品、それを契機にいずれ店を開いて成功させたいと考えている。
またデザイン好きで、服やカーテンを自作したり、室内を塗り替えるなど、まことに行動的というか衝動的。
パターソンの弁当も彼女が作っているが、そのユニークさもなかなかのもの。
さらに通販でギターと教則本を買って、歌手として成功したいとも考えているが、どこまで本気なのか判然としない。
無邪気な夢見る少女と変わりがないようにも見える。
そんな陽気で楽天的な妻と、穏やかで感情を露わにしないパターソンとの取り合わせが微笑ましい。

パターソンは、ニュージャージー州にある人口15万人ほどの町。
古い町で、静かで寂れた街並みが、イギリスの古い炭鉱町のように見える。
町の中にグレートフォールズという雄大な滝が流れていて、主人公パターソンはこの滝を見るため、しばしばそこを訪れる。
そしてそこで静かに詩作をする。
古びて薄汚れた町だが、いかにも住み易そうだ。
またこの町は様々な有名人を輩出しており、行きつけのバーではパターソンに関連した人物たちの写真や雑誌や新聞記事の切り抜きが、「殿堂の壁」と名づけられた壁に貼られている。
たとえば凸凹コンビで有名なアボット・コステロのひとり、ルー・コステロ。
パターソンと妻が観に行く映画も、彼が出演している「凸凹フランケンシュタインの巻」である。
さらに黒人ボクサーのルービン・ハリケーン・カーター。
殺人の冤罪で逮捕されたという人物で、そういえば、以前観た「ハリケーン」という映画では、デンゼル・ワシントンが演じていたことを思い出した。
また詩人のアレン・ギンズバーグもこの町の出身。
さらに詩人のウィリアム・カーロス・ウィリアムズが、この町を題材に「パターソン」という詩集を出しているが、主人公パターソンは、その詩集を座右の書として大切にしている。

こうした背景の中で月曜から始まって月曜に終わるパターソンの単調な生活が描かれていくわけだが、これといって大きな事件が起きるわけでも、ドラマチックなことが起きるわけでもない。
それでいて目が離せないのは、彼が代わり映えのしない毎日をけっして不満に思っているわけではなく、いやむしろそんなささやかな生活を愛おしくさえ思っていることが伝わってくるからである。
詩人としての目を通して見れば何もないと思える日常が、別な輝きをもって見えてくるのだろう。
たとえば映画の冒頭で語られる詩は、彼が集めているマッチの中の「オハイオ印のブルーチップ」というどこにでも転がっているようなマッチについて書くことから始まっているが、それが次第に「愛の詩」という詩に結実されていく。
また朝ベッドで目が醒めた奥さんが「双子の夢を見た」と呟けば、町のあちこちでいろんな双子たちと出会うようになる。
それが幻想なのか、妄想なのか、あるいは現実なのか、判然とはしないが、ついつい笑いを誘われる。
そしてそのなかでいちばん印象に残るのが、詩を書く少女との出会い。
エミリー・ディキンソンの詩が好きだというこの少女が、自作の詩を読んで聴かせる。
その詩にパターソンは強い印象を受け、触発される。
そこに現れたのが少女の母親と姉、すると姉妹はなんと双子であった。
ここでもつい笑いを誘われる。
こうした微苦笑は、映画のあちこちに散見され、いい味付けになっている。
そして心優しい人たちとの交流。
バーのマスターであるドク、別れ話でもつれているマリーとエヴェレット、コインランドリーで自作のラップを唄う男、皆アフリカ系アメリカ人ばかり。
そしていつも不平不満ばかりを口にする同僚のインド系アメリカ人。
静かな日常のなかで、彼らとの交流だけが小さなさざ波のような変化をもたらしている。

パターソンを演じているのは、アダム・ドライヴァー。
今いちばん気になる俳優である。
最近映画でよく見かけるが、いちばん最初に彼を見たのは、「フランシス・ハ」という映画だった。
以来気になる俳優のひとりになった。
そして最近では「ヤング・アダルト・イン・ニューヨーク」や「沈黙」といった映画で出会い、そして今回のこの映画である。
パターソンはまさに適役。
そして妻のローラを演じているのが、イラン人女優のゴルシフテ・ファラハニ。
調べてみると、パターソンという町はイスラム系の人が多く住む町として知られている。
そんなところから、イラン人女優の彼女が起用されたのだろうが、この映画に登場する人たちが全員マイノリティというところは、パターソンの偏見をもたない人間性を表していて好感が持てる。
そして特筆すべきは、愛犬マーヴィンを演じたブルドック。
何とも愛らしく、何度も笑いを誘われた。
主役のふたりに次ぐ存在、いやそれ以上の存在感を示した演技であった。
この映画には欠かせない重要なキャラクターになっている。
こんな可愛い犬と過ごせるのであれば、やはりそれは何物にも代えがたい生活ということになるだろう。
そう思わせる存在であった。


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映画「新感染 ファイナル・エクスプレス」

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韓国初のゾンビ映画である。
そして舞台となるのが、ソウルからプサンへと走る高速鉄道の車内という、これまでになかった設定で、それによってパニック映画、サバイバル映画に加えて密室劇の面白さも味わえるという仕掛けになっている。
どちらかといえば苦手なゾンビ映画だが、それでも韓国映画歴代第12位、1,000万人以上の観客動員を果たした人気の映画ということで、観ることにした。
そして評判通りの面白いエンターテインメントであった。

特筆すべきはそのスピード感。
ゾンビといえば、足を引きづりながら覚束なく歩くというのが、お決まりだが、この映画はそこが違う。
確かに普段はゆっくりと動いているが、それでもいったん獲物を見つけると突然動きを速め集団で雪崩をうつように襲ってくる。
そしてその素早い動きが新幹線のスピードと連動、映画全体がまさにジェットコースターのようなスピード感で疾走、息つく暇もなくこれでもかと予想外の展開をみせて飽きることがない。
そうしたアクションに加え、登場人物たちに魅力的な人物を配し、さまざまな人間ドラマを見せていく。
パニック映画、サバイバル映画などではよくあるお決まりの手法ではあるが、その手際よさ、演出のうまさはなかなかのもの。
そのうまさに乗せられ、何度も胸を熱くさせられたのである。
それほど多くのゾンビ映画を観ているわけではないが、(最近では日本映画の「アイアムアヒーロー」やアメリカ映画の「ワールド・ウォー・Z」など)まさかゾンビ映画で泣かされるとは。
そんなわけで予想以上の面白さに大満足の映画であった。


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プロフィール

cooldaddy

Author:cooldaddy
住んでいるところ:青森県弘前市
出身地:香川県
年齢:今年(2018年)70歳です。
性別:男

還暦(10年前)という節目を迎え、何か新しいことを始めようとブログを開設しました。
趣味のこと、生活のこと、心に残ったことなど、My Favorite thingsを、気ままに書いていこうと思います。
末永くおつき合いください。

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