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風に吹かれて

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Category: 落語

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八代目桂文楽「明烏」

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江戸落語を代表する名人のひとり、八代目桂文楽が青森県五所川原市生まれというのは、ちょっと意外な感じがするが、これは父親が大蔵省の官僚で、赴任地である五所川原町(当時)で税務署長を務めていたときに生まれたことによるもの。
生まれは青森県でも、育ったのは東京で、実質的には東京出身というわけだ。
父親は徳川慶喜の御典医の息子ということなので、文楽もチャキチャキの江戸っ子なのは間違いのないところ。

ところで文楽のネタは大きく分けると「幇間」「若旦那」「盲人」の三つのジャンルに大別されると云われている。
その「若旦那」の代表格が、「明烏」である。

若旦那のあまりの堅物ぶりに困った父親が、これでは商売に差し障りがあると考えて、町内の遊び人に吉原へ連れて行くようにと頼み込む。
吉原は怖いところと信じて疑わない若旦那を、「お稲荷さまへお篭りに」と騙して連れ出し、吉原へと繰り出していくという噺である。
若旦那の度を越えた堅物ぶりや、遊び人たちとの落差のあるやりとり、騙されたと知ってうろたえる若旦那のうぶさ加減など、笑いを誘う場面が満載。
代表的な廓噺でもあり、「吉原」の様子やしきたりを知るためのテキスト的な噺でもある。
それが文楽の艶のある語り口で語られることで、「吉原」という華やいだ世界が見事に浮かび上がってくる。

文楽の噺は、ネタの数が少なく、気に入った噺だけを細部まで緻密に作り上げ、一言一句も疎かにしないというものである。
これを「落語界の小津安二郎」と立川志らくは称しているが、まさにそのとおり。
練りに練った職人芸、落語のひとつの頂点を極めたのが文楽の芸といっていいだろう。
その文楽の最後の高座は、
「台詞を忘れてしまいました……申し訳ありません。もう一度……勉強をし直してまいります。」というもの。
以後文楽は、2度と高座に上がることはなかった。
完璧主義者であった文楽らしい幕切れである。

文楽の噺のなかでは、これがいちばん多く聴いた噺だが、久しぶりに聴いてもやはり新鮮で面白い。
文楽の名人芸をたっぷりと味わえる。


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Tags: エッセイ・評論  

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立川談春「赤めだか」

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まるで小説を読んでいるようなおもしろさ。
落語家への賞賛だと、「小説」というよりも「落語」というべきか。
とにかく、そのおもしろさに一気に読んでしまった。

著者の立川談春はその名のとおり立川談志の弟子である。
昭和59年、高校を中退して立川談志に入門、新聞販売店で働きながらの前座修業が始まった。
その厳しい修業を経て、二ツ目、そして真打ちになるまでの体験がここには書かれているが、この本を書いたそもそもの動機が「談志のすごさを今残しておかなければ」というもの。
その言葉どおり様々なエピソードによって談志のユニーク、かつ破天荒な人物像が浮かび上がってくる。
そしてそんな談志の無理難題や芸の厳しさに耐えて次第に芸人として成長していく様子が、時に笑いを、時に涙を誘いながら確かな文章によって書かれていく。
「修業とは矛盾に耐える事だ」
「前座の間はな、どうやったら俺が喜ぶか、それだけ考えてろ。患うほど、気を遣え。お前は俺に惚れて落語家になったんだろう。本気で惚れてる相手なら死ぬ気で尽くせ。サシで付き合って相手を喜ばせられないような奴が何百人という客を満足させられるわけがねェだろう。」
こういった談志の言葉が示すような厳しい修業の毎日。
「やるなと云っても、やる奴はやる。やれと云ったところでやらん奴はやらん」
「お前は落語家に向いていない。落語家をやめろ。」と突き放されながらも、工夫を重ねての落語のけいこ。
そして「立川流の二ツ目の基準は、古典落語なら五十席覚えること。それに寄席の鳴り物を一通り打てること。講談の修羅場が噺せること。あとは踊りの二つ、三つを踊れること」を目指して修業に励む毎日。
だが、これはあくまでも原則であって、談志が首をタテに振らなければ二ツ目にはなれない。
どこをどうすればいいといった明確な基準のある試験ではない。
極論すれば、試験なんてあってないがごとし。
談志の気分ひとつでどちらに転ぶか皆目見当がつかない、といった内容の試験なのだ。
以前NHKで放送された「まるごと立川談志」という番組のなかで、その昇進試験の現場を目にしたことがあったが、張り詰めた緊張感のなか、つぎつぎと繰り出される談志の課題に右往左往しながら芸を見せる弟子たちの姿に戦慄を覚えたほど。
これをクリアするのは並大抵のことではないナ、というのが感想だった。
努力だけでは駄目、やはりそれなりの才能がなければ、いくら努力、我慢を続けても、この試験はクリアできないと知ったのである。
実際、談春といっしょに二ツ目昇進を果たしたのはぜんぶで4人だが、それまでに20人以上が脱落して落語界から去っている。
そんな厳しい難関を乗り越えた弟子たちに向かって談志は次のように云う。
「いいか、オレのところで二ツ目になったということは、他の二ツ目とはモノが違うんだ。それはプライドを持っていい。今後は自分達のために毎日を生きろ。まずとりあえずは売れてこい。売れるための手段がわからないと云うならいつでも相談に来い。教えてやる。本当によく頑張った。誉めてやる。二ツ目として認めてやる。おめでとう。乾杯。」
談志はけっして厳しいだけの師匠ではない。
いくつものエピソードからそんな側面が見えてくる。
さらに談春の真打ち昇進にからむ小さんと談志のくだりには胸が熱くなった。

