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風に吹かれて

My Life & My Favorite things

Category: 読書

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藤岡陽子「海とジイ」

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図書館で何気なく借りた本だが、読み進むうちに小説の舞台になっているのが、故郷である香川県多度津町の佐柳島と高見島であることが分かった。
それでこの小説が急に身近なものに感じられるようになったのである。

物語は「海神(わだつみ)」、「夕凪」、「波光」の3篇からなる連作短編で、老い先短い3人の老人の姿を描いている。
そしてそれぞれの老人のもとに生き方に迷うひ孫、看護師、孫が訪れ、老人と触れ合うなかで生きる力を得るというもの。
話自体はそれほど特別なものではなく、よくある話といえばそうなのだが、語りのうまさと瀬戸内海の小島が舞台という着想の面白さで読ませる。
しかもそれが自分の故郷となればなおさらである。
いやが上にも興味をそそられた。

佐柳島、高見島は同じ多度津町ではあるが、離れ小島なのでそれほど馴染があるわけではない。
ただ子供の頃に何回か父に連れられて訪れたことはある。
電気店を営んでいた父は、電気製品を納めたり電気工事をするためによく行き来していた。
そのため島には知り合いが多く、小学生の時には家族揃って島を訪れ、知人の家に宿泊、休日を過ごしたことがあった。
そして朝早くに沖合まで船を出し、釣りを楽しんだ。
また父親の後を継いだ弟が、父同様に仕事で行き来をしており、そうした縁が今も続いている。

そこで小説の舞台になった佐柳島、高見島のことをあらためて調べてみることにした。

佐柳島は面積1.83平方キロメートル、周囲6.6km。
2017年時点での人口は80人弱。
南部に本浦、北部に長崎というふたつの集落があり、いずれの集落も「埋め墓」と「参り墓」と呼ばれる特殊な埋葬制度が残っている。
そのことについて小説では次のように書いている。

<死んだ人の魂を埋葬する詣り墓と、肉体を埋葬する埋め墓。なぜ魂と肉体を別々に埋葬するようになったのかは、いまだはっきりとはわからない。
「昔から海の仕事をする男が多かったから、亡くなってもご遺体が戻らんことがしょっちゅうじゃったんじゃ。だから詣り墓ができたんかもしれんがのう」>

この制度は子供のとき、何かの折に聞いたことがあり、神秘的な印象をもったことがあった。
小説ではこの両墓制が物語のひとつのキーワードになっている。
また山の上には「大天狗神社」という古い神社があるが、この神社が小学生のひ孫がいじめから立ち直るきっかけとなるものとして効果的に使われている。

次は高見島について。
高見島は、面積2.35平方キロメートル、周囲6.4km、島全体が山になっているため、急斜面に石を積んだところに家が建つという集落になっており、それが独特の景観を作り出している。
江戸時代には北前船の寄港地として、さらには金毘羅参詣に訪れる人で賑わう港であった。
またかつては蚊取り線香の原料となる除虫菊の栽培が盛んに行われていたが、今は30人ほどが暮らすだけの島である。
こちらも佐柳島同様の両墓制が残っている。

1956年(昭和31年)、それまで村であった両島は多度津町に編入されて今日に至っている。
また両島とも今は多くの猫が住む「猫の島」として知られており、それを目当てに猫好きの観光客が訪れるようになったということだ。


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さらにもうひとつエピソードをつけ加えると、1962年に佐柳島を舞台にした映画が作られている。
東映映画の「あの空の果てに星はまたたく」という映画である。
丘さとみ、水木襄主演の青春映画で、脚本が新藤兼人、監督が関川秀雄、その映画のロケが佐柳島をメインに、多度津町内各所で行われたのである。
当時小学生だった私は、身近で映画のロケが行われるということを知り、大いに興奮したことを思い出す。
ただロケ風景を見学することは叶わなかったが、俳優たちが近くの旅館に泊まっていたことから、出演者たちの姿をほんの少しだけ垣間見ることができた。
それでも当時の田舎の少年にとっては、大いに胸躍らせる事件であったのだ。

またついでに書くと、高見島は「男はつらいよ 寅次郎の縁談」(1993年)や「機関車先生」(2004年)のロケ地でもある。
だがその時はもうすでに多度津を離れていたので、それらについての記憶はない。

といったことで、小説を読んでいるうちに、そんないろいろなことを懐かしく思い出したのである。


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乙川優三郎「この地上において私たちを満足させるもの」

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乙川優三郎の自伝的小説。
主人公は、乙川優三郎の分身のような小説家、高橋光洋である。
年齢71歳、千葉県御宿に住む作家である。
その主人公について次のように書いている。

