風に吹かれて

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山崎努「柔らかな犀の角―山崎努の読書日記」

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名優・山崎努がこれほどの読書家だったとは知らなかった。
さらにこれほどの名文家だったということも。
演技同様その文章には滋味があり、融通無碍、ときにユーモアが交じる。
本の感想に留まらず、それを踏み台にして自らの演技や人生について語っていく。
そのエピソードのすべてが面白く、含蓄ある文章に頷かされる。
永い俳優生活の中で培った見識の高さは並ではない。
読み終えてしまうのが、もったいない。
傍に置き、繰り返し読みたくなる本である。

こんなふうに書けたらいいなと思うが、とても無理。
人生経験が違う、人間の出来が違う。器が違う。
その差は如何ともしがたい。
とてもこうは書けない。
一芸に秀でた人間というのは、やはり何をやっても一流のことをやるものだとあらためて認識せられた。

ところで山崎努は、今度映画で彼が敬愛してやまない、画家・熊谷守一を演じるそうだ。
熊谷守一は97歳で逝去した伝説の画家で、「画壇の仙人」と呼ばれた人だ。
この本のなかでも藤森武写真集『獨樂 熊谷守一の世界』を採り上げて、その人となりを紹介しているが、30年以上も家の外に出ることなく、庭の動植物を描き続けたという異色の画家である。
山崎努にとっては、どうやら理想の人物のようだ。
その人を演じるという。
おそらくこの本同様、融通無碍な演技を見せてくれることだろう。
ぜひ観てみたい。今から期待に胸膨らませている。


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東山彰良「流」

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この小説を読んで最初に思ったことは、これは台湾版「けんかえれじい」ではないかということである。
「けんかえれじい」は、ケンカに明け暮れた旧姓高校生の姿を描いた青春映画の傑作で、日活時代の鈴木清順監督の代表作である。
高橋英樹演ずる旧姓高校生のケンカ行脚が、岡山と会津を舞台に痛快に描かれるが、こちらの小説は台湾が舞台である。
主人公は両親、祖父母、叔父、叔母たちと台北で暮らす葉秋生。
祖父母は中国山東省の出身で、中国での内戦を生き延び、国民党とともに台湾に渡って来た「外省人」である。
物語は国民党を率いた蒋介石が死んだ1975年から始まる。
この年、祖父の葉尊麟が何者か殺される。
犯人は見つからないが、怨恨による犯行ではないかと推測される。
祖父の葉尊麟には内戦時代、数多くの共産党の人間を殺したという過去がある。
その恨みをかっての犯行ではないかというのが、大方の見方だが、定かではない。
自分を可愛がってくれた祖父の死は、秋生の深い傷となって残るが、17歳の秋生にはどうすることもできず、ケンカに明け暮れる日々である。
以来10年の歳月をかけて事件の真相を追っていくことになるが、そのなかで内戦時代の祖父のことや家族の歴史を深く知るようになっていくのである。
ミステリーの要素はあるが、なによりもこれは秋生の成長を描いた青春物語であり、家族の姿を通して描いた台湾の現代史でもある。
そこから伝わってくる中国人たちの熱量の大きさには圧倒される。
それをしっかりと支えているのが作者の勢いと大胆さのある文章である。
白髪三千丈の中国の伝統と歴史を彷彿させるものがある。

ところでこの小説を読むうえで、手がかりになったのは、「童年往事 時の流れ」「恋恋風塵」や「悲情城市」といった侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の映画である。
侯孝賢もこの小説の主人公同様、「外省人」の子である。
そしてこれらの映画で、同じ時代を生きる家族の姿を描き続けている。
そうした映像を通して覚えた台湾のリアルな生活風景が、小説を読んでいるうちに浮かび上がり、大いに助けになった。
複雑な歴史的背景をもった台湾、そこで暮らす個性的な人々の生命力溢れる物語に、小説を読む醍醐味を深く味わった。

著者の東山彰良は台湾生まれの中国人である。
5歳まで台北市で過ごした後、日本に移住、両国を行き来しながら育った。
そんな経歴の持ち主である彼が、自身の家族をモデルに、自らのルーツを探ろうとしたのがこの小説である。
ところでこうした出自は、先日ノーベル賞を受賞したカズオ・イシグロとも似ている。
このような経歴を持った人間にとって、自らのアイデンティティを知るということは、何よりも大きなテーマなのであろう。
そんなことをふと思った。

