風に吹かれて

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古今亭志ん朝「鰻の幇間(たいこ)」

今日は土用丑の日である。
だが、気温が上がらず、この時期にしては珍しく肌寒い。
(陽の当たる場所に行けば、さすがに少し汗ばむが、木陰に入ると涼しさを通り越して急に肌寒くなる。)
暑ければ、夏バテ対策に鰻でも食べようかという気にもなるが、こう肌寒いとそんな気も起こらない。
ちなみに昨日の最高気温は24.9、最低気温もかなり低くて16.8しかなかった。
今日もほとんどこれと変わらないようだ。

ところで土用丑の日に鰻を食べるというのは、江戸時代に売り上げ不振に悩んだ知人の鰻屋から、鰻をもっと売るための相談を受けた蘭学者の平賀源内が、「丑の日に『う』の字のつく物を食べると夏負けしない」という民間伝承からヒントを得て、「本日丑の日」と書いた張り紙を店先に貼って宣伝することを思いついた。
これが功を奏して、鰻の売れ行きが上がり繁盛をした、というのが起源だと云われているが、この話からも分かるように鰻は古くから庶民のスタミナ源であり、また極上のごちそうでもあった。
そんな庶民に愛された鰻だが、落語にもしばしば登場してくる。
「後生(ごしょう)鰻」「素人鰻」「うなぎ屋」といったところ。
なかでもよく知られた演目に「鰻の幇間(たいこ)」がある。
そこで土用丑の日にちなんで、今日は古今亭志ん朝の「鰻の幇間(たいこ)」を紹介することにした。
幇間が路上で金持ちそうな旦那をみつけ、昼飯をごちそうになろうと「よいしょ」をするが、逆にまんまとたかられてしまうという噺である。
これを聴いているうちに鰻を食べたくなった。








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三遊亭円生「掛取万歳」

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年の瀬が迫ると何かと慌ただしい気分になってくる。
これをやらなければいけない、というようなことが特別あるわけでもないのに、なぜか気持ちだけが急いてしまう。
一年の締めくくりとして遣り残したことはないか、そんなことをついつい考えてしまうのが年の瀬というものである。
落語の「掛取万歳」はそんな年の瀬が迫った長屋を舞台に繰り広げられる噺である。

大晦日の八五郎の家には、つぎつぎと借金取り(掛取り)がやって来る。
しかし払おうにも金がないから払えない。
そこで知恵を絞って思いついたのが、借金取りの好きな趣味を使って断りをするという方法である。
最初にやってきた狂歌好きの大家には狂歌で断り、つぎに来た喧嘩好きの魚屋にはけんか腰でやりこめてしまう。
そしてつぎに来た義太夫好きの大阪屋の旦那には義太夫で、また芝居好きの酒屋の番頭には仮名手本忠臣蔵のせりふを借りた芝居の口上で、そして最後にやって来た三河屋の旦那には、旦那の好きな三河万歳でという具合につぎつぎと器用にさばいていく。
最初は不安がっていたおかみさんも、そのさばき方の見事さに、しだいに興に乗っておもしろがる、というものである。
この噺の聴かせどころは、なんといってもその撃退法の見事さにある。
とくに円生の場合は、義太夫と芝居の口上が素晴らしく、思わず聴き入ってしまった。
それもそのはずで、そもそも円生が芸能の道に入ったのは、義太夫語りとしてだった。
6歳のとき、豊竹豆仮名太夫(とゆたけまめかなだゆう)という芸名の義太夫語りとして寄席に出ている。
その後9歳で落語家の仲間入りをすることになるが、昔とった杵柄で、義太夫語りはお手のものといった持ち芸なのである。
そういうわけで円生も気分よく演じており、そのうまさに思わず聞き惚れてしまった。
また大阪屋の旦那を大阪弁で演じるが、これも見事な大阪弁で、円生は生粋の江戸っ子と思われているが、実は大阪生まれで、東京に出たのは5歳になってからのこと。
大阪弁がうまいのも当然のことなのである。
それやこれやでこの噺は円生の独壇場といったところである。
その至芸をじっくりとご堪能あれ。