<彼は本名を高橋光洋(みつひろ)といい、七十一歳になる今も小説を書いているが、体力をなくしてからは短篇しか書かなくなっていた。それも二、三十枚のもので、短篇集に編んでも手にしてくれる読者は少ない。本という形を見ることはひとつの喜びだが、今さら他にできることもないので書いているに過ぎない。後世になにか残したいと思うほど欲張りでもないし、名声などどうでもよい人間であったから書くものも我儘であった。長く書いていながら、まだ傑作と呼べるものはなく、これから書けるとも思えないが、挑み続けるしかないのも作家の業であった。老いても生きる目的があるのは幸せなことだと思う。戦時でもないのに死なないことを目的に生きる人がまわりに増えて、健康のために骨身を削りながら精神を病んでゆく。猫のように泰然として逝きたいと考える彼は、そのときがくるまで生き甲斐の足しに書くだけであった。>

乙川優三郎自身の姿を彷彿とさせる人物である。
そして今の彼のもうひとつの生き甲斐は、フィリッピン人女性ソニアとのかけがえのない日々である。
ソニアは光洋が若き日に漂泊したフィリッピンで知り合い深く交流のあった、今は亡きラブリィーの娘サラが、ひとり暮しの光洋を気遣って、家政婦として日本に送った娘で、ラブリィーの兄ドディの孫娘であった。
家庭的な愛情に恵まれなかった光洋は、利発なソニアを気に入り、いずれ彼女を養女として迎えたいと考えている。
そんな穏やかな老後を送る光洋が、過去を振り返り、自身のこれまでの軌跡を辿るなかで移りゆく心境を書き連ねていくというのが、この小説である。
貧しい少年時代、家族離散のように生家を離れて住み込んだ鉄鋼所での生活、フィリピン、フランス、スペインでの放浪の日々、そして小説家となった後の編集者との交わりや小説との格闘、そうしたものが、連作短編の形で書き進められてゆく。
様々な人たちと触れ合い、影響を受け、学んでゆく。
そして歓びや悲しみや苦しみが通り過ぎてゆく。
著者の原点ともいえるそうした時間が、研ぎ澄まされた文章で書かれ、読み応え十分。
そして次のような心境へと至る。

<自分の小説はどうかと振り返り、彼は苦笑した。そのすべてが情熱と努力の産物で、才能などこれっぽちもないからであった。だから苦しみ、体も壊しもしたが、嫌になり投げ出すことはしなかった。書くことが自浄でもあった。運のよいことにそれで暮らしてこられたし、運の悪いことには平凡な喜びを失った。しかも、これでよいという作品がまだない。生活のために才能を封じた兄との最大の違いは、冒険の人生を愉しんだことであろう。そうしなければ充たされない人間だったこともあるが、生きることも書くことも冒険であった。敗北から希望が生まれることもあって、彼は無謀な試みを繰り返した。しかしそれもこれも煎じつめればちっぽけな自分のためにしてきたことであるから、消えるときは一羽の蝶の軽さでよかった。言い換えるなら、この美しい地上に生きた証を残すことなどまっぴらであった。>

こういう気持ちはよく分かる。
同じ老後を生きる身としては、共感度が高い。
そしてこのまるで遺言のようにも思える文章を読みながら、乙川優三郎ファンとしては、この先もまだまだ書き続けてほしいと切に願うのである。
ちなみにこの小説には、姉妹編として「25年後の読書」というのがあるそうだ。
そちらも合わせて読みたいと思っている。


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Tags: 太宰治  

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北村薫「太宰治の辞書」

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文学探訪、書評、エッセイ、論文、さらにはミステリーといった要素を合わせもった小説である。
幻惑されそうな内容だが、読み進むうちに曰く言い難い魅力に絡めとられてしまう。
こうした小説を読むのは初めてである。

主人公の《私》は小さな出版社に勤める40代の女性。
無類の読書家であるが、小説の細部が気になる性質。
そしていったんそれが気になると、とことん追求せざるをえなくなる。
そんな《私》が芥川龍之介の『舞踏会』を評した三島由紀夫の「ロココ的」という言葉に触発され、その繋がりから太宰治の『女生徒』のなかで書かれた「ロココ料理」という言葉に行きあたる。
さらに太宰が辞書で調べた「ロココ」という語彙の意味「華麗のみにて内容空疎の装飾様式」という文章に辿りつくが、果たしてそれがほんとうに太宰が辞書を引いて調べた言葉なのかどうかという疑問が沸き、その真偽を確かめるための探索が始まることになる。
そうした流れの中で三島由紀夫、江戸川乱歩、萩原朔太郎、江藤淳、ピエール・ロチ、フランソワ・モーリアックといった様々な文学者や文学作品が採り上げられる。
さらに助言や協力を仰ぐ人たちが登場、例えばそれは会社の上司であったり、出版を担当する大学の教師であったりするが、なかでも重要なのは大学時代からの友人・高岡正子と落語家の春桜亭円紫のふたり。
高岡正子からは「ロココっていえば、太宰だな」という助言があり、愛読した文庫本『女生徒』を手渡される。
それをきっかけに太宰文学の世界へと入り込んでいくことになる。
また円紫の場合は、寄席で彼の落語を聴いて楽しんだ後、行きつけの居酒屋でふたりで酒を酌み交わす。
そこで交わされる太宰についての話題のなかで、円紫から「太宰治の辞書」についての助言をもらうことになる。
それが次なる探索へと繋がっていく。
またこの会話のなかでさらに興味深い話を聴かされる。
それは太宰の言葉としてよく知られている「生まれて、すみません」が、実は太宰の言葉ではないということ。
そのことについては小説の中で詳しく書かれているが、太宰らしいエピソードで非常に興味深い。
そして同時にそのことは『女生徒』が太宰のファンだった有明淑から贈られた日記を下敷きに書かれたという事実とも重なるものがあり、そうした考察のなかから太宰文学の本質に迫ろうとする。
非常にミステリアスで知的好奇心を大いに刺激された。
贅沢で豊かな時間だった。
そして小説を深く読むとは、こういうことなのだということを教えられたのである。