第153回(2015年上半期)直木賞受賞作品。


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星野源「いのちの車窓から」

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星野源の存在を知ったのは、映画「箱入り息子の恋」を観てからだ。
3年前のことである。
映画は面白く、なかでも主演の星野源のことが強く印象に残った。
どこにでもいそうな、ネクラで目立たない若者を演じていたが、現実の彼もきっとそんな人間に違いないという説得力があった。
調べてみると俳優であり歌手であり、時にエッセイも書くというマルチタレントであった。
しかしその時点では、それほど知られた存在ではなく、ごく一部の人だけが知るマイナーな存在であった。
以来気になる人物となった。
そして数年を経た後、一気にブレイク、今では多くの人が知る人気のタレントである。
昨年はテレビドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」に主演、主題歌「恋」や「恋ダンス」が大ヒット、「NHK 紅白歌合戦」にも2年連続で出演するなど、ここ数年の活躍は目覚ましい。
そんな旬な男である星野源の今を覗いてみたいと、この本を読んでみたのである。

星野源はこれまでに、5冊の著書を出しており、「いのちの車窓から」は6冊目になる。
これは雑誌『ダ・ヴィンチ』で連載中のエッセイをまとめたもの。
「人生は旅だというが、確かにそんな気もする。自分の体を機関車に喩えるなら、この車窓は存外面白い。」というコンセプトのもとに書かれたエッセイ集で、星野源の今が率直で軽快な文章で綴られている。
人好きではあるが、人見知りでもあり、そして孤独を好む。
常に自然体でいることを心がけ、けっして無理はしない。
しかし好きなことには、精一杯打ち込み、集中する。
そんな日常が、独自の感性によって綴られていく。
時にそれは華やかな芸能界の裏側であったり、街で出会った何気ない風景であったりするが、なかでも印象に残ったのが、紅白初出場を果たした時のことを書いた「おめでとう」と題したエッセイである。
いったい何のことを書いているか分からないような出だしから始まり、次第にそれが紅白初出場のことだということに気づかされ、さらにNHKでの発表の舞台が近づくにしたがって、緊張した興奮が高まってくる。
巧みな描写は、まるで小説を読んでいるようで、その場に一緒にいるかのような臨場感があり、そして感動がある。

好奇心が強く、ポジティブな文章から滲み出てくるのは、自分に正直であろうとする率直さと人柄の良さである。
読んでいて心地いい。
そしてそれが爽やかで好感の持てる読後感を引き出す大きな要因にもなっている。
芸能界という特殊な世界で、自らを見失なわず、独自の立ち位置を着実に築き続けている星野源に、これからも注目していきたいと思わせられるエッセイ集であった。


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森絵都「みかづき」

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昨年の本屋大賞で2位になった作品。
初めて読む作家である。
著者紹介には次のように書かれている。

1968年東京都生まれ。早稲田大学卒。
90年『リズム』で第31回講談社児童文学新人賞を受賞しデビュー。
95年『宇宙のみなしご』で第33回野間児童文芸新人賞と第42回産経児童出版文化賞ニッポン放送賞を、98年『つきのふね』で第36回野間児童文芸賞を、99年『カラフル』で第四六回産経児童出版文化賞を、2003年『DIVE!!』で第52回小学館児童出版文化賞を受賞するなど、児童文学の世界で高く評価されたのち、06年『風に舞いあがるビニールシート』で第135回直木賞を受賞した。
『永遠の出口』『ラン』『この女』『漁師の愛人』『クラスメイツ』など、著書多数。

人気作ということで、図書館での予約待ちが多く、いつ予約をしたか憶えていないが、気長に待つうち、ようやく順番が回ってきた。
この後も大勢の予約待ちが続いているので、期限内に遅れずに返却しなければいけないのだが、最近読む時間があまりなく、果たして期限内に読み切れるかどうか心配したが、読み始めるとその面白さにどんどんと引き込まれ、何とか期限内に読み切ることができた。
寝る前に読んだり、夜中に目が醒めた時に読んだり、いつもより早起きして読んだりと、隙間の時間を出来るだけ利用しての読書である。
こうした読書の仕方は、いつものことだが、それにしても400ページを超えるとなると、なかなか容易ではない。
やはり本の面白さという後押しがあればこそである。