この本を読んで初めて落語家、立川談春を知った。
なので、立川談春の落語も当然聴いたことがない。
だがこんな面白い話を書ける落語家なのだから、その噺がおもしろくないはずがない。
機会があればぜひいちど彼の噺を聴いてみたいと思ったのである。
それがこの本を読んだ感想であった。

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落語ブーム

落語ブームだそうである。
先日の新聞に「噺家DVD集売れ行き好調」とした記事が出ていたが、それによると、高額DVD集がよく売れているそうだ。
昨年3月に出た「古今亭志ん朝全集」がそれである。
上下巻がともに3万4000円と高額ながら、2万セットが売れている。
この好調に続けとばかりに、「三遊亭円生全集」も発売を予定されているほか「八代目桂文楽全集」も近々発売予定。
さらに書籍として「落語百選DVDコレクション」も発売中で、第1号は約15万冊が売れた。
これは「落語は商売になる、とレコード会社や出版社が気付いた」結果だということだそうだ。
落語ファンとしてはうれしい現象だが、残念ながらこれらはほとんどが故人となった名人ばかり。
現役の落語家の名前が出てこないのが少し寂しい。
そういう意味では、ほんとうの落語ブームとは言い難いのかもしれない。


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五代目古今亭志ん生「黄金餅」

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NHK 落語名人選(LP)から古今亭志ん生の「黄金餅」を聴く。
「火焔太鼓」と並んぶ志ん生の十八番。

死人を焼き場まで運んで、金を手にするという、ちょっとブラックで陰惨な噺だが、これを志ん生がやると、妙に明るく滑稽な噺になる。
志ん生らしいとぼけたクスグリや、志ん生がもつ天衣無縫な雰囲気が、噺の陰惨さを薄める効果をあげているからだろう。
なかでも棺おけを担いで運んでいく、長々と続く道筋を一気にまくし立てるハイライトがその代表格である。
「下谷の山崎町を出まして、」に始まって、「上野」「上野広小路」「神田」「日本橋」「京橋」「新橋」「飯倉」「麻布」に至る延々10何キロにわたる道中の町名や道筋を息も継がずに事細かに言い立てる。
これは「言い立て」「道中づくし」などと呼ばれているもので、この噺の聞かせ所。

こういう凄まじい噺も笑いにしてしまうところが落語の奥の深いところ。
談志のいう「落語は業の肯定」という言葉がこれほど似合う噺はないだろう。
まさに人間の業の深さを感じさせられる噺である。

