FC2ブログ

風に吹かれて

My Life & My Favorite things

Category: 読書

Tags: 村上春樹  短編小説集  

Comment (0)  Trackback (0)

村上春樹「パン屋再襲撃」

panya.jpg

村上春樹の小説は不思議な話ばかりである。
この短編集「パン屋再襲撃」もそうだ。
タイトルを見てもそれは判る。
パン屋を襲うなどという話は、普通はありえない話。
しかも再襲撃というのだから、まともに聞けば冗談にしか聞こえない。
そんなわけの分からない小説だが、読んでみるとこれが面白い。
こういうのをカフカ的世界というのだろう。

あらすじを書くと、真夜中に耐え難い空腹感を感じた夫が、過去に友人とふたりでパン屋を襲撃したことを妻に話す。
そのパン屋は大変なワーグナー・マニアで、彼らにワーグナーを聴いたら、ただでパンを上げると言う。
そこでその言葉に従って大人しくワーグナーの曲を聴いてパンを大量にもらったのである。

<「それはどう考えても犯罪と呼べる代物じゃなかった。それはいわば交換だったんだ。我々はワグナーを聴き、そのかわりにパンを手にいれたわけだからね。法律的に見れば商取引のようなものさ」

「でもワグナーを聴くことは労働ではない」と妻は言った。

「そのとおり」と僕は言った。>

そしてその襲撃以来僕は「呪い」にかかってしまったのである。
それを聞いた妻は、その呪いを解くためには、もう一度同じことをやればよい、のだと言う。
そこで夫婦してパン屋を再襲撃するために、深夜の街へと出かけていくのである。

さらにこの短編に続く「象の消滅」では、動物園で飼っていた象が、飼育係と一緒に、ある日忽然と消えてしまう。
象舎の鍵はかけられたままで、開けた形跡はない。
それにもかかわらず大きな象が跡形もなく消えてしまったのである。
そして何ひとつ解明されないままに、話は終わってしまう。
不思議は不思議のままに残されるのである。
何だかおあずけを食ったような、置いてきぼりにあったような妙な具合だが、それでも読んでいる時には、その面白さにぐいぐいと引っ張られてあっという間に読んでしまう。
そんな不思議な魅力を持っている。
それが何なのか未だによく分からない。
しかしこうした不条理の世界の魅力にいったん捉えられると、つぎつぎと読まざるをえなくなってしまう。
村上ファンが同じ小説を何度も繰り返し読んでしまうということが、よく分かる。
こうして村上春樹の小説を読む日々が今も続いているのである。


にほんブログ村 本ブログへ 
↑ クリック、お願いします。 ↑
テーマ : 読んだ本の感想等  ジャンル : 小説・文学


Category: 読書

Tags: 村上春樹  

Comment (0)  Trackback (0)

村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」

dance-dance.jpg

この小説は『羊をめぐる冒険』の続編として書かれたものである。
ただし『羊をめぐる冒険』の後、この小説が書かれるまでには6年近い時間が流れている。
またその間には、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と『ノルウェイの森』というふたつの長編小説が書かれている。
そのことについて作者は次のように述べている。

<でもその二つを書き終えた時点で、僕はもう一度あの三部作の世界に戻ってみたくなったのだ。僕が『ダンス・ダンス・ダンス』という小説で本当に書きたかったのは、あの羊男のことだった。ある意味では、羊男はずっと僕の心の中に住んでいた。僕は『羊をめぐる冒険』を書き終えたあとでもよく羊男のことを考えた。 >
そして「僕」を「ああいうひどい場所におきざりにしたことに」「責任を感じていた」。
そこであの「ひどい場所」から救い出したいとの思いからこの小説を書いたのである。

物語は友人であった鼠と恋人を失った僕が、羊男と出会った、いるかホテルを再び訪れることから始まる。
しかしそこは以前あったいるかホテルとは違い、ドルフィンホテルと名を変えた現代的なホテルに変わっていた。
そこで再び羊男と出会うと、彼から次のようなことを言われる。

「踊るんだよ」
「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうするとあんたはこっちの世界の中でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。だから足を停めちゃいけない。どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。使えるものは全部使うんだよ。ベストを尽くすんだよ。怖がることは何もない。あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから足が停まってしまう」
「でも踊るしかないんだよ」
「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」
オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。

そして自分のなかで失われた何かを回復するために、僕の前から姿を消した恋人を探す旅が始まるのである。
その旅の途中で、様々な個性的な人物たちと出会う。
ホテルのフロント係の女性ユミヨシさん、中学校の同級生で映画スターの五反田君、ユキという名の少女、その父親である牧村拓、母親のアメ、その恋人のディック・ノースなど。
そして彼らとの不思議な交流が続くなかで、ある者は死に、ある者は姿を消していく。
ここでも出会いと別れが繰り返されていく。
物語の中心となるのは、ユキと五反田君である。

