風に吹かれて

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清左衛門残日録

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先日書いたことの続きだが、テレビドラマ「清左衛門残日録」のDVD6枚すべてを観終わった。
内容は全14話とスペシャル版の「仇討ち! 播磨屋の決闘」である。
宅配でDVDが2枚づつ送られてくるのだが、観終わると返却し、それが向こうに着くと折り返し次の2枚が送られてくるというシステムであるが、届くまでの何と待ち遠しかったことか。
一刻も早く続きが観たくてたまらない。
それほど夢中になって観続けたのである。

このドラマは、1993年(平成5年)にNHKの「金曜時代劇」で放映されたもの。
その時何本か観た覚えがあるが、見逃したものも多く、今回すべてを通して観て、また改めてその佳さに感じ入った次第である。

何と云っても清左衛門を演じた仲代達矢が素晴らしい。
彼以外にこの三屋清左衛門役は考えられないと思えるほどの適役である。
元用人という重厚さだけではなく、時にコミカルな面も見せながら、人間的に深みのある三屋清左衛門を、これ以上はない見事さで演じている。
さらに彼の無二の親友、佐伯熊太を演じる財津一郎がまた、これに負けず劣らずの適役である。
ふたりの軽妙なやりとりを聞いているだけで思わず口元が綻んでくる。

そして彼らにからむ二人の女性、涌井の女将を演じるかたせ梨乃、そして清左衛門の息子の嫁、里江を演じる南果歩、その艶やかさと優しさがドラマの大きな彩りとなっている。
また竹馬の友を演じた佐藤慶と河原崎長一郎もいい。
佐藤慶が演じたのは金井奥之助、清左衛門とは元同僚で、道場にともに通った旧い友人である。
しかし政争でついた側が失脚したために家禄は減らされ、以来貧しい不遇の人生を送ることになった。
ふたりは30年ぶりで再会したが、用人にまで出世した清左衛門との間には越えられないほどの差がついており、それを恨みに思う奥之助は一緒に釣りに出かけた磯で清左衛門を海に突き落とそうとする。
しかし誤って自分が落ちてしまう。
清左衛門に助けられた奥之助は次のような言葉を洩らす。
「許してくれとは言わぬ。助けてもらった礼も言いたくない。それでも、むかしの友人という気持ちが一片でも残っていたら、このままわしを見捨てて帰ってくれ。もう二度と、貴公とは会わぬ」

河原崎長一郎演じるのは、大塚平八。
清左衛門や熊太とは幼馴染、道場仲間である。
しかしふたりとは違って特にこれといった人に誇れるような能力があるわけではなく、ごく平凡な男である。
そんな彼が小心翼々として家禄を守り抜き、隠居の身となった。
そしてようやく静かで落ち着いた生活が始まったという矢先に中風で倒れてしまう。
不運を絵にかいたような男だが、彼と清左衛門、熊太との少年時代と変わらぬ胸襟を開いた親しい交流には深い滋味があり、ホッとして泣かされてしまう。

こうした俳優たちの熟達の演技に酔い、そして様々な人間たちの人生の機微と哀歓を味わうことのできた楽しい日々であった。
「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」仲代達矢が読むこの言葉と、「人は命ある限り生き続けなければならない」というセリフが、今も鮮明に耳に残っている。


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藤沢周平「隠し剣 孤影抄」「隠し剣 秋風抄」

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隠し剣シリーズには「孤影抄」と「秋風抄」がある。
1976年から1980年まで断続的に発表されたシリーズで、都合17編が書かれており、それが「孤影抄」と「秋風抄」の2冊に纏められた。
「孤影抄」は以前読んだことがあるが、「秋風抄」は今回初めて読む。
そこでこの機会に「孤影抄」も再読してみることにした。
同じシリーズなので通して読むと、また違った面白さが味わえるのではないかと考えたからである。

「孤影抄」には「邪剣竜尾返し」「臆病剣松風」「暗殺剣虎ノ眼」「必死剣鳥刺し」「隠し剣鬼ノ爪」「女人剣さざ波」「悲運剣芦刈り」「宿命剣鬼走り」の8編が収録されており、「秋風抄」には「酒乱剣石割り」「汚名剣双燕」「女難剣雷切り」「陽狂剣かげろう」「偏屈剣蟇ノ舌」「好色剣流水」「暗黒剣千鳥」「孤立剣斬月」「盲目剣谺返し」の9編が収録されている。
このうち「必死剣鳥刺し」「隠し剣鬼ノ爪」、そして「盲目剣谺返し」が、それぞれ映画化されている。
やはりこうした剣戟ものというのは、ドラマチックで、しかも手に汗握るアクションもありといったことで、映像化するにはうってつけということになるのだろう。