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Category: 落語

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立川談志「芝浜」

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ここ数日、夜中になると必ず目が覚める。
いったん目覚めると、その後なかなか眠れなくなってしまう。
そこでテレビでも見ようということになるのだが、なかなかいい番組はやっていない。
そんな時は、録画しておいた番組を見ることにする。

最近続けて見ているのが、昨年3月に放送された「まるごと立川談志」という番組。
これはNHKが立川談志を追い続けた番組で、密着したドキュメンタリーと落語によって構成された番組である。
都合10時間という長時間の番組だったが、そのうちの前半部分(それでも6時間)を録画してあった。
それを細切れに見続けているというわけだ。

立川談志、73歳、「落語界の反逆児」と呼ばれ、反骨精神旺盛な彼も老境を迎え、次第に体力、気力の衰えを実感している。
そんな日常を追っているのだが、反骨精神は依然健在、辛口な物言いも変わらないものの、それは自分自身に対しても同様で、厳しく己を見据えている。
衰えに対する戸惑いやジレンマ、死に対する憧れと恐れといった矛盾した内面を時には弱気になったり、時には洒落のめしといったぐあいに、揺れ動く姿を見せる。
「もう、自殺寸前ですよ。」と冗談めかしたりもするが、どこまでが本音なのかは、窺い知れないところもある。
一筋縄ではいかない人物だという前提を、忘れずに見なければいけないだろうというふうに思ったりもする。
「落語とは、人間の業の肯定である。」という彼の言葉が繰り返し出てくるが、穿った見方をすれば、自ら業にのたうち回る姿をさらけ出すことで、何かを伝えようとしているのだ、というふうに考えられなくもないが、果たしてどうだろう。
才能ある人間であるがゆえの戸惑いと苦しみ、強気で生きてきたがゆえのもろさ、強気と弱気が交互に顔を出す日常の連続。
とにかく人間ドキュメンタリーとしては無類のおもしろさなのである。

そして十八番の「芝浜」である。
これは絶品であった。
談志自ら「不思議なくらい旨くできた。」と言っているように、掛け値なしのよさであった。
「芝浜」は桂三木助の十八番で、江戸っ子の粋や情景描写のよさを感じさせるという内容だったが、談志が語る「芝浜」では談志独自の工夫がしてあり、同じ噺でもかなり印象の違ったものであった。
どちらがいいとかの問題ではなく、やはりこれは好みのものだが、感動ということからすれば談志の「芝浜」は圧倒的に感動ものであった。
夫婦ふたりのやりとりだけの都合40数分間の噺に、見事に引き込まれてしまい、終盤の大晦日の場面では胸が熱くなってしまった。
立派なおかみさんという通り一遍な人物像にしなかった談志ならではの工夫に、人と同じ噺にはしないという反骨精神と矜持の一端が表れているように思う。
「あれは神様がやらせてくれた最後の噺だったのかも知れない」という談志の言葉どおりの内容に心底満足した。

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Category: 落語

Tags: エッセイ・評論  古今亭志ん朝  

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三人噺 志ん生・馬生・志ん朝

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著者の美濃部美津子さんは、古今亭志ん生の長女、金原亭馬生と古今亭志ん朝のお姉さんです。
この本は彼女からの聞き書きによる志ん生一家の半生記です。
有名な「なめくじ長屋」での貧乏生活から、3人が亡くなるまでの貴重なエピソードが満載で、笑いあり、涙ありの内容に、落語好きのみならず、落語に興味のない人でも思いっきり楽しめる本です。
落語の世界に登場しそうな貧乏生活も、母親(志ん生のおかみさん)が内職で支え、それを著者が手助けをして、家族がお互いに助け合いながら凌いでいく様子は、まるで極上の落語を聞いているような面白さ。
「安普請の狭い家だろうが、蚊やなめくじがいようが、住んじゃうと何でもなくなっちゃうんですよ。ちっとも悲惨に思いませんでした」
天衣無縫の志ん生と、しっかり者のおかみさんの取り合わせは落語の世界そのもの。
おかみさんが志ん生と別れなかったのは、「この人は何もできないし、酒は飲む、博打はするでしょうがないけれども、芸だけは一生懸命やってっから、先行き必ず売れる」と思っていたからだそうです。