終戦直後から現代までの、親子3代に渡る塾経営者の物語である。
その変遷が、戦後の混乱期、高度成長期、バブル期などを背景に描かれる。
語り手は3人、小学校の用務員から塾教師になった吾郎と、妻の千明、そして孫の一郎。
彼らの目を通して、時代の移り変わり、それに伴った教育制度の変遷や教育問題が描かれていく。
そのなかで翻弄されながらも、それぞれのやり方で教育と悪戦苦闘する姿が力強く描かれる。
同時に、離反や和解を繰り返しながら変化し繋がっていく家族の姿も。
教育という世界を通して見た現代史であり、家族史である。
地味な題材であるにもかかわらず、エンターテインメントとしての面白さに満ちている。

<学校教育が太陽だとしたら、塾は月のような存在になる。今はまだ儚はかなげな三日月にすぎないけれど>

<常に何かが欠けている三日月。 教育も自分と同様、そのようなものであるのかもしれない。欠けている時間があればこそ、人は満ちよう、満ちようと研鑽を積むものかもしれない>

題名の「みかづき」は、こうした言葉から採られたもの。
時間はかかったが、いろいろと考えさせられることの多い、読みごたえのある小説だった。


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平野啓一郎「マチネの終りに」

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平野啓一郎の小説を読んだ。
評論集は以前読んだことがあるが、小説を読むのはこれが初めて。

読む前は難解な小説という先入観があったが、そうではなかった。
読み易いというわけではないが、まるで詩を読んでいるような華麗な文体に魅了された。
物語の展開の妙、登場人物の魅力など、読ませる要素はいろいろ揃っているが、何よりもまず最初に惹かれたのは文章のうまさである。
繊細な心理描写、哲学的な考察、そうしたものが散りばめられ、文学の香りが匂い立ってくるような文章である。
その一言一句を噛みしめながら読んでいった。

物語は天才的なギタリストと、国際政治の記者である女性の出会いと別れを描いた恋愛小説ではあるが、それだけには留まらず、様々な社会問題を絡ませながら展開していく。
例えばそれはイラク戦争、難民問題、ユーゴスラビア紛争、リーマンショック、長崎の被爆、そして東日本大震災。
そうした国際的な問題が、トーマス・マンの『ヴェニスに死す』やリルケの『ドゥイノの悲歌』といった文学を引用しながら描かれていく。
さらにギタリストである主人公の奏でる音楽がそこに加わることで、深い彩りを与えていく。
単なる恋愛小説というだけではない拡がりを感じるのは、そのためである。

「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えているんです。変えられるともいえるし、変わってしまうともいえる。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」
繰り返し語られるこの言葉が印象に残る。
そうしたさまざまな言葉に込められた意味をさらにもう一歩踏み込んで知るためにも、またもういちど読み返してみようかなと考えている。


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小池真理子「存在の美しい哀しみ」

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先日の「沈黙のひと」に続く小池真理子の小説。
こちらも家族がテーマで、東京、プラハ、ウィーンを舞台に描かれる。
登場するのは後藤家と芹沢家というふたつの家族。
後藤家の妻・奈緒子は、以前の嫁ぎ先である芹沢家に、生まれたばかりの息子を置いたまま離婚をしたという過去を持っている。
そして後藤信彦と再婚、娘の榛名が生まれた。
奈緒子は、癌で55歳で亡くなるが、その直前に娘の榛名に異父兄がいることを告げる。
榛名は奈緒子の死後、チェロの修行のためプラハに住んでいるという異父兄・聡に会いに行く。
妹だという事実を隠したままで。
その経緯を書いたのが、第一章の「プラハ逍遥」である。
最初は短編として書かれたもので、その後6編の連作短編を加えて出来たのがこの小説である。

小説の題名を見てまず最初に思ったのが、映画「存在の耐えられない軽さ」であった。
ミラン・クンデラの小説を映画化した作品で、プラハの春を題材にした映画である。
主演はダニエル・デイ・ルイスとジュリエット・ビノシュ。
この映画のことが「プラハ逍遥」で、話題として出てくるので、題名はそれにちなんで付けられたものだということが分かる。
ちなみにこの小説には、この他にもいくつかの映画が登場する。
第二章「天空のアンナ」では「アンナ・カレーニナ」、最終章「残照のウィーン」では「ビフォア・サンライズ」と「第三の男」。
いずれも物語の効果的な素材として使われている。
なかでも最終章では、「第三の男」で、オーソン・ウェルズとジョセフ・コットンが出会う場面で有名なプラターの大観覧車が小説の舞台として使われており、クライマックスの劇的効果を上げる役割を担っている。
映画で見知ったお馴染みの場所だけに、情景がすぐに浮かんでくる。
小説では、この他にも聡の妹・恵理が映画関係の会社に勤めるなど、映画関連の話題が多い。
そうしたことが、小説の面白さを支える、大きな要素になっている。
著者・小池真理子は、おそらくかなりの映画好きに違いない。
そう考えると、同じ映画フリークとして急に親近感を覚えることになる。
この小説が印象に残ったのは、そうしたことも理由のひとつである。


