風に吹かれて

My Life & My Favorite things

Category: 読書

Tags: 短編小説集  

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石井光太「東京千夜」

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著者は、最下層に生きる人たちをルポするライターである。
ルポライターという職業は、人と会うのが仕事である。
日々様々な人と関わっていく。
そうやって出会った人のなかから、特に印象に残った人たちの姿を「あるものは随筆として、あるものは私小説として、またあるものは記録として」描いたのが、この本である。
自殺者、ゴミ屋敷の住人、ハンセン病者、HIV感染者、身体障害者、津波の被災者と、いずれも社会の枠から外れたところで生きる人たちである。
そうした人たちが、なぜそんな人生を歩まなければならなくなったのか。
そしてそこでどんな歩み方をしているのか。
それを自ら寄り添うようにしながら書き綴っていく。
そこから見えてくるのは、様々な生と死である。
目を背けたくなるような悲惨さではあるが、それだけに却って目が離せなくなる。
こんな過酷な人生があるのだという驚きがある。
しかし同時に生きる逞しさも見えてくる。
それはギリギリのところで生きていかざるをえない人間の、切ないまでの逞しさである。
それが激しく胸を打つ。
こうした人たちを前にすると、誰もが言葉を失ってしまうにちがいない。
生半可な言葉では、到底太刀打ちできない。
それをあえて言葉にしなければならないのがルポライターという仕事である。
相当タフな精神をもっていなければ対応できないことだ。
おそらく自らの身を削りながら書いたに違いない。
そんな痛みが、行間から見えてくる。
初めて出会ったルポライターではあるが、この本1冊によってその名前が強く刻みつけられた。


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池澤夏樹「スティル・ライフ」

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中央公論新人賞および芥川賞を受賞した「スティル・ライフ」と、受賞第一作「ヤー・チャイカ」が収録された作品集である。
池澤夏樹の小説を読むのはこれが初めてだが、その存在には以前から関心があった。
それは彼の父親が高名な小説家、詩人、フランス文学者の福永武彦であるということ。
またかなりの読書家で、書評家、そして翻訳家、詩人、小説家で、古今の文学に深く通じた文学者であるということ。
過去にいくつか書評を読んだことがあるが、その慧眼には教えられることが多かった。
そうした文学的素養を生かして、世界文学全集を個人編集で出版したのが、数年前のこと。
続いて、日本文学全集の編集も行っている。
いずれも、これまでの全集にはなかった斬新な内容で、機会があれば読んでみたいと思っている。
そんなこんなで、気になる存在であった。
ただ小説を読むというところまではいかなかった。
ところが最近読んだ、山崎努の「柔らかな犀の角」のなかで、彼が池澤夏樹の熱烈なファンで、ほとんどの著作を読んでいると書かれてあった。
それを読んで、それほど惹かれる魅力とはいったい何なのか、それを知りたくて、この小説を読むことにしたのである。

この小説は、昭和62年に書かれたもの。
1945年(昭和20年)生まれなので、42歳の時。
最初に小説を書いたのは、これより4年前の「夏の朝の成層圏」、遅い小説家デビューである。
そのことについて、彼は次のように語っている。
「きっかけは福永が亡くなったことです。父がいる間はとても小説などを書くことは想像もしなかった。」
彼の母親は詩人の原條あき子、同人仲間であった福永武彦と1944年に結婚したが、5年後に離婚、その後再婚したが、池澤夏樹には福永武彦が実父だということは教えていなかった。
そのことを知ったのは、高校生になってから。
突然知らされた高名な父親の存在、その事実に複雑な感情を抱いたことは想像に難くない。
以来その存在が大きな壁となって立ちはだかった。
そんな複雑な経緯の影響が、彼を小説から遠ざけ、遅い小説家デビューとなったのである。

「スティル・ライフ」は、アルバイト先で知り合った男と「ぼく」の交流を描いたもの。ある日彼から奇妙な仕事を手伝うよう依頼される。「スティル・ライフ」とは静止画のこと。

「ヤー・チャイカ」は、高校生の娘とふたりだけで住む主人公が、イルクーツク出身のロシア人の男と偶然知り合い、そこから3人の交流が始まる。そしてその交流の間に、娘が語るファンタジックな話が差し挟まれる。ちなみに「ヤー・チャイカ」とは、人類初の女性宇宙飛行士テレシコワが、宇宙船から地球に送ったコール・サイン「私はカモメ」のこと。

どちらもこれといって特別なことが起きるわけではない。
偶然知り合った同士の、とりとめのない会話主体で話が進行していく。
しかしその会話の内容は、興味深いものばかり。
そして詩的で哲学的な文章によって、浮世離れした不思議な世界が展開されていく。
そういう点では村上春樹との共通性も感じるが、池澤の場合はそこに自然科学の要素が加味されていく。
彼が大学時代に専攻したという物理学を始めとした自然科学の知識が、文章に生かされており、独特の味わいを醸し出している。
それは例えば次のようなもの。