いずれの主人公も微禄の下級武士である。
しかし剣術では秀でた才能を持っている。
そうした主人公が、ある者は上司の命令で、またある者は遺恨によって、その剣を使わざるをえない状況に陥ってしまう。
そして命をかけた戦いへと立ち向かっていく。

いずれも劇的な物語ばかりで胸躍らせて読んだ。
なかでも「孤影抄」では、「暗殺剣虎ノ眼」「女人剣さざ波」「宿命剣鬼走り」、「秋風抄」では、「暗黒剣千鳥」「孤立剣斬月」「盲目剣谺返し」などが印象に残っている。

「暗殺剣虎ノ眼」は、行状を批判された藩主が、虎ノ眼という秘剣を使う刺客を放つ話で、ミステリー仕立てで展開していく。
そして最後に意外な事実が浮かび上がり、思わずドキッとさせられる。

「女人剣さざ波」は、窮地に陥った夫の身代わりに果し合いをする妻の話。
藩の重役の命令で、政敵の動向を探る役目についた浅見俊之助は、相手に気づかれ、政敵が差し向けた刺客と果し合いをしなければならなくなる。
剣の腕には自信のない俊之助は、死を覚悟して果し合いに臨むことにする。そしてそのことを妻の邦江に告げる。
それを聞いた邦江は、夫には内緒で、身代わりとして果し合うことを決意する。
邦江は、さざ波という秘剣を遣う剣の名手であった。
実は俊之助と邦江の夫婦仲は、冷めたものであった。
それは邦江が美貌にはほど遠い醜貌ということが、大きな原因であった。
そうした夫婦仲が、この事件をきっかけに好転しそうな気配を残して物語は終わる。

そして「宿命剣鬼走り」は、小関十太夫と伊部帯刀との長年にわたる因縁話である。
小関十太夫と伊部帯刀は、若い頃、同じ道場に通う好敵手であった。
そしていずれもが、同じ女性に想いを寄せるようになったことから、反目し合うようになる。
それがきっかけとなって、その後様々な軋轢を生み、いつ果てるともない悪縁が続いていくことになる。
その最大の事件が、双方の息子同士の果たし合いであった。
さらにその後、小関十太夫の娘の出奔と惨殺、また次男の自害といった事件へと続き、その結果どちらも家の断絶という最悪の事態にまで陥ってしまう。
そして最後は、その宿命に終止符をうつかのような両者の決闘ということになってしまう。
悲惨な話である。しかしそれだけにそこで展開される重厚な人間ドラマには、深く魅了される。

さらに「暗黒剣千鳥」と「孤立剣斬月」は、迫り来る敵を命を懸けて迎え打つという話である。
「暗黒剣千鳥」では正体が知れない敵がいつ襲ってくるか判らぬ恐怖を、「孤立剣斬月」では上意討ちにした相手の息子が江戸から帰国後に、果たし合いを挑んでくるといううわさ話を聞かされた主人公が、刻々とその時が迫り来るなかで苦悩する姿が描かれている。

藤沢周平の小説には、映画からヒントを受けて書いたのではないかと思われるものが時々見受けられる。
これらの作品もそうしたもののひとつではないかと想像している。
連想したのは、「真昼の決闘(ハイ・ヌーン)」であった。
とくに「孤立剣斬月」は、「真昼の決闘(ハイ・ヌーン)」そのもの。
自分より腕の勝る相手が、いずれ自分の前に現れて果し合いを挑んでくる。
それが分っていながら、どうすることもできない。
周囲に助けを求めようとするが、誰ひとりとして助勢を申し出る者はいない。
孤立無援の中、死を覚悟して敵を待ち構える。
刻一刻とその時が近づいてくる。
まさに「真昼の決闘(ハイ・ヌーン)」同様の展開であるが、しかしこうして読んでみると、それとはまた違った、藤沢周平らしい味わいのある世界が展開されていくのである。
西部劇の世界が、換骨奪胎されて見事な時代小説に姿を変えているのである。