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小池真理子「沈黙のひと」

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小池真理子の小説を読むのはこれが2冊目。
最初に読んだのは「望みは何と訊かれたら」。
2年ほど前のことだったと思う。
60年代後半の大学紛争を舞台に、学生運動に関わった女子学生の恋愛を描いたもので、読みごたえのある小説だった。
そして今回の「沈黙のひと」である。
85歳で亡くなった作者の父親をモデルにした小説である。
大正十二年、満州大連で生まれ学徒出陣、戦後は東北帝国大学に進学、会社員となった父親が後年パーキンソン病を患うようになる。
そして長い介護生活を経た後亡くなった。
死後遺品整理をしていた時、ある物を発見、そのことをエッセイに書こうと編集者に話したところ、それは小説にすべきだと薦められる。
そして書いたのがこの小説だった。

物語は、編集者である衿子の目を通して父・三國泰造の姿が描かれるが、現実とは違い母娘を残して家を出て行った男として描かれている。
そして再婚後ふたりの女児をもうけるが、妻とは不仲で不遇な家庭生活であった。
やがてパーキンソン病を患うようになる。
体が不自由になり、言葉も思うようにしゃべれなくなってしまう。
手に負えなくなった家族は彼を介護老人ホームに入所させる。
そこから衿子の献身的な介護生活が始まる。
「沈黙のひと」となってしまった父親と、何とか意思疎通を図りたいと願った衿子は、文字盤を使うことを考え出す。
それによってささやかな会話が可能になるが、やがてそれも困難になり、最期の時を迎える。
介護を通して初めて父親と触れ合うことができたと感じた衿子は、父親のことをもっと知りたいと思い、遺品として残された日記、手紙、ワープロに保存されていた備忘録などを手がかりに、父親の心の軌跡を辿っていく。
そして文学好きで、短歌を詠み、女流投稿歌人とも文通を重ねた父親の新たな側面を知ることになる。
そこに自らの人生を重ねることで、より深く父親に寄り添うことができたと感じる。
そして自分自身も救われたような気持ちになるのである。

こうした内容ではあるが、けっしてお涙頂戴にはならない。
感情に流されることなく醒めた目で淡々と綴られていく。
それは主人公、衿子が「家族と離れて生きることしか考えなかった」女、「自分の人生を生きることで忙しすぎた」女であるという設定ゆえのもの。
すなわち作者自身の視線でもある。
それが父親の介護と人生を見つめ直すことで、次第に愛憎相半ばするものとなっていく。
そして最終章ではそうしたものすべてが昇華された静かな感慨へと至るのである。
それを読んで思わず胸が熱くなってしまった。
どんな困難な人生であったとしても、人生は生きるに値する。
これはそんな人間賛歌を謳った物語なのである。
小池真理子、渾身の一冊であった。


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笹本稜平「時の渚」

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笹本稜平の小説を読んでいる。
初めて読む作家だが、迫力あるストーリーに惹かれて読み続けている。
これで3冊目になる。
最初に読んだのは山岳小説「還るべき場所」、続いて警察小説「特異家出人」、そして今回の「時の渚」である。
こちらは探偵小説。
この他にも海を舞台にした冒険小説など、ジャンルは幅広い。
ちなみに経歴を調べてみると、

1951年、千葉県生まれ。立教大学社会学部社会学科卒。
出版社勤務を経て、海運分野を中心にフリーライターとして活躍。
2000年、「阿由葉稜」名義で『暗号―BACK‐DOOR』を書き下ろしてデビュー。
2001年、2作目となる『時の渚』で第18回サントリーミステリー大賞と読者賞をダブル受賞。
2004年には『太平洋の薔薇』で第6回大藪春彦賞を受賞。