志ん生の面白いエピソードをひとつ。

あるとき、部屋から池をボーッと眺めてたお父さんが、志ん五(弟子)を呼んだんですって。
 「何ですか」って行ってみたら ―。
 「池の側んとこに、おまえ、鳩が止まってるだろ」
 「はぁ。珍しい色ですね、あの羽。何色っていうんですかね、あれは」
 「そんなこたぁ、どうでもいんだよ。俺、さっきっから見てんだけども、あすこから一時間も、動かねえんだよ。何考えてっかわかるか、おまえ」
 「鳩がですか? さあ、何考えてんでしょうね」
 「ひょっとすると、身投げだ」

でね、この話を志ん五さんが馬生にしたらしいんです。そしたら馬生が、
「他人はね、『お宅のお父さん、面白い人ですね』って言うけれども、家族の身になってみろよ。おまえ、あの寅さんて知ってるだろ。映画の寅さん。俺、あの寅さんの家族の気持ちがよぉくわかんだよ。本人はそりゃ、いいよ。好き勝手なことしてんだから。けど、家族は大変なんだ」


志ん生の天衣無縫さはともかく、馬生の複雑な心境は手に取るように分かります。
志ん生の尻拭いをしたり、父親の代わりに家族を支えたりといった、それなりの苦労を積んできたようです。
馬生の落語がじっくりとした味わいがあるのも、こういった経験の積み重ねがあったからこそなのでしょうね。
いっぽう志ん朝は遅れて生まれた末っ子ということで、そうとうに可愛がられたようで、それが志ん朝の明るく華やかな芸質を作り上げているようです。
著者とは20以上も歳が離れていることもあって、母親代わりで志ん朝を育てたそうです。
その母親代わりのお姉さんのために、志ん朝は家を建て直した際に、お姉さん用の部屋も用意したそうです。
親孝行(姉孝行)のつもりだったのでしょうね。

最後に馬生と志ん朝の芸について著者が話した部分を書き抜いておきます。

 馬生は、後年のお父さんの芸風を見てて、自分にはあれだけの華とか自由奔放さはないとわかっていた。だから志ん生とは違った方向を目指して、真面目にキッチリとした噺をしていく道を選んだんだと思います。たとえていうならば、文楽さんや円生さん、彦六さんのような系統なんです。
 ---馬生元来の性格もあったんでしょうけど、耐え忍びつつ穏やかに毎日を生きる人たちの噺ってのが肌にあってたんでしょうね。だから馬生のお客さんも「ジックリと聞きたい」って人が、ちゃんとついてたんですよ。パッと盛り上がるという人気じゃなかったけれど、じわじわと広がっていくって感じでした。
 もっと長生きできていたら芸に渋みが増して、お父さんの噺とはまた違った味が出たと思いますねえ。

 志ん朝の場合は、明るくて派手なしゃべり口調はお父さんの系統ですよ。志ん朝の芸風を「完璧な文楽型を目指した」と言ってる人がいるらしいんですが、あたしはちょっと違うんじゃないかと思っているんです。確かに噺としては完璧でしたが、その日の気分によってくすぐりの入れ方が違ったり、いい加減というかフラ(持って産まれた個性や味)のいいところはお父さんと同し。志ん朝は文楽さん的なキッチリとした部分と、お父さんの雰囲気を混ぜるつもりでいたんじゃないでしょうか。


著者は母親を含めて4人とも見送ったのですが、それぞれの臨終の場面は読んでいて胸に迫るものがありました。

これを書いているうちに、三人の落語が無性に聴きたくなってしまいました。

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Category: 落語

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6代目春風亭柳橋「青菜」「粗忽の釘」「時そば」

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6代目春風亭柳橋が得意としたのは、滑稽噺。
ここで紹介する「時そば」「青菜」「粗忽の釘」は、いずれも滑稽噺である。
穏やかなご隠居さんが、優しく話して聞かせるような芸風は親しみがもてる。
実際の柳橋は気位が高く、気難しい人物だったようだが、そういった側面は噺を聴くだけでは想像がつかない。
これも、やはり芸の力か。春風駘蕩とした柔和さのみが印象に残る。

