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風に吹かれて

My Life & My Favorite things

Category: 日本映画

Tags: 山下敦弘  

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映画「もらとりあむタマ子」

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ほとんど何も起きない。
同じ日常の繰り返しが、だらだらと続くだけ。
そんな何も起きない日常のなかで、主人公のタマ子はただただ惰眠を貪っている。
漫画を読むこと、テレビを見ること、食事をすること、それだけで一日は終わってしまう。
そんなだらしのないタマ子に、父親は時たま小言を言うくらいで、それ以上の騒動に発展することはない。
そして甲斐甲斐しく食事を作り洗濯をし、家業のスポーツ店の開店時間になると、決められた手順で店の開店準備をする。
こうした変わらぬ日常が永遠に続くのではないかと思えるくらい、同じシーン(開店の準備と食事)が繰り返し写し出される。
しかしその何も変わらないと思われていた日常が、父親の再婚話が持ち上がったことからほんの少しだけ変化の兆しを見せていく。
これはそんな映画である。
見方によっては退屈きわまりない映画になってしまうところだが、けっしてそうはならないところが山下敦弘の映画の一筋縄ではないところ。
「どんてん生活」、「ばかのハコ船」、「リアリズムの宿」、「苦役列車」といったダメ人間ばかりを撮ってきた山下敦弘ならではの腕の冴えである。

タイトルにあるモラトリアムとは、若者が社会に出ていくまでの猶予期間のことを指す。
通常否定的な意味で使われることの多い言葉だが、ここではそうではない。
否定も肯定もしない。
ただあるがままの姿として映し出していくだけ。
「もらとりあむ」とひらがな書きで使われているところにも、そうした意図が込められているように思う。
なぜタマ子はこういう態度をとるのか、その原因はいったい何なのか、そういったこともいっさい描かれない。
またこうしたタマ子のまわりには、当然のことながら男の影などいっさいない。
近所の写真館の中学生の男の子を、子分のように顎で使うくらいが関の山である。
そんなないない尽くしの映画だが、その独特のリズム感がすこぶる心地いい。

この映画を観ながら以前観た同じ山下監督の手になるショートムービー「曇天吉日」を思い出した。
こちらもごくありふれたクリーニング店の日常を描いた映画だったが、流れる空気感は同じである。
そういえばこの映画の主人公も、今回父親役を演じた康(かん)すおんであった。
こういうどこにでもいそうな普通の男を、演技とは思えない自然体で演じていて適役である。
山下監督の映画ではお馴染みの役者ということで、これまでにも「リアリズムの宿」、「松ヶ根乱射事件」、「マイ・バック・ページ」などにも出ていたそうだが、気づかなかった。
「曇天吉日」で初めてその存在を知ったのである。
今後とも注目していきたい役者である。


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Category: 日本映画

Tags: 西村賢太  山下敦弘  

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映画「苦役列車」

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第144回芥川賞受賞作品、西村賢太の「苦役列車」を山下敦弘監督が映画化、西村賢太、山下敦弘いずれのファンでもある身とすれば、まっさきに観なければいけない映画のはずだが、封切後1年近くになり、レンタルDVDが出てからもかなりの時間が経っているが、それでもなかなか手を出せないでいた。
それは、まったくドラマチックでないこの小説をどうやって映画として成立させるのだろう、原作のよさを損なわずに映画化することが果たしてできたのだろうか、そんな危惧が先走っていたせいである。多分。
ところがそれはまったくの杞憂であった。
さすがは「どんてん生活」「ばかのハコ船」「リアリズムの宿」という「ダメ男三部作」を撮った監督である。
主人公、北町貫多の自堕落で出口の見えない惨めな生活を、くそリアリズムすれすれのリアルさで描き出し、原作とはまた違った、映画としてのおもしろさを絶妙に表現していたのである。