<ぼくはハトに気持を集中した。ハトがひどく単純な生物に見えはじめた。歩行のプログラム、彷徨的な進みかた、障害物に会った時の回避のパターン、食べ物の発見と接近と採餌のルーティーン、最後にその場を放棄して離陸するための食欲の満足度あるいは失望の限界あるいは危険の認知、飛行のプログラム、ホーミング。彼らの毎日はその程度の原理で充分まかなうことができる。 そういうことがハトの頭脳の表層にある。
しかし、その下には数千万年分のハト属の経験と履歴が分子レベルで記憶されている。ぼくの目の前にいるハトは、数千万年の延々たる時空を飛ぶ永遠のハトの代表にすぎない。ハトの灰色の輪郭はそのまま透明なタイム・マシンの窓となる。長い長い時の回廊のずっと奥にジュラ紀の青い空がキラキラと輝いて見えた。>(スティル・ライフ)

<まわりにまったく何もないというのはどんな気持ちがするものなのか、と想像する。そういう擬人法に依らなくては、人は遠方に送った機械と自分の意識をつなぐことができない。かじかんだ足の指がまだ自分に所属することを確かめようと、ちょっとだけ動かしてみるようなものだ。小惑星の向こうを飛ぶ探査装置が自分たちの世界に所属することを確認するために、自分をその場所に置かれた目と考えて、見える光景を想像し、物質がないという寂寞を想像する。そういう誘惑を感じている人間がたくさんいる。>(ヤー・チャイカ)

こうした思念や描写が、現実世界と行きつ戻りつ、そして融合しながら、科学的美しさをもった小説世界を形作っていくのである。
これ1冊では、まだまだその魅力を解明できたということにはならないが、その一端に触れることはできたように思っている。
これをきっかけに、またもう少しその世界を覗いてみたいなと考えている。


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本多孝好「at Home」

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作り話だからこそ見えてくる真実というものがある。
概ね小説とは、そういうものかもしれないが、とくにこの短編集では、そんな感想を強く持った。

表題作の「at Home」、「日曜日のヤドカリ」、「リバイバル」、「共犯者たち」の4編が収録されている。
いずれの短編も家族がテーマになっているが、どこか歪な欠損家族ばかり。
そこから家族とはいったい何なのかというテーマが、浮かび上がってくる。
ありえないような設定、都合のいい展開など、欠点はあるが、それでも読ませてしまうものがある。
もともとがミステリー作家であるという作者の、ストーリーテラーとしてのテクニックに、うまく乗せられてしまうわけだが、けっして不快ではない。
むしろその手管にひとつ乗ってみようという気にさせるものがある。
そして余計なことを考えず、物語世界へと身を委ねるうちに、快い感動へと至るのである。
最後がどんでん返しというか、落ちのような終わり方というか、そこには落語の人情話を聴いているような心地よさがある。

本多孝好の本を読むのは、これが初めて。
なので、最後に簡単な略歴を書いておく。

1971年の東京生まれ、慶應義塾大学法学部卒。
小学生の頃は江戸川乱歩、中学生の頃は赤川次郎、高校生の頃は半村良、大学時代は村上春樹や村上龍に夢中だった。
弁護士を志して法学部に在籍していたが、大学4年生の時、同じ学部の金城一紀に卒業文集に入れる小説の執筆を依頼されたことがきっかけとなり、作家を志すようになった。その後、金城の助言で習作を続け、共に切磋琢磨した。本格的に作家を目指すか、弁護士になるか心が揺れていた時(1994年)に「眠りの海」で第16回小説推理新人賞を受賞し、作家になる決心をした。(以上Wikipediaより)
1999年に単行本デビューとなる「MISSING」で、「このミステリーがすごい」のトップ10入りを果たす。
主な著書に「ALONE TOGETER」、「FINE DAYS」、「真夜中の5分前」、「MOMENT」、「WILL」などがある。


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桜木紫乃「ワン・モア」

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桜木紫乃の小説を読み始めて、これで7冊目になる。
この小説は6篇の短編からから成る連作短編集であるが、数えてみるとこれまで読んだ7冊のうち、この小説を含めて4冊までが連作短編集である。
桜木紫乃の小説にはこの形式が多い。
彼女にとっては得意の形式ということになるのだろう。
大きな特徴である。