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古今亭志ん生&志ん朝「風呂敷」

亭主が仲間の寄り合いで出掛けている時に、知り合いの男が亭主を訪ねてやってきた。
家に上げてお茶を飲みながら世間話をしていると、予定より早く亭主が帰ってきた。
この亭主、大変なやきもち焼き。
へんな誤解をされて騒動が持ち上がるといけないので、あわてて男を押入れの中に隠してしまう。
ところが帰ってきた亭主が押入れの前に陣取っていっこうに動こうとしない。
一計を案じた女房は、兄貴分のところに駆け込んで助けを求める。
それを聞いた兄(あに)さんは、おっとり刀で出かけていく。
そして持って行った風呂敷を巧みに使って、無事男を逃がすという噺。
志ん生得意の長屋物のひとつ。
志ん生自身も長屋生活が長かったこともあって、こうした噺にはその体験がしっかりと裏打ちされており、すこぶる面白い。
とくにそれが夫婦ネタとなれば、なおさらである。
それもしっかり者の女房、りんさんに長年支えられたという実生活の反映があるからだろう。

ところでこの噺を志ん朝も得意としており、親子2代に渡っての得意ネタである。
八方破れの志ん生と、軽快できっちりとした志ん朝の、それぞれに味わいがあって、聴き比べてみるのも一興である。
両方の映像がYouTubeにあったので、興味のある方は、聴き比べてみてください。











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三代目三遊亭金馬「薮入り」

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三代目三遊亭金馬の得意ネタ「薮入り」を聴いた。
「薮入り」という言葉は今や死語となっているが、これは商家に住み込んで働く奉公人たちがもらえる、年2回の休みのことである。
昔の奉公人には休みというものはほとんどなく、一年中働きづめというのが普通であった。
ただ正月とお盆の2日だけは特別に休みがもらえた。
それを「薮入り」といった。
奉公人たちにとっては貴重な一日であった。
この日になると奉公人は主人から新しい着物や小遣いをもらい、一日を自由に楽しんだのである。
旧暦の正月ということから考えれば、ちょうど今頃の時期の噺になる。

まだ幼かった息子が親元を離れて奉公に出され、3年ぶりに「薮入り」で帰ってくる。
(奉公した最初の3年間は、実家に帰ることを許されなかった。)
その息子を待ちかねてそわそわする父親と、それをなだめるおかみさんのやりとりから噺は始まる。
やがて立派に成長した息子が帰ってくる。
玄関先できちんと挨拶をする息子。
それを見てうれしさのあまり声も出せない父親。
「何か言っておやりよ!」とおかみさん。
「待ってくれ!声が出ねぇんだ!」

「野郎、大きくなったろうなぁ」
「大きくなったろうなぁって、お前さんの前に座ってるんじゃないか。ご覧よ」
「見てぇんだけど見えねぇんだよ。目ぇ開けるってぇと後から後から涙が出てきてだらしないったらありゃしねぇ。おめぇ、代わりに見てくれ」
こんな心温まるやりとりが、つぎからつぎへと繰り出されていく。
親子の情愛がこれほどしみじみと語られる落語というのは、他に知らない。これが極めつけではなかろうか。 
泣いて笑ってという人情味あふれる噺である。

ところで三代目三遊亭金馬という人は、なかなかの人情家としても知られた人である。
彼は釣りに関する著書もあるほどの釣り好きで、お気に入りの釣竿を作る職人と家族ぐるみの付き合いをしていた。
その一家が東京大空襲でほぼ全員が亡くなり、唯一娘だけが生き残った。
そこで金馬は彼女を養女として引き取り、育てた。
後に金馬の同僚であった七代目林家正蔵の息子、林家三平と結婚することになる、海老名香葉子である。
すなわち現、九代目林家正蔵の母親である。
そうした逸話をもつ金馬の人柄が、この噺からもよく窺える。