となっている。
警察小説にはいくつかシリーズがあり、かなり多作の作家のようである。
多作となると、どうしても筆が荒れがちになるものだが、これまで読んだ小説に関してそれは感じなかった。
今回の「時の渚」も同様である。
よく練られたストーリーと緻密な描写に、グイグイと引っ張られて読んでいった。

主人公は私立探偵茜沢圭。
警視庁捜査一課の刑事だったが、逃走する殺人犯の車に妻と幼い子供がひき逃げされ、それが原因で刑事の職を離れることになった。
その彼が末期ガンで余命幾ばくもない老人から、三十数年前に見知らぬ他人に託した息子を捜し出してほしいとの依頼をうける。
捜索を始めた彼のもとに、かつての上司から連絡が入る。
数日前に起きた殺人事件の遺留物のDNAが、茜沢が刑事をやめるきっかけになった事件の犯人のものと一致したという。
そこから息子捜しと殺人事件捜査への関わりが始まり、無関係に思えたふたつの調査に意外な接点が浮かび上がってくる。

二転三転する展開はセオリー通り。
ご都合主義とも思えるところもあるが、力技でグイグイと押していく。
その潔さが心地いい。
読み終わった後は、主人公とともに困難な捜査を解決した充足感が味わえる。
読み応えのある小説だった。

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佐藤泰志「黄金の服」

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先日観た映画『オーバー・フェンス』の原作が収録された短編集である。
映画の後、原作も読んでみたいと図書館で借りてきた。
「オーバー・フェンス」「撃つ夏」「黄金の服」の3篇が収められており、「オーバー・フェンス」は1985年の文学界に、「撃つ夏」は1981年の北方文芸に、そして「黄金の服」は1983年の文学界に発表されたものである。
小説「オーバー・フェンス」は、佐藤泰志自身が東京から函館へ戻り、職業訓練校に入校して学んだという実体験をもとに書かれたもので、芥川賞の候補にもなっている。
ちなみにこれが5度目の芥川賞の候補で、結局受賞はならなかった。
映画『オーバー・フェンス』はその小説をほぼベースにしているが、大きく違うところは3点、まず主人公の白岩は小説では20代だが、映画では40代になっている。
ふたつ目は、映画では白岩が別れた奥さんと再会するシーンが出てくるが、小説にはこれがない。
そしていちばん違っているのは3つ目の聡のキャラクターである。
小説に出てくる聡は花屋に勤めるごく普通の女性だが、映画の聡は相当の変わり者。
鳥になりたいと願い、鳥のダンスを踊るキャバクラのホステスである。
情緒不安定で、突然怒ったり泣いたりと予測のつかない行動をとる。
これは小説集のなかの「黄金の服」に出てくるアキという女性がモデルになっており、それをさらに膨らませたもの。
映画ではそのキャラクターがあまりに過激で、引いてしまったが、考えてみればこの存在があるからこそ、白岩の駄目さ加減が炙り出され、また変わろうとする原動力にもなっており、けっして奇を衒ったというわけではない。
重要なポイントになる役だ。
それを蒼井優が熱演しているが、成功したかどうかは評価の分かれるところ。
それほどの難役なのである。

こうやって見てくると、やはり映画と小説とは別物なのだとつくづく思う。
こうした映画的改変が行われるのは、当たり前のこと。
そしてこの映画では、そうした改変が小説をより大きく膨らませることになっており、映画の成功に大きく結びついている。
原作を読んで、そのことがよく分かった。
いい勉強になった。


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篠原勝之「骨風」

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クマさんことゲージツ家の篠原勝之氏の書いた短編小説集である。
こうやってブログで小説の感想を書く時、通常は著者名に敬称はつけないが、クマさんの場合はどうしても「篠原勝之氏」と敬称をつけずにはいられない。
それはクマさんがFacebookでの知り合いだからである。
Facebookでクマさんの生活の様子などを見ているうちに、いつしか彼が近しい知人であるかのような気持ちになっているからである。
だからといって彼のことを詳しく知っているわけではない。
未だに謎を秘めた人という印象が強く、その実態は曖昧なままである。
最近はあまり見かけなくなったが、以前はテレビなどに出ているのを見て、その個性的な外見や人となりに惹かれていた。
それ以前は状況劇場のポスターに、インパクトある絵を描く画家として、そして最近は鉄や石、ガラスといった素材を使ってオブジェを創作するゲージツ家としての認識であった。
その程度の知識しかなかったが、今回この小説を読んでいろいろと新しい発見をした。
そしてますますその個性的な世界に惹かれていったのである。