性犯罪者の父をもち、中卒で友人も恋人もおらず、わずか19歳という若さですでに社会からドロップアウトしてしまった北町貫多の彩りのない生活、そこにわずかな光が差し込んできたような専門学校生・日下部正二(高良健吾)との出会い、さらには彼の助けを借りて憧れ続けていた少女、桜井康子(前田敦子)とも知り合うことができた。
惨めで変わり映えのしない日常に突然現れた一条の光と陰が、おかしさと切なさを交えながら描かれていく。
だがそんな心楽しい日々も長くは続かなかった。
結局、日下部も康子もともに、優雅なモラトリアムを生きているだけの学生たちで、貫多とはその立位置がまったく違っている。
そこは貫多には決して立ち入ることのできない世界であり、時間が過ぎれば彼らは貫多の前から飄然と姿を消し、貫多とは無縁の世界に住むことになる者たちなのである。
そのことを思い知らされると、光は一瞬にして輝きを失ってしまう。
そしてまた元の暗い穴倉生活へと戻って行かざるをえないのである。
いかに蔑もうと、いかに否定しようと、仕事上の事故で足の指を失い、日雇いということで労災も出ないまま職場を去らざるをえなかった高橋こそが、貫多にとっては同じ世界に生きる同類であり、自らの将来を暗示させる人物なのである。
そこに自らの将来を重ね合わせて絶望に打ちひしがれてしまうのである。
だが3年後、テレビの素人歌番組で懸命に歌うその高橋の姿を偶然目にしたことで、貫多のなかで何かが変わり始める。
このエピソードは原作にはない。
マイ・バック・ページ」でも同様に描かれたシークエンスのリフレインであるが、この後日談が挿入されたことで、この映画を単に苦く暗いだけの映画ではなく、後味のいいものとして終わらせているのである。

高橋を演じたマキタスポーツが素晴らしい。
この映画で初めて知った俳優だが、何ともいえない、いい味を出している。
ちなみにマキタスポーツについて調べてみると、ものまねネタをもつお笑いタレント兼歌手である。(映画のなかでもその得意の歌を披露している。うまい。)
そしてこの映画でブルーリボン新人賞・東京スポーツ映画大賞新人賞を受賞している。
さすが見ている人は見ているもので、この映画での彼の存在感は圧倒的であった。新人賞受賞は当然だろう。
いずれにしても山下敦弘監督は、こうした無名俳優を見つけ出すのが、ほんとうにうまい。
毎回その使い方には驚かされるが、この映画ではマキタスポーツのほかにも貫多の元彼女とその彼氏を演じた俳優たち(名前は特定できなかったが)も素晴らしかった。
だがそれ以上に主人公、北町貫多を演じた森山未來の素晴らしさは特筆である。
どうしようもないダメ男、北町貫多を絶妙に演じ、図々しくも恥知らずな19歳のリアルな青春を痛々しくも見事に演じ切っている。
孤独でやり場のない焦燥のなか、常に苛立ち、何かといえば悪態をつくダメ男、そしてその気持ちを紛らわすためにアルコールや風俗へと走ってしまう。
その場限りの惨めで短絡的な姿、それを見るにつけて、何と最低で嫌な奴だと嫌悪感いっぱいになったが、そこに見え隠れする必死で切実な心情に気づかされるにしたがって、次第に印象が変わっていった。
そして最後は貫多のこれからの人生に幸多かれと祈らずにはいられない気持ちになっていったのである。

若さという荒ぶる魂、それをコントロールする術を知らず、閉塞した世界から抜け出すことができず、闇雲にもがき続けるしかない恥多き青春、それを優しく描き続けるのが山下敦弘監督の映画の大きな特徴である。
そうした彼のフィルモグラフィーに、これでまた大きな勲章がひとつ増えたのを感じる。
間違いなく代表作のひとつになる。大きな拍手を贈りたい。