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三遊亭円生 「火事息子」

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先日、古今亭志ん朝 の「二番せんじ」を聴いたので、火事つながりで今度は円生の「火事息子」を聴いてみた。
「江戸の華は火事と喧嘩」というように、江戸時代には火事が多く、そのために火事道楽などという輩までいたそうである。
火事が起きると、まず半鐘が鳴らされるが、その打ち方には近場と遠方とでは違いがあった。
ひとつだけ打つのは遠方、二つだともう少し近場、三つ鳴らすとかなり近くになり、それ以上近い場合はスリ番といって、半鐘をスリあげるようにたたく、という。
その鐘の鳴り方を聞き分けて、火事道楽は現場へと駆けつけて火事見物をする。
何とも不謹慎な話ではあるが、それだけ火事というものには人をひきつける魔力があるようで、この噺の登場人物の若旦那も火事の魔力の虜になり、親の反対を押し切って火消しになったという人物である。
当然親からは勘当され、今ではどこでどう生きているのかも分からないといった按配である。
その息子が実家である質屋の大店、伊勢屋の間近で火事があり、延焼の危険にさらされたとき、突然現れて、窮地を救う。
しかし勘当した手前、親父は素直に息子を受け入れることができない。
そこへ母親が現れて、ふたりの間を取り持つ、といったストーリーである。
親子対面が噺のクライマックスになるわけだが、そこへ至るまでの火事場の様子や、江戸の火事に関する薀蓄がおもしろおかしく語られて興味深い。
たとえば火消しには町火消しと定火消しがあり、町火消しは「いろは」順に四十七組の町火消しが設置された、いわば町人による自警団である。
いっぽう定火消しのほうは、幕府が定めた旗本による火消しであるが、そこに属した火消し人足は治外法権を理由に、かなり質の悪い無頼漢の集まりであった。
いわゆる命知らずの男たちの集団で、俗に「臥煙(がえん)」と呼ばれ、後にガラの悪い男の総称としてこの言葉が使われたほどであった。
ところが、その「臥煙」になるための条件というのがけっこう厳しくて、まずは「江戸っ子」であること、そして「色の白いこと」さらには「背の高い者」「男っぷりのいいこと」「腕っ節の強い者」などといったものであった。
この噺の若旦那がなったのは、こちらの「臥煙」のほうで、それだけでも若旦那の男っぷりのよさが目に浮かんでくるようである。
おそらく自慢の息子だったにちがいないのである。
そんな息子が全身くまなく刺青を入れ、ふんどしに半纏一丁という姿で現れたのだから、父親が仰天して他人行儀の冷たい対応をするのも分からなくはない。
だが母親にはそんなこだわりはなく、息子に会えた喜びに、助け舟を出して、なんとか丸く収めるということになるのである。
そんな親子の情愛が、江戸の華やいだ風俗をバックに、しみじみと味わえる噺である。
それが円生の粋な江戸弁で語られると、いっきに江戸の町へとタイムスリップしてしまう。


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古今亭志ん朝 「二番せんじ」

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古今亭志ん朝 「二番せんじ」を聴く。
寒い冬の夜、大店の旦那衆が集まって、「火の用心」のための夜回りをするが、寒さのために早々と「番小屋」に戻り、隠し持ってきた酒で冷えた体を温めようという趣向。
そこへ見回りの同心がやってきて、という噺である。
酒好きな者にとっては、たまらない噺であり、寒い冬に聴くといちだんとその寒さが身に沁みる。
夜回りをする旦那衆が「火の用心」を謡いや清元の調子で流す場面や、獅子鍋をつつきながら酒を呑む場面が、この噺の一番の見どころであるが、ここでの志ん朝の微に入り細を穿った演技はまさに名人芸である。
その見事さについ頬も緩み、そしてほのぼのとした気持ちになってくる。
こうした何気ない日常のなかでの微妙な空気感を作り出すのが、芸の力なのであろう。
中野翠が「今夜も落語で眠りたい」のなかでこの噺を評して次のように書いている。