そして最後が「盲目剣谺返し」である。
これは映画「武士の一分」の原作である。
映画を観て内容はすべて分っているつもりであるが、こうして読んでみると、映画とはまた違った小説のもつ魅力を、味わうことができた。
とくに最後に妻を許す場面では、分っていながらも胸が熱くなってしまった。
こういう場面での藤沢周平の技の冴えは、見事というほかない。
分っていても泣かされてしまう。
そしてほのぼのとした気持ちにさせられてしまうのである。
武士が命を賭けて事を成し遂げた後だからこそ、こうして訪れた安らぎは、より価値のあるものとして、値千金の輝きを放つ。
緩急、動と静の見事な対照、そしてそこから滲み出てくる滋味溢れる人生の味わい、こうした熱いものを味わえるから、藤沢周平の小説を読み出すと止められなくなってしまうのである。
同時に<小説を書くということはこういう人間の根底にあるものに問いかけ、人間とはこういうものかと、仮の答えを出す作業であろう。>「周平独言」という言葉を心底実感する瞬間でもある。


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藤沢周平の本についてのつぶやき

正月休みに読もうと図書館から借りていた藤沢周平の本、「隠し剣 孤影抄」、「隠し剣 秋風抄」、「驟り雨」を先日読み終わった。
引き続き、藤沢周平の本を借りて読んでいる。
「本所しぐれ町物語」、「霜の朝」、「龍を見た男」、「冤罪」、「喜田川歌麿女絵草紙」の5冊である。
そして「本所しぐれ町物語」、「霜の朝」、「龍を見た男」は、すでに読み終わり、今は「冤罪」を読んでいるところである。

これらの小説はすべて短篇なので、寝る前に寝床でひとつ、さらに夜中や朝方の目が覚めたときにひとつ、といったふうに短時間に集中して読むことができるので、なかなか具合がいい。
そうやって読んでるうちに、気がつくと12冊目に入っていたというわけである。
かなり以前にも藤沢周平の小説を夢中になって読み漁ったことがあったが、その時は、もっと時間がかかったように思う。
今回のように短期間に、これほどまとめて読むのは初めてである。

ところでこうした本の感想を、ブログに書かなければと思いながらも、今のところなかなか書くまでには至っていない。
読むほうが忙しく、そちらに時間をとられて、ついつい書くほうが疎かになってしまっている。
それでも備忘録としてブログには残しておきたいので、印象が希薄にならないうちに書いてしまわなければと思っているのだが、なかなか思うようにはいかない。
気がつくと読み終わった本が次々と増えてゆき、書くほうが追いつかず、なんだか宿題を抱えてしまったような気持ちになってしまうが、それでもそう思ういっぽうで、まあそのうちに書ける時もあるだろう、またよしんば書けないにしても、それはそれで仕方がないのではないかという気持ちにもなっている。
いずれにしても今のところは、読むほうを優先にしたいなと考えている。
とにかくあまり堅苦しく考えず、読むのが楽しければそれでよし、また書きたくなれば、それもまたよし、そうやって融通無碍にやっていくのが、いちばんなのではないか、そんな弁解がましいことを思いながら、今日も藤沢周平の小説を読んでいる。

今夜は「冤罪」のなかの「夜の城」を読むつもりである。


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藤沢周平「長門守の陰謀」

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藤沢周平の小説を読む毎日が続いている。
「日暮れ竹河岸」「麦屋町昼下がり」「時雨のあと」そして「闇の梯子」と続いて、5冊目の今回は「長門守の陰謀」である。
こちらもこれまでと同じく短編集であった。
「夢ぞ見し」「春の雪」「夕べの光」「遠い少女」「長門守の陰謀」の5篇が収められているが、初出は「長門守の陰謀」だけが1976年で、あとの作品は1977年である。
すなわち藤沢周平の作家生活も、ようやく5年目を迎えた頃の作品ということになる。
このころになると、初期の暗い作風から抜け出して、ユーモアを感じさせるような明るい作品が目につくようになってくる。
そのことについて藤沢周平は次のように書いている。
<「用心棒日月抄」あたりからユーモアの要素が入り込んできた。北国風のユーモアが目覚めたということだったかも知れない。>
「用心棒日月抄」が、1976年からの連載開始となっているので、これらの作品と同時期ということになる。
そんな明るいユーモアが、もっともよく表れているのが、「夢ぞ見し」という作品である。

昌江は小寺甚兵衛と18歳で結婚して10年が経つが、まだ子どもには恵まれていない。
甚兵衛の禄高は二十五石という微禄で、さらに風采があがらず、おまけに口が重く話し相手にもならない。
帰宅は毎晩遅く、帰れば飯を食べ終わるとさっさと寝てしまう。
そんな毎日に昌江の不満はつのる一方である。
ところがある日、この家にひとりの若者が転がり込んでくる。
そしてそのまま居候として居ついてしまう。
最初は胡散臭く思っていた昌江だったが、どこか育ちの良さを感じさせる美男の若者を、次第に好ましく思うようになってゆく。
そして変化がなく平凡な毎日に飽き飽きしていた昌江の日常が、急に生き生きと華やいだものになっていくのであった。
実はこれには意外な事実が隠されており、さらにその話の中で夫甚兵衛が実は藩内では並ぶ者のない剣客であることも分ってくる。
読みながらニヤリとさせられるようなユーモアがあり、まるでかつての東映映画に出てきそうな明朗時代劇といった趣きであった。