調べてみると、これは「円紫さんと私」シリーズの6作目ということだ。
作者のデビュー作である『空飛ぶ馬』がシリーズの第1作目で、以後『夜の蝉』、『秋の花』、『六の宮の姫君』、『朝霧』と続き、この作品が16年ぶりの新作ということだ。
そういうわけで後追いになるが、他の5作品もぜひ読んでみたいと思っている。
そしてもちろん太宰の小説も。


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佐野眞一「快優伝 三國蓮太郎・死ぬまで演じつづけること」

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2013年に90歳で亡くなった俳優・三國蓮太郎が自選した映画10本を、ともに観ながらインタビューを行ったという本である。
その10本というのは、掲載順に書くと「飢餓海峡」、「にっぽん泥棒物語」、「本日休診」、「ビルマの竪琴」、「異母兄弟」、「夜の鼓」、「襤褸の旗」、「復讐するは我にあり」、「利休」、「息子」である。
いずれも名作と呼ばれる作品ばかり。
それを出演者である三國蓮太郎と一緒に観ながらインタビューを行うのである。
なんと贅沢な話であろうか。
映画ファンからすれば、垂涎もの、うらやましいかぎりである。
しかし相手は底知れない快優・三國蓮太郎である。
生半可な対応は怪我の元、返り討ちに合いかねない。
だが対する佐野眞一も、一筋縄ではいかないライターである。
これまでにも甘粕正彦、正力松太郎、中内功、孫正義、小泉純一郎、石原慎太郎などといったカリスマたちを、俎上にあげてきたライターである。
一歩も引かずに踏み込んでゆく。
そのつばぜり合いはなかなかスリリング。
そこで語られる出生の秘密、戦争体験、若き日の放浪、女性遍歴、映画界での伝説的なエピソードの数々、そして息子・佐藤浩市のことなどが、時に赤裸々に、時にはぐらかしながら語られていく。
また時に笑いがあり、和やかな時間もあり、といったインタビューは変化に富んでいる。
そして当初の予想とは違って、素の三國蓮太郎はいたって穏やかで紳士的。
インタビューが進むにしたがって親密度が増してゆく。
かつては映画監督を目指したこともあるという佐野眞一の映画愛を、三國蓮太郎が正面から受け止めたからなのかもしれない。

ところでこれら10本の映画のうち「襤褸の旗」を除いた他の9本はすべて観ている。
なのでこの本を読んでいると彼らとともに映画をもういちど観返しているような気分になってくる。
中でも最初に取り上げられた「飢餓海峡」がもっとも印象に残っている。
それは著者・佐野眞一も同様で、特別の思い入れをもって書いている。

この映画が作られたのは1965年、東京オリンピックの翌年、高校3年生のときである。
圧倒的エネルギーを発散するこの映画を観た時の記憶は今も鮮やかに残っている。
これほどの衝撃を受けた映画はそれまでにはなかった。
以来何度も繰り返し観ているが、何度観ても新しい発見があり、感動がある。
けっして古びることがない。
昭和27年生まれで私より1歳年上の佐野眞一も、同じような衝撃を受けている。
それだけに佐野同様の思い入れをもってこの章を読むことになったのである。
ちなみにこの映画が作られた4年前の1961年、内田吐夢は中村錦之助主演で「宮本武蔵」を撮っている。
以後1年に1作づつ撮り、5年後の1951年、「飢餓海峡」と同じ年に5部作として完結させている。
この映画で三國蓮太郎は沢庵和尚を演じており、その存在感は強く印象に残っている。
ついでに書くと三國蓮太郎は1954年に作られた東宝映画「宮本武蔵」(監督・稲垣浩)にも出演、こちらでは本位田又八を演じている。
「宮本武蔵」という映画にとって、三國蓮太郎は欠かせない俳優ということになる。
このことだけでも三國蓮太郎が、いかに幅広い芸域をもった俳優かということがよく分かる。