ユキはドルフィンホテルで出会った少女である。
彼女の母親アメは、有名なカメラマンで、世界を股にかけて活躍をしている。
両親は離婚をしており、ユキは不登校となって、母親と共に旅をしている。
しかし、アメは時としてユキの存在を忘れてしまい、衝動的に自分勝手な行動をとることがある。
僕がユキと知り合ったのも、そうやってユキがホテルにひとり置き去りにされた時であった。
そして行き掛りでユキを東京の自宅まで送り届けることになり、それがきっかけでユキとの交流が始まる。
ユキには特別な能力が備わっており、僕に様々なものを示したり、導いたりしていく。
謂わば彼女は「巫女」のような存在で、物語を牽引していく存在でもある。
『羊をめぐる冒険』では耳の女キキがその役割果たしていたが、ここでは彼女がそれを担っているのである。

いっぽう、五反田君はホテル滞在中に観た映画の主人公として僕の前に現れる。
そのなかで彼の相手役としてわずかに顔を出すのが、僕が捜し求めていた恋人キキであった。
そこで詳しい話を聞くために五反田君と再会することになるが、結局キキに関する手がかりは掴めないままで終わってしまう。
以後僕と五反田君との新しい付き合いが始まる。
五反田君は容姿端麗で頭脳明晰、絵にかいたようなエリートである。
どんなことをやっても人より秀でており、期待に違わぬことがない。
そして今は俳優として派手な生活を送っている。
高級マンションに住み、高級外車に乗り、一流レストランで食事をするという、人も羨むような生活である。
だが本当は彼は穏やかで健全な生活を送ることを望んでいる。
しかし周りがそれを許さない。
そのため自分が望むものは何ひとつ手に入れることが出来ないでいるのである。
そうした乖離と抱え持つ心の闇から、彼はコールガールを殺し、マセラッティに乗って海に飛び込んで死んでしまう。

小説の舞台となるのは、1983年、これからバブルが始まろうとする時代である。
その狂乱の時代の予兆を孕んだ年である。
そうした時代を生きる五反田君は、謂ってみれば高度資本主義社会がつくり出した歪んだエリートであり、犠牲者である。
そして、実は五反田君は僕自身ではないかと、僕は思っている。
村上作品では多くの分身が描かれるが、ここでは五反田君が僕の分身となっている。
そうした分身たちとの関係のなかで、僕は自分自身を検証していくことになる。
その結果、僕は成長し、生き延びる力を獲得していくようになる。
そして自分自身の人生を生きるために、愛するユミヨシさんのもとへ帰っていこうと決意するのである。
『羊をめぐる冒険』では絶望だけしか残らなかったが、ここでは希望を残して終わる。
それが僕と鼠と羊男の長い物語の、最終的な着地点である。

3部作とはいささか趣を異にしたこの小説で、また新たな村上文学の魅力に出会うことができたように思う。

ところで村上春樹の小説には、様々な音楽が登場してくる。
ジャズをはじめ、ポップス、ロック、クラシック、そして映画音楽とあらゆるジャンルの音楽が流れる。
小説の中にこれほど多くの音楽を登場させるのは、村上作品以外ではあまり記憶にない。
これほどたくさんの音楽が登場するのは、彼が音楽好きということもあるが、それだけではなく、音楽によって言葉では表わしにくいような雰囲気や心情などを表現しようとしているからではなかろうか。
それによってより重層的なイメージを作り上げようとしているように思われる。
ちなみにこの小説に出てくる音楽を、思い出すままに書いてみると、ローリング・ストーンズ『ブラウン・シュガー』、レイ・チャールズ『ボーン・トゥー・ルーズ』、マイケル・ジャクソン『ビリー・ジーン』、リッキー・ネルソン『トラヴェリン・マン』、デヴィッド・ボウイ『チャイナ・ガール』、ポール・マッカートニー&マイケル・ジャクソン『セイ・セイ・セイ』、ボブ・ディラン『ハード・レイン』、ビーチ・ボーイズ『ヘルプ・ミー・ロンダ』、ボブ・マーリー『エクソダス』、ブルース・スプリングスティーン『ハングリー・ハート』、ジョン・コルトレーン『バラード』、ビル・エバンス『ポートレイト・イン・ジャズ』等々、この他にもまだまだある。
まるでラジオのリクエスト番組を聴いているような数の多さである。
こうしたところも村上文学の大きな特徴であり、また魅力でもある。


にほんブログ村 本ブログへ 
↑ クリック、お願いします。 ↑

テーマ : 読んだ本の感想等  ジャンル : 小説・文学


Category: 読書

Tags: 村上春樹  短編小説集  

Comment (0)  Trackback (0)