続く「春の雪」は山本周五郎の「さぶ」を連想させるような内容で、女心の不可思議さを題材にしたものである。

「夕べの光」は、死んだ亭主の連れ子を、乳飲み子の時から育てているおりんに縁談が持ち上がる。もう若くはないおりんの心が揺れるという話である。

「遠い少女」は、順調に歩んできたはずの自らの人生に、ふと疑問や悔恨を感じた中年男が、昔好きだった女と会い、失った青春を取り戻そうとする話。

いずれもありふれた日常に、思いがけない出来事がふと訪れて、戸惑ったり思い煩ったり、といった話である。
その後にまた元通りの日常に帰っていくことになるわけだが、それは同じような日常に見えても、けっして同じというわけではない。
そこにちょっとだけ新しい要素が加わわることで、それまで見えていた日常とは、また少しだけ違った色彩を帯びて見えてくるのである。
そうした庶民の暮らしの機微から滲み出てくる哀歓は、時に苦くもあり、また哀しくもある。

そして最後は表題作の「長門守の陰謀」である。
これは藤沢周平の故郷、山形庄内藩で実際に起きたお家騒動を題材にしたものである。
「長門守一件」と呼ばれるこの事件は、藩主酒井忠勝の弟、長門守が自らの嫡子を次期藩主に据えようと、お家乗っ取りを企てたものである。
雑誌「歴史読本」が「徳川300藩騒動録」という特集を組んだ際に原稿依頼されたもので、これを書くために藤沢周平は残された資料をかなり入念に調査したようだ。
そしてこれを書いたことで、後のお家騒動物の骨格が出来上がったというのが定説だ。
そうしたことからこれは藤沢周平の著作集のなかでも、重要な位置を占める作品ということになっている。

さてこの次に控えているのは、「隠し剣 孤影抄」「隠し剣 秋風抄」「驟り雨」の3冊である。
正月休みは3日間だけだが、その間に読もうと先日図書館で借りてきたものだ。
そういうわけで、引き続き正月も、藤沢周平三昧の日々になりそうだ。


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藤沢周平「闇の梯子」

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先日の「時雨のあと」に続いて読んだのが、この短編集である。
こちらも「時雨のあと」同様初期に書かれたものであるが、1973年から74年にかけてのものなので、「時雨のあと」の前年、前々年の作品ということになる。
「暗殺の年輪」「又蔵の火」に続く第3作品集で、「父と呼べ」「闇の梯子」「入墨」「相模守は無害」「紅の記憶」の5篇が収められている。

よく知られているように藤沢周平の初期の作品は、暗く救いのない話が多い。
それは藤沢周平が「ひとには言えない鬱屈した気持ちをかかえて暮らしていた」ことの反映であり、「胸のうちにある人の世の不公平感に対する憤怒、妻の命を救えなかった無念の気持ちは、どこかに吐き出さねばならないものだった。」からである。
それがもっともよく表われているのが、表題作の「闇の梯子」である。

主人公の清次は、いつか売れっ子の板木師になるという夢を抱いて、女房のおたみとふたり裏長屋でつましく暮らしていた。
そこに昔の仕事仲間である酉蔵という男が、ある日突然訪ねてきた。金の無心であった。
昔は腕利きの板木師だった酉蔵だが、博打に溺れ、それがもとで身を持ち崩し、今ではまともな世界では生きていけない男になっていた。
そんな男だと分っていながらも清次は金を貸す。
そしていちど貸した金は返ってくることはなく、それどころかつぎつぎと理由をつけては金をむしりとっていくようになる。
清次には弥之助という兄がいる。
優しかった兄だが、身を持ち崩し、今は行方知れずのままである。
清次が酉蔵の無心を断り切れず受け入れてしまうのは、そんな兄の面影と重なってしまうからである。

<「酉蔵という人はな」
鑿(のみ)を動かす手を休めて、清次は壁に眼を投げた。
「行方が知れねえと話した兄貴に似てるんだな。顔が似てるというんじゃなくて、どう言ったらいいか、つまりまともに世渡り出来ないたちだということだ。兄貴もそうだった。」
「・・・・・」
「一町三反歩の田畑と家屋敷を潰しても立ち直れなかった。悪くなってゆくばかりだった。梯子を下りるように、だんだんにな」>