べつだんドラマチックでも何でもない。ちょいと昔の都市生活者たちの、ほほえましい人生の一断面。
 こんな何でもない設定を面白いと思って噺に仕立て、演じた人たちがいた。そしてまた、その面白味を正確に受けとめて楽しんだ人たちがいた。「二番せんじ」を聴くたび、日本人の笑いのセンスの繊細さを思わずにはいられない。


そういう噺なのである。


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三遊亭圓楽「厩火事」

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三遊亭圓楽を追悼する番組として、NHK教育テレビ「日本の話芸」で「厩火事」が放映された。
録画しておいたので、さっそく観ることに。
あらすじは、怠け者で遊んでばかりいる亭主と喧嘩をした女房が、亭主の心持が分からないと仲人に相談に行くと、馬小屋の火事で大切な馬よりも家来の身を案じた孔子の故事を聞かされる。
それを聞いた女房がさっそく家へ帰って、亭主愛蔵の器を割って亭主の愛情を試すというもの。
犬も喰わない夫婦喧嘩を題材に、髪結いの亭主と女房を揶揄しながら、夫婦の微妙な関係を描写した滑稽噺。
相談に行ってさんざん亭主の悪口を言った女房の「おさき」が、仲人から亭主の悪いところを指摘されると、とたんに態度を変えて亭主の擁護にまわるなど、いかにもありそうな夫婦喧嘩のエピソードには笑いを誘われる。
しっかり者の女房「おさき」の泣いたり、怒ったり、やきもちを焼いたりといった描写がこの噺の一番の勘所だと思うが、圓楽の「おさき」はやはりうまい。
この噺は桂文楽が得意としていたそうだが、機会があればそちらもぜひ聴いてみたい。


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五代目三遊亭圓楽「浜野矩随」

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先月29日、五代目三遊亭圓楽が亡くなりました。
76歳でした。
2007年に国立演芸場での口演を最後に引退したばかりで、そのわずか2年後の逝去です。
心からご冥福をお祈りいたします。

ところで訃報を聞いたあと、無性に彼の落語が聴きたくなって、ネットでいくつか探してみました。
「芝浜」「長命」「たがや」「野晒し」「悋気の火の玉」が見つかり、つぎつぎと聴きましたが、いちばん聴きたかった「中村仲蔵」は残念ながらどこにもありません。
その代わりといっては何ですが、「浜野矩随(はまののりゆき)」を見つけることができました。
これは彼が「中村仲蔵」同様十八番にしていた人情噺で、「中村仲蔵」とも共通する“名人もの”のひとつです。
一昨日のことですが、近々圓楽を襲名することになっている弟子の楽太郎が、師匠を偲びながらこの演目を高座にかけたそうです。

これは講談を元に作られた噺で、江戸後期の彫金の名工、浜野矩随の出世物語です。
この噺が円楽の口跡のいい声と、流れるような話芸で語られると、あっという間に江戸の昔に引き込まれていってしまいます。
「中村仲蔵」と甲乙つけがたい熱演に、酔い痴れてしまいました。

それにしても、つくづく惜しい人を亡くしたものだと思いました。








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金原亭馬生「百年目」

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堅物で真面目一辺倒の番頭が、実は大変な遊び人で、人目を避けて豪勢な遊びをしているところに、運悪く旦那とバッタリ出くわしてしまうという噺。
この噺を聴くたびに旦那と番頭の間に通う人情にホロリとさせられる。
円生もこれを得意ネタとしていたが、私としては馬生のほうが好みである。
ふたりの間に流れる、主従を越えた、ほのぼのとした雰囲気が馬生の噺のほうに、より強く感じるからである。