村上春樹「回転木馬のデッド・ヒート」

kaitenmokuba.jpg

<我々は我々自身をはめこむことのできる人生という運行システムを所有しているが、そのシステムは同時にまた我々自身をも規定している。
それはメリー・ゴーラウンドによく似ている。
それは定まった場所を定まった速度で巡回しているだけのことなのだ。
どこにも行かないし、降りることも乗りかえることもできない。
誰をも抜かないし、誰にも抜かれない。
しかしそれでも我々はそんな回転木馬の上で仮想の敵に向けて熾烈なデット・ヒートをくりひろげているように見える。>

村上春樹は小説の前書きとしてこのように書いている。
そしてここで語られる8つの短編は、いずれも人から聞いた話をもとに書いたもので、「正確な意味での小説ではない」と断っている。
しかし後に作者自らが語っているように、これは「聞き書きという形式を利用して」作ったもので、「リアリズムの文体の訓練」のためのものだったということである。

8つの短編は、「レーダーホーゼン」、「タクシーに乗った男」、「プールサイド」、「今は亡き王女のための」、「嘔吐1979」、「雨やどり」、「野球場」、「ハンティング・ナイフ」。
いずれも奇妙で摩訶不思議な物語ばかり。
読んでいるうちに人生の危うさ、不可思議さに思い至る。
そしてどんな人生であれ、いつ何時どんなことが起きるかもしれないということを感じてしまう。
しかしそんな人生に戸惑いつつも、けっして挫けることなく、回転木馬が回り続ける限り、しっかりと生きていかなければならないのだというメッセージが込められているように思われる。
さりげない日常の中にふと姿を現す濃密な時間、そんな印象的な瞬間に浸ることのできる短編集である。


にほんブログ村 本ブログへ 
↑ クリック、お願いします。 ↑
テーマ : 読んだ本の感想等  ジャンル : 小説・文学


Category: 読書

Tags: 村上春樹  

Comment (0)  Trackback (0)

村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」

sekainoowari.jpg

村上春樹の第4作目に当たる長編小説である。
そして初の書き下ろし長編小説でもある。

物語は「世界の終り」の章と「ハードボイルド・ワンダーランド」の章が、「僕」と「私」というふたつの語り手に分かれて交互に語られていく。
「世界の終り」は、高い壁に囲まれた、外界と隔絶された街である。
そこでは人々は記憶や感情をなくしており、そのため自我の苦しみや他者との衝突などとは無縁である。
一方「ハードボイルド・ワンダーランド」では、暗号を取り扱う「計算士」の私が、老博士から「シャフリング」と呼ばれる高度な計算方法を使った仕事を依頼されるが、それによって複雑な事件に巻き込まれることになる。
静と動の対照的な世界に分かれて物語が展開していくが、「ハードボイルド・ワンダーランド」は現実世界で、「世界の終り」は、現実の「私」が頭の中に作り上げた無意識の世界ということになる。
すなわち「世界の終り」は、他者との接触の中で傷つけられたくないという「私」の無意識の願望が生み出した世界である。
そして現実世界の「ハードボイルド・ワンダーランド」も、実は「私」が見ている夢の世界なのかもしれないと思わせるものがある。
そのような次元と空間が複雑に錯綜する世界が、この小説世界ということになる。
いわば作者の脳内世界で起きたあれこれが、形を変えて重層的に語られているわけだ。

ところで村上春樹の小説を読んでいると、どうしてもシュールレアリスムとの関連について考えてしまう。
ちなみにこの本の装丁に使われているのは、シュールレアリスム画家ポール・デルヴォーの絵である。
村上春樹は60年代の終わりから70年代にかけて学生生活を送っている。
この時代はシュールレアリスム関連の書籍が、もっともよく読まれた時代であった。
書店に行くと書棚にはアンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」が必ずといっていいほど並んでいた。
またロートレアモンの「マルドロールの詩」も同様であった。
この時代に芸術に幾何かの関心を持つ者ならば、必ずや一度はこうした書籍に目を通したはずである。
そうしたシュールレアリスムと、さらにはベケットやイヨネスコといった不条理演劇の影響を受け、そこに前近代の土俗的な要素を加味することで、演劇の復権を目指そうとする前衛的な劇団が、数多く生まれたのも、この時代であった。
すなわち「状況劇場」、「天井桟敷」、「早稲田小劇場」、「黒テント」、「発見の会」等々に代表される、いわゆるアングラ劇団である。
さらには横尾忠則のイラストなどに代表されるポッポアートなどを読み解く際にも、シュールレアリスムは重要な鍵であった。
早稲田大学の演劇科に属していた村上春樹も、当然そうしたものの洗礼を受けたはずだ。
そして意識するとしないとに関わらず、そうした影響は、彼の小説の中に今も流れているのである。

