風に吹かれて

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車谷長吉「白痴群」

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車谷長吉の短編集「白痴群」を読了。
6篇が収められているが、最初の短編「白痴群」を読むのに3日もかかってしまい、その後一週間ほど手つかずのままになっていたが、昨日、今日と何とか時間をつくって他の5編もようやく読み終えた。
車谷長吉の小説は読み始めると一気に読めるが、手をつけるまでが意外と時間がかかる。
それは「業曝しの精神史」と自ら云うように、己や他人の恥部や虚飾を悪意とも思えるほどに、これでもかと暴き出す種類の小説だからである。
毒をもった小説である。
気楽には本を開くことができないのはそのためである。
だが一旦読み始めると、まるで蛇に絡み取られたように、その世界に引きずり込まれていく。
自らの身辺雑記を綴る私小説という形式ではあるが、どこまでが事実で、どこからが作り事なのか判然としないまま、その物語世界の虚実皮膜の面白さにいつの間に誑かされてしまっているのである。
なかでも「狂」と「一番寒い場所」は魅力的な作品であった。
「狂」は「私」が高校時代に教わった立花得二という教師についての話である。
東大を出て三菱商事に就職した若き日の立花先生は、上司の悪意によって陥れられて会社を辞めざるをえなくなる。

この時、立花先生の生は狂うたのである。この狂うたというのが大事である。先生は「順の人。」から「異の人。」に転じた。異の人とは、この世の異者である。先生が狂うたからそうなったのか、あるいは甲が狂うたから先生に悲運がもたらされたのか。いずれにしても立花先生の生は、天と地が反転したのである。恐らくこの時はじめて、先生の中で「精神。」という「物の怪。」が息をしはじめた。


そして教師になった立花先生は、教師たちのなかでは異彩を放つ。
「私」はそんな立花先生がもつ鬱然たる「精神。」に畏敬の念をもつ。

立花先生の言動には、すでに死者となった人からのみ、もれ聞こえて来る悲しみがあった。異端者の暗闇、と言うてもよいだろうか。この悲しみは、人を医す(いやす)力を持っていた。



もう一篇の「一番寒い場所」は、60年安保の年に社会党委員長、浅沼稲次郎を暗殺した山口二矢の親友を名乗る逆木大三郎なる人物との交流を描いている。
彼は1942年の生まれで、小学校卒業と同時に家出、釜ヶ崎に流れ着き、さらにマニラに渡り、反共右翼思想を身につけて帰国、そこで愛国党の山口二矢と知り合う。
だが60年安保闘争の波が引くと、右翼団体を飛び出して各地を放浪、東京に舞い戻った後は江戸川の朝鮮人部落にもぐり込む。
この頃三島由紀夫と知り合ってかわいがられたりもするが、今度は拳銃不法所持でつかまって少年院入り、出所後は新宿に流れてフーテンになる、といった人物である。
かつて山口二矢の事件に衝撃を受けた「私」は彼に深い興味を抱く。
そして知り合いの編集者に紹介されて彼と知り合い、ふたりの交流が始まるのである。
昭和43年春から48年春にかけてのことである。
全国の大学に紛争の嵐が吹き荒れて世の中が騒然としていた時代、そして昭和46年11月には三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決という事件が起きる。
それを区切りのようにしてふたりの不思議な交流は終わるのである。
ともに「一番寒い場所」を抱えもつ若者ふたりの精神の彷徨が切々と語られる。
だが、心の空洞は埋めることが出来ないままに小説は終わる。
特別これといった事件がふたりの間に起きるわけではない。
というよりも無為の時間がただ過ぎ去るだけである。
だが、そこに不思議な感動を覚える。
同じ時代を似たような無為の時間を過ごしてきたという共通の記憶があるからなのかもしれない。


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車谷長吉「雲雀の巣を捜した日」

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「私の根本の思想は、人間としてこの世に生れて来たことが、それだけですでに重い罪である、という考えです。(私の思想)」と書く車谷長吉のエッセイ集である。
この一文は太宰治の「生まれてすみません」とも共通の原罪意識であるが、これが車谷長吉の小説を書く原点になっている。
それは「業」でもあり救いでもある。

も早、私には捨てるものは命以外に何もなかった。手許には二萬四千円の現金しかなかった。それが私の全財産だった。八月四日(昭和五十八年)、その金を握って、私は東京へ仕事を探しに行くべく、姫路駅から普通電車に乗った。弟にもらった萬年筆一本と粟田口近江守忠綱のドスをふところにのんで。いよいよとなったら、ドスで首を掻き切って、自決する覚悟だった。自分の骨身に沁みたことを、自分の骨身に沁みた言葉だけで書きたかった。作家になることは自分を崖から突き落とすことだ。(文士の意地)