「俳優とは?」という質問に対して、三國は「人に非ずして、優れた者」と答えている。
いかにも三國蓮太郎らしい答えである。
この本を読むことで、そこに込められた様々な思いの一端に触れることができたように思う。
またもういちど「飢餓海峡」が観たくなってきた。


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Category: 読書

Tags: 短編小説集  西村賢太  

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西村賢太「無銭横町」

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「菰を被りて夏を待つ」、「邪煙の充ちゆく」、「朧夜」、「酒と酒の合間に」、「貫多、激怒す」、「無銭横町」の6編が収められている。
いずれの短編も内容的にはこれまで読んできたものと変わらないが、それを手を変え品を変えて読ませてしまうのは流石である。
同じ話なのにけっしてマンネリにはならない。
そこが西村作品の魅力であり、力でもある。
読まずにはいられないのである。
中毒性の強い作家だ。

6作のなかで特に印象に残るのは、表題作である「無銭横町」。
例のごとく家賃を滞納、大家から立ち退きを迫られた貫多が、金策に走り回る様子が事細かに書き連ねられていく。
まずは手元に残ったわずかの金を工面して町田に住む母親を頼るが、自分の生活だけで精いっぱいだと体よく断られてしまう。
日頃没交渉で都合のいい時にしか現れず、度々迷惑をかけられている母親にすれば、これは当然の態度といえよう。
それでも帰りの電車賃だけは無理やりむしり取る。
アパートに帰った貫多は、仕方なく読みかけの文庫本を古本屋に持って行くが、ここでも断られそうになる。
だが悪戦苦闘の末に、何とか100円で売ることに成功する。
さっそくインスタントラーメンを買うが、コンロも調理器具も持っていないので料理ができない。
そこで考えたのが「水ラーメン」。
ビニール袋に入れたラーメンに水を注ぎ、ある程度ふやけたところで手でもみほぐすという方法。
とても食べられた代物ではないが、空腹を我慢できない貫多は残らず平らげてしまう。
そして「ヘンな胃のもたれと軽ろき吐き気」を感じながら、また次なる金策へと奔走するのである。

何とも情けなくやるせない話である。
しかしこんな愚行を繰り返すのが、若さというもの。
似たようなことは、ひとり暮しをしたことのある者であれば、身に覚えがあるはず。
斯くいう私もそのひとり。
読んでいてどうしようもなく愚かで、その日暮しだった若かりし頃を思い出したのである。
しかしその恥多き愚かな日々が、とてつもなく懐かしく愛おしい。
そしてそんな馬鹿々々しいことをやれたことが、今ではとても貴重な経験だったと思えるのであった。


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Tags: 短編小説集  西村賢太  

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西村賢太「芝公園六角堂跡」

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久方振りの西村賢太である。
どのくらい久しぶりなのか、ブログで調べてみると、最後に読んだのが2016年10月。
「蠕動(ぜんどう)で渉れ、汚泥の川を」という小説を読んでいる。
それ以来のことなので、1年4ヵ月ぶりということになる。
ついでに遡って調べてみると、最初に読んだのが2013年2月。
芥川賞を受賞した「苦役列車」である。
この小説の面白さに、単行本化されているすべての著作(小説8冊と随筆集2冊および対談集1冊)を続けて読むことになった。
そして2014年には、「疒(やまいだれ)の歌」、「歪んだ忌日」、「棺に跨る」を、間を置いて2016年には「蠕動(ぜんどう)で渉れ、汚泥の川を」と続き、そして今回のこの小説となったのである。
多作の作家だとこうはいかないが、寡作である西村賢太の場合は、このように時間を置いて読むことができるので、ありがたい。
そろそろ次が読みたくなってきたなという頃合いに、いい具合に次の本が出版される。
なので気持ちがいつも新鮮なままで、余裕を持って臨むことができる。

ということで今回の小説であるが、こちらは2015年から2016年にかけて雑誌に掲載された短編を収めた作品集である。
4篇すべてがお馴染みの「北町貫多もの」。
表題作の「芝公園六角堂跡」からはじまり、掲載順に「終われなかった夜の彼方で」、「深更の巡礼」、「十二月に泣く」と続く。