「青菜」
さるお屋敷で植木職人が仕事休みに、主人から酒と鯉のあらいをふるまわれる。
ついでに「青菜」をすすめられるが、次の間から出てきた奥方が
「だんなさま、鞍馬山から牛若丸が出まして、名を九郎判官(くろうほうがん)」
と妙なことを言う。だんなはそれに対して「では義経にしておけ」とこちらも意味不明の返事。
これは、実は洒落で、菜は食べてしまってないから「名(菜)を九郎(食ろう)判官」、「では義経(よし)にしておけ」という意味の隠し言葉。
客の前で、はしたないことをあからさまに言わないための、気配りなのだという。
植木屋、その風流にすっかり感心して、家に帰ってその真似をするが、おかしなことになってしまうという噺。


「粗忽の釘」

横綱級の粗忽者が、引越し先の家で壁に箒を掛ける釘を打つが、これに使った釘が瓦釘というえらい長い釘。
壁をぶち抜いて隣の家まで釘が出てしまう。
そこでお詫びに伺うが、トンチンカンなやり取りに終始してしまう。
「粗忽」とは「そそっかしい」こと。
人間は誰しも失敗をするが、それを極端にデフォルメさせたのが、この噺の主人公である。
常識では考えられないような、そそっかしさでつぎつぎと失敗を繰り返すが、どこか自分たちと重なるところがあるので、バカバカしいと思いながらもつい笑ってしまう。
その馬鹿さ加減がいかにも落語的。


「時そば」

古典落語の名作のひとつで、上方落語では「時うどん」の題目で高座にかけられる。
屋台のそば屋で、勘定を巡る見事なごまかしを目にした男が、自分も真似をしてやってみるが、逆に損をしてしまうという噺で、落語のネタとしてはもっともよく知られた噺のひとつ。
柳橋の得意ネタのひとつ。
寒空のなかで熱いそばを食べる様子が、微に入り細に入って実にうまく演じられる。
それを聴いているうちに、こちらもついそばを食べたくなってしまう。

久しぶりに聴いた柳橋の落語に気分よく笑ってしまった。

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Category: 落語

5代目三遊亭圓楽「中村仲蔵」

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門閥外から出世して名題(なだい・役者の最高位)にまでなった名優、初代中村仲蔵の出世物語です。
有名な人情噺で、さまざまな噺家が演じていますが、私が最初に聴いたのは三遊亭圓楽によるものでした。
ラジオ放送だったのですが、テープに録音してその後も繰り返し聴いたものです。
そんなわけで落語の中では、おそらく一番数多く聴いた噺ではないかと思います。

初代仲蔵は中村伝九郎という大部屋役者の弟子でしたが、その素質を四代目市川團十郎に認められて名題になったという人物です。
ところが歌舞伎の世界では門閥という壁は厚く、頭角を現すのは至難の業、そういった世界で努力と工夫を重ね、名優と謳われるまでになった仲蔵の出世物語が笑いと涙で語られるという噺です。

「忠臣蔵」の五段目はちょうどお昼時に上演され、しかも登場するのが年寄りの与市兵衛と、見栄えのしない山賊の斧定九郎(おのさだくろう)ということで、お客はみんな飲み食いにいそがしく、誰も舞台などは観ようとしません。
別名、弁当幕ともいわれ、「忠臣蔵」のなかでは、さして重要な場面ではありません。
その弁当幕の定九郎たった一役だけが、仲蔵に振り当てられた役でした。
仲蔵は大いに落胆し、自棄になりますが、女房のお岸に励まされて、この役をなんとか見栄えのする役にしようと工夫を考えます。
だが、事はそう簡単には運びません。
そして考えに考え抜いた末に、ある出来事がきっかけで、ついに新しい定九郎を作り出すことができるのです。
それが今に残る錦絵のような斧定九郎というわけです。
その詳しい経緯が圓楽によって情感たっぷりに語られていくにつれて、噺のなかにどんどんと引き込まれていってしまいます。
歌舞伎の華やかな世界と、そこで味わう悲哀のなかで、お客の評判を引き出していく仲蔵の姿が感動的です。