こうして作家になった車谷である。

文学のためならば、たとえ牢屋に繋がれようと、神経衰弱になろうと、気違いになろうと構わないという気力がなければ、駄目なのである。それが「文士の魂」である。私はこの十年余、強迫神経症に苦しんで来た。それでも原稿を書くというのが、小説家の「業」である。(慰みと必死)


またこうも書く。

私は人間が人間であることの不気味さを表現してきました。人間の崇高さや偉さ、賢さには限りがあります。(どんなに偉い人であっても限りがありますが)、人間の愚かさは底なし沼です。ところが世の九割九分の人は己のことを偉い、賢いと思いたい連中ばかりですから、頓珍漢なことが起こります。私はその頓珍漢を、人間の悲しみとして表現したかったのです。つまり小説家になることは悪人になることでした。


そして

私は自分が文士になったことを、格別に立派なことだとは考えてはいない。作家なんて人間の屑、ごみ、あるいは頓痴気である。夏目漱石の表現を借りれば、無能者(ならずもの)として、私は作家になったのである。


こうした強烈な毒気がつぎつぎと書き連ねられている。
ここまで書くと、却って爽快ささえも感じてしまう。
車谷長吉の面目躍如といったところである。


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車谷長吉「鹽壺の匙」

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芸術選奨の新人賞と三島由紀夫賞をとった車谷長吉の初期短編集「鹽壺の匙(しおつぼのさじ)」を読了。
「なんまんだあ絵」「白桃」「愚か者」「萬蔵の場合」「吃りの父が歌った軍歌」そして表題作である「鹽壷の匙」の6篇が収録されている。
いつだったか車谷長吉の「生が破綻した時に、ほんとうの人生が見えてくる」といった意味の言葉を読んだことがあったが、これらの短編も、破綻、もしくは破綻の兆しを見せている人たちの物語である。
闇の高利貸しだった祖母、発狂した父、首を縊った叔父、自らの半生や家族、周辺の人たちのことを露悪的とも思えるほど容赦なく書きたて、「書くことのむごさ」を小説にする車谷長吉の、業の深さ、背負った荷物の重さを垣間見るようであった。
「人が人であることの悲しみみたいなものを書きたい」と言う車谷長吉の思いが、伝わってくる。
そして毒気がボディブローのように効いてくる。


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車谷長吉「赤目四十八瀧心中未遂」

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「詩や小説を書くことは救済の装置であると同時に、一つの悪である。」と車谷長吉は書いている。
さらに「書くことはまた一つの狂気である。」とも書く。
「赤目四十八瀧心中未遂」もそうしたなかから生まれた小説なのだろう。
自らの恥部を徹底的に晒すことでそこに何が見えてくるか、そんな作者の切実な思いが圧倒的な力技で迫ってくる。

饐えた臭いのする薄暗いアパートの一室で、病気で死んだ豚や鶏のモツを串に刺し続ける男の姿は、修行僧の姿に近いものを感じる。
そしてその孤独な作業は、修行僧の行のようにも思えてくる。
普通の生活から滑り降り、ひたすら堕落のなかに落ちていこうとする男が辿り着いたところは、アマと呼ばれる尼崎、阪神電車出屋敷駅近くの、ブリキの雨樋が錆びついた町である。
そしてその心情を次のように書く。

心の中の一番寒い場所では「どないなと、なるようになったらええが。」という絶望が、絶えず目を開けていた。
こういう私のざまを「精神の荒廃。」と言う人もいる。が、人の生死には本来、どんな意味も、どんな価値もない。その点では鳥獣虫魚の生死と何変わることはない。ただ、人の生死に意味や価値があるかのような言説が、人の世に行われて来ただけだ。従ってこういう文章を書くことの根源は、それ自体が空虚である。けれども、人が生きるためには、不可避的に生きることの意味を問わねばならない。この矛盾を「言葉として生きる。」ことが、私には生きることだった。


空虚のなかを生きる男のまわりに出没するのは、やくざ、娼婦、彫物師、娼婦上がりの焼き鳥屋のセイ子ねえさん、そして背中に迦陵頻伽(かりょうびんが)の彫り物を背負った謎の女アヤ。
いずれもひと癖もふた癖もあるような人間たちばかり。
そしてどの人物も容易に人を立ち入らせようとはしない深い闇を抱えている。
そこに一歩でも踏み入ろうとすれば、手痛い傷を覚悟しなければならない、そんな危うい殺気を孕んでいる者たちばかりである。
「中流の生活」を忌み嫌い、ドロップアウトしてきた男ではあるが、ここでも彼は「よそ者」であり、居場所はないことを思い知る。
そしてある日、彫物師の愛人アヤから「うちをつれて逃げて」と懇願され、「この世の外へ」と踏み出そうとする。
「世間の外」で生きてきた男が、心を奪われた女の懇願で、誘われるままに「この世の外へ」と足を踏み入れようとする。
逡巡しながらも魔物に魅入られたように付き従っていく道行きは、まるで夢の中での出来事のようにも思える。
悪夢のような、とでも呼びたいような小説である。