「芝公園六角堂跡」は、北町貫多が没後弟子を自任する作家、藤澤清造が凍死した場所である。
謂わば北町貫多にとっては巡礼の地とも云うべき場所である。
その近くにあるホテルでミュージシャンJ・Iのライブがあり、貫多が招かれて出かけていくところから物語は始まる。
J・Iは、音楽にあまり関心を持たない貫多が唯一ファンとなったミュージシャンで、そのことを小説にしきりに書いたことから親交を得るようになった。
そのライブを聴きながら、J・Iの音楽との出会いから、親交を得た現在までの経緯が詳しく語られていく。
そしてライブの興奮とライブ後のJ・Iとの親しい交流に舞い上がったまま、近くの六角堂跡を訪れる。
しかし貫多の気持ちは複雑だ。
それというのも「彼が今佇んでいる場が、大正期の私小説作家、藤澤清造のまさに終焉の地であることは、はなから承知済みだった。尤も当初は、この事実を今日のところは完全に無視するつもりでいた。完全に無視して、ただJ・Iさんの音楽世界だけを堪能したかった。」からである。
「だが、やはり無視し去るわけにはいかなかったのである。」
そこから藤澤清造の小説と出会って以来の来し方を思い出すなかで、師への熱情が冷めかけていることを大いに反省、だらけ切った現在の自分を叱咤激励する。
A賞を受賞したことで社会的認知度が上がり(それを虚名と書く)、経済的にも余裕が出たことで、「その軌道が、おかしな方向に行ってしまっているのだ。」
「何んの為に書いているかと云う、肝心の根本的な部分を見失っていたのである。」
そして「見失っていたことをハッキリと自覚したんなら、取り戻せばいいことに違げえねえ」となるのである。
謂わば彼の原点帰りの決意を述べたような小説であり、続く3篇では、その原点帰りを果たそうとする姿が描かれていく。
相も変わらぬ藤澤清造愛であり、田中英光愛であるが、そこに表れる北町貫多の心境は、時に弱気、時に強気、そうしたアンビバレンツな心の動きもやはりこれまでどおりの西村節健在で、大いに楽しませてくれるが、それが変わりつつあるのを感じる。
それがどんなものになっていくのか、一筋縄ではいかない西村賢太だけに大いに期待が高まるところである。
これでまた楽しみがひとつ出来た。


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Category: 読書

Tags: エッセイ・評論  

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野呂邦暢「夕暮の緑の光 野呂邦暢随筆選」

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諫早の作家、野呂邦暢の随筆集である。
野呂邦暢は、生涯を故郷・諫早の地で作品を書き続け、1980年に42歳の若さで急逝した。
この随筆集の編者は、書評家・岡崎武志である。
最近続けて読んだ岡崎の著書の中で野呂邦暢について書かれているのを読んでいたので、彼が熱烈な支持者であることは承知していたが、この本の編者であることはこれを読むまで知らなかった。
そんな偶然が、この本を近しいものにしてくれた。

解説に岡崎氏は次のように書いている。
「一番大事なことから書く。それは、野呂邦暢が小説の名手であるとともに、随筆の名手でもあったということだ。小説を書くときほどの息苦しい緊張はなかっただろうが、ちょっとした身辺雑記を書く場合でも、ことばを選ぶ厳しさと端正なたたずまいを感じさせる文体に揺るぎはなかった。ある意味では、寛いでいたからこそ、生来の作家としての資質がはっきり出たとも言えるのである」

早逝の作家、野呂邦暢が残した作品は多くない。
そしてその作品はいずれも地味なものばかり。
ゆえに読者の数も多くはない。
しかし数少ない読者の中には、彼の作品を熱烈に愛する根強いファンが存在する。
けっして「忘れさせるわけにはいかない」作家なのである。
そんな思いを込めて没後30年の節目に出したのが、この随筆集である。

野呂邦暢は、1937年長崎市に生まれ、7歳の時に諫早市に移り住んだ。
1956年、京都大学を受験したものの失敗、そのまま予備校生として京都に住んだが、父親の事業の失敗でわずか3か月で京都での生活を終える。
その後は生活のために大学受験を断念、上京してガソリンスタンドで働き始めるが、翌年身体を壊して帰郷、陸上自衛隊に入隊、佐世保での2か月間の訓練の後、北海道千歳に配属される。
1958年除隊、諫早に帰り、家庭教師などで生計を立てながら作家を目指す。
1965年「ある男の故郷」で文學界新人賞佳作受賞、そして1974年には「草のつるぎ」で芥川賞を受賞するが、1980年5月7日、心筋梗塞で急逝。

そうした経緯が書かれている。
収められているのは、全部で57編。
そのほとんどが1970年代に書かれたものだが、1篇だけ1967年に書かれたものがある。
それがこの本の題名にもなっている「夕暮の緑の光」である。
そこには次のようなことが書かれている。