主人公は柿崎美和と滝澤鈴音というふたりの女性。
高校の同級生で、どちらも医師志望ということから同じ大学に進学した。
卒業後、柿崎美和は市民病院の医師として働いていたが、安楽死事件に手を染めたことから、離島の診療所へと追いやられた。
いっぽう滝澤鈴音は親の後を継ぎ、個人病院の院長となった。
その鈴音に癌が見つかり、余命宣告を受ける。
鈴音は美和に自分の後を託そうと、代わりに院長としてやってくれないかと依頼する。
承諾した美和は院長となり、鈴音の癌を治そうと決意する、というのがメインのストーリーである。
そこに鈴音の元夫の志田拓郎や、彼女たちのもうひとりの同級生でレントゲン技師の八木浩一、看護師の浦田寿美子、書店の店長である佐藤亮太といった人たちが関わって物語が展開していく。
それぞれが不安や悩みを抱えて生きている。
そして死の翳が見え隠れしている。
桜木紫乃らしい閉塞感に満ちているが、それらが最後に全員繋がって大円団を見せるのは、これまでの桜木作品とは違うところである。
鈴音が飼っている犬の出産を死に対比するものとして登場させ、それを媒介に全員が集まり、人生の再出発、すなわち「ワン・モア」を描くというのは、解かり易く、いささか出来過ぎの感がある。
好みからいえばこれまでの小説のように、もっと複雑で微妙な余韻を残す終わり方をしてもらいたかったというのが本音である。
しかしそう考えるいっぽうで、「人生はやり直しがきく」というメッセージを力強く伝えるためには、こうした終わり方でよかったのかもしれないとも思うのである。


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桜木紫乃「蛇行する月」

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6章からなる連作短編。
というよりも連作長編といったほうが適切かもしれない。
各章の題名は「1984 清美」「1990 桃子」「1993 弥生」「2000 美菜恵」「2005 静江」「2009 直子」と、いずれも年代と名前がついているが、これはそれぞれの章の人物が語りつぐ25年間の物語になっているからである。
このうち清美、桃子、美菜恵、直子の4人は、北海道の同じ高校の図書部に在籍した部員仲間である。
さらにもうひとり須賀順子という部員がここに加わることになるが、彼女がこの物語の中心となる人物である。
しかし中心人物でありながら彼女の視点だけは書かれない。
それは他の6人の視点で見たそれぞれの順子像を描くことで、彼女を中心とした全員の人生が浮かび上がってくるという形をとっているからである。

須賀順子は高校卒業後、和菓子店に就職をした。
そしてその和菓子店の婿養子である20歳も年上の職人と駆け落ちをしてしまう。
各地を転々とした後、ふたりが最後に辿りついたのは東京の郊外のさびれた商店街にある小さなラーメン店であった。
そこで従業員として働いていたが、主人が倒れたので、その後を引き継いで、今はラーメン屋の店主として働いている。
ふたりの間に男の子が出来たが、生活は厳しく、世間一般の尺度からいえばとうてい幸せと呼べるものではない。
しかし順子はそれを「幸せ」だという。
強がりでも負け惜しみでもなく、心底そう思っている。
そうした順子の生活に、人生の岐路に立たされたそれぞれが、少しづつ関わっていくことになる。
そのなかで果たして彼女は幸せなのか、そして自分にとって幸せとは何か、そうしたことが問われていく。

4人以外に1993年に弥生、そして2005年に静江というふたりの女性が登場する。
弥生は順子が駆け落ちした職人の元妻。
夫が出て行ったあと、和菓子店の店主として忙しい毎日を送っている。
そして静江は順子の母親である。
60歳近くになる彼女はスーパーに勤めながらひとり暮しをしている。
10代で順子を生んだが、結婚に失敗、以後つき合ったいずれの男とも長くは続かなかった。
そして順子の駆け落ち後は、お互いにあまり連絡を取り合うこともなくなってしまった。
そうしたふたりが、時を前後してそれぞれ順子を訪ねることになるが、その再会は切なく侘しいものがある。

『幸福の形はいつも同じだが、不幸の形はそれぞれ違う』と書いたのは確かトルストイだったと思うが、この小説を読んでいると果たしてそうだろうかと思ってしまう。
逆な言い方をすれば、『幸福の形はさまざまだが、不幸の形は驚くほど似ている』となるのだろうが、これまた一面の真理であろう。
結局幸福も不幸もこれといった決まった形があるわけではなく、それぞれの考え方、心の持ちようで如何様にも変わってくるものである。
そうした人間の微妙な心理を巧みにすくいとって書いたのが、この小説ということになる。

人生はけっして単純に流れる川ではない。
どんな人の人生も複雑な形に蛇行しながら流れていく。
この小説で書かれた北の大地に生きる女たちの人生も、いち様なものではなく、また幸福の形も様々である。
そうした人生に触れることで、様々な感慨が浮かんでくる。
そして今回も深い余韻を残して、桜木紫乃の小説を読み終わったのである。


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Author:cooldaddy
住んでいるところ:青森県弘前市
出身地:香川県
年齢:今年(2018年)70歳です。
性別:男

還暦(10年前)という節目を迎え、何か新しいことを始めようとブログを開設しました。
趣味のこと、生活のこと、心に残ったことなど、My Favorite thingsを、気ままに書いていこうと思います。
末永くおつき合いください。

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