そもそもシュルレアリスムとは、理性の支配をしりぞけ、夢や幻想など非合理な潜在意識の世界を表現することにより、人間の全的解放をめざすという芸術運動であった。
それは村上春樹の小説の目指そうとする方向性と一致したものである。
その世界を表現するための方法として自動記述(オートマティスム)やデペイズマンといったものがあるが、自動記述(オートマティスム)とは、あらかじめ何も決めずに、先入観を捨て無意識に近い状態で文章を書くというもの。
それによって人間の無意識世界に迫ろうとしたのである。
またデペイズマンは、「居心地の悪さ、違和感、生活環境の変化、気分転換」を意味するフランス語で、あるものを本来あるべき場所から、意想外のところへ置いたり、組み合わせることによって異和を生じさせるという手法である。
これを表す言葉として、ロートレアモンの「マルドロールの詩」のなかに書かれた、「解剖台の上でのミシンとこうもりがさの不意の出会い」という有名な言葉がある。
またこの他にも、偶然性を利用するためのコラージュや、夢を重要視する方法など、さまざまな手法が使われる。
これらをそのまま村上春樹が小説手法として用いているというわけではないが、メタファーや夢の世界の描写の多用などは、無意識世界を表現するための、彼なりの手法ということになるだろう。
また村上春樹の小説には「言葉では説明できない。」といった記述がよく出てくるが、これは言葉に対する不信感の表れである。
それは大学紛争当時に味わった、運動への絶望感がもたらしたものである。
しかしそうした言葉への不信という前提のもとで、言葉で表現するためには、当然新たな言葉の再構築が必要となってくる。
それを模索するなかで生み出されたのが、村上春樹独自の小説手法ということになる。
そうした手法を駆使することで、言葉で表現できないことを、言葉で表現しようという困難な作業を成し遂げようとしているのではなかろうか。
そしてそこに新しい価値を見出そうとしている。

この小説を読みながら、ふとそんなことを考えたのである。


にほんブログ村 本ブログへ 
↑ クリック、お願いします。 ↑
テーマ : 読んだ本の感想等  ジャンル : 小説・文学


Category: 読書

Tags: 村上春樹  短編小説集  

Comment (0)  Trackback (0)

村上春樹「螢・納屋を焼く・その他の短編」

hotaru-naya.jpg

「螢・納屋を焼く・その他の短編」を再読。
刊行されたのは1984年7月。
中国行きのスロウ・ボート』『カンガルー日和』に続く短編集で、「螢」、「納屋を焼く」、「踊る小人」、「めくらやなぎと眠る女」、「三つのドイツ幻想」の5編が収録されている。

「螢」は『ノルウェイの森』の原型となった作品。
そのことは以前『ノルウェイの森』のところでも書いたが、自分の記憶とも繋がるだけに、自分にとっては特別な作品である。
「納屋を焼く」は文字通り納屋を焼く男の話。
そのメタファーがどんなことを意味しているのか、色々と考えさせられる。
同時にそこに隠された心の深い闇や死の香りを、感じ取ることができる。
「めくらやなぎと眠る女」はいとこの耳の治療に付き合うことになった僕が、かつて友達のガール・フレンドが胸の手術で入院したときに、見舞ったことを思い出すというもの。
ここでは「耳」が重要なモチーフとして使われているが、これは「羊をめぐる冒険」でも使われたモチーフである。
こういうふうに同じモチーフが作品が違っても繰り返し使われるというのも、村上春樹の小説の特徴のひとつである。
なおこの短編は、後の短編集『レキシントンの幽霊』にも再録されている。


にほんブログ村 本ブログへ 
↑ クリック、お願いします。 ↑
テーマ : 読んだ本の感想等  ジャンル : 小説・文学


カレンダー
11 | 2019/12 | 01
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
プロフィール

cooldaddy

Author:cooldaddy
住んでいるところ:青森県弘前市
出身地:香川県
年齢:今年(2018年)70歳です。
性別:男

還暦(10年前)という節目を迎え、何か新しいことを始めようとブログを開設しました。
趣味のこと、生活のこと、心に残ったことなど、My Favorite thingsを、気ままに書いていこうと思います。
末永くおつき合いください。

映画サイト「マイ・シネマ館」もやっています。
こちらもよろしく。

ランキングサイトに参加しています。
もしよければクリック、お願いします。↓
ブログランキング・にほんブログ村へ 

月別アーカイブ
cooldaddyの本棚
FC2ブログランキング
ブログ内検索
QRコード
QRコード

1234567891011121314151617181920212223242526272829303112 2019