学生時代、“ブッデンブロークス”を読まなければ、田舎に居ついた疎開児童でなければ、原子爆弾の閃光を見なければ、郷里が爆心地に近くなければ私は書いていただろうか、やはり書いていたと思う。
外から来たこれらの事は私にものを書かせる一因になったとしても、他に言い難い何かがあり、それはごく些細な、例えば朝餉の席で陶器のかち合う響き、木漏れ陽の色、夕暮の緑の光、十一月の風の冷たさ、海の匂いと林檎の重さ、子供たちの鋭い叫び声などに、自分が全身的に動かされるのでなければ書きだしていなかったろう。
 小説を読み映画を見るにつけ身につまされる事が多かった。他人事ではないのである。親しい友人は東京におり、九州の小都市で私は申し分なく、一人であった。
 今思えばこれが幸いした。優れた芸術に接して、思いを語る友が身近にいないという欠乏感が日々深まるにつれて私は書くことを真剣に考えた。分かりきった事だが、書きたいという要求と現実に一篇の小説を書きあげる事との間には溝がある。
 それを越えるには私の場合、充分に磨きのかかったやりきれなさが必要であった。と言い切るほど単純ではないかもしれないが、今のところ私が書きだした事情はこうである。
 作家丸出航、私は密かに呟く。舵輪をとる者は一人といういささかの光栄はあるにしても、この船に錨はなく、その港は遠い。



さらにこうも書く。

小説家はだれしも文学的青春というものを経験している。大学で同人誌を刊行し、安酒場のすみで気の合ったもの同士文学論をたたかわすという世界から私は遠かった。同人誌に加わったことは一度もない。田舎町にそんなものはありはしなかった。あったとしても加入しなかっただろう。私は月々の文芸誌を立ち読みし、市立図書館で愚にもつかない雑書を乱読し、ある種の勘を働かせてめぼしい本を注文しては読み耽った。



文学を愛し、作家を志す青年が、孤独な心を抱えながらいかにして作家への道を歩んでいったか、そうした心の軌跡を、身辺雑記として綴った文章のそこここに垣間見ることができる。
孤立無援で先の見えない日々は、辛く苦しいものであったかもしれない。
だが、一方では充実があり、時に幸せを実感できた時間でもあったのではなかろうか。
そしてそれを支える力となったのが、諫早の町に見られる穏やかな自然の美しさであった。
なかでも諫早の町に面した海の存在が大きい。

諫早は三つの半島のつけ根にあたり、三つの海に接している。それぞれ性格を異にする三つの海に囲まれた小さな城下町である。わたしはこれまで刊行した三冊の本におさめた作品のかずかずを全部この町で書いた。諫早に生まれなかったなら、これらの小説が書けたかどうか疑わしい。物語というものはそれを生み出す風土を作者が憎んでいては成立しないものだ。わたしは諫早という土地を、こういう言葉を使ってよければ、愛している。美しい町であると思っている。町を歩けば海の匂いがするからだ。いつも町には三つの海から、微かな潮の匂いを含んだ風が流れこんで来る。外洋の水に洗われる千々石湾の風、その底質土に泥を含まない清浄な大村湾の風、干潟をわたって吹く有明海の風。
 とりわけわたしは有明海の風を好む。………河口にたたずむごとにわたしは生活の疲れが癒え、再び自分の人生を生きようという思いを新たにする。水と泥と鳥と草原を眺め、空からそこに降りそそぐ始原的な光を浴びると、わたしは自分の内にある何物かが再生する感覚を味わう。河口だけでなく有明海そのものがわたしを活気づける力の源である。



そして小説を書くということは「その土地に数年間、根をおろして、土地の精霊のごときものと合体し、その加護によって産みだされるもの」であり、そのために「わたしは両足で常に土を踏まえていたい」と決意を述べる。
そこから見えてくるのは、物事をじっくりと見据えようとする若き小説家の真摯な態度である。
それを読むことで、心が洗われ、自然とこちらの背筋も伸びてくる。
ひとつ読み終えるたびに、反芻し余韻に浸る。
そして読み終えてしまうのが、惜しまれるのである。
何回も繰り返し読みたい本である。


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Category: 読書

Tags: 時代小説  葉室麟  

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葉室麟「おもかげ橋」

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大学3年目の春、それまで住んでいた県人寮を出て、目白区関口の下宿に引っ越した。
東京カテドラル聖マリア大聖堂のある関口教会の裏側に位置する場所であった。
数分歩けば講談社や光文社があり、その先には護国寺があった。
また関口教会前の目白通りを渡ると、そこは椿山荘であった。
その椿山荘の脇に小道があり、しばらく行くと胸突坂という坂道になる。
そこを下って神田川を渡ると早稲田大学の校舎が見えてくる。
当時良く歩いた散歩コースであった。
その神田川を少し上った所にあるのが、この小説の舞台になった「面影橋」である。