車谷長吉は「最後の私小説作家」と呼ばれている。
私小説という形式は、すでに時代遅れのものであるにもかかわらず、その時代遅れの衣裳を纏うことで、あえて時代に背を向けようとする。
「私(わたくし)小説を鬻(ひさ)ぐことは、いわば女が春を鬻ぐに似たこと」だと車谷長吉は言う。
だがただ春を鬻ぐだけではない。
そこに巧妙な虚を交えることで、さらに深い作品世界を構築しようとする。
そして人間存在の魂の闇を、ただひたすらに見つめようとするのである。
それはもう私小説という枠には収まり切れない世界といってもいい。
白洲正子が車谷の小説を「神さまに向って言葉を発している」と評しているが、その言葉が頷けるような力が、車谷長吉の作品には漲っている。


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車谷長吉「忌中」「贋世捨人」

以前から読みたいと思っていた車谷長吉の小説を読んだ。
彼の小説はこれまで読んだことはなかったが、なぜかいつも気になる存在で、時々図書館で手にとってはみるものの、なかなか読むところまではいかず、また書棚に返すということを繰り返していた。
彼に関心を持つようになったきっかけは、直木賞を受賞した小説「赤目四十八瀧心中未遂」が映画化された時からのことである。
寺島しのぶが初めて汚れ役に挑戦したことで、話題になった映画だったが、語り手である主人公の不思議な存在が強く印象に残った。
その後その人物が、原作者、車谷長吉自身のことだと分かると俄然興味がわいてきた。
そしてその特異な来歴を知るとことで、さらに興味は深まっていったのである。
だが、すぐに小説を読むということにはならなかった。
それは彼の小説が簡単に読めるような類の小説ではなく、かなり重い内容をもった小説のように思われたからである。
読むためには、ちょっとした覚悟のようなものが必要だと考えていたのである。
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「忌中」は短編集である。
いささか古めかしい文体で、淡々と書き進められていく文章には、地べたに張り付いたところから眺めるような独特の目線を感じる。
そして語られる内容は、変死、自殺、一家心中、夫婦心中といったさまざまな無残な死である。
救いのない死が救いがないままに、淡々とリアルに語られていく。
時に鬼気迫るような生々しい場面がさりげなく現れて、思わず本を置いてしまうこともあった。
その独特な作品世界は、いちど味わうとちょっと取り付かれてしまうような魔力をもっている。
魂をいきなり鷲掴みされたような気分になった。すっかり魅入られてしまった。
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続けて読んだのが、「贋世捨人」である。
こちらは作者が小説家として立つまでを題材に描いた、半自叙伝のような小説である。
西行や鴨長明、吉田兼好、一休といった世捨人に憧れる主人公が、出家を志すものの挫折、大学を出て就職をするが、それも長くは続かず、つぎつぎと転職をくりかえし、終いには下足番や小料理屋の下働きとして転々とするというもの。
赤裸々で、自虐的とも思えるような内容だ。
小説を書くということは「正気で風呂桶の中の魚を釣ろうとすること」、「瓢箪で鯰を捕らえようとする」ことだと云う主人公が、小説を書くことによって自らの「業」に立ち向い、漂泊する姿は、無残なようでも、一種の清々しさがある。
そして、ある種、快感さえおぼえてしまうのである。
その下降志向の態度は、最近読んだ太宰治にもどこか似ている部分があるようにも思える。
しばらくは太宰治を重点的に読んでみようかと考えていたところに、横合いから、するっと車谷長吉が闖入し、いつのまにか居ついてしまったという感じである。

今また「赤目四十八瀧心中未遂」を借りて読み始めたところである。
これを機会に彼の小説を読み続けてみようと考えている。


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Author:cooldaddy
住んでいるところ:青森県弘前市
出身地:香川県
年齢:今年(2008年)還暦です。
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還暦という節目を迎え、何か新しいことを始めようとブログを開設しました。
趣味のこと、生活のこと、心に残ったことなど、My Favorite thingsを、気ままに書いていこうと思います。
末永くおつき合いください。

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