遊びがバレた翌日に、番頭は旦那に呼ばれるが、ここからが、この噺の聴かせどころ。
クビを覚悟して小さくなっている番頭に、旦那は次のような話をする。

天竺に栴檀(せんだん)という立派な木がある。
その下には南縁草という汚い草が沢山生えている。
ある人が南縁草が汚いというので、これを取ってしまうと栴檀もいっしょに枯れてしまった。
後で調べると栴檀は南縁草を肥やしにしている。
そして南縁草は栴檀の露で育っているという事が分かった。
栴檀が育つと南縁草も育つ。
そこで栴檀の「だん」と南縁草の「なん」を取って「だんなん」、それが「旦那」という言葉になった。
つまり、持ちつ持たれつで、わたしとお前の関係もそうだ。
また、おまえさんと店の者との関係もそうだ。
だから厳しいのはいいが、時には優しく露を落としてやることも必要だ。
子供の頃は見込みがなくて帰そうかと思ってた子が、こんなに立派になってくれた。
お前さんの代になってからうちの身代は太った。ありがたいと思ってます。
ところで、昨晩は眠れましたか。あたしは眠れませんでした。
あんな豪勢な遊びをするんだ、間違いがあっちゃあ困る。
で、昨晩初めて店の帳面を見させてもらいましたよ。
いや恐れ入った、これっぱかりも欠損(あな)がない。
あたしも悪かったんだよ。お前さんは、店に出ればもう立派な旦那だ。
ちゃんと暖簾分けをしてやりたいと思っているんだが、お前さんがいるとつい安心でズルズルきてしまった。
あと1年だけ辛抱しておくれ。そうしたら店を持たせて暖簾分けを必ずするから。それまで辛抱しておくれ。お願いしますよ。
と、そんな話をするのである。

クビを覚悟していたところに、この話である。
これでは番頭でなくとも、感動で胸がいっぱいになってしまう。
一生この人には頭が上がらない、ずーっとこの人に着いていこう、そんな気持ちにさせられたにちがいないのである。

いい話である。心温まる話である。
この噺を聴くたびにほのぼのとした気分になる。


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古今亭志ん朝「文七元結」

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古今亭志ん朝の最高傑作といわれる「文七元結(ぶんしちもっとい)」を聴いた。
三遊亭圓朝作の代表的な人情噺で、80分近くもある噺だが、志ん朝のうまさに思わず聴き入ってしまい、80分という長丁場があっという間に過ぎてしまった。
まさに名人芸と呼ぶにふさわしい高座である。
中野翠が「今夜も落語で眠りたい」のなかで、「聴き終わった時は笑いと涙で顔がくしゃくしゃだった。」と書いているのが、よくわかる。
これぞ落語の真髄という一席なのである。

本所達磨横町の左官の長兵衛は腕はいいが、博打に入れあげてしまって、仕事もままならない。
借金はかさむし、食うにも困るような状態が続いている。
そんな窮状を見かねたひとり娘のお久は、長兵衛がかねてから出入りしている吉原の佐野槌に駆け込み、自分の身を売ることでその苦境を脱しようと考える。
佐野槌のおかみに呼び出され、事の次第を聞かされた長兵衛は、博打からきっぱりと足を洗うことを約束し、返済期限を過ぎるとお久に客をとらせるという条件で、涙ながらに五十両を借り受ける。

長兵衛が長屋に帰る途中、吾妻橋まで来ると商人風の若者が身投げをしようとしているのに出くわす。
訳を聞くと、集金の帰りに男に突き当たられて五十両を掏られたという。
その責任をとってどうしても死にたいという手代の文七に、さんざん迷ったあげくに長兵衛は五十両をたたきつけるようにしてやってしまう。
せっかく借りた大事な五十両を文七にくれてしまった長兵衛の底抜けの人の好さにあきれながらも、いったいこの先どうなっていくのだろうと大いに好奇心を掻き立てられる。
そしてこの後思わぬ展開を見せることになるのだが、最後は笑いと涙のなかで、これ以上はないカタルシスが味わえる。

とにかくこれで完全に志ん朝の落語に魅せられてしまった。
そしてしばらくは志ん朝落語を追っかけてみようという気持ちにさせられた。


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Author:cooldaddy
住んでいるところ:青森県弘前市
出身地:香川県
年齢:今年(2008年)還暦です。
性別:男

還暦という節目を迎え、何か新しいことを始めようとブログを開設しました。
趣味のこと、生活のこと、心に残ったことなど、My Favorite thingsを、気ままに書いていこうと思います。
末永くおつき合いください。

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