「面影橋」は昔、姿見橋とか俤(おもかげ)の橋などと呼ばれていた。
付近一帯は高田村で、近くには「南蔵院」や「氷川神社」があった。
また太田道灌にちなんだ、<山吹の里>もこのあたりである。
さらに堀部安兵衛の十八人斬りで有名な高田馬場があったのも、この高田村であった。
それらのことは小説でも詳しく書かれており、物語を彩る重要な要素になっている。
また「面影橋」は蛍の名所としても知られていた。
それを読んで思い出したのが、大学時代に胸突坂で出会った蛍のことである。
そのことは以前村上春樹の「ノルウェイの森」を読んだ時にも書いたが、ある日、いつものように胸突坂を歩いていると、突然蛍が飛んできた。
まさか都心のこのような場所で蛍に出会うとは。
思いがけない遭遇に驚いた。
後になって知ったが、それは椿山荘が夏の催しのために飼育していた蛍だったのだ。
その蛍が、たまたまそこまで飛んできたのであった。
そして今回この小説を読んで、さらにこのあたりが昔は蛍の名所だったということを知ったのである。
それが椿山荘の蛍となり、さらに自分のなかの記憶として残ることになったのである。
それがどうしたと言われればそうかもしれないが、それでもこうしたささやかな発見があることが、自分にとっての読書の醍醐味になっている。
今回そうした出会いがあったことで、より小説を身近に感じることができたのである。

物語はお家騒動の煽りをくって国を追われたふたりの武士が、再び持ち上がったお家騒動のなかで初恋の女性を匿うことになるという明朗青春活劇である。
恋と友情を軸に、ときにコミカルに、ときに叙情豊かに描かれることで、儘ならぬ人生の哀歓が浮かび上がってくる。
地元九州を舞台に書くことの多い葉室麟の小説だが、これは珍しく江戸が舞台である。


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岡崎武志「蔵書の苦しみ」

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著者は主に書評や古本に関したコラムを書くライターである。
そして職業柄かなりの蔵書家でもある。
その数2万冊超、いやひょっとすると3万冊を超えているかもしれないという。
通常1万冊あれば1軒の古本屋が開けると言われているので、その数がいかに凄いかがよく分かる。

本が増え始めたのは、大学に入学して一人暮らしを始めてから。
以後引っ越すたびに数が増えていった。
理想の読書環境を手に入れたと思っていたはずが、本が氾濫し始め、足の踏み場もなくなってきた。
そして今では探している本が見つからず、あるはずの本をまた本屋で買いなおすという有様。
災害の域にまで達するような状態になってしまったのである。
まさに「蔵書の苦しみ」である。
その行きつく先がどういうことになるか、様々な例を引いて書いている。
まず木造アパートの二階に住んでいた人が、本の重さで床をぶち抜いた話。
同じような話として串田孫一や井上ひさしやマンガ家の米沢嘉博などの例を挙げる。
またこの本にも書かれているが、図書館でいっしょに借りた関川夏央の「文学はたとえば、こう読む」の中にも、これと似たような話として「本の山が崩れて遭難した人 草森紳一とその蔵書」があった。
草森の著書「随筆 本が崩れる」のなかに書かれているもので、3万冊以上の本で埋まった自宅マンションで風呂に入ろうと浴室に入った時、ドアの前に積んであった本の山が崩れてドアが開かなくなり閉じ込められてしまったという話である。
ひとり暮しをしていたため助けを呼ぶことも出来ない。
それをどうやって脱出したかが、詳しく書かれている。
笑うに笑えない話であるが、もうこうなれば事件である。災害である。
これは特殊な例かもしれないが、たとえば地震が起きて本棚が崩れ、その下敷きになることはあり得ることだ。
けっして珍しいことではない。
もちろんこの本なかでも、阪神大震災や東日本大震災の際に、蔵書がどうなったか、様々な蔵書家のケースをあげて書かれており、本棚がいかに地震に弱いか、そしてこうした異変の際には本は凶器と化すのだ、ということを書いている。

蔵書家は本に対する愛着は人一倍強い。
どの本も限られた小遣いのなかから、買おうかどうしようかと煩悶しながら、それでも「これはどうしても買っておこう」と決意したうえで手に入れたものばかりである。
「事情が許せば、買った本は全部そのまま残しておきたい。それが本音だ。」
「それでも、やっぱり本は売るべきなのである。スペースやお金の問題だけではない。その時点で、自分に何が必要か、どうしても必要な本かどうかを見極め、新陳代謝をはかる。それが自分を賢くする。蔵書は健全で賢明でなければならない。初版本や美術書など、コレクションとしていいものだけを集め、蔵書を純化させていくやり方もあるだろうが、ほとんどの場合、溜まり過ぎた本は、増えたことで知的生産としての流通が滞り、人間の身体で言えば、血の巡りが悪くなる。血液サラサラにするためにも、自分のその時点での鮮度を失った本は、一度手放せばいい」
そのような結論に至った著者の蔵書減らしの悪戦苦闘が、そこから始まるのである。