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Category: 日本映画

Tags: 川本三郎  山下敦弘  

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映画「マイ・バック・ページ」

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1960年代半ばの早稲田大学授業料値上げ反対闘争に端を発した学園紛争は、瞬く間に全国へと飛び火した。
そしてベトナム戦争、安保、成田空港建設反対といった運動と結びつくことで、日本中を嵐の渦へと巻き込んでいった。
当初は大学個別の問題だったものが、大学の枠を飛び越え、そうした運動と連帯することで大衆運動化し、次第に革命前夜を思わせるような熱気と混乱を見せていったのである。
しかし運動は徐々に先鋭化、過激な暴力を伴った直接行動へと奔っていくなかで、次第に大衆の支持を失い失速、大きく後退していくことになる。
この映画はそうした時代を背景に描かれた物語である。
原作は評論家川本三郎氏の実体験に基づいた同名のノンフィクション。
彼が週刊朝日(映画では週刊東都)や朝日ジャーナル(映画では東都ジャーナル)の記者をしていたときに出会った事件の苦い体験を書いている。

1960年代後半、時代は熱を帯びていた。
海の向こうではベトナム戦争があり、アメリカでは激しい戦争反対運動が起きていた。
「ラブ&ピース」が叫ばれ、ウッドストックでは大規模な野外ロック・コンサートが開かれ、パリでは五月革命が起き、世界規模の反体制運動の嵐が吹き荒れていた。
「大学解体」「自己否定」「造反有理」、そんな言葉が飛び交っていた。
また闘争のなかで、数多くの死があった。
そうしたすべてのものが時代の渦となって押し寄せ、それぞれの人間に向かって「自分とは何か」「何をすべきか」といったさまざまな無言の問いかけが迫られた。
川本氏(映画では沢田)も、もちろん例外ではなく、そうした問いかけのなかでジャーナリストとして自分はどうすべきかと思い悩む。
ベテラン記者や先輩記者からは甘い、センチメンタルだと批判されながらも、そうした葛藤から抜け出すことができなかった。
そして闘争に関る人間たちとの間に距離を感じ、何もできない自分に苛立ちと後ろめたさを感じては、悶々とした日々を過ごしていた。
そんななか、ひとりの男と出会う。
活動家を名乗る梅山(本名・片桐)という男であった。
正体のよく見えない梅山に疑念を抱きながらも、宮澤賢治を愛読し、CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)の「雨を見たかい」をギターを弾きながら歌う彼にかすかなシンパシーを感じ始める。
また記者として、スクープをものにしたいといった功名心も手伝って、しだいに深みへと嵌まっていくことになる。
そして起きた事件が、「朝霞自衛官殺害事件」だった。

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松山ケンイチが得体の知れなさ、無邪気さ、愚かさ、さらには人をたらしこむカリスマ性をもった梅山という男をうまく演じている。
「革命」を声高に叫びながらも、一方では計画は杜撰で誤魔化しが多く、「革命」などとうてい実現するとは思えないほど戦術的に幼稚、しかも武器調達のために侵入した自衛隊基地からは武器のひとつも奪うことができない。
後に沢田が「どうして信じてしまったのだろう」と呟くのもむべなるかなといった男である。
しかしそれは昂揚した時代の熱気を抜きにしては考えられないことであった。
結局彼は時代が生み出した歪んだモンスターなのかもしれない。
だが、それを単なるモンスターとして描くのではなく、ときに見せる少年のような無邪気な顔や悩める姿を挿入することで、振り幅の大きい人間として描いてみせる。
それによってその歪(いびつ)さがよりリアリティーのあるものになってくる。
結局彼も実態はごく普通の学生で、ただ時代の熱気のなかで革命思想に触れたことで、次第に革命という幻想に囚われてしまった人間だということなのかもしれない。
そうした描き方があったればこそ、沢田が彼を信じ、彼の思惑通りに振り回されてしまったのである。

結局梅山のやった行動は政治・思想運動などではなく、誤解を怖れずに言えば擬似「政治・思想運動」だったということだ。
さらに言うならば「革命ごっこ」に狂奔していたということである。
そしてその熱気のなかで次第に歯車が狂い、行き着くところまで行ってしまったのが、この映画で描かれた「自衛隊襲撃事件」であり、「連合赤軍派事件」だったのではなかろうか。