この短編集は2013年から14年にかけて「文学界」に書いた5篇に、書下ろし3篇を加えたものである。
ほぼ実体験に基づいて書かれているようだが、そこはやはり小説である、虚実入り混じっているわけで、それのどこまでが本当で、どこまでが虚構なのか、そんなことを考えながら読むのも面白い。

クマさんは1942年、北海道札幌市生まれの室蘭市育ちである。
父親は元警察官、応召されて満州へ赴き、復員後は室蘭の製鉄所で工員となった。
クマさんは生後まもなくジフテリアに罹り、生死の間をさ迷ったが何とか助かった。
しかしその結果、嗅覚と左耳の聴覚を失ってしまったのである。
その影響からか学校でも家のなかでも、ボーっとして空ばかり見上げているような子供であった。
加えて生来の意気地の無さから、よくいじめられていたそうである。
屯田兵だった母方の祖父は、相撲大会で優勝するほどの人で、その祖父ゆずりの骨太な体躯をしていたにもかかわらずである。
今では考えられないことである。
また家では終始不機嫌な父親から毎日のように殴られていた。
そのため恐ろしさから顔もまともに見ることができなかった。
この当時のことはインタビューで答えており、それによると「復員したオヤジは、ぼーっとした長男に腹が立ったんだろうな。『鬼かよ』と思うほど殴られた。創作部分もあるけど、オヤジの暴力は全部、本当。」と言っている。
その激しい暴力に長年耐えてきたが、17歳の時とうとう家を飛び出してしまった。
そして時が過ぎ、30数年ぶりに母親から電話がかかってきた。
父親が臨終でもう長くはないというのだ。
来てくれないかとの頼みに、気が進まないまま会いに行く。
そして植物状態になった父親の臨終に立ち会うことになるのである。
その顛末を書いたのが、表題作の「骨風」である。
<殺すことより逃げる事を選んで、三十数年逃げ切ったはずだったのに、その父親が目の前に枯れ木のように横たわっている。過ぎ去っていった時間に目眩がした。>
父親に対する複雑な思いが切なく胸に迫ってくる。

続く「矩形(くけい)と玉」「花喰い」「鹿が転ぶ」「蠅ダマシ」「風の玉子」では上京後のことや現在の暮らしを題材に、そして最後の「今日は、はればれ」「影踏み」では認知症になった母親と、弟との複雑な関係とその最期について書いている。
そのなかで出会う動物や知人や家族の死や病、それらがぶっきらぼうで飾り気のない文体で書かれていく。
そこに甘い感傷はなく、あるのはあくまでも醒めた強い視線だけ。
時にユーモアが交じる。
そして死についての様々な言葉が挟み込まれる。
たとえばそれは、遊び仲間で師匠でもあった深沢七郎の「人が死ぬことは、清掃事業だから、喜んでいいことだ」といった言葉や、母親の「死んだらみんなおんなじだもの。」といった言葉である。
単純であっけらかんとしたこうした言葉に心動かされる。
そして「諸行無常」とか「万物は流転する」といった言葉が、ごく自然に浮かんでくる。

クマさんの自由で気楽な印象から、世間的なしがらみとは無縁のように見えるが、実はそうしたしがらみが断ちがたく、いつまでもついて回っている。
そうしたものから逃れることが、自分らしく生きるための彼らしいやり方であったということがよく分かる。
そして17歳で家を出るとき、母親から言われた「アンタは泣き虫だから、悲しくなったら手を動かすんだよ」という言葉を守るかのように、今でもせっせと手を動かしてゲージツ活動に勤しんでいるのである。

この小説は第43回泉鏡花文学賞の受賞作である。
そしてこちらもFacebookでの知り合いである劇団「新転位・21」の山崎哲氏によって劇化されている。


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プロフィール

cooldaddy

Author:cooldaddy
住んでいるところ:青森県弘前市
出身地:香川県
年齢:今年(2008年)還暦です。
性別:男

還暦という節目を迎え、何か新しいことを始めようとブログを開設しました。
趣味のこと、生活のこと、心に残ったことなど、My Favorite thingsを、気ままに書いていこうと思います。
末永くおつき合いください。

映画サイト「マイ・シネマ館」もやっています。
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