果たして理想の蔵書とは、どういったものか、そして貯まり続ける本の管理を世の蔵書家たちはどのようにしているのか、古今の蔵書家や読書家、身近な蔵書家など様々な事例のなかからそれを探ろうとする。
登場するのは、先の串田孫一や井上ひさしに加えて、谷沢永一、植草甚一、北川冬彦、坂崎重盛、福原麟太郎、中島河太郎、堀田善衛、永井荷風、吉田健一といった文学者たち。
加えて蔵書のために家を建てた人や、保管のためにトランクルームを借りた人など一般の人たちも数多く登場する。
また「明窓浄机(めいそうじょうき)」という言葉が出てくるが、これは宋時代の中国の学者・欧陽脩(おうようしゅう)の言葉で、明るい窓、清潔な部屋に机と本が1冊あり、そこで読み書きをするというもの。
究極の書斎であり、それを実現させたものに鴨長明の方丈記がある。
さらにもうひとつの明窓浄机として刑務所があり、その実例として荒畑寒村の例を挙げている。
こうした探索は映画に出てくる蔵書にも及ぶ。
「遥かなる山の呼び声」、「ジョゼと虎と魚たち」、「愛妻物語」といった映画の中に見られるささやかで個性的な蔵書、さらには「いつか読書する日」の本がぎっしり詰まった「本の家」。
そうした諸々の探索から導き出した結論は、「理想は500冊」というもの。
その根拠となったのが、「書棚には、五百冊ばかりの本があれば、それで十分」という吉田健一の言葉。
そして「その五百冊は、本当に必要な、血肉化した五百冊だった。」
しかし理想と現実は大違い。
2万冊を500冊に減らすのは、あまりにも至難の業。
理想通りに運ばないどころか、逆に大量の本を処分した同じ日に、またまた古本を買ってしまうという始末。
「バカだなあ、と自分でも思うが、この気持ち、わかってもらえる人にはわかってもらえるだろう。」と書く。
コレクター心理の複雑なところ。
「蔵書の苦しみ」とはいうものの、「本当のところは、よくわからない」のである。
苦しんでいるようであり、楽しんでいるようでもある。
結局「本が増え過ぎて困る」という悩みは、贅沢な悩み、色事における「のろ気」のようなものと結論する。
「自分で蒔いた種」「勝手にしてくれ」というしかないのである。
ましてや古本ライターを名乗る著者にとっては、こうした悩みはどこまで行ってもついて回る宿命のようなもの。
「たぶん、この先も苦しみながら生きていく」と自虐的にボヤキながら筆を置くことになるのである。
しかしそんなボヤキから生まれた本書の、何と面白いことか。
時間を忘れて楽しんだ。


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Tags: 葉室麟  時代小説  

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葉室麟「陽炎の門」

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葉室麟の小説に黒島藩シリーズというのがある。
豊後黒島藩を舞台にした小説で、「陽炎の門」、「紫匂う」、「山月庵茶会記」の3作がある。
黒島藩は作者が作り出した架空の藩である。
おそらく藤沢周平の海坂藩を意識したのだろうが、作者の早過ぎる死で、わずか3作で終わってしまった。
先日「紫匂う」を読んで、それがこのシリーズのひとつだと知り、他の作品も読んでみようと考えたのである。
そのシリーズの第1作目となるのが、「陽炎の門」である。
小説の冒頭に、その黒島藩について書かれた箇所がある。
それによると「九州、豊後鶴ヶ江に六万石を領する」とある。
そして「伊予国来島水軍の中でも<黒島衆>と称された黒島興正が藩祖」となっている。

物語は、家禄五十石という軽格の家に生まれた桐谷主水が、三十七歳という若さで、執政になるという異例の出世を遂げたところから始まる。
それをきっかけに、10年前のある事件の謎が再び浮上してくる。
その事件というのは、藩の派閥争いの中で起きた事件で、城内で藩主父子を誹謗する落書が見つかったというもの。
犯人として疑われたのが、親友である芳村綱四郎。
そして落書の筆跡が綱四郎のものだと証言したのが主水であった。
その証言が決め手となって綱四郎は切腹、綱四郎は介錯人として主水を指名する。
それに応じた主水は介錯人を務めることになる。
以来彼は「出世のために友を陥れた」と噂されるようになる。
そして10年が経ち、再び事件が洗い直されることになったのである。

過去の自分の判断が間違っていたのではないだろうかと煩悶する主水の姿や、ミステリー仕立ての展開でぐいぐいと読ませていく。
主水はこれまでの葉室作品の主人公たちのように、清廉潔白とか高潔といった人物ではない。
軽格の家に生まれたことで、貧しさを骨身に沁みて味わい、そこから抜け出そうと人一倍出世を望む男である。
そのため職務においては冷徹非情、陰では「氷柱(つらら)の主水」と呼ばれている。
そんな人間的な側面をもつ主水が、ライバルでもあった綱四郎を、間違った判断で蹴落としてしまったのではないかと苦悩しながら事件の真相に迫っていく。
そのなかで、どんな真相を掴み、どんなことを考えるのか、さらにどんな行動をとってゆくことになるのか、どこまでも興味は尽きない。
葉室麟の小説はやはり面白い。
読み終わるとまた次を読みたくなってしまう。
次は黒島藩シリーズ3作目の、「山月庵茶会記」を読むつもりである。


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