映画評論家の川本氏がモデルということもあって、劇中、映画にからんだシーンがいくつか登場してくる。
たとえば、たまの休日に沢田が映画館に足を運んで映画を観るといった場面がいくつか描かれるが、その時スクリーンに写し出されるのは、川島雄三監督の「洲崎パラダイス・赤信号」であった。
川本氏が愛してやまない名作である。
こういう何気ないシーンに惹きつけられる。

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また週刊東都の表紙モデルを務めた女学生と親しくなり、いっしょに映画を観に行くシーンがある。
ジャック・ニコルソン主演の映画「ファイブ・イージー・ピーシス」であった。
そして映画の後、その映画について話し合う。
そのとき、彼女はこの映画でジャック・ニコルソンが泣くシーンが好きだと言う。
そして「私はきちんと泣ける男の人が好き」とも言う。
それに対して沢田は「泣く男なんて男じゃないよ」と切り返すが、このやり取りは後のシーンの重要な伏線になっている。
全体の流れのなかでは、さして重要とも思われないような何気ないシーンではあるが、このシーンが最後に大きく生きてくる。
こうしたシーンが、映画のなかでは一服の清涼剤の役目を果たしており、この映画のもつ重苦しさを、一時的にせよ緩和させる役割を果たしていて、好感が持てる。

監督は「どんてん生活」「リアリズムの宿」などの脱力系映画を得意とする山下敦弘。
シナリオとカメラは、ともにコンビを組んできた向井康介と近藤龍人。
これまでの作品と違って今回は骨太でシリアスな作品に正攻法で挑んでおり、渾身の一作になっている。
これでまた新たな境地が開けてきたのではなかろうか。

何者かになりたかった若者ふたりが、熱い時代のなかで交錯し、結局挫折するしかなかった不幸な物語、そんな重苦しい映画ではあるが、同じ時代を生きた者として、無関心で通り過ぎることのできない映画であった。
そしてこの映画を凝視するうちに、自分もあの中のどこかに確かにいたんだといった感慨を覚えたのであった。
「青春の墓標」とでも呼びたい映画であった。

最後にこの映画について原作者の川本氏が寄せた文章があるので、その一部を載せておく。

<映画「マイ・バック・ページ」は「私」を、敗けた人間として描いている。その通りだと思う。決して、権力と戦った格好いい若者の話ではない。しかし、敗北をきちんと描くことが、いかに難しいか、そして、いかに大事なことか。
 恩師、文化人類学者の山口昌男先生に『「挫折」の昭和史』『「敗者」の精神史』という名著があるが、私もまた、あの事件のあと、ずっと、敗北と挫折にこだわってきた。映画を論じる時も、つねに敗者の側に立つ映画を支持してきた。
 今度の大震災のあと、思想家の鶴見俊輔氏が「敗北力」という言葉を使われていた。自分の敗北をきちんと見つめて、そこから再び立ち上がる。映画「マイ・バック・ページ」にはその「敗北力」が確かに感じられた。いつもいつも「明るく、楽しい」映画ばかりが必要なわけではない。
 困難な時代にはむしろ、暗く重い映画こそが励ましになることがある。負の力がむしろ人間を鍛えてくれることがある。
 妻夫木聡さんも松山ケンイチさんも素晴らしい。本当に有難い。個人的なことになるが、三年前に、三十五年連れ添った家内を亡くした。六十六歳のいま、この映画を作ってもらって本当にもう「いつ、死んでもいい」という気持ちである。>


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cooldaddy

Author:cooldaddy
住んでいるところ:青森県弘前市
出身地:香川県
年齢:今年(2018年)70歳です。
性別:男

還暦(10年前)という節目を迎え、何か新しいことを始めようとブログを開設しました。
趣味のこと、生活のこと、心に残ったことなど、My Favorite thingsを、気ままに書いていこうと思います。
末永くおつき合いください。

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