そんな気持ちで酉蔵に金を貸し続けるが、しかし貧しいなかでの金の工面にも限度があり、次第に清次の手に余るようになってゆく。
さらに悪い時には悪い事が重なるもので、女房のおたみが突然病で倒れてしまう。
そしてそれが不治の病だと医者から告げられるのである。

<おたみがいない人生というものは考えられなかった。それがどういうものか、想像もつかなかった。身体がひとりでに膨らんでくるような、たっぷりと希望が溢れていた時期があったのだ。一枚絵の注文もとって、江戸で押しも押されもしない板木師になる。弟子を養い、やがて彫清の看板をあげる。おたみはおかみさんと呼ばれ、小まめに弟子たちの面倒をみて慕われるだろう。子供は男と女が一人ずついる。
 半年前まで、そんな希望が確かにあったことが、ひどく残酷に思われた。
 荒涼とした、見たこともない風景が眼に見えてきた。頭上には一面の黒い雲がひろがり、遥かな地平線に血のような夕映えがあり、夕映えは頭上まで雲の腹を染めていた。地上には夜ともつかず、日暮れともつかないほのかな光が満ちているばかりで、枯れた草と黒い土がどこまでも続いている。まれに立つ樹は、一枚の葉もない黒い裸木で、その幹を地平から来る光が赤く染めている。どこまで歩いても、四方のひろがりには人影もなく、物音も聞こえなかった。>

それでも清次は何とかおたみの病を治そうと、金策に走り廻る。
そして手をつけてはいけない金にまで手をつけてしまう。
それでも足りず、高い手間賃を出すという禁制本の板木彫りにまで手を染める。
しかしおたみの病は治る兆しもなく、最後には医者からも見離されてしまう。

絶望的な気持ちの清次の眼の前に、一本の梯子の幻影が立ち現れる。

<日の射さない闇に、地上から垂れ下がる細く長い梯子があった。梯子の下は闇に包まれて何も見えない。その梯子を降りかけている自分の姿が見えた。兄の弥之助が降りて行き、酉蔵が降りて行った梯子を。>

暗く切ない話である。
どこにも救いの光は見られない。
ただ何も見えない暗闇だけが、不気味に口を広げて横たわっているだけである。

おそらくこれは前妻が誕生前の娘を残して、28歳という若さで亡くなった藤沢周平自身の身の上が、色濃く投影されているのであろう。
その時の絶望感が、そのまま主人公の気持ちとなって吐露されたのに違いない。
腹の底にズシンと響く話であった。

さらにこの他の短篇も、いずれ劣らぬ力作ぞろい。
「父(ちゃん)と呼べ」は、行く当てのなくなった子供を引き取った長屋の夫婦の話。
最初はお荷物だった子供が次第に愛しくなり、ついには手放せないほどになってしまう。
小津安二郎監督の映画「長屋紳士録」を彷彿させるような話であった。

「入墨」は江戸版「父帰る」である。
姉妹で切り盛りする飯屋の店先に、いつかひとりのみすぼらしい老人が立つようになる。
それは放蕩の末、幼かった姉妹を捨てて行方知れずになっていた父親の、落ちぶれた姿であった。
姉のお島はそんな父親を許さず、店に入れようとはしない。
だが妹のおりつは姉の反対を押し切って店に招き入れ、酒を呑ませてやる。
以来店を訪れるたびに酒を出してやるようになるが、お島は見てみぬふりをする。
そんな折、お島のかつての情夫である乙次郎というやくざ者が帰ってくる。
そして事件が起こる。その結末は切なく哀しい。身につまされる。

最後は「相模守は無害」と「紅の記憶」という武家物2篇である。

「相模守は無害」は海坂藩を舞台にした隠密もの。
藩と幕府が放った隠密との攻防戦が読み応えがある。

そして「紅の記憶」は武家の次男坊で一刀流の達人である主人公が、婿養子となるはずだった娘とその父親の無念を晴らすため、ひとり敵に立ち向かっていくという話である。

いずれも短篇ながら中味の濃い物語であった。


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Author:cooldaddy
住んでいるところ:青森県弘前市
出身地:香川県
年齢:今年(2008年)還暦です。
性別:男

還暦という節目を迎え、何か新しいことを始めようとブログを開設しました。
趣味のこと、生活のこと、心に残ったことなど、My Favorite thingsを、気ままに書いていこうと思います。
末永くおつき合いください。

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