残念ながら録音したテープは、その後どこへ行ったものか、今は手元にはありません。
再度聴くことはできなくなりましたが、この紹介文を書いているうちに、またもういちど無性に聴きたくなってしまいました。

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三遊亭円生「居残り佐平次」

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三遊亭円生の「居残り佐平次」を聴きました。
これは廓噺の大ネタですが、今ではわりと演ずることの少ない噺のようです。
廓噺ですが、舞台は吉原ではなく、品川になっています。
品川は四宿(品川、新宿、千住、板橋)の筆頭として、吉原につぐ繁盛をした土地だったそうです。
「居残り」というのは廓で遊んだものの代金が払えず、そのまま廓に残されてしまうことですが、佐平次は金も持たず「居残り」になるのを承知のうえで、廓で豪遊するという確信犯です。
品川を選んだ理由は、肺病の転地療養の場所として最適、ということになっています。
実際、当時の品川は空気がきれいで、肺病の転地療養先としてよく利用されていたようです。
佐平次は小悪党ですが、ただの悪人ではなく、口が達者で頭がよく、人を煙に巻いてしまうような才走った人物です。
「居残り」後はその才能を生かして、廓の住人として溶け込み、やがて人気者にまでなってしまいます。
円生はそんな生きのいい江戸っ子、佐平次を切れ味よく演じてみせます。
佐平次と廓の若い者との払いを巡ってのやりとりや、佐平次の客扱いのうまさを見せる場面などから、廓のしきたりや華やかなにぎわいが見事に浮かび上がってきます。
そんな世界を背景に、口八丁で豪遊の払いをチャラにしたばかりでなく、新調したばかりの着物や大金を巻き上げて廓を後にする佐平次の姿は痛快そのもの。
愛すべき小悪党、佐平次の面目躍如といった一席でした。

ところでよく知られたことですが、川島雄三監督の「幕末太陽伝」はこの噺が元ネタになっています。
この映画でフランキー堺がスピード豊かに演じた佐平次は出色の出来で、映画史に残るキャラクターとして強く印象に残っています。
ちなみに、この映画は他にも落語「品川心中」「三枚起請」「お見立て」「芝浜」なども元ネタになっています。

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3代目桂三木助「芝浜」

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テニス仲間のAさんからLP「落語名人選」「続・落語名人選」を借りました。
1975年、76年の制作なのでまだCDなど、なかった頃のものです。
なにせLPですので、ターンテーブルがないことには聴けません。
幸いにも、わが家にはターンテーブルが健在で、まだ現役で活躍しているので、さっそく借りることにしました。

まず最初に聴いたのは3代目桂三木助の「芝浜」。
この噺は「芝浜の三木助」といわれたように三木助得意の演目。
三木助の落語はこれまで聴いたことがなかったので、まず第一に聴いてみようと思ったわけです。

酒ばかり飲んで貧乏している男が芝浜で大金の入った財布を拾う。喜び勇んで家に帰って祝いの酒を飲み、眠っている間に拾ったはずの財布がなくなってしまう。財布を拾ったことは夢であると女房に諭され、それをきっかけに男は改心、酒を断って懸命に働き、3年の後には独立して自分の店を構えるまでになる。そして大晦日の夜、女房から「実は自分が財布を隠していたのだ。 」という真相を知らされるという噺。

これは三遊亭円朝が客から出された題から即座に作った三題ばなしがもとになっており、古典落語の中でも屈指の人情噺として知られた噺です。
また噺のヤマ場が大晦日であることから、年の暮れに演じられることが多い噺です。

桂三木助は1961年、58歳の若さで亡くなりました。
江戸前の粋な噺に磨きがかかり、これからというときの惜しまれた死だったようです。
三木助の落語はこのほかに「ざこ八」「崇徳院(すとくいん)」「へっつい幽霊」が収録されているので、こちらも近々聴いてみたいと思います。

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Author:cooldaddy
住んでいるところ:青森県弘前市
出身地:香川県
年齢:今年(2018年)70歳です。
性別:男

還暦(10年前)という節目を迎え、何か新しいことを始めようとブログを開設しました。
趣味のこと、生活のこと、心に残ったことなど、My Favorite thingsを、気ままに書いていこうと思います。
末永くおつき合いください。

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